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2008年9月29日 (月)

ミニスコーン

KATEKさんのブログにあった、おいしそ~なスコーン画像を見たときから作りたかった。(食べたかった、の方が適切だけど)

2年ほど前はしばしば作っていたことをすっかり忘れていた。
お気に入りのレシピがあったはずなのに見つからない。
で、うろ覚えでかなりアバウトに作った。
(型抜きなどせず、適当に丸めてしまうのは相変わらず)

それでもおいしく出来上がるのがスコーンの魅力。
シンプルな材料と作りで小麦粉とバターの風味が生きている。
形は、オーブントースターで焼くのでかなり小ぶりに。
「腕の乏しさ」はクロテッドクリームが補ってくれたよう。

たっぷりのクリームとジャムを添えて、できたて熱々スコーンをパクパク。
おいしいですよ~。
ミニスコーン

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2008年9月25日 (木)

『命あるかぎり』河野 義行

半年くらい前に、レンタルビデオで『日本の黒い夏 冤罪』熊井啓督を観た。

1994年6月に起きた“松本サリン事件”を題材にしたもの。
その映画のワンシーン。
サリンガスでけいれん状態になった妻澄子さん。
自身も意識がかすれていく中で、河野義行さんは「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」(正確な表現は忘れた)と感じている・・・。

冤罪が、警察とメディア、そして"世間"によってつくられていく過程も興味深かったけれど、何より印象に残ったのはこの部分。

妻となら死んでもいい、という夫婦のあり方
さらに、突然に妻が倒れ、自分にも襲い掛かった重大な症状、その切羽詰った状況にあって、「なぜこうなった?」「これからどうなる?」ではなく、ただ現在だけを見つめる潔さ。

命あるかぎり  その河野義行さんの新著『命あるかぎり』を読んだ。
そしてこの人なら、「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」の思いは事実だろうと確信した。

河野さんは、「もし、母さんと君たちが乗っているボートがひっくり返ったとしても、お父さんは母さんを1番最初に助けるから」と子どもたちに話していたという。
子どもたちへの愛情が薄いのではなく、親の役割は「子どもを独り立ちさせ、社会に送り出すこと」、あくまで家族の母体は夫婦、という考え方によるもの。
もちろん、澄子さんへの信頼と愛情は深い。
また、自分の性格も楽天的と評価されている。
「心配しても始まらない。すべきことに全力を傾け、結果は天に委ねてしまう。」を通してこられたという。

モノに対する考え方も潔い。
「将来のためにという思いで必死に働いて、食べるものも、着るものも我慢して建てた家、あるいは貯めた貯金。そういうものも死んだら、あの世にはもっていけない。そう考えると、家も土地もお金やさまざまなモノは、みんな所有しているのではなく、生きている間だけ使わせてもらっている。」

河野さんは"松本サリン事件"の前もあとも、いつ終わりが訪れるかわからない人生のどの瞬間も愛しみ、自分にとって大切なもの(1番は家族)を最優先に考え、物欲に囚われず今やりたいこと、しなければいけないことに徹してこられた。

このような河野さんならば、突然訪れた終わりの(と思われた)時が、「最愛の妻とならそれも良し」だったのだろう。
そしてまた著書にもあるように、
「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」
を貫くことができるのだろう。

澄子さんは14年間もの闘病後亡くなられてしまったけれど、被害に合われるまではもちろん、その後も義行さん(と子どもさんたち)と過ごされた日々は幸せではなかったろうか、と読後は感じられた。
それでも、「でもこんな事件に巻き込まれなかったらもっと幸せだったろう・・・」とチラと考えてしまうところが「河野さん」になれない所以。

今回は主に「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」にこだわった取り上げ方をしたけれど、もちろん冤罪やマスコミ報道などについても、とても示唆に富んだものとなっている。機会があればぜひ一読を。

「いろいろな人がいるなぁ」とまた河野さんのあっぱれな生き方にも感心した。
自分は自分の生き方を見失わずまた否定せず、少しずつでも膨らませながら命あるかぎり日々を愛しんでいきたい、と思う。

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2008年9月19日 (金)

「秋の味覚」はやっぱり栗から

秋という季節は何を食べてもおいしいから、改めて「秋の味覚は?」と考えてみると、「果て・・・?」となってしまうかもしれない。
かろうじて野菜や果物の一部に判断がつく程度で、魚介類となると、秋刀魚くらいしかわからない。
随分、旬の食材に鈍感になってしまったよう。

父や母は、まずは年に一度であっても松茸を食卓に上げてくれた。
子どもの味覚にも、それはそれはおいしく、舌触りやふんわりと包み込むような香りは確かな記憶として残っている。
とはいうものの、もはやあのおいしかった松茸は手に入りそうもなく、我が家の食卓にあってはすっぱりあきらめている。

ここ数年、秋の気配を感じ出すとその出番を待ちかねるのは栗。
今年もさっそく栗ご飯に仕立ててみた。
栗赤飯にするか普通の栗ご飯にするか、ちょっと迷った挙句「ええい、それならどっちも作っちゃおう」という結論に。

「思い立ったらすぐする調理」に役立ってくれるのは、圧力鍋と昆布水。
栗を蒸す、小豆を煮る、赤飯を炊く、どれも圧力鍋を利用。
普通の栗ご飯は炊飯器で炊いた。
ご飯の水は、いつも冷蔵庫に常備している昆布水(ろ過した水に昆布をつけてある)を使用。

栗の皮をむくのに少し手間がかかるけれど、このおいしさは止められない。
シーズン終了までに何回炊くことになるだろうか・・・。
栗赤飯
栗ご飯
炊き上がってすぐで、まだまぜていない。(余りに栗が多すぎ、とよく言われる・・・)
栗ご飯2種 

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2008年9月14日 (日)

ペシャワール会「アフガン報告』

講演を聴きに行くのは随分久しぶり。
数日前、新聞大阪版で今日の「ペシャワール会」講演会が目に止まり、運よくシフトは休日にあたっていた。
大きい声では言えないけれど、講演者が中村哲医師でないのがちょっと残念。
実は中村哲医師の大ファン。
講演のお話の中で、中村哲医師のおじいさんが映画『花と龍』にも登場する若松港石炭仲仕の親分、玉井金五郎であることを知った。
私はけっこう明治時代くらいの任侠道というものに惹かれている。
筋を通す、弱い者をほっておかない、そして度胸と行動力(さらには絵になるかっこ良さ)・・・。
もちろん知っているのはホンモノの世界ではなく、緋牡丹博徒シリーズや高倉健主演で描かれる任侠映画の中だけなのだけど。
そんなわけで、出自を聞いてみれば、「なるほど!」とひとり中村医師が漂わす型破りの魅力のルーツに合点がいってしまった・・・。

さて前置きはこのあたりにしておいて、今日の講演について。
大阪中之島の中央会館で2時から4時まで。
講演者は「ペシャワール会」事務局長の福元満治さん。
1時半からの開場から講演開始までにスクリーンに映し出されたのは、かつて放映されたNHK『知るを楽しむ』の中村哲医師。見逃したことを大いに後悔していただけに、早く出向いたことでとっても「トク」をした気分。

長い戦乱で荒れ果てた上に2000年から始まったアフガンの大干ばつ。
中村医師は、井戸掘りやカレーズと呼ばれる現地の地下用水路の整備、さらには用水路の建設に乗出す。
独学で用水路工学を学び、現地に適応した材料(豊富にある石)と方法(現地の人は皆、石工といえるほど石の加工に長けている)で用水路を拓いていく。
用水路ができるとの話が伝わり続々と村に帰ってくる難民となっていた人たち。
彼らは、やがては自分たちの生活を支えるであろう用水路建設にせいを出す。
ペシャワール会が支払う多くはない日当が彼らの生活の糧。
初めて水を流した時の中村医師や現地の人たちの笑顔。
水が流れた地域に半年ほどで蘇った緑・・・。

講演でも福元氏により用水路建設を含むペシャワール会の活動が紹介された。
先のテレビ録画と共に、現地からの直接の報告はストレートに心に響く。
このような活動に携わっている人たちに心から敬意を表したいし、またそのような人たちがいることを誇りにも思う。

現地で語る中村医師の頭上で、「アフガンの民主化」という大義名分を掲げて爆音高くアメリカ軍の反政府勢力への攻撃ヘリが飛ぶ。
どちらの行為がそこに生きる人たちの力となるか、また自分はどちらの行為に賛同すべきか、それは余りにはっきりしている。
自分はただ賞賛と憧憬を感じるだけで何もできないけれど、これを機会にペシャワール会の会員にはならせていただきたい。

心身共にお疲れだろうに福元さんは弱音を吐かれはしないものの、やはり伊藤さんのことでは随分苦しまれていることは伝わってきた。
防ぎようがなかったとしても「死なせてしまったこと」の悔い、ペシャワール会に向けられている「生命をかけた」活動への非難・・・。

治安の悪化を感じてペシャワール会でもセキュリティ対策をとっていた。
それを超えて事件は起きてしまった。
伊藤さんの殺害者は難民キャンプで育った人であるとのこと。
難民キャンプは大規模で「本当に何もないところ」であるらしい。
何もないところで支配するのはお金。
アフガンの農民たちが難民になどならず、ふるさとの地で暮らせるよう全力を傾けられていた伊藤さんが被害に合われてしまったことは本当に悲しい・・・。

ペシャワール会の活動は、投げ出さず必ず継続すると福元さんは言われた。
会員にも一人の脱会者も確認されていないとのことだから、さまざまな非難をする人たちはむしろ「人ごと」の立場でものを言っているのだろう。

疲労困憊であったろうに予定通り大阪まで出向いてくださった福元さん、お世話になった大阪ペシャワール会の方々に感謝したい。
アフガンの現地に暮らす人たちとペシャワール会の息吹が伝わる講演をありがとう!

中村哲医師 中村哲医師とペシャワール会関係の書籍はたくさんありますが、まずは岩波ブックレットはいかがでしょうか。読みやすくわかりやすいです。

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2008年9月10日 (水)

『死ぬまでにしたい10のこと』

『死ぬまでにしたい10のこと』イザベル・コイシェ監督のDVDを観た。

23歳のアンは、17歳で子を産み今では2人の母親となっている。
夫はやさしいが経済力はなくトレーラーハウスでの暮らし。アン自身も夜は清掃の仕事に就いている。
そのアンはガン末期で余命2、3ヶ月との宣告を受ける。
一人コーヒーショップで「Things to do before I die(死ぬまでにすること)」を手帳にリストアップしていくアン。

・娘たちに毎日「愛してる」と言う。
・娘たちの気に入る新しいママを見つける。
・娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
・家族でビーチに行く。
・好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
・思っていることを話す。
・夫以外の人とつきあってみる。
・爪とヘアスタイルを変える。
・誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する。
・刑務所にいるパパに会いに行く。

An1_2 やりたいことが何一つない、という人生は考えられない。
何歳になってもやりたいことは必ずあるだろうから、訪れる「死」がいつであってもきっと未練いっぱい。
でも少なくとも、今それが自分に訪れたとしても23歳の時よりはずっと受け入れやすい(と思う)
少なくとも私は、アンが記した10項目の意味合いが十分理解できる経験と年齢を既に重ねている。
この10項目には性差や年齢、経験などによって感じるところはさまざまだろうけれど、私には大いに納得、いやそれ以上に感嘆さえ覚える。

映画の原題は『My life without me』
若くして結婚したアンは夫以外の人ともつきあい「やり残した」自己の欲望を成就させていくが、何よりの望みは、自分がいなくなったあとも愛する者たちが幸福であること。
これは、愛する者を残して自分だけが逝くことの恐怖、悲しみ、恨みにとりつかれることのない唯一の救いであるのかもしれない。
愛する者がいること、その者たちの幸せを心から願えること、それだけが死を安らかに迎えさせてくれるような気がする。
もちろんそれは、生きているときも何より安らかさや力となってくれるもの。

「死」のことは機会あるごとにいろいろ考えるが、実は『楢山節考』のおりんばあさんのあっぱれな生きざま、死にざまに大きな影響を受けている。
これからは「死」について考えるとき、この映画のサラ・ポーリー演じるアンのことも必ず思い出すに違いない。

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2008年9月 4日 (木)

手作りひろうすはいかが?

豆腐料理は何でも好きで、「揚げだし豆腐」は時々作る。
でもそれ以上に好きなのが「手作りひろうす」。
「飛竜頭(ひりょうず)」や「がんもどき」とも言う。
市販のものは煮物にしかしないが、自分で作ったときは必ず揚げたてをそのままいただく。

「秋のメニュー」の食材はまだこれと思うものが見つからず、昨夜は久しぶりにひろうすを作ってみることにした。
買い物に行くと、小ぶりの天然つばす(4つの切り身)が100円で売られていたのでそれも買ってしまった・・・。
というわけで小食の私にはちょっと食べ切れそうもない夕食メニュー。

夕ご飯
はまちがハバをきかしているけれど、何といってもメインはひろうす。
しかも揚げたてアツアツ。塩味しかつけていないけど、大根おろしだけで十分。
幾つでも食べちゃうほどのおいしさ!

調理も特にむつかしいことはなく、てんぷらができる人は大丈夫。(実は私は天ぷらが苦手で、なかなかうまく揚げることができない・・・)
豆腐の水切りさえしっかりしておけば、失敗はない。

ひろうす
【すり鉢で混ぜ合わせた材料】
・すった炒りゴマに(布やペーパタオルなどでしっかり水切りした)豆腐、おろした長いもをなめらかになるまですったもの。
・茹でた枝豆
・みじん切りの椎茸、人参、きくらげ、れんこん
・ぶつ切りの海老
・卵白
・調味料は塩と砂糖も少し
(ネタが柔らかくなるので醤油や酒は入れない)

あとは、小さく丸めてこんがりと揚げる。

多めに作っておけば翌日は煮物にもなる。
昨夜も豆腐1丁で10個になったが、私がペロリと3個、残りは家族がこれまたペロリと平らげ、残らなかった・・・。

さすがに、はまちの煮物は一切れしか食べられなかったが、これまた翌日は煮こごりとなった汁といっしょに炊きたてご飯といただくのもおいしい。

付け合せは常備菜の切干大根の煮物。
香のものは胡瓜の浅漬け、新生姜の甘酢漬け、とゴーヤの漬物(ゴーヤのキューちゃん版のようなもの)
それと出始めの林檎を胡瓜やレーズンと合わせたサラダ。

はまちも切り身にしたものを買ったし、煮物に使った生姜は新生姜を薄切りにして冷凍しておいたものを使ったので手間無し。
ひろうす作りだけに集中した夕ご飯。
揚げ方が相変わらずいまひとつながら、それでもホントにおいしい。
ぜひ手作り、揚げたてのご賞味を!

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2008年9月 1日 (月)

再びやってきた暑さと共に復活

先週は、このまま秋になるのでは?と思ってしまうほどの涼やかな日々。
過ごしやすかったのに、メランコリックな気分にすっぽり落ち込んだまま上昇することができなかった。
とはいえ、もちろん深刻なものではなく、そんな自分を客観的に観察もしていた。
メランコリックな気分が続くということは、自分には珍しいことだから、「どんな状態がいつまで続き、どんなきっかけで浮上するのか?」は興味津々。

どんな状態?
しなければいけないことはするけれど、「やりたい」という意欲が湧かない。
そんなわけで仕事、家事に特にたいして支障はないが、たとえばスキルアップの為に続けていた学習には手をつけない、食事も作るが「おいしいものを!」という積極性はない。
最低必要限以上に外出しないし、電話やメールも自分から発信する気にならない・・・。

「心塞がれる」、そんな感じかな。

先のエントリでも、ここしばらくテレビ視聴や読書時間が長い、と書いたが、実はこの事情も大いに関係している。
何をする気にもならないし、外出もしないので、家にいて「何となくできること」に時間を費やすことになる。
その気になれば、映画館などはもちろん少々遠いところでもパッと出かけてしまう常の自分からは程遠い。

そもそもメランコリックに落ち込んだ原因に心当たりがないわけではないが、それは「原因」というよりあくまで「きっかけ」と言う方が適切。
たとえ悲報や難題がふりかかってきて、それが心を悲しみや苦しみで満たしたとしても、心を開いていることができれば、メランコリックには陥らない(と思う)
悲しみや苦しみなどとメランコリックは切り離して考えたい。

とはいえ、悲しみ、苦しみ、あるいは憎しみなどをもたらしたことの原因は、同時に心を閉ざさせてしまいがち。
私のこのたびのことは、きっかけとなったことも症状も共に深刻なものではなかったので、心に張られたバリケードはどうやらごく薄いもの。
そんな状態とは知らないながらも友人たちから送られてくるメールや、すっかり事情を知っている夫のさりげないいたわりで少しずつ溶けていったらしい。

で、私はもう明るい気分でこれを書いているし、「秋の味覚」メニューにも関心いっぱい。
これもしたい、あそこにも行きたい!と欲張りな自分に戻るのも、おそらくもうすぐかな。

それにしても、ルーティンは何とかこなしていても「やりたい」という意欲に支配されない日々は随分つまらなかった。

画像は、「過ぎゆく夏を惜しむように咲き乱れるむくげの花。まだつぼみもいっぱい」
槿の花

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