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2007年10月 4日 (木)

信仰の力-「『集団自決』を心に刻んで」を読んで

金城重明さんを知ったのは、「歴史の事実は消せない 沖縄戦『集団自決』と教科書 9・29県民大会へ」という9月23日の赤旗紙の記事から。
元沖縄キリスト教短期大学長で、「集団自決」に日本軍の命令があったかどうかが争点となっている「沖縄戦『集団自決』裁判」にも証人として出廷されている方とのこと。
記事には、当時16歳の金城さんが「集団自決」の場で2歳上の兄と共に母親に手をかけ死なせ、さらに妹と弟の命も絶った、とある。
もちろんそこに至る過程も書かれている。

【子どものころからの「皇民化教育」で国のため、天皇のために忠誠を尽くすことを植えつけられていました。軍と住民は「共生共死」米軍につかまれば男は惨殺され、女は辱めを受けて殺されると教えられてきました。】

「鬼畜米英」に殺されるより自分の手でと、まず愛する家族の命を絶ち、自らも続くはずであった。
ところが、たまたまその場に駆け込んできた同世代の少年の「どうせ死ぬなら米軍に切り込んで死のう」から、結果的に金城さんは生き残ることになる。

これらの記事を、息をのむ思いで読んだ。
「狂気」の状況で、自分の手で母親や小さい弟、妹を手にかけ、消すことのできないその事実を抱えながら「狂気」から醒めてからもなお生きていく。
その重さはどれほどのものか想像もつかないくらいだけれど、金城さんは押しつぶされてしまわず生き抜いておられる。

広島における被爆で生き残った者が「自分が(幸せに)生きていることは許されない」と苦しむ姿は、「父と暮らせば」あるいは「夕凪の街、桜の国」でも見ている。
この二つの物語のヒロインに「生きよう」という力をもたらしたのは、「(人を)愛すること、そして愛されること」

比べることではないけれど、さらに「生き残った状況」が過酷である金城さんに生きる力をもたらしたものは何か?
「『集団自決』を心に刻んで」を買い求めたのはそのことへの強い関心から。

「集団自決」を心に刻んで 答えは、著書の中で明言されている。それは、キリストへの信仰だった。
たとえば77ページには【戦争の悲劇によって絶望に追い込まれていた当時の私は、キリストと出会うことによって希望が与えられ、キリストから期待されているとの発想によって、人生に新たな意味と目的とを与えられたのであります】とある。

「父と暮らせば」や「夕凪の街、桜の国」のヒロインのように、「人を愛すること、そして愛されること」が生きることを前向きにさせるのは理解できる。
でも信仰心のない私には、信仰に関してもきめ細かい記述をされているこの本を読んでも、実のところ「キリストを愛すること、そして愛されていること」がもたらすであろう力を実感することはできなかった。
それでも、「生きる」という選択をさせ支え続けた信仰というものの大きさは感じるし、生き抜いてこられた金城さんを心から祝福したいと思う。

さて、そんな不純な?動機から手にした本だけれど、全般を通してとても読みごたえがある本だった。
「集団自決」のこと、皇民化教育のこと、家永三郎氏の教科書裁判のこと、問われなかった戦争責任のこと・・・。

最終章から引用を少しだけ。
【平和は、戦争の対概念としてのみとらえるべきではなく、自然破壊や地球環境、エコロジーを含め、人間が生きて生活しているあらゆる領域の諸問題を視野に入れて考えねばなりません。したがって、平和とは、人間が共に生きる課題であるだけではなく、地球上の他の生命の保護にまでつなげてゆく、地球的・宇宙的課題をともなっているのです。「共に生きる」という概念が、平和構築には重要な視点となるわけです。】

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» 「エピメニデスの目覚め」題詞(ゲーテ) [いわいわブレーク]
 「平和は意欲によっては作られない。 一切を欲するものは万人にまして力強きを欲する。 かれは勝つことによって、他人に争うことを教える。 かれはみずからを用心深くして他人を用心深くする。 かくして力と術策は四方に生じ、 世界は怪物をはら[孕]んでいこ[憩]い、 ..... [続きを読む]

受信: 2007年10月17日 (水) 20時55分

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