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2008年4月28日 (月)

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

観たい映画がたくさんある中で、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を最優先とした。
「社会変革」を目指して鮮烈に生きた若者たちと、その時代背景をぜひとも知りたかった。

50%を超えたという「あさま山荘」突入の実況報道番組に見入っていた1人でもある。
大学入学そうそうには、構内で赤いヘルメットをかぶりマスクをした一群が真横を駆け抜けていき、度肝を抜かれた。
それでいて、目の前で見えていても、自分にとっては「あさま山荘」のテレビ中継と同じく、まるでドラマの世界のような感覚しかなかったことを覚えている。
当時は、同じ世代の彼、彼女らが何を考え何をやろうとしているのかなど、全く関心がない生活をしていた。

映画は大まかにみて3部構成。
ニュース映像をたくさん使いながら激動期の世界を描いていくところから始まる。
1960年の安保反対闘争、ベトナム戦争、ケネディ大統領の暗殺、中国の文化大革命、パリの5月革命、そして日本の学費値上げ反対闘争や三里塚の戦い・・・。

世界的な時代のうねりの中で社会正義を求める若者たちが活動に身を投じ、党派内闘争を経て連合赤軍が結成されていく。
その経過は、具体的でわかりやすい。
12人が犠牲となった「総括」も克明に描かれる。

そして、いきついたところが「あさま山荘」での抵抗戦。
若松監督所有の別荘を実際に壊しながら撮影されたとのことであり、リアリティに富む。
かつて見たテレビ中継を思い出させるが、そこではうかがい知ることができなかった内部の状況を連合赤軍側から描き出す。

徹底検証に基づいて制作された190分は、集中力を途切れさせず見応えのあるもの。
若松監督は言う。
「あの時代、彼らは何に怒り、立ち上がり、全てを捨てて闘おうとしたのか、権力側からの視線でなく、実録としての作品を残す」
その思いは確かな形として残ったに違いない。

それでも・・・やはり私には相変わらずわからない。
「武器によるせん滅戦」による勝利(目的達成)の目算はあったのか?
なぜ、「総括」と名を打った仲間への余りにも凄惨な暴力を為し得たのか?

同じ時代に生きていながら、「連合赤軍」の若者たちに思いを馳せたことはなかったけれど、遅ればせながら、やっと少し考え始めた。
いまのところ、「狂気」としかとらえることができないものの、ではなぜ社会正義を目指していたはずの彼らが、正義とは程遠いその「狂気」に陥ったのか・・・?
それは、たとえ「実録」の力作であっても、鑑賞すればわかる、といった安易なものであるはずもない。

学生運動とは全く関わりなく過ごしたけれど(衰退期ではあった)、もし友人がそのメンバーであり誘われたなら自分もその「狂気」とは無縁であり得た、という自信はない。
そんな風に考えてしまうほど、映画で見た彼らは身近な存在のようにも感じた。

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2008年4月21日 (月)

済州島四・三事件60周年“共に歩もう 平和への道”

今頃書いているけれど、19日の話。
急に誘われて仕事を終えるなり【済州島四・三事件60周年記念行事 “共に歩もう 平和への道”】の会場であるクレオ大阪に駆け付けた。開演間際で既にぎっしり満員。
席を確保してもらっていたので前から5番目中央あたりに位置取ることができた。前にも周りにも、かなりのご年配の方が目立つ。

すぐに第一部開始。お話される金石範氏と聞き手として高正子さんが登場。

厳しい表情に見えた金石範氏だけど、穏やかで温かみがありながら力強いお話しぶり。信念とお人柄、どちらもが伝わってきた。
(デビュー作『鴉の死』、代表作『火山島』(3巻までだけど)、どちらも書棚に並びながら実のところ私は読んでいない・・・。)
お話の内容は、4月17日の朝日新聞[opinion]に掲載されたもののほぼ同じ。

【新聞記事よりほんの一部抜粋】
済州島では四・三事件はタブーとして歴史の闇に葬られ、一切の記憶が抹殺されてきた。記憶のないところに人間は存在せず、歴史はない。
見てはならぬ、口を開いて話してはならぬ、耳で聞いてはならぬ。外部からの恐ろしい国家権力による記憶の他殺。権力に対する恐怖からくる島民自身による記憶の自殺。抹殺された記憶は内への深く無意識の世界に沈みこんで、やがて忘却になり、死に近い沈黙に至る。】

記事は、文学者らしい巧みな表現で綴られているが、檀上ではお話は「いきつもどりつ」もあったかな
とはいえ、生で語られる言葉を少しも聞き逃したくないし、一言一句でもたくさん聞いておきたかった。ご高齢でありながら今もお元気なことが何よりうれしい。
時間の制約があり、高正子さんがまとめを、と促されたのに対して、「いや、あんたがしゃべればいいよ。思いは同じだし、これからは若いもんがやっていかなあかんのやから」と返されたようすも自然体。

これを受けて
「私たち2世はこの四・三事件にどう向き合えばいいのか?
命からがら日本に戻ってきて、『語れないこと、忘れたこと、なかったこと』にしている人たちが少しでも語られるよう、話を聞くということをやっていき、心を解放して人間らしく共に生きていいきたい」
と、高正子さんは結ばれた。
この方は、済州島を故郷にもつ生野生まれの方。民族文化としての言語や芸能を教えておられるとのこと。

続く第二部は「民俗クッ」
パンフレットには下記のような紹介文がある。
【「クッ」とは、韓国のシャーマン(シンバン)による巫俗儀礼のこと。本作品は済州島の方言による演劇、歌、演奏、と本来は宗教的な儀礼であるクッが結びつき、芸術公演であると同時に慰霊の儀式である。このような公演形式を「民俗劇」ではなく、あえて「民俗クッ」と呼ぶことにした。この民俗クッによって、四・三でひと言も発せず死んでいったすべての死者を慰め、今を生きる私たちの胸に積もったしこりも解くことができれば幸いである。】

在日シンガーの李政美さんの歌、崔相敦さんによる詩の朗読などに続いて、死者の魂を慰霊するクッ。
実にこれは圧巻だった。
巫俗儀礼を演じるのは劇団員であり、場所は舞台上。
それでいて、歌や演奏、踊りを通して醸し出されるものが会場を包み込み「舞台」を感じさせない。
第一部では実は眠られていたお年寄りたちもおられたが、今やしっかり前方を向き、そればかりか何人もの方が席を立たれ前と進まれる。
舞台へ続く短い階段の上り下りさえご不自由なご高齢の方がほとんどなのに、次々と舞台に置かれた祭壇に祈りをささげ、お金を供えられるだ。
演じる者も、席にいる者も、心から死者の魂を慰霊する時空が続く。

儀礼の歌の字幕がスクリーンによって日本語で紹介されているので、流れがある程度理解できる。(でも、理解しぞこないの可能性もある)
死者の為に極楽の門が開かれるよう祈りの歌は続き、開かれたところで、シャーマンたちは舞台から降りて客席通路へ。
そこには幅1メートル、長さ10数メートルほどの白布が4人の持ち手によって捧げ持たれている。
何と、先頭のシャーマンが1歩を踏み出すと、布は中央から二つに裂けていく。
まるでモーゼが割れた海中を進むときのよう。

厳かで悲しみをたたえる儀礼から、やがて「神遊ばせ」の歌へ。
シャーマンたち(といっても演技者なのだけど・・・)は一転、表情に笑みをたたえ陽気に奏で歌い踊る。会場の人たちにも誘いをかけ、それに応えたたくさんの方々が舞台上に上がり共に音楽に合わせて踊る。
「生きて踊る喜び」、これもまた死者への深い弔いが込められたもの。

金石範氏のお話が聴けたことはとっても良かったけど、さらにこの巫俗儀礼にはすっかり魅せられた。

「おもしろい」と表現しては不適切かもしれないけれど、実に韓国朝鮮文化がおもしろく豊かなものに感じられた済州島四・三事件60周年祈念の集いであった。
近いうちにぜひ済州島を訪れたい!(でも、無理かなぁ・・・)

尚、当日いただいたビラの中に「4.3事件」関連テレビ番組の案内があったので書きとめておきます。

NHK ETV特集
「悲劇の島チェジュ(済州)」
~「4.3事件」60年目の真相究明~
放送 4月27日(日)22:00~23:29
出演 金石範(作家)、李鳳宇(映画プロデューサー)
語り 広瀬修子

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2008年4月17日 (木)

セリごはん

気がつけばずい分、更新に間があいている。忙し過ぎたここ10日ばかりをようやく乗り切って一息ついた。
疲れは一番目にくるようで、パソコンやテレビの画面を見ると目が痛い状態が続いていたが少しはましになってきたよう。
パソコンの画面を注視することが欠かせない仕事だから、ある程度の負担は覚悟せざるをえない。
何かと不健康を助長するパソコンだけど、人との関わりがとても楽しみな私にはこの仕事は、心の健康に大いに寄与してくれているかもしれない。

友人たちからも、健康に関するアドバイスをいただいて、そのひとつに「ビタミン豊富な食事を」というのがあった。
これは日常に大切なことなのだけれど、忙しいときはつい自分の食事になどかまっておられない・・・。
で、きょうの休日は遅ればせながらアドバイスに従って、春野菜をたっぷり取り入れてご飯作り。

メニューは
・セリごはん
・鰹のタタキ、たっぷり野菜&新ワカメ添え
・わけぎの酢味噌和え
・ゆし豆腐、納豆入り

セリご飯
鰹たたき
わけぎ酢味噌和え
わけぎ
生わかめ 
ゆし豆腐と豆乳
春野菜の香りとほろ苦さはとても好き。
セリは子どもの頃はもちろん、20年くらい前までは子どもたちと散歩途中で摘みお惣菜にしていた。今頃はどこに行けばあるのかの見当もつかない。
今回のものは、近くの無(低)農薬、有機栽培の農園直売所で買った。
濃色の緑が、さっとゆでると魔法をかけたような鮮やかさに。
(同じく生ワカメの、茶から緑への変身ぶりも小気味いい。そういえば、セリを写しておくのを忘れた・・・)
炒りごまは、もう一度さっと炒ってから切りごまに。
あら塩はホイルにのせて、高温のオーブントースターで焼いてさらさらにしておいた。
あとは炊きたてごはんに、しぼって小さく切ったセリと塩とゴマを混ぜ合わせるだけ。

鰹のたたきは、いつもそうだけど「サラダ」と言った方が適当かと思うくらいたっぷり野菜をのせる。冬は大根がメイン。春は新ワカメかな。きゅうりや青じそ、かいわれ大根、針生姜、ネギ・・・などの香味野菜もたっぷりと。

わけぎは大好物で、この季節にはしょっちゅう買う。かつて採れたてをいただいたことがあるから、売っている状態のもののが既にどれだけ手が加わっているかを知っている。
前述の農園の作業場でも見かけるのだけれど、泥だらけのわけぎをたらいの水でよくすすぎ1本ずつ薄皮を剥き、きれいに束ねる。
収穫してからさらに、この腰も痛くなる地道な作業を加えて画像のものが200円・・・。
(ここで買うおいしい野菜をいただく度に、いつも「ありがたいなぁ」と思う)

そしてkojiさんに教えていただいてすっかり気に入った「ゆし豆腐」。
おいしそうな豆乳(たいていニガリもセットされている)を見つけると作る。
オリジナルの「納豆入り」がまたおいしい!

ごはんを作る意欲が出てくるのは、体調の回復のしるし。
そしておいしいものを食べてまた元気になる、と好循環へ。

外は大雨で時に雷も轟く悪天候だけど、明日もいい一日が待っていそう。

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2008年4月 7日 (月)

無理のできない年齢だ・・・

パソコン関係の仕事をしているので、「パソコンが大好きで得意としている」と思われがちだけど、実はそうではない。

できるなら何でも手書き(描き)でやりたいし、「機械モノ」全般はそもそも苦手。
ただたとえば文書作成で言えば、字が下手でレイアウトセンスも乏しい私は、手書きで美しく文書を仕上げるにはたくさんの時間と紙を要する。
それでいて、「字がへた」は改善されないので出来上がりに満足しない。
ところがパソコンを使えば、レイアウトをさまざま試みても時間はたいしてかからない。もちろん字も整っている。
同様に、表計算ソフトを使えば複雑な計算を容易にしてくれる。
あるいは、グラフィックソフトを使えば、絵心のない私でもそれなり(本当にソレナリレベルだけど)の絵が描けてしまう。

そういった魅力から、各種ソフトの機能を覚えて長年デスクワークにも利用してきた。
パソコンそのものの理解度や操作力も充分こと足りていたのだけれど、昨年たまたまインストラクターという職についてからは、「足りない」ことばかりになってしまった。

その「足りない」ことを補う為に、時間を見つけては勉強し続けている。
さらに、WindowsがVistaに、Officeソフトのバージョンが2007に移行したことに伴い、勉強時間はかなり増えた。
無理をしているという自覚は多少あったけれど、「人に教える」という仕事の性格上、ある程度無理をせざるを得ないし、何とか身体もついていくだろう、という過信もあった。

でも、やはり無理のできない年齢であったよう・・・。
数日前、全般的な不調に加えて、左目の下部が小さくピクピク動き、止まらなくなった。
(画面を見続けるので目への負担は大きい。)
よく見なければわからないほどの小さなけいれんだけに、「動いている」という感覚がない。(鏡で見てびっくり!)
以前からごくたまに右目に起きたけれど、それは「動いている」ということが感じられていた。

症状が顔に出たことがショック!
「動いている」ことが自覚できないことがショック!

で、すぐに日課の見直しをすることに。
睡眠時間や適度な運動の確保、パソコンの制限・・・。
あるいは、目薬のこまめな点眼や、目に良いといわれるサプリメントの服用・・・。
その効果のおかげ?で今は止まっている。

ああ、でもなぁ・・・。
「いい仕事、納得のできる仕事」をする為にはそんなことしていられない!という焦りがはや出てきている。

歳を重ねてから苦手分野を仕事とするのは、やっぱり大変?
いえいえ、大変さよりこの年齢で新しいことにはまり込むことのできる喜びの方がずっと大きい。

とはいえ、「無理」を重ねたら、結局好きな仕事から「撤退」せざるを得ない結果にもなってしまいそう。
「バランス(のとれた生活)!バランス!」と、お題目のように唱えるだけではなく、実態を伴わすことが必要なことは十分わかったのだけど・・・。

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2008年4月 4日 (金)

魅せられました「ピナ・バウシュ」の『フルムーン』

こんな舞台は初めて!
圧倒的な迫力、水と生命の躍動。
鍛え抜かれた身体が満月の妖しげな引力に導かれ、きらめく水をまといながら命の輝きを踊る。

緞帳は始めから降りていない。
ホールに入った時から、既にピナ・バウシュの世界が始まっている。
舞台にあるのは巨大な岩ひとつ、そして川。

上部から時に一滴ずつ、そして舞台の幅いっぱい、滝のように水は落ちる。
男も女も全身に水を浴び、駆け抜け、跳ね踊り、座して水の中を進む。
あるいは水をバケツですくってはほうり投げ、舞台一面、大輪の花火の美しさにも優るきらめく水の軌跡があふれる。
漆黒の背景に光を受けて輝く、ほとばしる水と生命のエネルギーあふれる身体。

始まりは、静寂の中に立つ男性2人が、ペットボトルを強く振り下ろす空気の振動音だった。
たくましい腕から「シュッ、シュッ」と繰り返し奏でられる。
「いったい何が始まっていくのだろう・・・?」と初めてのピナ・バウシュの世界に戸惑いと期待・・・。

結果、20分の休憩はあったけれど、心も身体もくぎつけの2時間。
余韻は今でも残る。(4月2日の水曜日に鑑賞)

会場である、1848人のキャパがある滋賀県びわ湖ホールの大ホールは満員。
外国人の方もちらほらとお見かけしたけれど、日本でこれほどの人気があったとは。
私はKATEKさんのブログで関連記事を読むまでピナ・バウシュのことは全く知らなかった。
興味をもったところを、すかさずpianocraftさんから「近く、滋賀県で公演がありますよ」と教えていただいた。

で、ちゃっかり行ってしまった。
お二人に感謝、です。
あ~、本当に良かった!
いつかもう一度、観ることのできる機会はやってくるだろうか?
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団、また観たいなぁ~。

*ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団や『フルムーン』についての情報はこちら
*『フル・ムーン』のビデオもちょっとだけ見られます、こちら
このビデオの2分間だけでもドキドキしっぱなし。これが舞台の上だなんて信じられます?

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2008年4月 2日 (水)

「後期高齢者医療制度」はひどい

「どのように生きるか」と同じように「どのように死ぬか」は折につれ、頭をよぎる。

まだまだ生きることに未練いっぱい。
それでも「使い痛み」による身体や頭の衰えは実感するところ。
「あと何年くらい人生を謳歌できるか?」は未知で、自分では見極めることができない。
でもどうやら「国」としての線引きは75歳ということらしい。

「後期高齢者医療制度」、(ひどい呼称、でも「長寿医療制度」も白々しい・・・)
これは「もう十分生きたでしょ、そろそろ心の準備を」という宣告か。

75歳以上の人は健康保険や国民健康保険から追い出され、「後期高齢者医療制度」という別枠に入れられた。
昨夜のNHKニュースでは、「年金から天引き」「滞納注意」「保険料免除有り」にポイントを絞って説明していたよう。(番組の一部しか見ていない)

それらも関心あるけれど、「『後期高齢者』とそれ以下の世代で、病院・診療所に払われる診療報酬に格差がつく」ということの実態について詳しく知りたい。
これが導入されたら、病院・診療所は、経営の悪化につながる「後期高齢者」への十分な医療はしなくなるのでは?

「後期高齢者」は、介護保険料と合わせて年金から天引きされ、しかも満足な医療は受けにくくなる・・・。

乳幼児やお年寄り、身体に障害のある方などが医療にかかることが多いのは当然のこと。
乳幼児医療に関しては助成制度がある。もちろん更なる充実は願うところだけど、余りに高齢者に対する医療制度との落差が露骨。
「国」が考える、社会に必要なものといらないもの?

「死」がやってくることには抗えないけれど、その瞬間まではできるだけ、穏やかにせいいっぱい生きたい。
人々がそのように願い、それを保障できる社会に少しでも近づけていくのが「国」の役目であるはず。
「生きててもしんどいわ~」「病気になったらどうなるんやろ~」と弱い立場のお年寄りをさらに追い込むような悪法。
2006年に法令化が決まっていたなんて、ちっとも知らなかった。
冷たい国だなぁ~、とつくづく感じる。

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