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2007年8月26日 (日)

新しいパソコンの不具合

この所、身近なことでは感情が荒立つことはなくいたって穏やかに過ごしていた。
が・・・久しぶりに小噴火。直接の相手は某電気メーカーのパソコンサポートセンターの人。
1ヶ月少し前にWindows Vistaを購入。メインにはXpを使っているが、時間を見つけてはVistaを操作し美しい画面を楽しんでいた。
ところが先日初めてデジタルカメラ(Vista対応のもの)をUSBで接続してみると、パソコンが認識してくれない。
まずはカメラメーカーのサポートセンターに問い合わせてみるが、わかりやすい説明を受け原因はパソコンの方にあると理解。
今度はパソコンのサポートセンターに電話。
状態の詳細やカメラメーカーのサポートセンターとのやりとり概要を伝えるが、最初に出た人は、そもそもパソコンに関する知識が乏しい上に横柄さが感じられる対応(言葉使いはていねいだけど誠実さが全く伝わらない)。
何かを聞くたびに「お待ちください」と幾度も長い間待たせる。
1時間くらいも実のない対応が続いたあとようやく交代した係員は指示の出し方や返答によどみがないが、横柄さは共通。
指示内容自体も、「ホンマに効果あるんか?」と疑いたくなるものばかり。
(実際にどれも効果なし。最もカメラばかりでなくフラッシュメモリなどの記憶媒体全般を認識しないパソコンであることはわかった)

何かのトラブルで不調になったものではなく、最初の状態から不具合のあったものなのに、当たり前のようにユーザーに時間と手間を負担させることに対する不信感がどんどん膨らむ。
3時間を越えた頃、「初期化してみてください」との指示。
初期からの不具合が初期化で改善される(可能性がある)ということを信じる気になれないし、その処置をユーザー側に求められることにも納得できない。
メモリも増設しているから、初期化となればその取り外しから、ということになる。
(今回は手数料を支払い購入店で増設を済ませてから納品してもらっている。)

「初期化のことも含めて、そちらで一旦パソコンを引き取って、使える状態にしてから戻して欲しい」と希望を伝える。
これには、「引き取ってもハード面に異常がなければそのままお返しして、お客様の方で初期化していただくことになります」と引き取り点検を承諾しない。
さらに「初期化」に対する疑問の返答として、
「ユーザーが一度でも使えば既に初期の状態ではなくなっています。たとえば100人の人が使えば100通り、1000人の人が使えば1000通りのプログラムになってしまうのでその結果不具合が生じたとも考えられますので、初期の状態に戻してやる必要があるのです」とのこと。

何が気に入らないって、このようなメーカー側の責任を認めないばかりかパソコン素人にはソレらしい理屈をこねれば説得できる(黙らすことができる)との思い上がりが我慢できない。

「まるで使い方に不具合の原因があるような言い方をされますが、100人が使えば100通り、1000人が使えば1000通りの状態になるのは想定されることであって、不適切な使い方をしていないのであれば1000通りにも万通りにも対応できるパソコンを提供するのが当然ではないですか?」と言い返さずにはおられない。

とにかく引き取って状態の確認と改善をしてほしい、との繰り返しの希望は「お待ちください」とこれもまた長い間待たせたあげく「申し訳ありませんが、それはできかねます。電話口でサポートしますのでお客様の方で初期化をお願いします」の一点張り。(初期化に関して、電話口でどれほどのことができると言うのだろうか)
それでいて、初期化しても正常に動作しないときの対応を尋ねても具体的に答えることをしない。

もはやこのメーカー及びサポートセンターにはすっかり落胆、これ以上何も期待できない。
一連の対応はおかしいし、不信感ばかりだということを伝えてさっさと電話を切る。

といってももちろん不具合のあるパソコンを使い続けるつもりはない。
サポートセンターとの交渉を打ち切ることを決めた時点で、もうひとつの窓口、購入店に交渉先を変える心積もりをしている。
とこころが、こちらの方は思いもかけない展開。
パソコンの状態及びメーカーのサポートセンターとやりとりもしたことを伝えると、あっさり「では新しいものと交換させて頂きます」
さらに「デスクトップということで持ち込みも大変だと思いますので、交換品を配送する業者に引き取り分を渡してもらえればいいです。メモリも最初のときと同じように増設して置きます」とのこと。

「・・・・・」

至れりつくせりの対応ではあるが、詳しい状態を聞かないばかりか商品を見ようともしないで「交換」にはこれまたどこか釈然としない。
とはいうものの、ありがたく受け入れ取り合えず一件落着。
店側が代わりの商品を確保できしだい交換ということになった。

不具合のあるパソコンはそのまま購入店からメーカーに返品されるのだろう。
もちろんメーカーはこの人気大型電気店からの返品は受け入れる。
思い起こすのは会社勤めをしていたとき、このメーカーの法人用サポートセンターに問い合わせたときのこと。
誠実で丁寧な対応で、不具合商品もすぐに引き取り正常な状態にして戻してくれた。
このメーカーは、小売店や法人を大切にして個人ユーザーをないがしろにしている、ということだろうか?
今まで数社でパソコンを10台くらい購入してきたが、このメーカーのものは初めて。
以後はたとえ周辺機器であっても絶対に購入しない!

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2007年8月23日 (木)

往く夏を惜しむ

暑さで寝苦しいのは毎夜のこと。でも、今日の明け方は、雷とすさまじいばかりの雨音で目が覚めた。
暑さが原因なら、とりあえずは枕元に置いてあるエアコンのリモコン電源を入れ直すことで再び眠りにつく。
でも、雷と豪雨に感じる恐ろしさに打つ手はない。
「雷が去って、雨もどうか早く止みますように」と祈るばかり・・・。
2時間ほども続いたか、雷が遠ざかり雨音も静かになったのに安心して窓を開けた瞬間、何とも涼やかな心地よい風がス~と部屋に入ってきた。
今年初めて感じた秋の訪れ・・・。

「今年は一度も夕立ないなぁ、どうなってるんやろか・・・?」と友と会話したのは昨日のこと。
数日分の夕立(ではないけれど)をまとめて降らせ夏の帳尻を何とか合わせたあと、秋はそっとしのび込んできたよう。

去り往こうとするモノにはそれが人であれ、季節であれどこかさみしい。
「暑い!暑い!」で過ごした夏がいっちゃうのもやっぱりさみしいけれど、また新しい季節を今年も迎えることができるのはやっぱりうれしい。

ビールと桃
さて、ひときわ暑さが際立ったこの夏、「マイ食贅沢」はビールと桃。
生協配送で企画があったのを幸いに、信州とドイツの地ビールをケースで購入。
それぞれ香りやコクに個性があってとってもおいしい!(といっても飲んでも1日に1本の量。)

桃は出始めから2日に1回は買ってしまっている。(2個ずつくらい)
福島、岡山、長野、白鳳、白桃、水蜜桃・・・と産地や種類もさまざま。
買い物不精ながらおいしい桃を求めての果物屋めぐりには手間を惜しまない。
食べるものへの強い欲がある限り、夏バテもたいしたことなしカナ。
(桃は冷蔵庫保管すると格段に味が落ちてしまう。食べる少し前に冷やすのがいい。部屋に桃を置くと、帰宅した時に桃の香りが迎えてくれる)

とまぁ、去り往く夏を惜しむ気持ちには夏の味覚への深い思いもありそう・・・。
大阪でほんのちょっぴり感じられ始めた秋の気配、皆様の地域ではいかがでしょうか。

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2007年8月20日 (月)

『切除されて』

「何かを変えていく為にはまず知ることから」とよく言われる。
その通りだろうけれど、映像や文字を通してでさえ余りに残酷で正視できないものもある。
最近に観た映画では『ヒロシマナガサキ』、熱線を浴びた亡骸やひどい後遺症・・・。
毎月届けられるフォト紙『DAYS JAPAN』による、戦争、紛争地での亡骸や傷あと・・・。

「これは現実に起こっていること、目をそむけてはいけない」と、弱気な自分を励ましながらできるだけ見つめるようにしている。
それでもとりわけその弱気を克服できずにいることがある。

切除されて  FGM(Female Genital Mutilation女性性器切除)に関すること。
女性の外性器を全部もしくは部分的に取り去るもので、主にアフリカ地域で古くから行なわれてきた女児の通過儀礼・慣習。
過去のことではなく、今なお毎年約200万人、毎日約6000人の少女がこの恐ろしい慣習の対象になっている。

1959年セネガルに生まれたキャディさんも、当たり前のようにこの慣習を受けさせられた。
はっきりと記憶の残る年齢の7歳で性器切除され、13歳で強制結婚、16歳から5人の子どもを出産、その後自立するに至った自身の闘いの記録を著書『キャディ』で赤裸々に明かしている。

300ページにも満たない中型本なので数日で最終ページに至った。
でも・・・、読み飛ばしたページがある。キャディさんが性器切除を受けるくだり。
そこに近づくにつれて、おなかがよじれていくような感覚に陥り吐き気までしてくる。
「読まなくてはいけない、この人は自身の身体にそれを受けた、そのことを思えば読むくらいはできるはず!」と励ましてみてもやっぱりダメ。未だにその部分を読めずにいる。

フランスではベストセラーになったとか(キャディさんはフランス在住)、みんな目をそむけず読み切ることができたのか・・・?
そのイメージが湧き起こるだけで苦痛に耐えられずにいるのに、今もなおたくさんの小さい少女たちに恐怖の「拷問」は襲いかかり、その後心身への深い後遺症を背負い続ける・・・。
世界には人が為すことで身震いするほど恐ろしいことはいっぱいあるだろうけど、FGMはまぎれもなくその内のひとつ。
その廃絶を強く願いながらも、自分には読み飛ばしたページに向かい合う勇気さえないのは情けないのだけれど・・・。

そもそもFGMに強い関心をもったのは去年の秋、ウスマン・センベーヌ監督による映画『母たちの村』を鑑賞してからのこと。
それまでは「割礼」に女性を対象としたものがあるくらいの知識しかなく、映画を通して知った現実は衝撃といえるほどのものがあった。

少し長くなるけれど、鑑賞後にエントリーした以前のブログの記事(一部)を以下に転記。
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『母たちの村』
大阪での上映を知った時から気になりながら鑑賞をためらっていた映画だった。
ウスマン・センベーヌ監督『母たちの村』
ネットにあった幾つも評価「力強い、音楽が明るく映像が美しい、非暴力の戦いがすばらしい、・・・」などに勇気づけられ劇場に出向いた。
だけどやはり私には124分は過酷な時間だった。

この映画は、アフリカ大陸を中心に今も行われている風習、女性性器の一部またはほとんどを切除したり縫合したりする女子割礼(女性器切除)を描いている。

ここまで書いただけでも、映画に登場した、身体を押さえつけられながら「嫌だよ~」と泣き叫ぶ少女が浮かぶと共に、痛みと吐き気がわいてくる。
上映中もずっとそうだった。
誤解を招くといけないので、ここはしっかり書いておかなけれればいけないのだけれど、客観的に見ればすばらしい映画だったと思う。ネットにあった賞賛の評価は頷けるものだったし、具体的に割礼(女性性器切除)をイメージさせる場面はとても少ない。

でもその「客観的に見ること」が私には相当難しいことだった。
破壊や殺戮を描く映画には、時に足や手が吹き飛ばされるシーンもある。
正視できず胸も痛むが、自分の足や手が痛むということはない。
ところがこの映画では自分の身体が痛い。
少女の恐怖と痛みが心だけではなく、同じ性である自分の身体の深部にも伝わる。
そのシーンが過ぎても、なお残る。

コミュニティでは絶対的なものであるその風習は「男性優位」に基づいたものだろうけれど、受容し少女たちにそれをさせるのは母親たち、実際に施術を行うのも女性。
そのことが、何より憎悪や怒り、悲しみの感情となった。

かつて施術された自分たち自身が、痛みやさまざまな不具合に苦しみ続けている。
目の前の我が子は恐怖で泣き叫んでいる。
麻酔や消毒もない処置は、不具合におさまらず時に小さな命まで奪う・・・。
それでも母親たちはそこにわが子を送り込み、女たちは体を押さえつけて施術する。

映画では、累々と続けられてきたその「風習」に倣わず「割礼(女性器切除)の拒否」という戦いを挑む勇気ある女性が登場する。(笑顔がすばらしく、実に魅力的な人)

子どもに為されるこれほど残酷な「拷問」を私は他に知らない。
命を宿し胎内で育み生みだす祝福された性である女性を、これほど踏みにじる所業を他にしらない。

ひとつ何かの願いが叶えられるようなことがあるならば、この風習が世界中からなくなるよう願うかもしれない、とも思う。

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『切除されて』のことは、映画観賞後すぐに入会したWAAF(FGM廃絶を支援する女たちの会)の会報で知った。
(「廃絶の為に何かできることは?」といてもたってもおられず探した結果、行きついた会)
このサイトにはFGMのことが詳しく紹介されている。

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2007年8月16日 (木)

宮城まり子さんのこと

久しぶりにテレビで見た宮城まり子さん、もう79歳になられていた。
6月3日放送NHK新日曜美術館でのこと。
子どもだった頃、「町にゃネオンの花が咲く、おいら貧しい靴磨き、ああ夜になっても帰れない」で始まる『ガード下の靴磨き』の歌が好きだった。
あのサロペット姿のかわいらしいまりちゃんが、肢体不自由児施設「ねむの木学園」を創っちゃったことは驚きだった。
若い日に、子どもたちと指導員、保育士たちの交流をまり子さんが、製作・監督した記録映画『ねむの木の詩』も観たけれど、内容はほとんど覚えていない。
でも同じ頃読んだ、まり子さんのエッセイ集『楽屋の窓から』の一文は鮮明に残っている。

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コーンとなる(チーンではない)、コーンと涼しい音をたてるカットグラスが、私は好きだ。なぜだろう。自分が硬質の人間でないせいか、うすい、もろい、ガラスが好きだ。・・・・・
チェコはさむい国だ。さむいから、硬質のグラスが、似合うのだ。暖かい国なら、土でつくった土器が似合う。
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Mariko ここには、まり子さんが誰とも知らずに踊った相手がチェコのプレジデントだったことが書かれている。今読み返してみれば「ねむの木学園」のことはもちろん、興味深い内容がずらっと並んでいるのに、心に刻み込まれたのはこのくだり。

人は皆、何がしのこだわりがあって感性も多様。
私はまり子さんのこの感じ方とこだわりが好き。
そして自分のこだわりのまま、生きてこられたことに今もやっぱり深い共感を覚える。

「ねむの木学園」のことはよく知らないから、ここにも書かない。
でも新日曜美術館で見た子どもたちの絵は、「実物を見たい」という思いを駆り立てずにはおかないものだった。

そんなわけで猛暑の中、静岡県掛川にある「ねむの木こども美術館」に出かけて行った。
子どもたちの絵は、森の中にあるきのこの形をしたかわいらしい美術館に展示されていた。
ひとつひとつゆっくり見ていくにつれ湧いてきたのは、思いがけず「うらやましいなぁ」という感情。
子どもたちは、まり子さんの愛に抱かれながら、のびのびと自身の表現として絵を描いたんだ・・・。
「独自の美術教育」の中身はちっとも知らないけれど、まり子さんは自分の生きざまと同じように子どもたちにも「感じたことをそのまま、ね」と教えているのではないだろうか。

掛川まで出向いたゴリヤクか、まり子さんのあふれ出て尽きぬ愛のひとしずくは、私のほうにまで飛んできてくれたかもしれない。
うらやましいという感情はすぐに、「私も描いていいんだ」という、こみ上げてくるようなうれしさに取って代わった。
絵が描きたいなぁ、と思いつつ「ヘタだし・・・」としり込みしていたのに、今や描いてみようという気持ちになっている。
感じたことをそのまま、でいいんだ。

『ガード下の靴磨き』のまりちゃん、あっぱれな生き方。
こんな人を小さい時から知っていて、これからも知っていくことができるって、うれしい。

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2007年8月 8日 (水)

『ヒロシマ ナガサキ』と『原爆体験記』

「原爆」というものを明確に意識したのは小学生の時。
児童書などめったに買ってもらえなかったこともあり、家にある図書を読みあさっていた。
その内のひとつが『原爆体験記』(1965年刊行)。モノクロ写真が数ページ、その後に体験記が続く。

多感な時期だっただけに、その恐ろしさは衝撃と言えるほど。
それでも1枚1枚食い入るように写真を見つめ、体験記は漢字だらけをちっとも気にせず一気に読み進んだことを覚えている。

その時から原爆の恐ろしさは、理屈ではなく感覚としてしっかり刻み込まれてはいるつもりではあったけれど、やはり自らがその痛みや恐怖を体験したわけではなく日常の中でその感覚は薄れていたよう。
先日、スティーヴン・オカザキ監督『ヒロシマ ナガサキ』を鑑賞して、そのことをはっきり自覚した。
こんなにも恐ろしいものだった、こんなにも人をどん底に突き落とすものだった・・・。

圧倒的な数の人を尊厳のカケラもない姿に変えて、生を奪う。
人がとうてい耐えることができないくらいに、姿形も生きざまも変えてしまう。
その恐ろしいものが今や世界に広島に投下された原爆40万発分、存在しているという。
こんなものを作り出したのも、使ったのも、まだ作り続けているのも「人」・・・。

『ヒロシマ ナガサキ』は主に14人の方の証言と記録映像と写真が「原爆」の真実をまざまざと伝えてくる。
14人は「人がとうてい耐えることができない」状況を絶え続けている人たち。
ひとつの強い思いは「2度とこんなことがあってはいけない。」

始まったときから終了まで一瞬も目を離すことなく見入っていた。
その間、ずっと涙が落ち続けた。
一人でも多くの人に鑑賞してほしい。
小学校高学年になってでもいれば子どもたちにも見せてやってほしい。
映画の冒頭に、新宿の若者に「1945年8月6日に何があったか?」をインタビューするシーンがある。誰も知らない。(監督談話によると聞いた者、全員が知らなかったとのこと)
この暗澹たる現状は、若者たちだけのせいではないはず。

Gennbaku
画像は『原爆体験記』より
本に掲載された写真と同じものを『ヒロシマナガサキ』でも数枚見た。

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2007年8月 3日 (金)

河井寛次郎記念館

ずっと前から行きたかった所へやっと行って来た。きっかけのひとつはおひさんさまのブログエントリー、もうひとつはちょっとした下心・・・。
何はともあれ京都五条坂にある「河井寛次郎記念館」はとても居心地の良い空間だった。

そこは、寛次郎さん自身が日本各地(主に飛騨高山)を参考にしつつ、独自の構想のもとに設計し、1937年に建築され住まわれていたおうち。
当日は陽が照りつけうだるような暑さだったけれど、館内はちっとも熱がこもっていない。
1階の広い板間は吹き抜けになっており、中庭に面した窓から風が入ってくる。

1階の陳列室や素焼窯、陶房、登り窯、2階の居間や書斎と、館内のどこにいても何やら落ち着く。
実際、見て回った時間より、書斎の椅子に腰掛け目の前の窓からぼんやり外を眺めていた時間、あるいはいろりの前で寛次郎さん作の座り心地の良い椅子で連れとおしゃべりしていた時間の方が長い。
まるで自分の家にいるかのように気持ちがゆったりしている。いや実際は今風の新築の我が家がかすんでしまうくらいに、きちんと作られた日本の家屋で過ごすやすらぎを実感してしまった・・・。

おうちも住みたくなってしまうけれど、作品もそばにおいて暮らしの中で使っていきたいものばかり。器も例えば切干大根の煮物を入れてもしっくりきそう。
(とはいえ、こんな家に住んで寛次郎さんの器を使うことなど残念ながら無縁・・・)

Kannjirouisu さて文頭に書いた「ちょっとした下心」の話。
実は我が家に古い木の臼がある。親戚から譲られた数十年もの。虫食いや割れがひどいしそもそも餅つきは餅つき機でしている。
置くところがなくなったので処分を迫られた・・・。
そんなところに「河井寛次郎記念館」に臼をくり抜いた椅子があると教えてくれた人がいる。もしや加工、再生のヒントになるかも・・・?

その椅子が画像のもの。琉球臼をくり抜いたとか。いろりの前に3客並んでいるが、腰に負担がかからずとても楽に座っていられる。(しかも下には木製のローラーがつけられているので動かすこともできる)
これは「臼」加工の参考にはとてもできそうにないけど、2階の書斎近くに「臼」らしきものがあった。テーブルとして使われている。う~ん、これはいいかも・・・。

Kanjirouusu
何はともあれ、私はこの河井寛次郎さんのおうちがすっかり気に入った。
今度(秋頃にまた来たい)は本でも持ち込んで、(寛次郎さんになったつもりで)書斎でしばらく読書でもしようかな。

※ 館内写真撮影に関しては住所名前等を書けば許可される。

Kyotogohan
そうそう、近くのおすし屋さんの1350円の「昼定食」がとてもおいしかった。
次は、ここでのお昼ごはんも楽しみにしておこう。

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