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2008年3月28日 (金)

桃が咲いた!

春が近づくと桜の開花が気にかかるけれど、今年ばかりは待ち続けたのは「桃」。
3年前に今の家に転居、庭がないので小さな花壇で季節の花を楽しんでいる。
その花壇の玄関横の位置に迷わず植えたのが「花桃(照手)」。
「桃」にこだわり、(狭いので)大きくなり過ぎない品種を探した。

ちっぽけで割り箸のようだった苗木は、ぐんぐん背丈は伸びていったけれど2年目は全くつぼみをつけなかった。
「ほんまに咲くのかなぁ?」
と思い続けて3年目の今年、2月終わり頃、
「もしや、これはつぼみ?」と思える小さな芽生えらしきものに気がついた。
それからは、玄関を出入りするたび「きれいに咲いてね」との思いを伝えながら愛でる日々。

花桃
(画像はクリックで拡大)
そして・・・ついに花爛漫。
大きな木ではないし、目に止まるほどの迫力はないけれど、近所の方が「きれいですね」とうれしい声をかけてくださった。

この木に強い思い入れがあるのは、娘の名前に似通うから。
遠い国にいて、一緒に暮らすことのない娘の代わりに、我が家で存在感を示して欲しい。

柔らかい陽射しを浴びて、照り輝くかわいらしい花びら。
小さい子を懸命に育てている娘の今日は輝いているかな?

virgo「桃の花」が登場するかわいい歌を添えておきましょう。

『春よ来い』
作詞:相馬 御風 作曲:弘田 龍太郎

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

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2008年3月24日 (月)

サウナで「死刑」の話はやめましょう!

お彼岸とは春分・秋分を中日として、前後各3日を合わせた7日間とか。
その最終日、23日に何とか父と母、そして兄が眠るお墓に参ることができた。
帰りには、母と幾度か訪れた温泉に寄ってみた。
バブルの頃には、どこもかもピカピカで活気に満ちた施設だったけれど、今や古びた上に閑古鳥が鳴いているよう。
おかげで、ゆったりのんびり入浴。

久しぶりに併設のサウナにも入ってみた。
6つほども湯船のある広い浴場は貸しきり状態だったが、サウナ室には先客が2人。
私より少し年配?の方。お友だちどうしのようで会話がはずんでいる。
このお2人にも、いきなり割って入られたような心地悪さがあるだろうけど、こちらも狭い密室では「親密な会話」からの逃げ場はない。
ただボーと身体も頭も心も弛緩させるつもりが、耳に入ってくる話は右から左に抜けていってくれるようなものではなかった。

盛り上がっている話題は死刑に関すること。
「物騒な世の中になった」から始まり、「法は甘過ぎる、人一人殺したら、そら絶対に死刑や。遺族の気持ち考えたら当たり前や」
「そうやそうや、ほんまにそうやで!」

確かに世の中は物騒かもしれないけれど、ひたすらのんびりしたいサウナ室で「人を殺す」話をするのもたいそう物騒。
いや、物騒なのは「死刑」が「人を殺すこと」なのだという感覚がないことかもしれない。

凶悪な殺人事件を起こし全く改悛のようすが見られない人は、一般社会にいてもらえないことはまちがいない。
そんな人は、一般社会の外でも「持て余される」ことだろう。
でもだからといって完全排除するために「殺してしまう」ことは恐ろしい。

日本で死刑制度が存続し執行もされている根拠に、もし「社会感情の後押し」が含まれているのなら、私は絶対にその「社会感情」に加わりたくない。
自分の感情が「人を殺すこと」に加担するなんて、たとえ対象が極悪非道の人であってもお断り。

「人を殺す」という決して許されない行為を犯した人に対する裁きが、「人を殺すこと」である死刑、というのもおかしい。
「人を殺すこと」も理由があれば許される?
「国」であれば「人を殺すこと」も許される?

盛り上がる友人同士の会話に、見知らぬ者は口をはさめない。ましてやサウナ室内のような状況ならなお更のこと。
したたり落ちる汗といっしょに身体の老廃物は排出されたかもしれないけど、心の中にわくモヤモヤは出所がないままの10分間・・・。

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2008年3月20日 (木)

「もち太郎」でおはぎ作り

手作りといえるのかどうか・・・、「あんこ」を買って、ちゃっちゃとおはぎを作った。
米は圧力鍋で炊いたのはいつもと同じだけど、そこからいわゆる「半殺し」(何てぶっそうな言葉なのでしょう!子どもの頃から聞きなれているけれど「半つぶし」に変えるべきかも・・・)で初めて「もち太郎」の臼を使った。

もち太郎
この臼、「もち太郎」という名称(思い込んでいるだけで違うかもしれない)の手搗き餅つきセットの一部。
つき棒と共にセラミックでできており、重い!
直径20センチなのに、私には持ち上げるのがやっとこさ。
このおもちゃのようなかわいらしい臼と棒で餅を作ってみたいなぁと思いつつ、量産のできる餅つき機利用ばかりしている。

たまには陽の目を見せてあげようと、今回は「よいしょ」と奥から引っ張り出してきた。
といっても3合の炊き上がったもち米を入れて、ちょっとつぶすのに使っただけ。
すり鉢ならごはん粒が入り込んでしまうけれど、この臼はつるっと取れるので後始末が楽。

あんこに手を抜いたし、あともとても簡単。
黒ごまを炒ってすり鉢でグラニュー糖と一緒にすったもの、きな粉、あんこばかりと3種用意。
いまいち成長も色も悪い鉢植えのばらんを、5枚ばかり切ってきたものの上に並べてみた。

おはぎ
きょうはもちろん、長い間墓参りに行っていない。
「ゴメンナサイ」と謝っておいて、父と母の写真をおはぎの横に移動させた。

料理上手だった二人は、お墓参りのことは大目にみてくれても、「あんこぐらい自分で炊かなあかん」とブツブツ言っているかもしれない。

しかし、ちょっとしか作れないし・・・と敬遠していた「もち太郎」。
これだけの量が作れたら今や十分とも思える。
パクパクくらいついてくれる娘も息子もいないのだもの。

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2008年3月17日 (月)

エクサさんのこと

エクサさんから初めてコメントをいただいたのは、今のブログの時ではない2006年のときのこと。
ブログを通じてのやりとりでは、真面目でユーモラスでもあるけれど繊細さを感じさせるものが伝わってきた(私だけの受け取り方かもしれない)。
その後、私は当時のブログを閉鎖してしまったのでつながりは切れた。

何となく気になり、しばらくはエクサさんのブログをのぞいていたけれど『小さな花ひとつ』からはコメントしたことはない。

Siroihana 昨夜KATEKさんのブログに寄せられたコメントから、そのエクサさんが亡くなられたことを知った。
エクサさんのお友だちが、(エクサさんのブログに)ブックマークされていたところにコメントを通じて報告されたよう。

数ヶ月ぶりに訪れたエクサさんのブログは、名前は変わらず「この世界で生きてゆくために」。
以前は生活ぶりを明るくユーモラスに記述しようとされていた。
ところが最近のものは、まるで大きく開いてしまった傷口からドクドクと真っ赤な血が流れ出しているかのよう。
更新に間があき出した頃から、少しずつ苦渋が文面に滲み出してきている。

「やさしくまじめな好青年」と紹介されていたプロフィールが、いつの間にか「タダの馬鹿な男」に変更されている。

大好きだった車で亡くなられたとのこと。
たとえネット上であっても、かつて交叉したことがあり、ましてや何か心にひっかかるものがある人だった。
その人がどのような「事故」であったのか知る由もないけれど、苦しみのまま亡くなられた。
(「心の死、自我の崩壊。2.26事件、その3」 とタイトルされた最後のエントリは亡くなられる前夜 訂正、2月15日夜。)

エクサさんのブログをさかのぼって読んでから床に就いた昨夜は、ほとんど眠ることをしていない。
明るくあったかい朝日を感じて一瞬気が晴れたものの、直後には「もうエクサさんはこの光を感じることはないのだ」との思いが込み上げた。

人が死ぬことは悲しい。
肉体が傷ついて血が流れたまま死ぬのはこわい。
心から血が流れたまま死ぬのはこわい。

どのような形であれ、寄り添うことができるのは生きているときだけ。
冥福を祈ることだけしかできないなんて悲しい・・・。

お会いしたことはないけれど、エクサさんには白い花が似合うような気がして生けた。

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2008年3月12日 (水)

みようみまねの沖縄料理

沖縄に行かれたkojiさんのエントリー、いつもながら興味深い現地報告だったけれど、何より料理画像に心奪われてしまった・・・。
沖縄へはず~と前に一度行ったきり。
3拍4日の小グループでの研修旅行でとても充実していたが、食事が合わなくて困った記憶がある。
kojiさんが紹介されていたメニューのほとんどに出会わなかったのに、それらがまた何とおいしそうなこと・・・。

ということで、「食べてみたい!」という欲に従い見たことも食べたことも無い沖縄料理を3品作ってみた。

ゆし豆腐など
メニューは「ゆし豆腐」「フーチャンプル」「ラフテー」。
「ゆし豆腐」というのは、固まる前の豆腐で料理はそれを使ったスープのよう。
豆腐好きの私は、作る前からそのふわふわツルツルしたのどごしが想像され、出来上がりにワクワク。
これがまた実に簡単にあっけなく出来上がった。
豆乳を温め、にがりを混ぜて、しばらく蒸らしておいてだしを入れて味付けしただけ。

「フーチャンプル」というのは、麩を卵に浸してから炒めているらしい。
春野菜の、わけぎや新キャベツと取り合わせてみた。
麩にからんだ卵がとてもまろやか。

「ラフテー」というのは焼酎で煮る豚の角煮。
ちょうどいいことに頂き物の焼酎が眠っていることを思い出した。(私は焼酎を飲まない)
惜しげもなくたっぷり使い、圧力鍋で煮た。
上にたっぷり乗せたのはわけぎの白い部分。

私一人にはこの3品で十分。
近くのスーパーで見つけたオリオンビールもつけて・・・。
kojiさんが食された「本場モン」とは少々違うだろうけど、「ゆし豆腐」「フーチャンプル」はあっさりしていてとてもおいしい。
沖縄行きのときは、何でこんなおいしいものに気がつかなかったのだろう?
これからは定番メニューに加えよう。
「ラフテー」は、息子たちがいるときに作ると人気まちがいなし。

長い間「口に合わない」と思い込んでいた(ゴーヤ料理はよく作っていたが)沖縄料理、やっと、思い違いであることに気づくことができた。
どんなことでも「新しい発見」はうれしいけれど、食いしん坊の私には食べることに関してなら、なおさら。

しょっちゅうおじゃまさせて頂いている幾つかのブログでは、その都度何かの情報や示唆などいただいている。
皆様に感謝。

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2008年3月11日 (火)

個人宅でのパソコン教室

あれこれやりたいことはいつもいっぱいあるのに、悲しいことに何と言って得意なものがない。
それはそれで仕方の無いことだけど、「何で稼ぐか?」は常に頭の隅においておかなければならない。
ひとつの仕事に従事し積み重ねを確かにしている人に対して、ちょっとうらやましい気持ちがあるものの、自分はそれを選択してこなかったのだからしかたがない。

恋愛も仕事も「出会いの運」というけれど、運が良いのか「探せども探せども仕事が見つからない」という深刻な状況に陥ったことはない。
それでもキャリアというものがない身には、年を重ねるほどに求職に関して気後れは増すばかり。

昨年の今頃は職探しをしていた。
対象年齢を軽くオーバーしているにも関わらず、メールでアピールし面接にこぎつけた。
採用はされたものの、適応力、記憶力の衰えは自身の思惑以上のものがあり、一連の仕事の流れを獲得するまでに消耗した気力、体力は限界に近かった。
「たった1年、されど1年」、もはや今では同じことはできないような気がする・・・。

「(応募はたくさんあったのに)なぜ、キャリアもなく年齢が高い私を採用したのか?」は、いまだにある疑問だけれど、もしリストラがあるなら有力候補となるかもしれないという自覚はもっていたい。
また逆に、どうしても意に沿わない経営方針が打ち出されたなら撤退への道も考えたい。

ではその後、何で稼ぐか?
もはや仕事としての新しいものに取り組む勇気はありそうもない。
この含みもあり、また現職(長く留まる為に)のスキルアップの目的もあり、このところ以前にも増してパソコン画面に向かっている時間が増えている。
職に就いたのが高齢なのだから、キャリアを積むのに悠長なことはしておられない。
「その後」の稼ぎにパソコンを生かそうというならなおさらのこと。

そんな思いのあるところに、たまたま15年以上も会っていない知人が近くでパソコン教室を開かれたことを知り、さっそくおじゃましに行った。

教室開催のため、家の一角を改築されたようす。
思いがけないことに、自治体の保育士だった奥様が早期退職し共に運営されている。
夫の60歳の新しい出発に寄り添い共に時を刻んでおられるご様子は、「夫婦のあり方」という意味でも示唆を受けた。

自分の仕事内容も明らかにした上で、さまざまお話をうかがったが、勤務先のパソコン教室とはまた違うシステムによる運営も大いに興味が湧いた。
学びたいソフトもあるので、実際に受講してみる気になっている。

初めてパソコンに触った14年前から、パソコン関係では何度も「生徒」の立場になったけれど、インストラクターをしてからは初めて。
今の仕事(やその先での仕事)に生かせると判断した「投資」でもあるけれど、果たして・・・?

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2008年3月 5日 (水)

ちょっと豪華なランチ

花壇のチューリップの芽はぐんぐん伸びてきていることには気がついていたけれど、隅っこに置いていた植木鉢を見てびっくり。クロッカスが咲いていた!
暗くなってからの水遣りが続いていていたから見逃していたのかな?
まだまだ寒い日もあるけれど、春はここそこで顔をのぞかしている。
クロッカス
きょうのランチは、春の香りいっぱいの(私にとっては)とても豪華なもの。
まずはミートローフ。(うまく切れなくてちょっと形はヘン?)
料理のレパートリーに入っていなかったので、作ったのはこれが初めて。
KATEKさんのブログエントリにあり刺激された。
といっても同じような手の込んだものはできそうもなく、自分流にかなり手抜きするつもりだった。
ところが、とっても丁寧なアドバイスをいただいてうれしかったし、更なる刺激にもなったので少しだけ予定を修正。

ミートローフランチ
既に材料として買っていたミンチ肉に、ロース薄切り肉を包丁で潰して追加。(次回はミンチを使わないで作ろう!)
さらに、こくと歯ごたえをだすために、小さく切って炒めたベーコンも入れる。
混ぜ込む野菜は好物のレンコンとしいたけ。(歯ごたえもいい)
あとは炒めた玉葱とミキサーで砕いた玄米パン、卵と調味料。
これらをよくねり焼く、という運びが普通なのだろうけど、オーブンは5年ほども使っていないので得意の?圧力鍋を使う。
型もないし、アルミのお弁当箱は小さ過ぎるのでステンレスの丸なべにバターをこすりつけて具材を入れて蒸すと、20ほどで出来上がり。
蒸した効果か、ふんわりとやさしい味がする。
(名前を「簡単蒸しミートローフ」とでもしようか・・・?)
丸なべに残る旨みを含んだ水分は、ケチャップととんかつソースを足して煮詰めソースとした。

パスタの好みは、きのこと青じそだけど、春先の青みはちょっぴりほろ苦いわけぎを使いたい。(赤いのは残り物のスモークサーモン)
そして・・・、デザートは待ちに待ったもの。
年に1回だけ生協で企画のある土佐の文旦。
さわやかな香りとみずみずしさ。
1年に数個、これを食べることができるならグレープフルーツはひとつも食べなくてもいい。(まぁ、全然べっこのものなのだけれど・・・)

文旦とレーズン
そのまま食べるのが一番おいしいとはいえ、あえて組み合わせるならレーズン。
しかも横に添えた画像のものでないとダメ。オイルコーティングしていないので油っぽくない。

と、好物ばかり並べて、しかもKATEKさんのお心遣いもいっぱい入っていて、とても贅沢で豪華なランチとなりました。
おいしかったです!

ミートローフは1回作って、感じがつかめたのでレパートリーに加えてみることにしよう。
次はお客様といっしょにいただけるよう、形の美しさにもう少し注意を払う必要がありそう。

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2008年3月 3日 (月)

「賞味期限」が問題

ちょっと事情があって、大量の焼き海苔が家にある。通常サイズに換算して650枚分。
国産と明記され、サイズもそのままおにぎりに巻ける使いやすいもの。
小さく切っておいて朝食に、またお昼のおにぎりに、あるいはさまざまな料理のトッピングに・・・と毎日食卓で活躍してくれる素材。
おすそ分けしても喜ばれるはず。

焼き海苔
でも・・・ひとつ大きな問題あり。
それは、【製造:07年3月27日 賞味期限:07年9月22日】という記載。
食べてみると、香り、味、乾燥度などに全く違和感を感じない。

これだけの食品を廃棄してしまうなら、「もったいない」を超えて罪の意識さえ湧くだろう。
通常でも、食べ残しや使い忘れで古くなり過ぎたものを捨ててしまうことに後ろめたさがあるけれど、大量であれば尚のこと。
賞味期限という根拠のよくわからないものだけを判断基準にして、段ボール3箱分の海苔をゴミとして出すことはできない。

製造業者や小売業者は、賞味期限が過ぎてしまえば「廃棄」。
消費者からは見えないその量はどれほど莫大なものになるのだろうか・・・?
(もちろん損失は価格に反映しているのだろう)

『世界がもし100人の村だったら』で言えば、
「20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです」

「農薬入り餃子」のことで、広く浸透した「39%」という日本の自給率。
それなのに「太り過ぎ」の仲間に入っている日本人も多いよう。
太り過ぎて、尚且つ食べられるものを廃棄する・・・。

賞味期限のことでは「偽装」ばかりが取りざたされ、過ぎてしまって「廃棄」されたものについては浮上してこない。
十分おいしい大量の焼き海苔を目の前にして、このようなものがどんどんゴミになってしまっているのだ・・・、と食を取り巻くしくみに今更ながら疑問が湧く。

とりあえず、我が家レベルではこれをゴミにしない策をあれこれ考えよう。
だけど、明記された消費期限のおかげでおすそ分けはできないしなぁ・・・。

下の画像は焼き海苔で作ってみた佃煮。香りがよくあっさり味でご飯がおいしい。
これで10枚の量。65回分作って配ろうか?
海苔佃煮

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2008年3月 1日 (土)

『パパ ママ バイバイ』

朝日新聞夕刊の【惜別】、
昨夜の記事に土至田勇(どしだいさむ)さんのことが載っていた。1月に亡くなっておられたよう。訃報には気付かなかった。

1977年9月27日、神奈川県の厚木基地から飛び立った米軍機が、住宅のある地域に墜落。
『パパ ママ バイバイ』はそのときのことが描かれた絵本。

作:早乙女勝元 
画:鈴木琢磨
詩:門倉詇

文体はやさしいけれど、描かれている状況や経過、巻き込まれた家族たちのことは何度読んでもカッと熱くなる。

Papamama ・・・・・・・・・・・・
長さ十八メートル、重さ二十六トンものジェット機が、最大限のスピードで激突し、大爆発したのですから、たまったものではありません。機体は翼も胴体も、ことごとくジュラルミンのかけらとなって空中高く舞いあがり、無数の火の玉となって降りそそぎました。エンジンの一つは、なんと九十メートルも吹っとび、林さんの家には翼の一部が飛びこんできました。
しかも、火の玉は、降ってくるばかりではなかったのです。
ドラムカン六十五本にもおよぶ満タンのジェット燃料は、墜落地点から扇のようにひろがって、ガスバーナーの炎のように地をなめ、樹木をかんで走り、火炎帯となって、どっと近所の家々におそいかかったのでした。(P.10-11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「林さんの家」は、土至田勇さんの娘、和枝さん一家の住まいだった。
孫にあたる3歳のユー君は病院に運ばれ、やけどの痛みから声をあげてもがき苦しみ、やがてはかすかな「バイバイ」の声を残して亡くなる。
弟で1歳になったばかり、まだ痛みを伝えることばも知らない「ヤス君」も、「ポッポッポー」とかぼそく歌いながら、後を追うように亡くなる。

和枝さんは、全身8割近い大やけど。
「子どもたちも頑張っている」、それを支えに(子どもたちのことは、和枝さんの症状が重すぎるので知らされてはいなかった)ものすごい痛みが伴う薬浴療法や皮膚移植に耐え続けたという。
それでも1988年には31歳の若さで命尽きてしまう。

パラシュートで脱出していたジェット機のパイロットは、直後に自衛隊のヘリが救助している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ヘリは、)
「地べたにうずくまっている火ぶくれの人や、まだ燃えさかる樹木や人家にはおかまいなしに、ワッサワッサとプロペラを回転させ、またたくまに空高く舞いあがって、消えてしまいました。」(p.14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【惜別】の記事にも、土至田勇さんは「米軍、そして米兵だけを助けて去った自衛隊への怒りは生涯消えなかった。」とある。

「ジェット機の墜落」自体も恐ろしいけれど、血まみれになっている幼い子たちを放置できる「体質」はもっと恐ろしい。

土至田勇さんは無くなるまでの30年間、娘さんの無念を伝え続けたという。
沖縄での米兵による少女暴行では、また怒りと悲しみを新たにされたのだろうか。
自衛隊イージス艦「あたご」による漁船やそこに乗る人を、まるでゴミを蹴散らかすかのようにした航行とその結果を知らずに亡くなられたのは幸い。

『パパ ママ バイバイ』には、【惜別】の切抜き記事を添えておこう。
絵本と共に時おり読み返し、ほんの少しでも「無念」を私も誰かに伝えていきたい。

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