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2008年11月27日 (木)

「六一〇ハップ(ムトウハップ)を残してほしい

「硫化水素ガス」を発生させた自殺が急増したあおりで、材料となった「六一〇ハップ(ムトウハップ)」が製造中止になった。

在庫がなくなると、もう全く手に入らないよう。
困る人はいっぱいいると思うけれど、適切な代替品はあるのだろうか?

製造会社、武藤鉦製薬(愛知県名古屋市)とその従業員の打撃と困惑は想像するに余りあるが、利用者(消費者)にとっても、とっても困ったこと。

20数年も前になるけれど、私もこの薬品のお世話になった。
児童福祉施設職員に勤め始めていた夫は、子ども集団で発生しやすい病気にしばしば罹っていた。
そして必ず私もその病気をもらう。

身体のあちこちに痒みをともなう赤い発疹が増え始め、皮膚科を受診すると「疥癬(かいせん)」という診断。

実家の父や母が「戦後やあるまいし、何で今頃疥癬?」と驚いていた。
もちろん治療に有効な六一〇ハップのことも知っていた。
1927年生まれのこの入浴剤は衛生状態が悪かった時期は大活躍だったらしい。

やはり医師が勧めたのは「六一〇ハップ(ムトウハップ)風呂」
お風呂のないところに住んでいたので、知人から大きなバスタブを譲り受けた。
狭い和室の畳の上にビニールシートを敷き、バスタブを置く。
そこに湯沸かし器から湯を張り、六一〇ハップを注ぐ。
部屋中に硫黄の臭いが立ち込める中でしばし湯船に身体を浸す。

バケツで湯を運び、終わればまたバケツで組み上げ流し台へ流す作業も面倒なものなのだけど、それさえ笑ってしまえるくらい若い日の「おままごと」みたいな入浴は楽しかった。
おまけに効果は確実で、続ける内に皮膚もきれいになっていき副作用もまったくなかった。

疥癬は今でも発生しているようだけど、再び罹ったらどうしよう?
効果的な塗り薬があったとしても、何日も塗り続けることは副作用が心配だし・・・。

私は疥癬治療でお世話になってありがたみを実感したが、さまざまな皮膚のトラブル(あせもや肌荒れなども)に効果が有り、一度使った人は手放せないという話も聞いた。

販売中止になった経過としては、日本チェーンドラッグストア協会による加盟店への販売自粛要請から始まり、それが解除されてからも、8割の薬局が取り扱わず売上低迷ということらしい。

既に武藤鉦製薬では十数人いた工場の従業員のうち、すでに半数以上が退職したとのこと。
今頃になって愛用者から「やめないでほしい」とのメッセージがたくさん寄せられている。
かくいう私も今頃「やめないでほしい」と切に望んでいる。

自殺に使われたということで「六一〇ハップ」は一躍ワルモノになってしまいマスメディアからの情報も偏っていたように思う。
自殺の原因は「六一〇ハップ」ではないし、「楽に死ねる」というのも偽りだと聞く。
一時的な販売自粛は仕方ないとしても、そのまま製造中止に追い込まれていたなんて・・・。
(私も含めて)この入浴剤の良質さを知る者たちは、「騒ぎが収まればまた買える」と楽観視し過ぎていたよう。

「惜しい、惜しい、なくなるにはあまりに惜しい」

私も遅ればせながら武藤鉦製薬に「やめないでほしい」メッセージを送ろうと思うけど、マスメディアも、世間の流れをぐっと変え武藤鉦製薬をも再生させるような企画を考えてくれないだろうか?

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2008年11月26日 (水)

二岡選手、ガンバレ!

巨人の二岡智宏選手がトレードで日本ハムに移籍するという。その会見をテレビで少し見た。
プロ野球は、大好きだった巨人の斉藤雅樹投手が2001年に引退してからは熱が冷め、生はもちろんテレビでも観戦することはほとんどなくなった。
二岡選手入団の頃はよく知っている。
ドラフト1位指名予定が複数球団あるのに、2位指名になるはずの巨人を逆指名した。(巨人の1位指名は上原浩治投手)
巨人に固執した二岡選手だけど、もちろん球団の方も「これで巨人のショートは10年間安泰」と、評価と期待は大きかった。
そしてちょうど10年経って、二岡選手は巨人軍を去る。

会見で、新境地での抱負を落ち着いた口調で語る二岡選手の表情はりりしさを取り戻している。
長く苦悩の中にいたようだが、ふっ切ることができたのだろう。
思わず「がんばれ!」と心の中で声援を送る。

テレビも週刊誌もほとんど見ない私でも、二岡選手と女性タレントとのことは繰り返し目にし耳にした。
興味がないから右から左へ抜けるし、どこまで事実か知らない。
二人の言い訳振りは見苦しくてうんざりした。

だけどそもそも何でこんなに皆の関心が集まるの?
何でごくプライベートな出来事が、こうも「社会」の目にさらされ、こぞって非難され裁かれる?
(もっと他に、さらされ非難され裁かれるべきことはいっぱいあるでしょ?)

結果的に野球選手として一流の技量をもつ二岡選手は、完全に所属球団での活躍の場を失った。
(怪我による休場の間に若手の台頭という要素もあったのだけど)

自分がしたことの責任は取らねばならない。
二岡選手は家族に対して責任があるし、子どもたちのヒーローであったことの責任もあるかもしれない。
でも追い詰められたのは(本人ばかりでなくおそらく家族もだろう)「因果応報」ではなく、マスコミと世間の執拗で無責任な追求ゆえだと思う。

まだ32歳という若さの二岡選手、新チームでは言葉通り「ゼロからスタート」でプロ野球選手としての真骨頂を見せてほしい。
確実な守備と右中間へぐんぐん伸びる飛球は、彼のファンならずとも惹きつけられるのだから。

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2008年11月21日 (金)

「感動」は検索から?

娘からメール添付として動画が送られてきた。ポール・ポッツという人が歌うオペラを2歳になる娘の子が真似たもの。
ポール・ポッツという人は全然知らなかったし、オペラにもイタリア語にも聞こえないものの、真剣に歌うさまがとてもかわいく職場で同い年の同僚にちょっと披露。
(こんなときにiPod touchはとても便利!)
彼女はピアノの先生でもあり音楽通。でもやはりポール・ポッツは知らないと言う。

「どんな人なんやろ?」などと盛り上がっているところに、実習に来ている20歳代後半の青年が「元携帯電話のセールスマンでオペラを歌う人です」と教えてくれた。
彼がポール・ポッツを知っていることが二人とも意外で、思わず声をそろえて「何で知ってるん?」
「You Tubeで見ましたから」
その答えに、まだ同僚も私も納得しない。
「たまたま見つけたの?音楽ビデオに興味があって探したの?」
とさらに若者につっこむ。

その勢いある好奇心に彼は少したじたじになりながら、
「あのぅ、『YouTube 感動』というキーワードで探したらあったんです・・・」
「・・・・・」
思わず無言になった同僚と私の胸の内はおそらく同じ。

「感動したくなったら」その対象をネットで探す?
そして実際に彼はポール・ポッツのビデオを見て「感動」した?

道具、機械に囲まれて快適・便利がまかり通る生活ではあるけれど、「感情」までワンクリックで操るのは当たり前?
操られた感情はどこまで心の琴線に触れたものなの?

そのビデオを見て彼が「感動した」と思っているなら、言葉の理解が違っているような気がするし、感性も曇ってしまっているのでは?と感じてしまう。

短い休憩時間での会話だったけど、ほとんど会話する機会がなかった若者が緊張しながらもあれこれと話をしてくれたそのひととき、私の感情はとても活性化していた。
(あとで探したポール・ポッツのビデオを見たときよりも)
彼の感情はどんなだったろう?

ネットで探す「感動」を否定しようと思わないけど、若い彼にはリアルな場で感情を揺さぶられるようなさまざまな体験をどんどんして欲しいと思う。

その「感動ビデオ」はこちら

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2008年11月19日 (水)

「どて焼き」は大人気

こんにゃくが10枚。「おいしいと評判の特産品でこれが最小単位だった」と夫が数日前に買ってきた。
ウィークディの夕食は私(プラス時々長男)という食卓。
「スーパーのものより賞味期限は短いし、果てどうしたものか?」としばし考えをめぐらし、まずは「田楽」、それからシンプルな「煮物」、とどめは久しぶりに「どて焼き」と決める。

評判にたがわずあっさりとしたおいしさで、4枚ずつ調理した田楽も煮物も少ない口ながらぺロリと平らげた。

最後の楽しみ、どて焼きは生協の店にすじ肉がない(もしくは売切れ?)ことが多く一日伸ばしにしていたが、昨日にやっと手に入れさっそく煮込みの準備。

■すじ肉は圧力鍋で生姜や白ネギの青い部分などを入れた水(ちょっとお酒も加えて)下茹でしてよく洗う。
(自分が余りすじ肉を好まないので、カレー用として売られているお肉も加えた。これは下茹でなし)
■こんにゃくも小さく切り下茹で。
■煮込む味噌は、田楽味噌にした残りや白味噌、普通の味噌、みりんなど適当に使ったが、だしだけは昆布とかつおでしっかりとった。

この手順を経て炊き始めること30分。
珍しく早く(といっても9時半頃)長男が帰宅。
少しゆるめに仕上げてお汁といっしょにいただくのが自分流とはいうものの、もう少し煮込みたいところ。
味見程度にメニューに添えてやると「どて焼きやんか、こんなん作れるんや!」と長男は感激?している。
もはや居酒屋メニューと思い込んでいるのか、O157流行以前には、時々我が家でも食卓に上げていたことをちっとも覚えていない。)

「もっと欲しい」とおかわり。
さらには続いて帰宅した夫がのぞきこんで「ちょっと食べたい!」(食事は職場で済んでいるのに)

煮込む前に随分少なくなった土手焼き、食事を済ませた長男が何と蓋付き容器に詰め込んでいる。
そして「ちょっと出かけるわ」と外出・・・。
何も尋ねることはしないが、母親の第六感としては「行き先はきっと彼女のところ」
お気に入りの「おふくろの味」を彼女に伝えに行くような気がして何だか晴れがましい。(違っているかも?)

さて、結局どて焼きは仕上がる前にほとんどなくなった。
心残りもあり、今日にもう一度材料を仕込んで(こんにゃくも買った)煮込み直し。
やっと納得のいく出来上がりにこぎつけた。

一気に寒くなった夕餉に湯気を立てた土鍋仕立てのどて焼き、おいしいです!
どて焼き

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2008年11月17日 (月)

田中一村展

今年が生誕100年ということで、どこかで展覧会があるに違いないとは思っていたが、何と近隣の奈良県で開催されると教えてくれた人がいた。

奄美大島で生涯を終えた孤高の画家、田中一村という画家とその絵を知ったのは高倉健のエッセイ集から。
作品集を手に入れたものの、どうしても実物が見たくて、いつかは奄美の「田中一村記念館」に行くつもりではあったが、当面行けそうもない・・・。

それが思いがけず車で1時間のところで本物を見ることができるらしい。
ぜがひでもと思いながらも日が過ぎ、会期終了が近づき焦りだしていたが、やっと昨日に行くことができた。

会場となる奈良県明日香村にある奈良県立万葉文化館を初めて訪れたが、広い敷地にゆったりと建てられていた。
庭では、紅葉を愛でる人、駆ける小さな子、カメラを向ける親などが展覧会鑑賞前後のひと時を楽しんでいる。

さて特別展である「田中一村展」は生誕100年に因んで100作品というボリューム。
神童と言われた8歳当時の作品から時代を追って数々展示されているが、圧巻なのはやはり晩年奄美に移住してからのもの。
作品集やネットでも幾度も目にした作品であってもまったく別物。
人の背丈ほどの大きさに描かれた緻密な絵は荘厳で美しく、光が内からあふれているかのように輝く。
飽きずに見つめ続けながらも、この魂を込めたような作品を数点も仕上げれば「精も根も尽き果てるのでは・・・」との思いがかすめる。

奄美で「描きたいもの」に出会った一村が、もてる才能を一気に開花させたのか。
人の評価に全くとらわれず、己の良心に納得のいく絵を描き続けたという。
69歳でひっそりと生を終えたその顔はたいそう穏やかであったらしい。

絵画展に出かけると絵葉書やポスターを買うこともあるが、今回はちっともそんな気にならなかった。
縮小された小さな印刷物からは、一村の作品の何ものも伝わってこない。
(と言いながら一村の作品がカレンダーになったものを知人にもらって喜んでいる(^_^))

次には、一村がこよなく愛した奄美の地、そこにある「田中一村記念館」で、今回展示されていない作品も含めてもう一度本物を見ることを計画したい。
奈良の紅葉

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2008年11月10日 (月)

幸多かれ、と願う

「幸多かれ」との思いがある、それは既に子を手離したという心の証しかもしれない。

8月に「結婚する」と電撃報告があって3ヶ月。
大学入学時に家探しと入居で出向いたものの、その後は一度も訪れることのなかった末っ子の暮らす地域。
それが、この3ヶ月に新幹線、あるいは高速バス、時にマイカーで何度往復したことか。

そうして昨日は、20歳の末っ子と18歳の彼女の晴れ姿を目にした。
(式は学校卒業後いずれという本人たちの希望で、衣装を着けて写真撮影だけ)
190センチにもなろうかという長身にグレーに光るタキシードが似合い、男と言えどもヘアーもメイクもプロの手がかけられ我が子ながら見とれた。
メイクさんからも「美少年」と言われたとか。
そう、親からみても他の大人から見ても末っ子はまだ少年。
その少年がこれまた幼さの残るかわいい少女と新しい生活をスタートさせた。
そして来年4月に少年と少女は親となる。

末っ子はうれしそうでどこか誇らしげ。
その末っ子を見上げる彼女は、実に幸せそうで晴れやかな笑顔。
若いカップルの行く末に不安は尽きないけれど、若さならではのこの素直な感情の発露はまぶしい。
幸い、彼女の大家族が近くで二人を見守ってくれているし、双方の友人たちにも恵まれている。
皆に助けられ、恐らくは幾度もあるだろう苦難を乗り越えていってほしい。

若い二人に幸あれと心より祈る。

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2008年11月 5日 (水)

よい年を重ねられたご夫婦

お会いするのは10数年ぶりになるだろう。
子どもたちが小学生の時に学童保育の保護者として活動を共にしたおとうさんとおかあさん。
おとうさんが退職後、自宅を改装してパソコン教室を開かれたと聞き訪ねてみた。
するとそこには、おかあさんのお姿も・・・。
何と、公立保育園の保育士をしておられたのを早期退職され、ご夫婦力を合わせての教室開催だった。

おかあさんはパソコン初心者ながら、フレンドリーな会話ときめ細かいサポートで生徒さんのリラックスに一役、またレッスン終了後には香り高いコーヒーのサービスまでしてくださり、とてもアットホームな教室となっている。

生徒さんがおられないときでも、ご夫婦は実になごやかに会話をされ、お二人で過ごす時間を大切にされていることが伝わってくる。

かといっていつもご一緒というわけではなく、それぞれボランティアや趣味の時間も多いとのこと。
おかあさんは前職を生かし小学校での放課後で子どもたちを見守る活動、あるいは障害者の方たちの畑の草抜きなどをされているらしい。

おかあさん曰く、
「今の社会を作ってきたのは自分たちの世代。(残念ながら)変えることはできないけれど、できることを何かやっていきたい。自分たちの生活はまぁ、食べていけたらそんでいいわ、と思っている・・・」

学童保育の保護者会活動では考えを異にすることも多かったと記憶しているが、久しぶりの再会では感心することしきり。

ご夫婦のあり方、そしてまた広く社会を見渡しながら地に足の着いた活動を確実にされている(同世代の)おかあさんに大いに刺激を受けた。

ゆがみの多い今の社会を変えていくことは若い力に期待したいけれど、体力、気力の続く限りできることを、自分もまた何かやっていきたい。

しばらくの間、この教室で未学習のパソコンソフトを勉強させていただくことになっている。
ご夫婦との交流がとても楽しみ。(おかあさんが点ててくださるコーヒーも楽しみ!)

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