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2008年2月25日 (月)

お雛さま、勢ぞろい。

気にかかりながらも、一日伸ばし。
やっと出してやることができた。

ガラスケースのお雛様は亡くなった父母が、私の娘に買ってくれたもの。
「孫に」ではあるものの、そこには子である「私に」という思いが大きかったことを知っている。
父と母には、経済的な状況から当時子どもたちにしてやることのできなかったことの思い残しがあった。

Casebina
希望を聞かれて「(一緒に見に行けないから)ケース入りのを選んどいて」と答えたことには、少々後悔が残る。子育てと仕事で全く気持ちも時間も余裕がなかったし、段飾りなど考えられなかったのだけど、ならばお雛様とお内裏様だけにしておいて、好みのをじっくり選べば良かった・・・。

Kamibina
2年前にお雛さまを出したとき、ケースの中に折り紙で作ったものがあることに気がついた。
どの子が作り、いつ入れたものか全く記憶がない。
それでもこの紙雛から、小さかった子どもたちがお雛様とひなまつりを随分楽しんでいたことが鮮やかに蘇ってきた。

2歳違いの娘と息子がそれぞれ布団を着物風にまとい、両雛に扮して遊んでいたこと。
おにぎりに薄焼き卵の衣を着せ、野菜で目鼻をつけた「おにぎりお雛様」を作ってやると大喜びしたこと。
ケース内の左大臣は接着がゆるく動く為、兄姉が結託し「左大臣だけはうろうろする」と小さい弟を脅かし、お昼寝前にそっと横に左大臣をしのばせ大泣きさせたこと・・・。

今年も紙雛が入ったケースを見ていると、しばし思いが過去にひっぱられる。
父や母のこと、子どもたちが小さかったときのこと。

そして今家族が(たとえ離れてはいても)穏やかな時を刻むことのできる幸せを、改めて感じる。

行事と言うのは、忙しい日常をちょっと立ち止まらせ、連綿と続く時の流れ、そして家族を始めたくさんの人との関わりの中に身をおいている不思議と喜びを感じさせてくれるのかもしれない。

下の画像は、友人の亡くなられたお母様が大切にしておられたもの。
私もかつてあれこれお世話になった。
その方の思い、友人の思い・・・。
せめてこちらも一年に一度は箱から出してやらねば、ね。
Kimekomibina

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2008年2月22日 (金)

不燃物回収日の憂鬱

2ヶ月に1度の「燃えないゴミ」回収日が、煩わしく感じ出したのは最近のこと。
特に電化製品を出すときには少々気が重い。
家は住宅地の奥まったところに位置しているのに、出したとたん業者?の人がやってくる。
複数の人が、入れ替わり立ち代りやってくる現状なので「早い者勝ち」ということだろう。
自転車で来ていても、手に入れたいものがたくさんある時は(一人見張りを置いて)車で出直し、ということもある。
時として、不用品を屋外に置き家にはまだ入っていない状況でも「物色」が始まる。

先日は、不燃物を数点表に出してしばらくすると「ピンポン」が鳴った。
玄関を開けると、「このオーディオセットのスピーカーはもうひとつあると思うけど、それはどうなった?」といきなり尋ねてくる。
戸惑いながらも「使っていたのは随分前なので、わからない」と事実そのままを答える。
が、「それは困る。もうひとつ欲しい。どこにある?」と後にひかない。
(「困る」と言われてもこちらが困るのだけれど・・・)
納得されないまま同様のやりとりを数分間繰り返した後、いかにもしぶしぶのようにあきらめ、あらかたの「不用品」を積んで引き上げていった。(残ったのは割れガラスやプラスチックくらい)

自治体による回収に向けて出しているものを、他の人や業者が回収していくことにこだわりはないけれど、この余りに欲丸出しの露骨さにはげんなり。

古紙回収 古新聞の回収も競争が激しいよう。
いつもの業者さんの回収日に出しておくと、ポスト上にトイレットペーパー1個、中に紙で包まれた小銭(たいてい50円)、そして画像のような紙が残されている。
このアイデアと「盗難事故」という表現が何だかおかしくて、この業者さんが気に入っている。(紙に業者名や連絡先が明示されているのもいい)。
実際に、この紙をつけておかずに束ねた古新聞を外(ドアの前だから、かなり道路からはひっこんでいる位置なのに)に出しておくと誰かが持って行ってしまった・・・。

自治体であろうと民間業者であろうと、不要物を引き取ってもらえることに感謝の気持ちはあるのだけれど、最近では「ありがとう!お世話さま」の感情だけですまないこともしばしば、ということになってしまった。

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2008年2月18日 (月)

「躾」から、お裁縫

前回書いた、内藤寿七郎さん著の『子どもの「花」が育つとき』で「躾(しつけ)としつけ糸」の話はとても興味深かったけれど、気持ちは「躾」より「しつけ糸」に入ってしまったよう。
無性に縫い物がしたくなった。
もっとも、これはきっかけとなっただけ。
母や自分の着物をほどいて水洗いしアイロンをかけた布が引き出しにびっしり入っており、これがいつも私を誘惑している。

引き出しの布を選んで、ちょうど欲しかったお弁当包みを作ることにした。
あれこれしなくてはいけないことを抱えており、縫い物にじっくり取り組む気持ちの余裕がないことは自分でもわかっているのに「それでも縫いたい!」と始めてしまうやっかいな性格。
(得意なことならまだしもデッサンといい、やりたいのは苦手なことばかり・・・。)

そんなわけで、まずしつけ糸をかけてからこの3日間で少しずつ縫い進めたが下の画像のもの。
お弁当包み
相変わらず、縫い目もそろわずビシッとしない仕上がりだけど、自分の腕としては上出来かも・・・?
反物の幅より大きくしたいので縁をつけた。
そのため端が分厚くなり結びにくいから、スナップ止めにした。

お弁当包み2
元布は20歳頃に自分が着ていた着物。染みも目立つだけに、「失敗しても落ち込みは少ない」と安心して裁断したり縫ったりできる。
(そんなわけで母のもの、特にお気に入りだった上物にはなかなか手が出せない・・・)

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2008年2月15日 (金)

躾(しつけ)としつけ糸

この年末年始に娘の子育てぶりを間近に見て感心した。
1歳11ヶ月になる子はたっぷりとした愛情に包まれ、しつけも受けながらのびのびと育っていた。
遠い国で母を頼らず、産み育てているのにたいしたものだと思う。
おかげで私は安全に注意を払うだけで、その小さい子との過ごす時間を心から楽しむことができた。

子どもの「花」が育つとき どうやら娘には、母親や育児書の助けなど必要なさそうだけど、定期的に送ってやる荷物の中におせっかいにも1冊の本を加えた。
先日亡くなられたという「育児の神様」、内藤寿七郎さん著の『子どもの「花」が育つとき』。
もっとも、自分が子育てをしていたときのバイブルは毛利 子来(もうり たねき)さんの『赤ちゃんのいる暮らし』(これは既に娘に送っている)で内藤寿七郎さんのことは知らなかった。
亡くなられたことに関する記事で興味を惹かれ購入したもの。

やさしい語り口は、決して生やさしいものではない毎日の子育ての励ましになってくれることだろう。
拾い読み程度に目を通した中に、たいそう興味を惹かれたくだりがあった。

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【「しつけ」はゆるい「しつけ糸」のように】の章から。

「しつけ」というのは、本来は和裁の言葉で、本縫いをする前に、襟などを癖づけるために、弱い糸で縫うことです。
このとき使う糸は「しつけ糸」といって、切れやすい弱い糸を使いますが、お子さんのしつけも同じです。
着物を縫うときに使うしつけ糸と同じように、心の柔軟な幼児期に、いい習慣をつけておきましょうということです。
そして、いい習慣をつけることはとても大事なことですが、いい子にしようと思うあまり、強い糸で、子どもの個性をきちきちに縫いつけてしまう必要はないのです。
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子どもの「しつけ」という言葉が裁縫の「しつけ」から来ているとはちっとも知らなかった。
裁縫においてしつけはとても大切、これに手を抜くときれいに仕上がらない。
といっても出来上がりで残る縫い目は本縫いのもの。
しつけ糸は用済みとなり抜いてしまう。
「本縫い」が子ども自身の成長?

「う~ん、これは子育ての極意かもしれない。」と既に子育てを終えた今に会得しても手遅れか・・・。

子育て真っ最中の娘がこれをどう読むかはちょっと楽しみ。
もっとも全然ページをめくらない可能性もある。
それはそれで、育児書に頼らなくてもいい環境にあるということで喜ばしいことかもしれない。

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2008年2月12日 (火)

Myお椀

ほとんど自分の為だけに作る食事にも随分慣れた。
調理意欲や食欲を刺激するものは、積極的に手に入れることにしている。おいしそうな食材(といっても近隣の店で売られている低農薬・有機栽培の野菜がほとんど)はもちろんだけど、新しい器もたまに買う。
以前は最低6こ単位(家族5人プラス予備)であった購入数は、現在はほとんど2つぽっきり・・・。

栃 先日買っちゃったのがこのお椀。
生協配送のカタログにあったもの。

「あなたのお誕生日は何月ですか」【山中塗り】日本の銘木を器にしました。

というタイトルをつけて4月から3月までそれぞれ素材の木種を変えて案内している。
たとえば4月は【桜(さくら)】、案内文はこんな感じ。
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日本人にもっとも愛される木です。材質は緻密で硬くて美しく、細工物、版木、家具に使われ、樹皮は桜皮細工になります。
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以下、
5月【栃(とち)】 6月【檗(きはだ)】 7月【桂(かつら)】 8月【栓(せん)】
9月【栗(くり)】 10月【楓(かえで)】 11月【樫(かし)】 12月【胡桃(くるみ)】
1月【橅(ぶな)】 2月【楢(なら)】 3月【欅(けやき)】
それぞれ、(私がアップしたようなものとは全く違う)くっきりはっきりの画像が載せられている。

長い間使ってきたお椀がいかにも古びてきたこともあり、これにそそられてしまった。
といっても「誕生月」などにはこだわらない。
画像や案内文から気に入ったものを選択した結果、自分用のは10月の【楓(かえで)】。

「秋には美しい紅葉を楽しませてくれます。メイプルシロップの原料として有名。材質はやや重厚で木目が細かく艶があるので器具、家具、漆器などに使われます」とのこと。

ちなみに夫の好みは1月の【橅(ぶな)】。
「西欧では森の女王様」と呼ばれているとか・・・。

届いたらさっそくお味噌汁が作りたくなった。(自分の為だけにお汁を作ることはほとんどないのだけれど)
実だくさんにして、大根おろしも入れて・・・。
軽くて手触りはすべすべ、口があたるところがやさしい。
これにつられて、しばらくはこまめにお汁を作りそう。

そうそう、上の画像のものはプラス1で買った5月【栃(とち)】(だと思う、木種が書いてある箱から出したら【橅(ぶな)】との区別がはっきりしなくなった・・・。
栃と橅

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2008年2月10日 (日)

『デッドマン・ウォーキング』に見入る

少し前に書いた宅配レンタルDVD「TSUTAYA DISCAS」。
なかなか観る時間はとれないし、時間があれば映画館鑑賞を優先したいし・・・で「契約を続けているのはもったいないかなぁ・・・?」と考え出していた時、『デッドマン・ウォーキング』を観た。
まるで映画館での鑑賞であるかのように123分間、画面に見入ってしまった。
宅配レンタルDVDはやっぱりいい!
見逃した良作との出会いの可能性がいっぱいあるもの。

さて、画面にくぎづけとなった『デッドマン・ウォーキング』
1995年製作 ティム・ロビンス監督・脚本
この作品でアカデミー主演女優賞をとったというスーザン・サランドンが何とも魅力的。
ニュー・オーリンズの「希望の家」でシスターとして働くヘレンを演じている。
相棒と2人でカップルを惨殺し死刑囚となったマシュー(ショーン・ペン)から手紙を受け取り、交流が始まる。
マシューに寄り添いながらも、被害者や遺族の苦しみ、悲しみも受け止めようとするが、「両方の立場に立つことはできない」と拒否され、「極悪非道」の死刑囚側に立つ者として世間からも非難をあびる。
「立場」にとらわれることなく、傷つき苦しむ者の助けとなりたいとの思いは、信仰に裏付けられたものというより、「ハートが大きい」(ヘレンの母による形容)へレンにとっては自然なものであるのだけれど。

愛する者を惨殺により奪われた家族。
穏やかで笑いに満ちた日常は失われ、それを「加害者への憎悪」で埋めることで必死に耐えながらも、心の平和は戻らない。

迫り来る死刑執行の日が近づく恐怖に怯えながらも、差別的、傲慢な態度を崩さないマシューが、次第にヘレンの真摯な愛に包み込まれ、人間的な本質を表出させていく。
家族への愛、犯した罪の自覚や後悔、贖罪の思い・・・。
ヘレンや弁護士による死刑停止へのあらゆる手立ても功を奏さず、遂にその日、その時刻はやってくる。
そして「人道的」とされている致死注射による刑が克明に描かれる。

凶悪犯罪は確かに恐ろしい。
だけど「人を殺す」ことが社会に認められたシステムとして存在することは、もっと恐ろしいことではないだろうか・・・?
執行日の決まった死刑囚は徹底して予防され自殺は許されない。

死刑制度について反対の思いが揺らぐことは今までもなかったけれど、死刑も重犯罪も決して身近なことではないので、具体的なイメージをもって考えることはできていなかった。
重罪を犯すということ、被害者(遺族)となるということ、死刑制度というものなどの真実(の一部ではあるだろうけど)をこの映画は突きつけてくれた。

ヘレンと一体化したようなスーザン・サランドンの自然で表情豊かな演技、大きな瞳にたたえられた大きな愛。
さらには死刑囚マシュー役のショーン・ペン。
好きな俳優というわけではないけれど、死刑執行台に縛り付けられ訴えてくる瞳の力・・・。

いやぁ、見応えがありました!
実話に基づくということで、シスター・ヘレン・プレジャンによる原作もさっそく読んでみることに。

上映当時は残念ながらちっとも知らなかったけれど、DVDで出会えてとてもうれしかった作品のひとつ。観るきっかけになったkojiさんにも感謝、です。

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2008年2月 6日 (水)

えんどう豆スープのお届け

今日の休日は、えんどう豆スープを持って夫の実家へ。
「お弁当の定期便」の第2弾。
弱ってこられた義父、義母に対して積極的に関わっていきたいけれど、無理のないスタイルでと、考えついたこと。
まだせっぱ詰まった状況ではないから、休みを全部費やしてしまえば自分の不満となるので、めやすは半日行動。
素材は身近なものを使い(価格的にも)、調理が簡単にできるものにしている。
気楽に作って気楽に届け、気楽に受け取って、気楽に食べてもらいたい。
ということで、たいそうになるので今日も事前連絡はしない。

お弁当
メニューは
・大根と鯛の煮付け(針生姜添え)…大根は夫の実家のもの
・牛肉のポテト・にんじん巻き…じゃが芋は夫の実家のもの
・ほうれん草のおひたし…ごま味噌たれ別添え(炒りごまをさっと炒りなおし、すり鉢ですり味噌を加えてさらにすってから味付け)
・蕪の甘酢付け…義母が好きなので毎回入れている
・大学芋
・えんどう豆のスープ…えんどう豆は夫の実家のもの

簡単なメニューだけど、しんどい時はすぐに食べられるものが何よりのごちそう(のはず)。

往復で3時間かかる行程が、電車はすいているし車窓からの眺めは自然が多いし、でちっとも苦にならない。
とはいうものの耳にはiPod、手元には本が欠かせない。
なぜか電車では物語よりPC関係の本の方が集中できる。きょうはPC検定対策本のお勉強。

義父、義母のお元気そうな様子も見ることができたし、もちろん喜んでもらえたし、のんびりとした電車の行程を楽しみながら勉強もできたし・・・、案外自分自身のいいリフレッシュになっているのかもしれない。

下の画像は、昨日に二人で作業をされたという干し大根。
「腐らせるのがもったいないからしたけど、身体がえらいわ~」と言われていた。
食べるものを大切にされる姿勢、縄やひもでゆわえて吊るす技術、整然と並んだ美しい大根。
「いいなぁ~」と思わずパチリ。
干し大根

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2008年2月 5日 (火)

「冷凍餃子騒ぎ」からエンドウ豆スープ

1ヶ月ほど前に、夫の実家からエンドウ豆を冷凍したものをいただいた。
エンドウは大好きだけど「家庭で冷凍した長期保存もの」は劣化が激しくどんな食品でも嫌い・・・。
調理する気になれないまま、冷凍庫に入れっぱなしでさらに保存期間が長くなってしまった。

思い切って調理してみることになったきっかけは、「農薬が混入された冷凍餃子騒ぎ」。
原因はまだはっきりしないけど、身近な「食」のことなのでいろいろ考えさせられた。
「やっぱり食の自給率アップ、地産地消がいいなぁ~」と思ったところで、冷凍庫にあるえんどう豆の存在が後ろめたく感じられてきた。
「地産の(ではないけど、義父や義母が丹精こめて作った)食べられる食品があるのに、ほったらかして他の食材を求める、それはあかんやろ」という自責の念・・・。

メニューは、たくさんの量があるので迷うことなくスープ。
考えてみればたっぷりのエンドウをスープにできるなんて贅沢なことかもしれない。
圧力鍋で柔らかく煮て(ねぎの白い部分を玉葱の代わりに入れた)、ミキサーで攪拌し牛乳を少し加えた。まろやかさをだす為にこれも圧力鍋でふかしたじゃが芋を1個加えている。
だしは昆布水(昆布を入れた水を冷蔵庫に常備)だけ、コンソメも使っていない。

ちょうど生協から届いた北海道小麦のパン(生協への信頼度もどんどん落ちるけど、このパンはお気に入り)で作ったサンドイッチとの組み合わせ。
具材はレタス、ふかしポテトの薄切り、チーズ、牛肉の照り焼き。
自分だけの夕食だからこれで十分。

さて味の方は・・・、やはり「冷凍臭さ」は残っている。
でも、エンドウのこくは出ているし、動物性の素材を使っていないことによるさっぱり感もあり、かなりおいしい。

「冷凍餃子」のことがなければ、このエンドウ、ず~と冷凍庫で眠り続け、新エンドウが出る頃に「ゴメンナサイ」と捨てちゃってたかも・・・?
今一度、身近にある素材を大事にしなくてはダメ、と自分に言い聞かせたのでした。
えんどう豆スープ

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2008年2月 3日 (日)

雪の金剛山に登る

関東方面は雪だったとか・・・。大阪は目を覚ましたときから、しとしとと細い雨。
「山はきっと雪」を信じて、まだ暗いうちに家を出る。目的地は、大阪府と奈良県の県境にある標高1125mと大阪で一番高い金剛山。小学校の時の耐寒訓練以来、幾度となく登っているなじみ深い山。

登リ口へと続く車道が積雪、凍結の可能性があるので、電車とバスを乗り継いでいく。
これは3年前に登ったときの教訓。
その時は、「快適、早い」と当たり前のように車で出かけた。行きは問題なかったが、山を降りる頃から雪は激しく降りだし、悪い予感・・・。
やはり車道は凍結。チェーンの装備もなく、ほんの数キロの走行は恐怖の連続。実際事故も次々発生するので(事故車を4台横目に見た)その都度渋滞。待つのは我慢できるけれど、その間にも進みそうな凍結がこわい。
一度は思わずかけた急ブレーキで(私は同乗者)大きく横滑り。その恐ろしさは今でもはっきり覚えている。
というわけで今回は迷うことなく公共交通機関を利用。

まずは近鉄南大阪線を奈良に向かっていく。小雨は続いているのに5駅を過ぎた頃には窓の外はうっすらと雪化粧。夜に降ったのだろうけど近隣でも天候が随分違う。

バス道は最初から積雪あり。バスもチェーンをまいているので車内はガリガリと大きな音と相当の振動。でもそれで安全走行になるならもちろん文句なし。
金剛山に向かう人ばかりが他に6人乗車しているが全員高年。(会話から皆金剛山への常連のよう)

金剛山
雪の金剛山登山は5年に1度くらいか。まず降雪と休日のタイミングが一致しないと行けない。
その数少ないチャンスでも今回は最高の条件揃い。
昨夜からの積雪で山道はかつてないほどの真っ白の厚み、踏みしめると「ギシギシ」と鳴る音と感触。
雪はひらひらと舞い続けているのに、気温はたいして低くない(0度くらい)上にほとんど無風。
さらに町は雨だったせいか、登山者が極端に少ない。(列状態で、人の背を見て登るようなこともしばしばあったのに)
「雨」ということで行事として予定していた子ども会なども中止にしたのかな?

子どもたち イマイチの条件はたったひとつ、自分の体力。
「あ~、しんど」と思わず立ち止まることもしばしば。今思えば、大きく深呼吸して山の空気を感じることさえ忘れていた・・・。
すれ違う数少ない登山者のほとんどが中高年者であることも、今さらながら実感されて何やらさびしい。
やはり「雪や、雪や!」と集めては放り投げたり、ソリに乗ってはしゃぐ子どもが見たい・・・。
(時間が多少早かったせいか上りでは子どもは0だったけれど、下りでは少人数ながら目にすることができた。)

数日間まちがいなく筋肉痛は残るだろうけど、それもまた心地よいかな。
雪もやにかすむ遠景、雪に抱かれてさまざまな表情を見せる木々や枝々、それらが織成す静謐で神秘的な情景もしっかりまぶたに焼き付いているし、良い休日を過ごせたことを感謝。

下の画像は帰りのバスを待つときに撮ったもの。
左は駐在所前にあった。(それで雪だるまも基本形?)
雪だるま

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