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2008年3月17日 (月)

エクサさんのこと

エクサさんから初めてコメントをいただいたのは、今のブログの時ではない2006年のときのこと。
ブログを通じてのやりとりでは、真面目でユーモラスでもあるけれど繊細さを感じさせるものが伝わってきた(私だけの受け取り方かもしれない)。
その後、私は当時のブログを閉鎖してしまったのでつながりは切れた。

何となく気になり、しばらくはエクサさんのブログをのぞいていたけれど『小さな花ひとつ』からはコメントしたことはない。

Siroihana 昨夜KATEKさんのブログに寄せられたコメントから、そのエクサさんが亡くなられたことを知った。
エクサさんのお友だちが、(エクサさんのブログに)ブックマークされていたところにコメントを通じて報告されたよう。

数ヶ月ぶりに訪れたエクサさんのブログは、名前は変わらず「この世界で生きてゆくために」。
以前は生活ぶりを明るくユーモラスに記述しようとされていた。
ところが最近のものは、まるで大きく開いてしまった傷口からドクドクと真っ赤な血が流れ出しているかのよう。
更新に間があき出した頃から、少しずつ苦渋が文面に滲み出してきている。

「やさしくまじめな好青年」と紹介されていたプロフィールが、いつの間にか「タダの馬鹿な男」に変更されている。

大好きだった車で亡くなられたとのこと。
たとえネット上であっても、かつて交叉したことがあり、ましてや何か心にひっかかるものがある人だった。
その人がどのような「事故」であったのか知る由もないけれど、苦しみのまま亡くなられた。
(「心の死、自我の崩壊。2.26事件、その3」 とタイトルされた最後のエントリは亡くなられる前夜 訂正、2月15日夜。)

エクサさんのブログをさかのぼって読んでから床に就いた昨夜は、ほとんど眠ることをしていない。
明るくあったかい朝日を感じて一瞬気が晴れたものの、直後には「もうエクサさんはこの光を感じることはないのだ」との思いが込み上げた。

人が死ぬことは悲しい。
肉体が傷ついて血が流れたまま死ぬのはこわい。
心から血が流れたまま死ぬのはこわい。

どのような形であれ、寄り添うことができるのは生きているときだけ。
冥福を祈ることだけしかできないなんて悲しい・・・。

お会いしたことはないけれど、エクサさんには白い花が似合うような気がして生けた。

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コメント

りんさん。おはようございます。私もショックでした。亡くなられたこと,ブログに書かれていたこと。「最終楽章」だなんて。昨日はずっとそのことが気にかかって。何も出来なかったというのは当たり前といえば当たり前なのですが・・・ともかく悲しいです。

投稿: KATEK | 2008年3月18日 (火) 06時44分

まちがい(たとえいたずらのようなものであっても)の可能性もある、と祈るような気持ちでしたが、やはり事実のようでした。
もし意思的なものなら、たとえ精神状態がどのようなものであれエクサさんは人を巻き添えにされるような方ではないことは確信していました。
知った限りでは、壁に衝突されたようです。

仕事をしているとき以外は、いまだにエクサさんのことが頭と心を大きく占めてしまいます。
気がつけば、エクサさんのブログに飛んで過去ログに読み入っていたり・・・。
いけませんねぇ~。

人と人は関わりながら生きているのに、エクサさんともたとえ短期間でも、ネット上であっても、交流した人なのに、な~んにもしなかった・・・、ということがこたえているのかもしれません。

投稿: りん | 2008年3月19日 (水) 17時53分

りんさん。こんばんは。りんさんのようにブログに書こうと思っても,なかなかできません。壁に衝突したのですか・・・わたしなど,エクサさんのブログに紹介していただいていたのに,何も知らず・・・突然,ブログに遊びにいらっしゃらなくなって,どうしたのかなとは思っていたのですが,こんなことになるなんて。「やさしくまじめな青年」でいられなくなったのはなぜか,いろいろ考えてしまいます。でも,なんにもならないのです。やはり悲しいです。

投稿: KATEK | 2008年3月19日 (水) 19時53分

りんさん、こんばんは。
エクサさんは、少しコメントいただいたことがありました。
クリスチャンでいらして、そのような内容でした。

人を急に失うのは辛いですね。
このように、一人ひとり、命があることを身近な人(ネットでも親近感を持っている人はそうでしょう)で改めて知ります。
遠くの命にも、思いを馳せたいです。

投稿: pianocraft | 2008年3月19日 (水) 23時35分

KATEKさん、こんばんは。
本当に、なんにもならないし、悲しいです。

きのう友人と会ったのですが、その友には心を病んでいる友人(仮にAさんとでもしておきます)がいます。
自傷行為も数回あったそうです。
友は人が亡くなる悲しさをよく知っている人なので、Aさんに言っているそうです。
「真夜中でも『来て』と言われたらすぐに行くし、『そばにいて』と言われたらずっとついててあげる、だから私の為に、死ぬのだけはやめて」と。
実際に友は忙しい人なのに、携帯メールが入れば最優先でAさんのもとにかけつけています。

私も友を見習って、大切な人にはもちろん、どこか気になる人の苦しみにはきちんと向き合うようにしたいです。
「なんにもならない」のは悔しいし、もしかしてそうならなかったかもしれない死はあまりに悲しいです。

投稿: りん | 2008年3月20日 (木) 00時34分

pianocraftさん、こんばんは。
>遠くの命にも、思いを馳せたいです。
私も強くそのことを思っていました。
遠い地で戦争や紛争、貧困が引き起こす飢餓や疾病などで亡くなる人はたくさんいます。その数だけ私のものなど比にはならないほどの悲しみがうずを巻いているのですね。
その悲しみに鈍感でいることを戒めなければ。
決して「どこか遠くの知らないところのこと」ではないし、またブログの記述から読み取れるエクサさんの苦しみも「個人的なこと」ですませられるものではありません。
世界にも、日本にも苦しみや悲しみがいっぱいで、そう思うとクラクラしてきますが、でも少しでもよくしていくことをあきらめたり放棄してはいけないですね。

おそらくエクサさんもそのような考えの方だったと思います。

投稿: りん | 2008年3月20日 (木) 00時35分

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