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2008年10月29日 (水)

セサミン1週間

胡麻に含まれるセサミンがいっぱい、というサプリメントの宣伝が気にかかる。
「若々しく」という言葉に敏感に反応する年齢になった・・・。

インパクトのある宣伝キャラクターたちにも刺激を受けるが、80歳を過ぎて共に元気な夫の両親も毎日ように胡麻料理を摂っている。
私がよく作る胡麻味噌和えも、元はと言えば夫の母がするのを見て覚えたもの。

「手軽にセサミン入りのサプリ」にも大いに惹かれるが、まずは胡麻料理を毎日1品、という目標を定めてみた。

炒り胡麻でもちょっと炒りなおし、あとはひたすらすり鉢でする。
胡麻をする
■だしと調味料を混ぜ合わせ胡麻和え。
■味噌もすり混ぜると胡麻味噌和え。
■ゆでて水切りした豆腐もすり混ぜると白和え。
シンプルな料理は、具材を変えてれば毎日でも飽きない。

秋茄子の胡麻和え(だしをたっぷりと)
胡麻和え

柿の白和え
柿の白和え
白和え作り

胡麻味噌にネギも加えて、絹厚揚げに乗せて焼いた
厚揚げのねぎ味噌焼き
ねぎ味噌
ちょっと手を抜いて市販の練り胡麻を利用した胡麻豆腐
(意外に簡単で、しかもおいしい!)
胡麻豆腐

おやつもあれこれ、と思っていたが、初日のおはぎの為に炒って砂糖を混ぜた胡麻がたくさん余った。
その胡麻利用の、おはぎ、大学芋、残り食パンのラスク。
おはぎ

大学芋2

ラスク

さて、次の1週間は何を作ろうかな?

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2008年10月26日 (日)

辺見庸講演会

1昨年、大阪中之島であった辺見庸さんの講演は、確か退院後初めてのものではなかったかと思うが、参加することができた。
お身体はご不自由なものの、話には力がこもり、もちろん内容も冴えわたっていた。

その後テレビや新聞でもお見かけすることもないまま(気がつかなかっただけかもしれない)、昨夜大阪の「クレオ大阪中央」で開催された講演会に参加した。
開場15分前に開場に着くと既に長蛇の列、最後尾につくがその後ろもみるみるまに連なっていく。

あらかじめ「風邪を引かれている」というアナウンスが会場にあったが、定刻になると、辺見氏は片足を引きずりながら登場。
壇上の席に着かれると「風邪をひいているのでエネルギーがもったいないから、あいさつ抜きで」と、すぐにお話を始められた。
体調の加減もあるのだろう、1昨年よりも顔は白く、ほっそりと感じられる。

写真、小説や詩など多岐にわたり引用されながら、ゆっくりとよどみなく語られること、実に3時間(途中10分間の休憩)。
実のところ、仕事を終えてかけつけた身にはかなりこたえた。
学生時代はともかく、同じ人の話を3時間聞く、という経験はめったにない。
もちろん、私以上に講演者である辺見さんの負担は相当のものであったろう。
力となっているのは、内面に燃え続ける熱い炎に違いないのだろうが、ご自身まで焼き尽くしてしまうことのないよう切に願う。

さて、エントリの中心は講演内容についてであるべきなのだろうけど、私の集中力は、残念ながら病後である辺見氏に全く及ばず、いたってたよりない。
そもそも多くの文献を引いて表現される深い思索を簡潔にまとめる、ということ自体(私には)無理なことで、表面的な言葉にとどまり真意を伝えきることができていない、と自覚しつつ断片を書き記してみる。

アメリカの金融システムに合致したものが「勝ち組」として「負け組」からすべてのものを奪っている。
茨城と秋葉原で連続して起きた「無差別殺人」の加害者たちの世界からの切断、孤絶感。
「不必要」「無価値」「ガラクタ」「部品」とみなされる人たちに対して痛みを感じる感覚をマヒさせられている。
本当に大事なことは、こうした人たちに対する視線、やさしさ、愛し方。
そのやさしさが本当の怒りを生む
「プレカリアート(アンダークラス)」は、人間なのに一時的な「部品」としかみられていない。
互いにおとしめあう社会にあって脱落する、その生体反応はむしろまともなもの、そうでないものはおのずと狂気である。
【この日の演題は「痛み、あるいは狂気について-"彼"は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」

デジタル革命が人間に与えている影響はとても大きい。
テレビは政治というものを芸能ショー化、大衆迎合的なヒューマニズム化、情報のイメージによる論理の排除、分析的思考を無力化・・・。

今"価値観"は奈落の底に落とされている。
もう「人民」「大衆」「市民」というくくりから離脱し、か細い声でも何かを言うべき。

こうした時代にあって現実に暴動は起きている。しかしそれは内向的なもので、すなわち内向的暴動というのは"自殺"。外への転化が必要。

そして、読むことを強く推されたのが『敗北を抱きしめて』(副題「第二次大戦後の日本人」)ジョン・ダワー著。
我々の"自画像"が書かれているとのこと。(本来は自分で描くくものである自画像をアメリカが描いてくれている。)

お話を聴いた私は読もうと思いながらも先延ばししていたのを「今すぐに」という気持ちにさせられたのだけど、"自画像"の意味合いと共に、このあたりの辺見さんの言葉をうまく拾って伝えることができない。
まずは読んでみて、いずれ感想などをエントリしたいと思う。
(市の図書館蔵書を自宅のパソコンで検索すると、上下巻とも貸出可能という結果。さっそく今日借りてきた。)

何とか文字列にできるのはこんなところでしょうか。
(語られた大切な部分でスポッと抜け落ちているものもあります)
John_dower

ちょっと余談ですが、辺見さんは「記号」表現を真似られ、ご自分のことを「PPG(パーフェクト ポンコツ じいさん)などと称され会場の笑いを誘っていました。

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2008年10月22日 (水)

『医者、用水路を拓く』

「ペシャワール会」事務局長の福元満治さんの講演を聞いてから、中村哲著『医者、用水路を拓く』(副題:アフガンの大地から世界の虚構に挑む)を読み始め、手離すことのできない本となっている。
読まないときも、そっとそばに置いておきたい。

『医者、用水路を拓く』 タイトル通り、医師である中村哲さんがアフガンの地で用水路を開くまで(2001年9月~2007年4月)の活動が詳しく記述されている。
また副題にあるように、「世界」が対テロ、国際支援といった名目でやっていること、またやらねばならないことの実態も鋭くえぐっている。

中村哲医師は、現場でもこの本でも観念的な論理展開や著述はしない。
現地にいて、現地で困窮する人たちに必要なものを見極めて、その改善のために行動する。

用水路建設は当初から計画していたものではない。
命を守り救うはずの医療人、それが2000年夏からアフガニスタンを襲った大干ばつによる深刻な飢餓と渇水の前では余りに無力。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得る。

そのように感じた中村医師に、無力感と妥協しながら、(自分は医師であるのだから)せいいっぱい医療活動を展開する」というような選択肢はない。
(必要なのが水であるなら)「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に水源事業を始めてしまう。

(水路)工事に関しては全くの素人なのに、膨大な水量を10数キロにわたり流す用水路建設(工費は数億円)を決定する度胸。
それを完成させてしまう力量。
(その過程を知ると、これはもう奇跡としか思えない。計画を宣言されたときの中村医師の言葉そのまま「武器なき戦い」と表現されるべきもの。中村医師の精魂かけた戦いだった。)
そして感謝する農民に「水は神様からの授かりもの」と返す感性と驕りのなさ。

まえがきのしめくくりに「武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めを与えればこれに過ぎる喜びはない。」と書かれている。
この本に記述された中村医師ならびにPMS(ペシャワール会)の活動が与えてくれるものは、勇気と慰めにとどまらない。
何より、今の時代を共に生きている人に中村医師のような人がいることがうれしい。

添えられている、豊富な水をたたえた用水路、その水で潤い緑を取り戻した農地などの画像は美しく、アフガニスタンという国とその地に生きる人々に想いを馳せさせる。

さまざまな示唆に富んだこの「宝物」のような本、ぜひぜひ一読を、とお勧めしたい。

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2008年10月19日 (日)

人生の伴侶

朝6時半に雨戸のシャッターを上げた。
シャッターは熱気をはらみ気温が高いことは、上げる前から知れる。
やはり外は快晴。向かいの家の小学生の男の子が、野球ユニホーム姿で素振りをしている。
恐らく今日は試合で、それに備えているのだろう。

既に夫は走り出しているはず。
高知県の四万十で開催されているウルトラマラソン100kmに今年も参加した。
体育会系でも偉丈夫でもない夫が、なぜ走ろうとするのか知らない。
暑さと疲労で消耗した身体でひたすら前へ前へと進んでいるだろう今も、何を考えているのか知らない。

伴侶となって28年、それを知らなくても「行って来るよ」「行ってらっしゃい」の言葉に込めたものを互いに感じ取ることができる。

夫と私は関心領域に共通することが多く、価値観も似通っている。
子どものことはもちろん、政治、文学、映画、音楽・・・、どの分野でもいつも話は尽きない。
それでも互いに知らないところ、理解できていないところはいっぱいある、と思う。
あと何十年、共に暮らしてもそれは同じことだろう。
それぞれが違う人生を歩んでいるのだから。

育ちにかなり複雑な事情をかかえていた私は、夫と結婚して初めて安らげる家庭をもった。
風呂もない狭くて古い文化住宅の暮らしだけど、とても心地よかった。

寒さを感じ出した秋口、夫はピンクの花柄のふかふか毛布を抱えて帰宅した。寒がりの私へのプレゼントだった。
妊娠した夏には、超軽量で持ち運びしやすく風量豊かな扇風機を買ってきた。
どの部屋にいても涼しく、という配慮。
当時、エアコンはもちろん、各部屋に扇風機一台などは考えられない暮らしだった。

28年経った今も、そのいたわりに変わりはない。
たとえば一緒に出かけるときに、私に荷物を持たせることはない。
バッグひとつしか持っていなくてもそれが少しでも重ければ、必ず自分が持とうとする。

たくましく生命力にあふれていると見られがちな私だけれど、夫の目には、か細く繊細と映っているよう。
その夫の包容があるからこそ、私は外では強がりもできるしいっぱいまで無理もできる。

さて、夫もいっぱいまで無理をしていることだろう。
10時間以上も走り続けるのだもの。

明日には、足を引きずり疲れきった表情で「ただいま」と帰ってきて、それが仕事が終わっている時間なら、私は「お疲れさま」と迎えることができる。

そしてまた、伴侶との暮らしが続いていく。
それが得がたい幸せであることをかみしめていたいと思う。

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2008年10月14日 (火)

カトラリーカバー

洋食が食卓に上がることは少ないので引き出しに入っているナイフやフォークの出番は少ない。
さらに陽の目を見ないのが、箱入りセットのもの。
お気に入りで大切なのだけれど、お客様(しかも洋食)の時だけにしか使っていない。
1年に1度もないくらい。
WMF

今、家中のモノの見直しをしているところだけど、そのひとつとしてこのカトラリーセットをもっと気軽に使えるよう、収納の形を変えることにした。
カトラリーごとに重ねてコンパクトにし、引き出しまたは適当な箱に収納する予定。
ただ、そのまま重ねるのは少し気になるので、ひとつずつカバーをかぶせることにした。

このカバー作りがおもしろい!
素材は何種かのキッチンペーパーを試したが、結局「リード」クッキングペーパーを選んだ。
何が決め手、というほどのものではなく出来上がりを並べて比較し、見た目や手触りが一番好みに合っていたから。

端の始末は、直線とギザギザのどちらにするかでかなり迷った。

何度も試したのがミシン掛け。
綿の糸で縫うと、糸調子をかなりゆるめても、ところどころ糸飛びになってしまう。
たまたまあった絹糸で試みると、これが具合いい。
ゆっくり進めると、ふんわりしたペーパーに入る針はとてもスムーズで、手や体に伝わる振動までふんわりとやさしい。

というわけで、「6客×5種」のミシン掛けは、とても楽しかった。
スプーンカバー

カトラリーカバー
すっぽりカバーではなく短いものも作ってみた。
ミニ

皆様も、ちょっと大切なカトラリー用に、こんなカバーはいかが?

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2008年10月 7日 (火)

テレビで見たお好み焼き

たまたまついていたテレビで見た料理関係の番組。
あるお好み焼き屋さんが紹介されていた。(少ししか見ていないので全容は知らない)
こだわりのある店主は、キャベツ、ネギはもちろん良質野菜をさまざま入れて作るらしい。
さらに生地に混ぜ込んだものとは別に、焼き上がりに山芋すりおろしをたっぷりかけている。
お好み焼きにはソース、すりおろし山芋にはしょうゆ、と味も和洋のコラボ。
ちょっと味や食感は想像できなかったが、とても食べてみたくなった。

とは言うものの、この店を探し当てて行ってみるのではなく、真似して作ってみようということ。

で、できたのがこんな感じ。
とろろお好み焼き
お好み屋のご主人曰く「山芋はいろいろ試したが青森産が向いている。」
生協で私が購入したものも青森産。
それは共通でも「プロの焼き上がり」に形状はかなり劣っている。
おそらく味も劣るだろうけど、何といってもこちらは「家庭の味」だもの。

たっぷり野菜が摂れてヘルシーメニュー、食感もさっぱりしている。
好みで言えば、私は普通のお好み焼きの方がやっぱり好きかな。
(そもそも生とろろはあまり好きではない)
でも仕事がハードで帰宅が遅く食事も不規則となっている長男が珍しくおかわりをした。
しかも「とろろもかけてな」と催促。

好みは分かれるだろうけど、皆様も一度お試しを!

ついでにその夕食メニューをご紹介。
飽きずにまた炊いた栗入り赤飯に柿のなます、胡瓜の浅漬け。
(あと1品、汁物がほしいところ)
お好み焼きご飯

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2008年10月 3日 (金)

新しい仕事で1年半

適応力全般が低下した年齢から始めた新しい仕事も、いつの間にか1年半過ぎた。
技量はまだまだだけど、人と人との関わりになるこの仕事はどうやら自他共に認める私に向いたもののよう。

勤務先のパソコン教室はマンツーマン方式ではあるが、練習問題は生徒さんひとりで集中してのぞまれる。
ついていたインストラクターはまた違う生徒さんに対してインストラクションを始める。
これはとても合理的な方法。
生徒さんにすれば(レッスン途中でインストラクターが変わることにもなり)多少戸惑いがあるかもしれないが、メリットも高い。
特に料金に関しては、インストラクターが効率よく動く分、完全マンツーマンスタイルのスクールよりかなり低額設定になっている。

経営者は若い起業家で「やり手の切れ者」だと思うが、そもそも私のような高齢者を採用しただけでも見どころがある(?)。
年齢を聞いただけでシャットアウト、は当たり前だもの。

効率を優先しながらも、生徒さんやレッスン内容によっては柔軟な対応をとっているところもいい。
重いハンディキャップがあり車椅子で来られている方は、レッスン中ずっと私がついていることを希望された。
少しご事情もおありなので教室も了承し、もう1年以上もその方のレッスンは必ず私が担当している。
できることはインストラクションだけなのだけど、信頼して心を開いていてくださることが伝わり毎時間良い交流をさせていただいている。
仕事を通じて人や社会を知り、考えることも多い。家にいる時間も好きだけど、仕事があることはやはりとてもうれしい。

思えば就職直後、職場があるビルの3階まで階段を上る足取りの何と重かったこと・・・。
ため息をつき悲壮感いっぱいで入り口のガラス戸を開けていた。
その時期を乗り越え、おそらくは最後の職場として今この仕事ができることを幸せだと感じている。

但し、年齢上かなりきついことも確か。
パソコン画面の長時間直視は目にこたえるのに、日々の学習(キャリアがないしこれは欠かせない)も含めて1日10数時間も画面に向かうことの負担。
加えて記憶力の低下。
もうだめ、という日が遠くなくやって来るかもしれない。
職場での一日一日も大切に、(密かに)「効率」とはできるだけ距離を置いて、ていねいな仕事をしていこう。

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