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2007年7月30日 (月)

若者からの選挙速報

授業にサークル活動、かけもちのアルバイト・・・と地方でひたすら忙しい大学生活を送る末っ子からはめったにメールもこない。
「大学生ってホンマ、楽しいねんなぁ」との言葉を聞いていることもあり、近況がわからずとも特に心配はしていない。

ところがその子から今朝一番(AM3:10)に長いメールが届いた。件名は「選挙速報」。
参議院選挙に関する自分の予想と結果、そしてその分析が「デスマス」のレポート調で書かれている。ふだんのメールは大阪弁丸出しのくだけたものだけに、かなり「社会人」としての自分を意識したものか・・・。
「(原爆投下は)しょうがない」という久間氏の発言に同調した先輩にくってかかったいきさつも書かれている。
先輩は自分と同じ教員志望、「明日の教師」がそのような考えであることが許せないとか・・・。

締めくくりは「以上、忙しくてなかなか若者の意見を聞く暇がないだろうから、速報してみました・・・」とある。

確かに母のことをよく知っている。
いつでもどこでも若者の意見や思いを聞くのは大好き。
若者らしいまっすぐな考えを聞いたなら、賛否はともかくそのまぶしさにあやからしてもらっている。
でも、やっぱり我が子となるとちょっと違うかな。
何だか面映いところがある・・・。

その後電話でも少し話したけれど、選挙や政治に無関心、無知な学友が多いらしく「もうすぐに選挙権を得るのにそんなんじゃあかんやろ」と大いに不満そう。
熱い論争を交わしたいのにそうもならない現状、ちょっとだけ母に思いをぶつけたのか・・・?

まぁ動機は何であれ、母はこの「速報」に喜んだ。このようなメールのやりとりができる母子の関係もうれしい。

因みに選挙結果の分析や展望に関しては必ずしも一致しておらず、「投票率が低かったなぁ」という思いだけは共通。

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2007年7月25日 (水)

人間らしい暮らし

どうやら夏風邪のよう、喉の痛みもひどくなりからだがだるい。
昨夜は早めに休み、朝はゆっくり起きる。タイミングよく今日は休日。
熱のせいでもあるのだろう、寝汗がひどくまずはシャワーを浴びる。
その後は好みに合うものを調えてゆっくり朝食。

体調不良の時に衛生的な環境でゆっくり休める。
「人間らしい暮らしやなぁ・・・」と思わずつぶやく。
最近違う場面でも同じように感じた。
余りにハードだった職場のシフトが、幾度か希望を伝えたことと複数の新人(といってもキャリアは私より上の人ばかり)が入ったことでかなり緩和された。
時間的にも精神的にも追い詰められていた状況が反転してきだし「人間らしい暮らしになってきたなぁ・・・」としみじみ感じた。

労働を厭わず仕事もある。元気なときはしっかり働き、体調不良なら休める。
労働時間や賃金は妥当なもので休日も保障されている。
幸せだと思う。

欲しいものもいろいろあるけれど、どれも皆働けば買える程度のもの。元々お金やモノに対する執着は薄いのでその手の欲に翻弄されることはほとんどない。

例えば赤木農相の事務所問題に関しても、やりがいのある仕事もあって使いきれないくらいお金があるのに、何でそれ以上にお金がほしいのか、まったく理解できない。
そんなに「カネやモノ欲」にとらわれていたなら幸せは薄かろうなぁ、とちょっと同情も・・・。(もちろん大臣としては不適任者だと思っている)

話がちょっとずれたけど、仕事があってきちんとした労働対価が保証されるなら「人間らしい暮らし」はぐっと身近かになると思う。
でもこれって、ちゃんと憲法に明記されている。

第25条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第27条
1. すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2. 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

でも、過酷な労働に縛られているわが息子も憲法のことなど頭のスミにもないだろう。
もしかして今度の参議院選挙のことにも、思いが及んでいないかもしれない。
それほど余裕のない暮らしをしている若者が自分の家族にもいる。
何とかしてやりたいし、何とかしなければ・・・。

Taraba
画像は風邪ウイルスに打ち勝つ為の夕食。
手間がかからないものを緑黄色野菜中心に作った。
風邪対策とはいえ、自分の為だけの食事にしてはちょっと豪華かも。(これが豪華と感じられるのは庶民感覚?)
鯛は長崎の天然もの、地元のかぼちゃの煮物、小松菜と茹で豚の辛し和え、ゴーヤのサラダ、デザートは長野のブルーベリーに岡山のマスカットジャム。
国産にこだわったはずが、たらばだけロシア(値上がり前の食べ収め)

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2007年7月23日 (月)

MOS試験は高過ぎる!

「MOS(マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト)試験対策」のインストラクションにはもう何度も入っているけど、実はMOS資格取得を一切していない。
パソコン関係といえば10年以上も前に日商検定をとったくらい。
今の職場でも資格は特に要求されておらず、経営者の考え方は、「資格より、できることの方が大切」と明快。(それでも上級レベル試験受験の際には受験料を負担してくれる。)

今回、生徒さんに実感をもってインストラクションができるよう、1度経験しておくことにした。
科目は「Word Expert」。
試験はネットからのダウンロードによる実技。試験会場にもなっている教室で、営業終了後一人で受けた。
慣れた環境で、慣れた問題(のはず)で緊張もない。
1000点満点で実はパーフェクトを狙っていたのだけれど、1箇所減点があった・・・。
制限時間は50分、時間内でも最後の問題までいけば終了できる。その後すぐに結果が画面表示される。

終了後に問題や解答の確認ができないことが、何やらひっかかる。
それ以上にひっかかるのが、この手間ひま省いた簡素なシステムにしては余りに高い受験料。
科目は「ワード」や「エクセル」など幾つもあり、さらにそれぞれにバージョン対応があり、一般レベルが1科目10290円、上級レベルが12390円。
受験者総数は、日本だけでも2006年度は28万人を超えたらしい。
海外でも何カ国も実施されているようだし、この試験だけでもマイクロソフト社に莫大な利益が入ることだろう・・・。
しかも例えばワードの機能を駆使して文書を作る力があったとしても、検定対策をしないと合格に結びつかない内容。
逆に言えば、合格能力と実務能力は必ずしも一致するとは思えない。
どれほどこの資格が就職の際や現場でモノをいうのかは知らないけれど、あまりに儲け過ぎ!
他のパソコン関連検定と比べてもマイクロソフト・オフィス・スペシャリスト検定は高い。

かつてとても使いやすい日本語ワープロソフト『一太郎』が、使い勝手の随分劣る『ワード』に征服された時も「マイクロソフト社の思うまま」に「なんで!」と怒りと不満をもちながら、しょうことなしに自分も『ワード』に変えたことがあった。(事務現場で『一太郎』は通用しなくなった)
今回もまた、「マイクロソフト社の思うまま」を実感。

う~ん、Vistaを買い込んでその美しさに喜んでいる自分も浅ましいかも・・・?

Siroiyuri
画像はやっと咲いたオリエンタルリリー。大きな花に細い茎が耐え切れないのでつっかえ棒をしている。
ふだんあまり話しをしない近所のおっちゃんが「きれい」とほめてくれた。

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2007年7月18日 (水)

捨てたモノ、買ったモノ

倉庫代わりに使っていたところを明け渡すことになり、置いていたモノたちの取捨選択を迫られた。
取り合えず家に引き上げてきたら、6畳の間からあふれるほどの量。

何年も着ていないけれど未練のある衣料品。
買ったものの使用頻度が少ないので直しこんでいた電化製品。
かさの高い寝具。
家の書庫に納まりきれない本・雑誌。
子どもたちが描いた絵は、保育園で過ごした0歳児から小学校6年生までそれぞれ束ねられており1メートルを超える高さ。
ジャケットがなつかしい箱いっぱいのレコード。
父母のたくさんの遺品。
その他家具や食器などもろもろ・・・。

これらの大部分を処分し始めている。
さらにこの機会に今ある身辺のモノもできるだけシンプルにしよう、と(既に幾度も試みて成功していないが)またもや考えている。
父や母が亡くなった時と同じく、自分が死ねば家の中にあるほとんどのモノはごみになるのだから・・・。
ちり紙と幾つかの小石だけを残したという田中庄造の死に様はあこがれだし・・・。
(もちろん、これは生き様あってのことなのだけど。)

分別に対応したそれぞれのゴミの日に出し続けて、6畳の間の荷物は半分ほどに減ってきた。
でも「あこがれ」に反して、この間にまたもや買い込んだモノたちがある。

一番の大物はWindows Vistaデスクトップパソコン。
動機は、職場の生徒さんで「Vistaを買った」という方が増えていること。
Vistaバージョン、あるいはそれに伴うエクセルやワード2007版を体験しておきたい。
いわば熱い欲望ではなく「勉強の為」に買ったのだけれど、いざ置いてみるとこれがまた魅惑的。
Vistaに関してはあまり芳しい評判をきいていない。エアロ機能で確かに画面はきれいだけれど「それだけ」、といったものもある。総合的には「Xpで十分、買い替えはまだ、待ち」といったものになるのだろうか。
やっとセットアップしたばかりだけれど、確かに画面が美しい。
その美しさは、私にとっては「それだけ」などとは言えないくらいワクワクさせるものになっている。
メインにはまだXpを使っているので、なかなかVistaに触ってやる時間はとれないけれど、Vistaと過ごす?時間を待ちかねている。
結局またもや心(の一部)は新しく手に入れたモノに支配されている・・・。

もうひとつは炊飯器。
子どもが一人暮らしを始めてからは、自分の為だけに炊飯することが多くなった。
保温ご飯はイヤで、3食食べるときには朝、昼、晩と3回炊いている。
2合からしか炊けないので必ず残る。でも冷凍ごはんの電子レンジ解凍は好まない。かといって毎回お鍋で炊くのはたいへん。(とかなりワガママ)

ということで、使用していたものが少し不調になってきたのをいいことに買い換えた。
『通販生活』のカタログにあったもので0.5合から炊ける。
紹介文通り「ひとつぶひとつぶ」の米がふっくらしていておいしい。
おいしいごはんがあれば副菜を作る意欲もまた湧いてくる。
おかげでこのところの食生活はとても充実。

とまぁこんな風に、捨てたものは山ほど、買うものも次々。(おまけに電力が必要なものが多い)
しかもそのモノで「幸せ気分」に浸っている。
う~ん、「あこがれ」とは程遠い生活・・・。

こうしてモノ依存のウワついた生活を送っているのだけれど、このところ国内だけでも続いて発生している自然災害には、やはりどこか水を浴びせられる思いがある。
とりあえず欲にまかせたモノばかり追いかけず、「非常持ち出し用のモノ」を至急にそろえよう。
「幸せ気分」など、地球のほんの小さな営みで根底からひっくり返されちゃうものなのだということは肝に銘じておかねば。

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2007年7月15日 (日)

『それでも生きる子供たちへ』

『それでも生きる子供たちへ』
原題『All the Invisible Children』2005年、イタリア・フランス
実はこの映画、誘われるままに事前情報ゼロに近い状態での鑑賞。
(邦題からドキュメンタリーかなと思っていたくらい)

誘ってくれた友に感謝。
思いがけないプレゼントをもらったような得した気分。
もっとも7作のオムニバスに描かれるのは、それぞれの国で過酷な状況を生きる子どもたちなのだけれど。

そこに「生きる子ども」は、状況の過酷さに押しつぶされてしまってはいない。
子どもが生きていること自体が希望であると、大人に感じさせてくれる。
もちろんその「過酷な状況」は大人がつくり出したものなのだけれど・・・。

どれも20分足らずだけど見応え十分、それぞれの監督の個性も楽しめる。
とりわけ演じる子どもたちがすばらしく、ひとつひとつの表情に吸い寄せられる。

『タンザ』メディ・カレフ監督 ルワンダ
タンザはルワンダの少年兵。肩からさげる大きな銃の扱いにも既に慣れている。
それでも秘密の場所に隠したものは手製のパチンコと装飾品。
時限装置付きの爆弾をしかけるよう命じられ、しのび込んだ先はある村の学校の教室。
そこは子どもが子どもらしくあり、学ぶことを許されている世界。
喜怒哀楽が顔にでないタンザの目から静かに涙があふれる・・・。

『ブルー・ジプシー』 エミール・クストリッツア監督 セルビア・モンテネグロ
出だしから音楽も映像もけた外れに?陽気なエミール・クストリッツア監督の世界。
窃盗で少年院に入った15歳のウロス。出所したら理容師になるという夢がある。
ところが迎えにきた父母は今も窃盗団。すぐさま父から窃盗を強要される・・・。

『アメリカのイエスの子ら』 スパイク・リー監督 アメリカ
両親に愛されて育つブランカ、学校でのいじめから両親が麻薬常習者でHIV感染者であること、自分も感染していることを知ってしまう。
「死にたくない」と嗚咽するブランカ、抱きしめる両親。
両親に連れられ「ティーンのための保健センター」のカウンセルに参加する。

『ビルーとジョアン』 カティア・ルンド監督 ブラジル
高層ビルから見下ろす位置にある貧民街に住むビルーとジョアンの兄妹。
ダンボールや空き缶を集めて生活している。互いを思いやり支えとしながら、いかに稼ぐかに知恵をしぼる。

『ジョナサン』 ジョーダン・スコット、リドリー・スコット監督 イギリス
ジョナサンは戦場の報道カメラマン。
「惨状を目の前にして自分は何もしていない」との苦悩。
幻想の中で子どもの頃に帰っていくジョナサンは、戦争で親を亡くした子たちが寄り添って生きる場へと導かれる。

『チロ』 ステファノ・ヴィネルッソ監督 イタリア
ナポリの少年チロ、親はチロが(窃盗で)稼ぐお金をあてにしている。
人通りの多い真昼間、高級車の窓ガラスを割って運転者の腕からロレックスを奪う。
仲間と共に、お金に交換してもらう為に向かう先は移動遊園地。
その運営者との交渉成立後にねだるのは遊園地の乗り物用チップ・・・。

『桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)』 ジョン・ウー監督 中国
裕福な家に育ちながら両親の不仲から寂しい日々を過ごすソンソン。
赤ん坊のとき捨てられたシャオマオは貧しいおじいさんに拾われ貧しいながらもすくすくと育っている。
事故でおじいさんが亡くなると、子どもたちをこき使う親方の元で花売りをする生活に・・・。
このシャオマオの笑顔が何ともいえずかわいらしい。
正に「百万ドルの笑顔」。

短編ながら、それぞれの監督の思いと実力がびっしりと詰まった作品ばかり。
機会があればぜひご鑑賞を!
(子どもたちのすばらしい表情のいくつかは、公式サイトでも感じることができます)

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2007年7月11日 (水)

「下地勇」コンサート

年に一度開催されるある社会福祉法人主催のチャリティコンサート、近隣で生エンターテインメントを楽しめる数少ない機会。今年も半休を取ることができて、ヤレヤレ・・・。
(といっても8日の日曜日の話)
毎年の出演者は、実力に加えてある程度の集客が見込まれる知名度、さらに限られた予算内で快諾してくれそうな人・・・?
いずれにしろ企画の段階からの主催者の方々のご苦労は、「さぞや」のことだろう。

今年の出演者は、宮古島方言(みやくーふつ)で歌う「下地勇」さん。
かろうじて名前を知っているだけで、聴いたことがなかった。
進行は例年のように
1部として「障害のある仲間たちとボランティアのうたごえ」
舞台いっぱいに、お揃いのかわいいTシャツを着用した知的障害者たち、その後ろにボランティアの方々。
大きく口をあけての歌唱する人、リズムに合わせて身体を揺らしている人、立っている人・・・、表現の形がさまざまな人たちがひとつの舞台を作り上げている。
たいていの人たちの顔が誇らしげであることが、その「表現の場」に居合わすことができた私をも誇らしい気持ちにさせてくれる。

2部はいよいよ下地勇さん(とパーカッションとピアノの人・・・名前、忘れちゃいました)の登場。
すらっとした今風の男前。チャリティコンサートにしては珍しく開場1時間以上も前から「おっかけ」らしき人中心に列ができていたというのも納得。
顔もいいけど、さらに声がいい。
ギターを鳴らしながら、伸びやかに澄みエネルギーにあふれた声を会場に響き渡らせる。
でも・・・歌詞はちっともわからない。
(宮古島の方言で歌う)「彼の歌を聴いて100%理解できる人は、地球上に3000人程度しかいないと言われている」とプロフィール紹介にあった。
その発音は時に日本語風であり、ドイツ語風であり、セネガル語風でもある・・・。
そのまったくわからない言語でジャズ、ボサノバなどにもアレンジして聴かせる。
またあるいは、最愛の「おばぁ」が泣きくれた日(おじぃが亡くなった)をしっとりと。
あるいは、自分の子が誕生したときに感じた「命」を誇らかに。

そのどれも気取った調子がなく、ストレートに聴くものの心を弾ませ、染み入らせていく。
それは歌手としての実力に裏付けられた「下地勇」の内面性でもあり、不思議な言語を操る(とはいえ、たくさんの人にとって不思議でも下地勇には幼いときからの言語)魅力ゆえでもあるのだろう。

アーティストとしても楽しませてもらったけど、素朴でやさしくそれでいて熱い1人の若者として魅力十分。
活動の中心は沖縄のようだけど、機会があれば是非またライブに参加したい。

というわけで今年のチャリティーもどうやら大成功のようす。関係者の皆様方、お疲れ様でした。

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2007年7月 4日 (水)

今がトマトの季節

8月の焼け付くような陽射しに、真っ赤に熟れたトマトを冷やしてかぶりつく。これは既に過去のこと・・・。
トマトはすっかり温室栽培になって一年中あるし、色は赤くても味は熟れていないものが多い。
去年に何度もどっさりと求めたのが、近隣の低農薬、有機栽培の農園のもの。
といってもやはりここも温室なので6月中旬頃から出始め、今が旬。8月には姿を消す。

大盛のミートソースでもアッという間に食べつくした息子は、今年は家にいない。
自分の為だけにはなかなか意欲は湧かないけれど、休日の今日、何だか調理がしたくなり買い物に出たついでにその農園でトマトを買ってきた。

トマト
画像のものはとても大きいけれどジュース用で300円。(1袋100円が3つ分)
少し見場が悪いだけで5分の1以下の価格をつけられるトマトもかわいそうだし、儲けにならない農園の人も気の毒・・・。
せめてトマトソースにでも仕立てて「おいしい、おいしい」、といただくことで埋め合わせとしよう。

作り方はいたってシンプル
みじん切りの玉ねぎと湯むきしたトマトに塩、胡椒で味付けして(コンソメなど入れなくても、ろ過水と天然塩で旨み十分)圧力鍋で10分くらい加熱してから煮詰める、それだけ。
今夜は夏味の酸味のきいたスープでいただく。
その後は、さらにじっくりと3分の1くらいまで煮詰めてソースにする。
パスタ(冷製でも)、オムレツやオムライス、ピザ、ドリアといったものはもちろん、カツや焼いたお肉にかけてもいい。
やっぱり作れば作っただけの楽しみはあるもの(^_^)v

新生姜のご飯 これも夏味ながら、取り合わせは何だかおかしい?
新生姜のごはん。

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2007年7月 2日 (月)

おしゃべりの場で「慰安婦」のことが。

女同士の集まりで、米下院外交委員会が採択した「慰安婦」問題の話が出てきた。
「アメリカなんかに言われる前に、さっさと解決してほしいわ!」には同感。
少し気になったのは「でも、戦争中はいろいろあったし、『慰安婦』のこともしかたないのと違う?」という発言。
私も含めて皆戦後生まれだけれど、似たような言葉は親の世代からもしばしば聞いた。
実際に「地獄」を経験した人たちで「あんな悲惨なことは2度とごめんや」と言いながらも、具体的に起きたひとつひとつのことは「戦争中のことやったから・・・(しかたなかった)」と受け止めている。

マスメディアがなかなか取り上げないといっても、韓国や中国などの元「慰安婦」の人たちの訴えを見聞きしている人はたくさんいると思う。
(それにしても今日などラジオニュースを聞くたび「久間氏の発言」関連が取り上げられている。この発言は確かに許せないことだけれど、いつもながら戦争により「受けた被害」には敏感で「与えた被害」には鈍感な報道や世間の反応にちょっとげっそり)

「拉致され性的暴力を受け続ける」という心も身体も踏みにじる恐ろしい行為に対して、世間の関心は余りにも疎い。
その原因のひとつに「戦争中のことやったから」があるのだろうか。

久間氏の発言を持ち出すまでもなく「しかたない(しゃあない)」は、実際は決して「しかたなくない」場合が多い。というより「しかたない」ですましてはいけない場合がほとんど。

手元にある子どもの高校社会副教材テキストは、なかなかおもしろく時々ページをくる。
ここにある従軍慰安婦」問題項目の解説は以下の通り。
【日本軍兵士による婦女暴行が問題となり、軍は慰安所を設置するようになった。朝鮮人女性を中心に、そのほかのアジア太平洋地域から、さまざまな口実をもうけて、多くの女性を勧誘、または強制連行して「従軍慰安婦」とした。1991年、旧日本軍の資料から、「従軍慰安婦」の動員に軍が組織的に関与していたことが明らかになった。】
とあり、その資料写真も添えられている。

既に「強制性」は明白になっていたはず。
「慰安婦」にさせられたことはしかたのないことではないし、
そもそも戦争自体がしかたのないこと、ではなかった。

戦後教育を受けた自分たちも、どうやら先の戦争や歴史に対しての認識が相当甘いよう。
でも「しかたがない」と思っている人がその通り発言できることはとても大切。
(大臣じゃ、とても許されないけど・・・)
実は、ペチャクチャおしゃべりの場で、「慰安婦」の話がでてきただけでもうれしい。
思いを伝え合う一歩、だもの。

朝顔
画像は、毎朝ひっそりと咲いている小ぶりの朝顔。
5月に種を蒔くと、すぐに芽が出て葉が茂り、つるが伸びて(まるで『ジャックと豆の木』のような勢い)花が咲いた・・・。
藍絣のようなきりっとした文様がとても気に入っている。

昨年、ある人のブログの画像で初めてこの朝顔を見た。
コメントを寄せたら(他の縁もあったのだけれど)、種をとる季節になった頃、何と送ってくださった。
ご好意に応えて、無事に育たせることができるか・・・?
不安もあったけど、この通り。我が家の小さな花壇の1画を彩ってくれている。

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