2012年1月 1日 (日)

恐るべし1歳児

皆さま、どのような新年をお迎えでしょうか。
2012年は、穏やかで一人でも多くの人が希望を感じられる年になりますようにと強く願います。

ほったらかしのブログに久々の記述。年の始めだからというわけではなく、どうやら4か月ぶりに更新されたkojiさんに刺激されたようで、とりとめない日常のことだけど書きたくなった。

今年もドイツから娘とその小さい子二人がやってきている。
原発事故発生後は「もう(少なくとも小さい子たちは)再び日本に帰ることはない」と娘は言っていたし、私の方もリスクのある地に招くつもりはなかった。

むろん"収束"の安心感などないけれど、"小康状態"と判断したのだろう、今回も帰ってきてくれた。
それでも食材の産地には敏感で、放射能汚染を恐れていることがよくわかる。
たった1ヵ月大阪に滞在するだけで、小さい子をもつ親として神経をとがらせている。
福島やその近隣で子育てをしている親の不安や焦燥、怒りはいかばかりだろうか・・・

iPadを相手に


さて、年末から小さい子2人(プラス息子の子)にひっかき回されっぱなしの日常を過している。
1年に1回きり(それもいつまで続くことか・・・)なので、あえてひっかり回されようと覚悟を決めている、ということなのだけど。

1歳の子の鳴き声の大きさにも驚かされるが、さらに身を見張るのが時に見せる一人遊び。もちろんおもちゃを手にする時もあるのだけど、大好きなのがiPhoneやiPad。
「タップ」や「フリック」もお手のもので、小さい指をサァーと横に動かしトントンとたたいてアプリも表示させるし、お気に入りの音楽も鳴らす(レディー・ガガが好きらしい)
まだあやしい片言しか話さず、歩き方もおぼつかない月齢だというのに!
娘がiPhoneを入手したのは10月だから、2か月足らずでの習得ということになる。

恐るべしは今どきの1歳児?
はたまた、1歳児でも感覚的に操作できちゃうマシーンを世に広めたスティーブ・ジョブズ氏?
iPhoneは1番のお気に入り
お気に入りのレディ・ガガを聞きながら・・・

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2011年8月 4日 (木)

馬のボロは落下物

木曜日は仕事が休みで、唯一乗馬クラブに行くことができる曜日。
レッスンは馬を馬小屋から馬場まで引いて行くことから始まる。
(もう少しレベルが上ると、その前に馬の手入れがあるらしい)

今日も時折り風が吹き抜けるとはいえ、ギンギラの陽射し。
ヘルメットの下から汗がしたたり落ちる暑さだけど、ちっとも気にならない。
クラブにたどり着くまで炎天下での30分自転車走行の後では、「こがないでも動いてくれる」馬の背は快適その物だもの。

45分のレッスンは、「わかりかけたかな」と思うと、もう終わり。
その次のレッスンはまた「わからない」からスタートして、「わかりかけたかな」で、やっぱり終り。
そんなわけで、ちっとも腕は上らない。

レッスンが終わった後は、インストラクターや同じレッスンを受けた人たちとのミーティングがある。
「どんな質問でもいいですよ」となじみになったインストラクターが言うので、以前から気になっていたことを聞いてみた。

馬に上手に乗れるようになったら、(車の代わりに)馬で道を走りたい、とかなり本気で思っている。
できる人から、自分にできることで少し昔の生活に戻っていくことで、脱原発も実現するような気がするし。
もっとも実際は、経済的なハードルが高すぎて、私が馬を所有することはないだろうから、「(車の代わりに)馬で道を走ることを人に薦める」をめざしているのかな?

何はともあれ、馬は「軽車両」扱いで、公道を走ることができることは確認した。

でも、その「馬力の利用」に関して、不明な点がある。
馬のボロ(糞)や尿は、半端な量ではなく、もちろん時や場所を選ばない。
では公道でそれをやってしまうと、どうなる?

「上達する為のポイント」など技術的な質問ばかり出るミーティングで、この類の質問をするのは私だけだけど、そのインストラクターはいやがらずたいてい明快な回答をくれる。

今回の質問に関しては、
馬は軽車両扱いだから、ボロや尿はいわゆる「落下物」。
運転者が責任をもって始末すればそれでよしだろう、とのこと。
なるほど!落下物か・・・。

だけどボロはともかく、あの莫大な量の尿の始末はたいへんだろうなぁ。
騎馬警察なんかには、専門の「処理」班がいるのかな?
もっと突っ込んで聞いてみたかったけど、さすがにそれはちょっと遠慮。
他のレッスンメイトには、全然興味ないことみたいだったし、ね。

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2011年7月31日 (日)

夏の絶品大人デザート

夏にはめっぽう弱い。
エアコンがまだ余り普及していなかった若い頃は、食事も満足に摂れず毎夏2、3キロくらい体重を落とした。
今では、何とか夏を乗り切ることができるのは、何よりエアコンのおかげ、と思っている。

今年の夏(というよりこれからずっと。だってもう原発はこりごりだもの)は、万民に「節電」の覚悟がいる。
エアコン頼みの私と言えども、まだ高齢でもないし使用は最小限にとどめている。
そのせいか(あるいは加齢のよるもの?)、どうも眠りが浅く食欲も乏しい。

食事は摂るけれど、おいしいと感じられるものがほとんどない。
大好きだった季節の果物にも、なかなか手が伸びない。
(ビールも欲しくないのだから、かなり重症かも・・・?)

ところが昨日何気に作ってみたものを、食べてみると、これが実においしい!
2口3口と運ぶたび、バテた身体に、そっと力を吹き込んでくれる気さえする。
それがこれ、ロートグリュッツェ。
ロートグリュッツェ

ドイツ料理店で、デザートに食べたことがある。
さまざまな種類のベリーを赤ワインで甘く煮て、アイスクリームが添えられていた。

たまたま、生ブラックベリーが手に入り、自分で作ってみることを思いついた。
ネットのレシピを参考にしながら(かなり自己流も加えて)
・生ブラックベリーや冷凍ミックスベリーを水少しと多めの砂糖で煮る(12分くらい)
・そこに赤ワインとミカンジュース(100%)を同量(1カップくらい)加え、水溶きコーンスターチで少しとろみをつける。
・バニラアイスクリームを添えて「いただきます!」

アイスクリームは特に好きではない私だけど、これは「夏の絶品大人デザート」として推したい。

生ブラックベリーを画像に納めておかなかったのが残念。
真っ黒のつぶつぶだったのが、火を入れると赤くなった。

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2011年7月21日 (木)

きょうは馬の日

初めて馬のことを書いたとき、もりゆさんからコメントをいただき「馬は美しい」とあった。
唐突に乗馬を始めて3ヶ月、技術的な進歩はほとんどないけれど、ちょっぴり気持ちの余裕は出てきたみたい。
もりゆさんが言われるように、本当に「馬は美しい」ことがわかってきたもの。

7月にしては、今日は最高の乗馬日和。
ギラギラとした陽射しはなく、そよぐ風は涼しく、足場は固くも柔らか過ぎることもない。

サークル状の馬場、グループレッスンの仲間全員が騎乗するのを馬の背で待つ間、前にいる馬の美しさに見とれた。
堂々とした体格の姿かたち、光を帯びたかのように輝く毛並み、凛とした美しさと気品。

一方、馬上の「人」に視線を移してみると、姿勢は正しているものの、その姿からは「弛緩」が漂う。
馬の張りつめた筋肉と気品、人のたるんだ贅肉と精神は余りに好対照。
これはもちろん、前の人のことではなくその姿に自分を見てのこと。

「人馬一体の醍醐味を味わう為には、自分がこれではダメ、だな」と感じる。
乗りこなす技量だけじゃなくて、一体の「美しさ」が欲しいもの。

引き締まった身体と引き締まった精神で、馬といっしょに駆ける!

いつか、そんな日が来ることを楽しみに、何度トライしてもいつも半端で止めちゃっている、ジョギング(アンド トレーニング)に再チャレンジしようと、またまた考えている。
馬のためなら、今度は続くかな?

そうそう、馬に見とれているときに、「ミスター・エド」のことも思い出した。
小さいときにテレビで見たアメリカのテレビドラマで「馬がしゃべる、そんなパカな♪」というテーマソングも覚えている。
コメディだったと思うけど、馬はどんなことをしゃべっていたのだろう?
もう1回見てみたいな。

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2011年7月14日 (木)

『光のほうへ』

最近観たデンマーク映画『光のほうへ』監督・脚本:トマス・ヴィンターベアは、今のところ私の2011ベスト。
もっともその時の観客は、平日の夜といえども10人にも満たなかったから、一般受けしない作品かもしれない。

原題は「SUBMARINO」
潜水艦という意味、転じて、水に顔をつけられて自白を強要される拷問の名前でもあるとか。
もがいても、もがいても、閉塞から抜け出せない・・・そんな人間たちが織り成す物語ではある。

光のほうへ
主人公のニックとその弟の母は、酒びたりで育児も放棄している。
その環境にあって兄弟は、赤ん坊である弟に愛を注ぐ。
ミルクを与え、洗礼のまね事をして名前もつけてやる。
ところが、世話が行き届かない故だろう、赤ん坊は死んでしまう。

大人となったニックは刑務所から出所したものの、アルコールが手離せない。
弟は妻を事故で失い、幼稚園児の息子を溺愛しているが、麻薬中毒で生活もままならない。

母親の死を契機に兄弟は再会し、遺産で手にしたお金で、弟は息子との生活を立て直そうとするが、その為に始めた“仕事”は・・・。

『光のほうへ』というタイトルがとてもいい。
社会の底辺にいる兄弟や周りの人たちは、せいいっぱい生きても、それは「もがく」に似て、やすらぎや充足感からは遠い。
彼、彼女らに次々起こることは、暗く、悲しく、観ている者の心を刺す。

それでいて、この物語に強く惹きつけられる大きな要因は、ラストで感じさせる希望のひかり。
加えて人物の魅力か。

ニック役の人のまなざしは深く、弟役の表情はどこまでも繊細。
弟の子は媚びないかわいらしさにあふれている。

だけど・・・、こんな見応えのある映画に10人弱とは。
大阪の人たち、どうしちゃったんだろう?

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2011年7月 7日 (木)

家に1頭欲しい

4月に乗馬クラブに入会して、まだ10鞍(乗馬の回数単位は「鞍」というらしい)にも満たないというスローペース。
割安の平日会員を選択しているので、「仕事が休みで他に用事がない平日」しか通えない。
今日はその条件にあてはまるが、天候はあいにく雨。

少しばかり躊躇はあったものの、どしゃぶりでもないし・・・、と予定通り出掛けることにした。
しとしと降り続ける雨の中を自転車で30分。
上下ともカッパ着用で、蒸れによる不快指数がグングン上昇するのを感じながら、ひたすらこぐ。

乗馬を始めてわかったことのひとつが「自分でこがなくても動くのは、何て楽なのだろう!」ということ。

バイクも車も乗らず(免許がない)、どこに行くにも自転車か徒歩(か公共交通機関)。
若い頃から通勤もずっと自転車だけど、特に不便や不自由を感じたことはない。
ところが、背に乗り合図を入れるだけで移動させてくれる馬の快適を知ると、やや自転車が辛い。
それでいてバイクや車の免許取得には、ちっとも気持ちが動かない。
それどころか、家に馬を1頭置けないか?などと夢想している。
映画などで見ると、昭和初期にはまだ馬は当たり前のように移動手段として使われているし・・・。

乗馬を始めた頃の目標(というより夢か)は、「モンゴルの大草原を駆ける」だったけど、今は「道路をポクポク歩く」に変わってきたかも・・・?

馬に揺られて仕事場に向い、終えてから「あぁ、今日も疲れたなぁ」と駐輪場?に行くと、馬が待っていてくれる・・・。
そんなことがあったら、通勤の往復は楽しくてしかたないだろう・・・、とは思うものの、あの時と所をかまわないボリューム満点の排泄だけ考えても、少なくともわが町では無理だろう。

と、腕前はちっとも上らないけど、しばし別世界に遊ばせてくれる乗馬は、私にとって極上の時間には違いない。

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2011年7月 2日 (土)

第六感?それとも偏見?

東淀川の方で友人が居酒屋をやっている。店は、一人できりもりできるくらいの広さで早い時間から常連さんたちが立ち寄る。
特に珍しい料理もないけれど、家庭料理の味わいで食べ飽きない。

2週間ほど前に久しぶりに行ってみたら、何だか友のようすが違う。
変わりなく調理や接客をこなしているように見えて、どこかおかしい。
そのことがテキメンにわかるのが料理の味。
ほっこりとやさしい甘さのはずのかぼちゃの煮物に、まろやかさがない。
いいだこの煮物は固さが勝っているし、焼きうどんの味にもめりはりがない・・・。

本人も「欝の気があるかもしれない」ともらしたので、ずっと気になっていた。

この木曜日に少し夜に時間ができたので行ってみた。
まだ十分に明るい6時過ぎ。既にカウンターと2人掛けテーブル1台の店はほとんど満席。
カウンターの中央に30代くらいの男性客がいてその両隣だけが空いている。
右側に席を占めたものの、どうも友人の表情や店内の雰囲気が重い・・・。
おまけに座るなり、右隣の女性が私の椅子を引っ張り「もっとこっちへ、こっちへ」とささやく。

「ん?もしやこの妙な重さは、左の席にいる男性に何か原因が?」
と思う間もなく、友人が「お客さん、もう少し静かにして下さい。他のお客さんに迷惑になるから、困ります!」と、その男性に向って顔を引きつらせながらも言い渡した。

「何を。 ようそんなこと言うな。ワシが何をした言うねん。男やったらほっとかへんけど、女相手にけんかはできんわ」と少し凄みを帯びた調子で言い返されても、友は引かない。
「さすがに女一人で長年店をやっているだけに、たいした度胸やなぁ」と感心しながらも、なぜ友がそんなにその男性をけん制するのかがよくわからない。

どうやら一人でフラッと入ってきて、ビールを飲みながらやたら大声で他の客に話しかけているようで、真横に座った私にも声をかけてきた。
少しなまりのある口調で地声が大きいのだろう、あたりをはばからずに語ることは、
「今日、出てきたところや。ダイケイ(大阪刑務所)はすごくキツイところやった。3回(喧嘩が原因で)入ったけどあそこが一番キツイ」
「出てきてまず散髪に行って、ちょっとビールが飲みたくなってこの店に入った」といったような内容。

いかにもジェントルマンでも隣に座り合いたくない人もいるけど、この「今日出所したばかり」の人は、私にとっては少しも不快や警戒心を呼び起こすものを感じさせない。
むしろ誇張も悲哀も含まない口調で淡々と語られる、彼自身の物語はとても興味深い。

少し店内の雰囲気も落ち着いてきたように感じたが、その男性が「ビールをもう1本」と注文すると、友はそれを拒否。「うちの店はもうけっこうですから」とグラスまで引いてしまう。
男性は「そんなん言わんときや。あと1本飲んだら帰るんやから」と、短気にもならず繰り返す。

友の気持ちも理解したいし、男性も気の毒だし「さて、どうしたものだろう?」と思案しているところに登場したのは、友が密かに連絡したらしい大阪府警の腕章をつけた警官2名。
男性は抵抗もなく店外に連れ出された。

ずっと緊張の時を強いられていた友は「こわかった!」を連発。
「とにかく入ってきたときから目つきが普通と違う、あれはヤクチュウとか通り魔とかの目や」と。
長年客商売をしている友は、おそらく私より人を見る目があるだろうし、女一人の商売では客を選ぶことも必要だろう。
相手に「帰ってくれ」よがしに言える勇気も買いたい。

それでも・・・、私は後味が悪かった。
男性は暴力を振るったわけでもなく脅すこともしていないのに、追い出された。
店主である友の怖れや警戒はともかく、店内の客たちの反応も過剰であった(と私は感じた)
第六感が働いているのか、それとも偏見なのか。
生きにくい人はどこまでも生きにくく、「フツー」の人たちとの壁は厚いものなのか・・・。

この日のかぼちゃの煮物はいつものおいしさに戻っていた。
どうやら友は復調したらしい。
ヤワではやっていけない仕事には違いない。

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2011年6月29日 (水)

初めてのパンダ

パンダ
大阪にいながらUSJに行ったことがない。東京ディズニーランドも東京ディズニーシーも未経験。
理由は、"全く惹かれない"ということに尽きるけど、これまたたいして興味のないパンダを初めて見た。

東京の上野動物園のパンダに関しては、一時期そのニュースばかりやっていたので、いきさつはわかっているけれど、神戸王子動物園のパンダのことは、"そこにいる"ということしか知らない。
関西では、和歌山の白浜アドベンチャーワールドにもパンダはいるし、とりたてて話題にもならないのだろう。

今回は、岡山にいる息子の小さい子を喜ばそうという企画だった。
お正月には天王寺動物園でとても楽しそうにしていたので、ならば今度は神戸でパンダを!という単純さ。

パンダ館の前 そしてパンダは、そこに(のんびりと)いて、息子の子は「パンダ!パンダ!」と小さな指をさし、声を上げ喜んだ。
残念ながら、もはやそのおさな子のようなピュアな感性を失っている身には、初めてのパンダに胸がキュンとなることもない。
もっぱらパンダより、パンダを見てうれしそうにしているおさな子の方に目がいった。

小さな子の喜びや笑顔は何より大切だけれど、「どうして東京はあんなにパンダにこだわるのだろ~?」とまたしつこく考える。
関西にパンダがいなければ、むろん息子の子にパンダを見せることなど考えない。
笑顔がはじける、そんな体験はきっと他にもいっぱいあるはずだもの。

**********************
気が付けば、1ヶ月近く間が空いている!
連日の暑さで多少まいっているというものの、毎日活発に活動しています。
ただ夜になると(もはやこれまでと)突然、グタッ、バタンキュー。
そして翌朝は元気に起きてまたバタバタ・・・。
力の抜き方が相変わらずヘタです(^_^.)

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2011年6月 5日 (日)

放射能はどのくらい“毒”?

毎日まいにち食事を作り続けて数十年。
その内の何回かは、体調が悪かったり、忙し過ぎたりでイヤイヤだっただろうけど、ほとんどは楽しみながらやっている。
作るのが楽しみ、出来上がったものを食べてもらうのが楽しみ、自分が食べるのが楽しみ。

ごはん作りは素材の調達から始まる。
旬の野菜のいただきものなどがどっさりあると、調理意欲はいやでも増して、少々疲れてもルンルンで台所に立てる。
でもそんな時は稀だから、やはりこまめに買い物に行くことになる。

野菜はできるだけ近くの「有機栽培無農薬野菜」をうたう販売所で購入するようにしている。その他の食品は、ほとんど生協の配送と店舗購入でまかなう。
今や生協も独自ブランド以外のものもたくさん扱っているが、肉類、野菜果物などは国産にこだわり、加工品もできるだけ添加物の少ないものを選んでいる。

その理由のひとつに、“毒”の摂取量を少なくしたい、ということがある。
農薬、防カビ剤、防腐剤、品質保持剤、合成着色料、合成香料・・・、国が定める基準以下であってもやはりどれもが“毒”だという意識がある。
今では、それらの“毒”をまったく含まない食品を手に入れるのは無理だろうから、できるだけ少なそうなものを選ぶことを、もう長年の習慣としている。
ずっとそうしてきたから、買い物に行っても手が出るもの、素通りするものがほぼ決まってきていた。

ところが・・・、ここに来てまた新たに迷う状況が出てきている。
たとえば牛蒡が好きでよく買っていたが、たとえ国内産であっても「茨城産」とあると、のばしかけた手がふと止まる。
結局はかごに入れても、「これで何を作ろうかな?」というウキウキした気分からはほど遠く、どこかもの悲しい。
お茶は宇治より静岡産が好みだったけど、お茶によらず北と南に産地があるものなら南の方を選びたい、という気持ちが働く。

放射能という得体の知れない“毒”がこわいのだ。
放射能が降り注いだ(今も?)のだから、福島原発近隣での生産物に放射能が含まれていることはまちがいない。
それがごくごく微量だからといって、どうして気にせずにおられるだろうか?

“風評”にビビッているわけではなくて、 “実害”が恐ろしい。
もう長く生きてきた私などはいいとしても、娘や息子の小さい子たちに食べさせることには怯む。

大阪に住む私でもこうなのだから、福島やその近隣に住む母親たちは、毎日の食材入手にどんなに心を痛めていることだろう。
農家の人たちも、自分が丹精込めて作った野菜を「さぁ、どっさりおあがり!」と子や孫にすすめることはできないでいるのだろう、と思う。
その悔しさや悲しさは如何ばかりだろう、と察するけれど、だからといって“皆で現地の「放射能を帯びた)野菜を買う“という”支援“のあり方にはひっかかる。

ホントに、実際に放射能ってどんな風に恐ろしいものなのだろう?
そして、どこまでが恐ろしくないもの、なのだろう?

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2011年6月 2日 (木)

夫の実家へのお届け弁当

お弁当
5月29日、中村哲さんの講演会に出かける前にはりきって作ったお弁当。
メニューは変わり映えしないけど、たぶんお義父さんとお義母の好物ばかりだと思う。

*グリーンアスパラの肉巻き
*金目鯛味噌漬焼き
*ひろうす2種の煮物
*なすびの田楽
*ゴーヤの味噌炒め
*ポテトサラダ
*生えんどうの甘煮
(以前にたくさんいただいた時に炊いて冷凍しておいたもの)
*明太子の卵巻き
*えび天ぷら(これは市販品)
*甘夏シロップ煮(これも市販品)

土曜もめいっぱい仕事だから、これぐらいが無理のない程度。
冷凍したものや少し市販品も入れて、品数を増やしている。
「ちょっとずつ、いろいろあるのがうれしい」らしい。

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