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2007年12月30日 (日)

小さい子のいる暮らし

ドイツから娘ともうすぐ2歳になる子がやってきて3日目。まだその小さい子の体内時計は、時差によるプラス8時間という日本時間に対応しきれず睡眠時間が定まらない。
それでも未知の世界は驚きと感激に満ちているようで、実に豊かな表情を見せてくれる。

ふと立ち止まりじっと見つめるその視線の先は、私には(ありふれていて)その姿も見えずさえずりも耳にも入らない道路端の子雀たち。
あるいはどぶ川のよどんだ水の流れ・・・。
その真剣なまなざしは、声をかけずじっと見守ってやりたいと思わせるほど真剣なもの。
きれいな目をした大人の人も知っているけれど、小さい子の澄んだ瞳は怖れさえ感じるくらいの美しさであることを思い知る。

かと思えば、訪れたスーパーで「もう幾つ寝ると~♪」が流れ出すと、すぐに手をたたきからだを揺らしてリズムをとっている。
ドイツ語も日本語も既に豊富な語彙を獲得しており、当り前のように二つの言語を使う。
しゃべりながらもよく動くけれど、決して聞き流すことをしない。
必ず「ヤー(Yes)」と返事を返し、またちょっとしたことでも「ダンケ」を忘れない。
これはドイツでは小さい子であっても当たり前なのかな・・・?

幼な子は正に美しく愛しい天使。
自分の子を育てているときには、ただ夢中でそのことを感じる余裕もなかった。
今更ながら、ずっと長い間自分は天使たちと共にいたのだ・・・と理解する。

4週間もすればまた彼の地へ帰ってしまうけれど、「天からの贈り物」のちっちゃな天使と再び共に過ごせることを感謝。

Kamo
近くの池の鴨にパンをあげるのが日課となった

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2007年12月24日 (月)

メリー・クリスマス!

「クリスマス」にはとても良いイメージがある。
小さい頃から誕生日のお祝いはしてもらった記憶はないけれど、何故かクリスマスには必ずケーキやごちそうがありサンタさんもやってきた。
宗教的な意味合いは全くないものだったけど、父も母もクリスマスが好きだったのかな?

ビール このところずっと忙しく今年はツリーも飾らずじまい。
でもやっぱりこの日は「それらしく」過ごそうと、大阪市内にあるドイツ料理の人気店「ハンブルグ」に出かけることにした。(谷町線の「谷町9丁目」駅近く。飾らないドイツの家庭料理の味、と聞いて数ヶ月前に初めて訪れたが評判通りだった。)

土・日・祭日はほとんどが仕事だから、きょうに休みを取ったこと自体すでに特別気分。
夜は混むだろうという見通しからランチタイムをねらう。

店内は陽気なドイツ音楽が流れ、所狭しと関連グッズも置かれている。サービスしてくれるオーナー?もドイツ人そっくりの体型・・・。

クリスマスメニューはあったけれど、あまりに量が多そうなので画像のコースに決定。
まずは真っ昼間からビール。冬季限定のエルディンガーシュネーヴァイセ、きめ細かい泡がいっぱい。さすがにオーナーは注ぐのもプロ、泡が盛り上がる。
「きれいなラベルも楽しんでください」とからっぽになった瓶も残してくれた。
ゆっくり少しずつ飲んでいくのだけれど、時間が経ってもグラスの底から小さな小さな気泡が次々と昇ってきてとても美しい。もちろん味わいと冷え加減は文句なし。

・ソーセージの盛り合わせ
・青エンドウのスープ
・ポテトオムレツ
・ウインナー
・ヴイーナ シュニッツエル というレモンを絞っていただくポークカツ
・リンズ グーラッシュ という牛肉と玉ねぎを赤ワインでスパイシーに煮たもの。下には細いパスタが入っている。
・デザートはやはりシュトーレン(2切れ盛られていたが、始めに写真を撮るのを忘れた)

ソーセージ
スープ
ポテトオムレツ
ウィンナー
ヴィーナシュニッツェル
リンズグーラッシュ
シュトーレン
ハンブルグ
クリスマスを演出してやる小さい子もいなくなった為か、自身のクリスマスへの郷愁にかられ、「食べる」だけの為に電車で出かけるという特別の日となった。
おいしい料理をいただき、次々とカップルなどが席を埋めていくのを見るにつれ、「平和で穏やかな時空にいるのだなぁ~」と改めて思う。
頑張って働いて、時にちょっぴり贅沢な時間を過ごす。
そんなことが、誰でもどこでも「当たり前」であればいいのだけれど・・・。

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2007年12月17日 (月)

また寄ってしまいそう・・・八百屋さん

「忙しい、忙しい」と師走のせわしなさをどこか楽しんでいたのは、今は昔・・・。
大掃除も手をつけず年賀状も買っただけ、状態なのに何だかはや息切れ。
今日は比較的早く仕事を終えたとはいえ、帰り道は真っ暗で寒い。
おいしい柿が食べたくなって(もう晩ご飯はそれだけでいい、という気持ち)久しぶりに職場近くの八百屋さんに行ってみた。
そこは3週間ほど前に岸根栗(がんねぐり)と干し柿用の柿を買った店。
おっちゃんもおばちゃんも顔を覚えていてくれたようで、おばちゃんが「栗、ほしいんか?」と声をかけてくれる。
柿がほしいこと、干し柿はうまくできてあめ色っぽくなってきたことなど話す。

「あいにく今日は柿ないけど、ちょっとこれ食べてみ。おっちゃんの手、きれいやから」と言っておっちゃんが指ではさんで差し出してくれたのは真っ白なイカ?一切れ。
「これな、一番おいしいとこなんやで。わたの近くで胴にぴたっとくっついてるとこや。今ちょうど料理してるとこやってん。」

しょうゆもわさびもなしに?と思いつつ口に入れると、香りやさしく甘さしっとり。
魚介類の生臭さを全く感じさせない旨さにびっくり。
八百屋ではあるが昔ながらの店のスタイルそのままに、乾物はもちろん日によって魚があったり、花があったりする。
その絶品のおいしさの正体は「剣いか」だとか。
一切れのイカとおっちゃんとおばちゃんのやさしい声でぐっと元気を盛り返し、(というよりこのおいしいイカをたっぷりと食べたいという欲のせいかも・・・?)
剣イカを求め、刺身に仕立てることにした。
普段はもっぱら庶民の味、するめイカばかりで、剣イカをまるごと買うのは実は初めて。
「まぁ、何とかなるやろ」の心つもりであったが、
「自分でできるかぁ?何やったら、今おっちゃんがうち用にさばいてるから良かったらそっちあげてもいいよ」とおばちゃんから思いがけない言葉が。

かなりの疲労状態に何てありがたい!
しばらく待つと、おっちゃんが刺身用の身2枚(輝くように真っ白)と別に足部分を袋に入れて渡してくださった。
「身には表裏があって、少し色が鈍い方が硬いからそっちに細かく包丁目を入れてから切りや」と丁寧な説明も添えてくださる。
おばちゃんと相談の上、足部分はねぎと酢味噌和えにすることに。
さらに帰り際には奥からおっちゃんが柿を持ってきて、「これな、熟柿にして食べようと思ってとっておいた柿の最後のひとつやけどあげるわ。持って帰り。」と見るからに甘そうな柔らかそうな柿を持たせてくださった・・・。

イカと柿
というわけで夕食は柿の実ひとつのはずが、
お刺身にいかの酢味噌和え、イカの調理を楽できたかわりに実だくさんのお汁も作って、さらには熟柿のデザート、と栄養も旨さも大満足。
刺身のおいしさは予想通りだったけど、酢味噌和えは何と予想超え!
サッとだけ湯にくぐらせたイカの柔らかさと凝縮された旨みには噛みしめながらウットリ。

おいしいものを食べたあとはやっぱり身体も心も少し勢いを取り戻したよう。
おっちゃんとおばちゃんに感謝しつつ、ブログに記憶をとどめておこうという元気が出たのでした。

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2007年12月12日 (水)

「人参ドリンク」に感謝

職場では生徒さんから時おり差し入れがある。私は胃弱から量を摂ることができないので、飲食するものはかなり取捨選択する。
何にでも手を出さない為、「食べ物にいやしくない」などと見られることもあるのだけれど事実は反対。
いやしいからこそ、「特に好きでないものを食べて、大好きなものが食べられなくなる」ことを絶対に避けたい。
無理して自分が食べるより、何でもおいしそうにパクパクと平らげる若い同僚の食べっぷりを見ている方がよほど気持ちいい、ということもある。
人参ドリンク でも、きょうの差し入れ「人参ドリンク」には積極的に手を出し1本頂いて帰った。

エクセルの最初の関門は「相対参照・絶対参照・複合参照」。
初めての方には一度ですっきり理解することはまず無理だと思うけれど、できるだけ的確なイメージをもって頂けるように説明する。
「もっと工夫してわかりやすいインストラクションにしなければ・・・」とそれぞれ反応が違う生徒さんに接するたびに認識を新たにする箇所である。

この日の私の同年輩?の女性は素直に思いを言葉や表情に出される方なので、手に取るようにイメージをつかみきれていない状態であることがわかる。他のコースでも幾度かインストラクションさせていただいたお馴染みの方でもある。
「説明がわかりにくいんやろうなぁ~、疲れてはるやろなぁ~」と密かに申し訳なく思っているのに、
「こんな出来の悪い生徒やったら、疲れはりまっしゃろなぁ~」と逆に気遣いを頂いてさらに恐縮。
時間をかけている内に「何となくわかってきた気がするわ~」の声が聞けて取りあえず安堵。
始めるなり「エクセル嫌い」になってしまわないよう、便利で簡単な機能もちょっとだけ紹介しておく。

この日のレッスンを終了されて帰られたのに、しばらくして教室に戻られ「疲れはりましたやろ、みんなで飲んでちょうだい。これ、割とおいしいですねん」という言葉を添えて渡してくださったのが文頭の「箱入り人参ドリンク」。

にじみ出る人柄と飾りのない言葉から、頂いたのが「モノ」にとどまらず「気持ち」であることが伝わってくる・・・。
インストラクションするのは機械であるパソコンの操作についてだけれど、相手は人間。この仕事の最大の魅力は、時に「気持ちが通い合う」ことを実感できること。
この時も、ポワッと心にあったかいものが灯りうれしかったのだけれど、同時に苦い戒めも心に留めざるを得なかった。
インストラクションは「気持ち」を込めたものでありたいといつも思うものの、何より生徒さんが理解できる質の高い説明力が必須。
「先生、がんばってくれはったなぁ~(自分はようわからへんかったけど・・・)」と感謝されるなど、実に恥ずかしい・・・。伝わるのが「気持ち」だけではプロとして失格、と思う。

とはいうものの、まだまだ新米の自分が十分な仕事ができるはずもなく、こんなあったかい励ましは力の源。
通常は好まないドリンク剤だけど、「人参ドリンク」飲んでまたがんばるぞ~。

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2007年12月10日 (月)

2日目のぜんざい

昨日にこの冬初めてのぜんざいを炊いた。
私はすっかり忘れていたが、昨冬も初ぜんざいは12月の第2日曜日だったらしい。
これは偶然ではなく、ちょっと残念な理由がある。

おぜんざい
当市の市民マラソンは毎年12月の第2日曜日に開催される。
過去に幾度か参加したけれど、走ったあとでいただくおぜんざいの味わいは格別だった。
市役所の職員を中心に大なべで煮込み、お餅も入れて(年によっては小麦粉団子の時もあったかな)サービスして下さった。
どっと疲れている上に、汗がひいてどんどん冷えていく身体におぜんざいはおいしく、ありがたく、この瞬間の為に走っているのでは?と思うくらい大きな楽しみであった。
ところが、毎年このマラソンに参加している夫によると、昨年は経費削減の為に「ぜんざい炊き」が中止になったらしい。
確かに経済状態はたいへん厳しい市ではあるが、何でこんなささやかな市民の喜びを削る?!と心底腹が立ってしまった(食べ物のうらみは恐ろしい・・・)。
日曜出勤で忙しく立ち働かれる職員の方には申し訳ないけれど、何とか工夫して継続して欲しかった・・・。

ということで、今年もおそらく「ぜんざい炊き」は実施されないだろうと予測して家で炊いておいた。
マラソンを終えて帰ってきた夫は驚くだろうと思っていたのだけれど、「いや、実は今年も期待していた」とのこと。「昨年も『それでは家で炊きましょう』ということだったから」と言う。
1年前のことなのに私は全く覚えていないけど、毎年考えることが同じなのが何だかおかしい。

走ってきた夫はもちろん、家でゆっくりしていた私も、昨日は初ぜんざいを味わったのだけれど、実は私の期待は2日目。
で、今夜の一人ごはんのデザートは期待ワクワクの「2日目のおぜんざい」。
初日はサラッとした甘味、煮返す2日目はとろりとした甘味、さらに煮返す3日目はどろっとした甘味・・・。
おでんといっしょで私は2日目が一番好み。
おぜんざいに合う玄米餅もこんがり焼いて、冷え込む夜にあつあつデザート、おいしかったです!

鉄瓶 添えた画像は南部鉄瓶。
貧血対策に使っているのだけれど、そのまろやかなおいしさに惚れこんで、最近はお茶はもちろんコーヒーもこの鉄瓶で沸かしたお湯を使うことが多い。(あとを必ず空焚きしておくのがちょっと面倒)

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2007年12月 9日 (日)

家族、家庭

ここ数日間仕事がらみで忙しく、睡眠不足が続いていた。
昨夜はもう何をする気にもなれずに早めに床についたが、会社近くに住んでいる長男に早朝に声をかけられて目が覚めた。(長男は私のしんどさに比べるべくもない程、過酷な労働をこなしている。)

現金はもちろん、数種のカードや免許証等を入れた財布を紛失したとのこと。
意気消沈の声にまったく張りはなく、感じられるのは疲労とかすかな苛立ち。
「最悪や~」とボソッとつぶやくが、私にすれば無論「最悪」ではない。
すべて取り返しのつくものだし、過労から注意力散漫になっている長男に関して気がかりなのはもっと本当に「最悪」のこと。
あるいは、穏やかでやさしい気性だったのに、近頃は時おり荒んだ表情を見せること。

日曜ながらきょうも出勤で慌しい長男が、煮込んであるおでん(いつ帰ってきてもいいようにたいていは何か煮物を用意している)で朝食を摂っている間に、ネットからカード他紛失した関係機関それぞれの連絡先を検索しプリントアウト。
その紙に添えて、あり合せの財布に現金を入れたものを渡して送り出す。

「行ってくるわ~」というその声は落ち着いたものであったので、心の平静を取り戻したことを感じられまずは安堵。

私はと言えば、しばし緊張で神経は張ったものの、家事を始める元気は湧かず再び床の中。
一眠りした頃だろうか。所用で出かける夫が私に、「行ってくるよ、ゆっくりしときや」と声をかけ枕元に香り立つコーヒーカップを置いてくれた。
私は、床の中でゆっくりとコーヒーを味わうのが大好き(こんなことは1年に数回しかないけれど)

床の中の暖かさとカップの温かさ、それにも増して感じるのは「家族」や「家庭」というもののあたたかさ。
そこで、長男はすさみ掛けていた心に落ち着きを取り戻し、私も起き上がる気力を与えられた。

私は、もの心ついてから「家族」や「家庭」といったものに一度も深い思いをもったことはないし、自分に密接なものとして考えたことはなかった。
親に対しても、「子どもたちへの愛情が深かったのだ」と実感できたのは亡くなってからであったし、兄弟たちに対しての愛情も希薄そのもの。
ひとりの兄は2年前に突然病死してしまった。
兄の無念さや遺された家族の悲しみには心塞がれたものの、自分自身に寂しさや悲しさはまったくなく、そうした自分と育った環境というものに改めて寒々とした思いを抱かざるを得なかった。

結婚して新しい家庭をもち、夢中そして霧中で進んできた20数年。
反面教師としか感じられなかった(感じられなかっただけで実際はそうではなかった部分も大きかった、と今は思う)環境にあった自分が、今「家族」をもち「家庭」を築いていることは、まるで奇跡のようにも思う。

と・・・、今朝のささやかな出来事から「家族」や「家庭」について今更ながら考え込んだのには事情がある。
職場のパソコン教室の生徒さんで、どういうわけか私を「母」のように慕ってくださる方がいる。とても繊細な神経の方なのだけれど不安定状態の時でも教室に来て私と会い、二言三言、ことばを交わすだけでみるみる間に落ち着かれる。
それは、泣き叫んでいる幼な子がおかあさんに抱っこされるとピタリと泣き止む、その状態そのもの。
レッスン回数も増やされているのだけれど、それにとどまらずメールも届くようになり、昨夜は自宅に電話もあった。(電話番号は知らせていないにもかかわらず)

恐らく彼女を一途にさせているのは、実の母に求めて得られなかったものを、私によって埋めようとする本能的なものなのだろう。
昨夜、疲労状態で受けた電話はせいいっぱいの対応をしたものの、「あくまでパソコン教室を介在してインストラクターと生徒の関係、果たして自分にどれほどのことができるのだろうか」と逃げ腰でもあった。

この生徒さんのことが頭から去らない状態で、朝の一連のことがあり家庭や家族、ひいてはある程度、家庭状況もお聞きしている彼女のことまで思いが巡ったというわけ。
家族や家庭はかけがえのないものだし、子どもにとっては両親や家族のたっぷりの愛にくるまって育つのが当たり前だけど、実際にはそうした状況で育たない子もたくさんいる。
私が「家族」や「家庭」に対するスカスカした思いを埋めることができたのは、新しい家族の力が大きいけれど、「他人」にも随分助けられていることは実感している。

なら、自分も彼女に少しでも寄り添うことができるのなら、「インストラクターと生徒の関係」は事実としてだけ押えて、逃げ腰の「口実」にはするまい、と気持ちを定めよう。
彼女の一途さを受け止める力量が自分になさそうなことが不安だけれど、またその私の不安はきっと家族や友人たちが受け止めてくれるだろう。

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2007年12月 4日 (火)

『朽ちていった命-被爆治療83日間の記録-』

KATEKさんのブログでご紹介のあった『朽ちていった命-被爆治療83日間の記録-』を読んだ。
裏表紙には
【1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いが始まった。――。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント。】とある。
事故が起きて間もなく制作されたNHK番組のドキュメンタリー取材班が著した。

『朽ちていった命』 当時、事故報道に衝撃を受けたし、大内さんの症状に関する追報道も気にかけていた。
通常は原子炉という厚い防護壁内で起こされる臨界反応を直接受けてしまった身体に、どのような祈りも治療も届くはずはないだろうに、大内さんの症状報告は何十日間も続いた。
その日数の長さに、「生かされている」と感じ、国やJCOは「原発事故で死者」という記録を残してしまうことを何としても避けようとしているのだと考えていた。

「前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩」が十分伝わるこの本を読んだ今も、その考えは変わらない。
むしろ描かれている、ひとりの患者としての大石さんに接する医療現場の医師や看護士たちの真摯さや苦悩の描写が、国やJCOの思惑を覆い隠してしまっているようなはがゆさも覚える。

医療の中心を担った医師は「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった」と悟り「放射線や原子力と命の重さの関わりを見つめ直したい」と決意する。
それは、具体的には「人の命の尊さを原子力防災の枠組みのなかで訴え、万が一、同じようなことが起きたとき、できるだけ早く医療者として対応できるような準備をしたい」ということ。(「人知の及ばないもの」を手離していこうとするものではない・・・。)

またあとがきによると、このNHK製作番組は第42回モンテカルロ国際テレビ祭で最優秀賞をとったとのこと。その受賞の際の製作者スピーチとして、
「取材を重ねるなかで、この番組を最高のものにしたいと考えつづけました。その気持ちの源泉となったのは、極秘とされている一枚の写真でした。それは大内さんのご遺体が写っている写真でした。体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、背中側の半分は皮膚が残って真っ白で、はっきりと境界ができていました。これまでにまったく見たことのない遺体でした。
放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かしていく怖さを感じました。私は大内さんが、その怖さを多くの人に伝えてほしいと訴えているとおもいました。・・・」
とある。

確かに、画像も含めた克明な記録は放射線の恐ろしさを十分に感じさせる。
「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではない」ことをはっきりと理解させる。

それなのに、それなのに、この本のどこにもそもそもの「原子力発電」に対する疑問が一言もないのは何故?
医療現場の方たちの詳細なインタビューでも、その疑問に関する発言は全くなかったのか?
読み応えのある本であったけれど、全編を通して感じるはがゆさがここにある。
原子力政策に中立の立場から製作されたものだろうけど(まず原発ありき、が既に中立ではないような気はするけれど)、原子力そのものに対する不信や疑問を取材班があえてカットしたのなら、大内さんが身を挺して伝えたはずのものの本質を奪ったような気持ちにさえさせられてしまうのだけれど・・・。

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