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2008年12月24日 (水)

2008年のクリスマスイブ

暗雲のように覆う社会不安からクリスマスも倹約ムードらしい。
家族そろっての外食が減り家で食事、ケーキも小ぶりのものが人気とか。
一人で夕食をいただく私も、ターキーはもちろんチキンもケーキもそしてワインもないイブに甘んじて何の不服もない。

私の職場も景気変動の影響をもろに受けており、仕事量(すなわち賃金)も減った。
それでも家計は夫が支えているし、夫は福祉関係従事者であるので倒産や解雇の不安は少ない。
世間の人たちと同じように「消費」という魔力から少し距離を置いたおかげで、むしろ地に足がついた生活になっているように思う。

自身が屋根のある暖かい住まいに落ち着いて暮らせる幸せに感謝しながらも、平穏ではいられない。
職も住まいも追われた何万人もの人たちは、どうして生きていくのだろう?

意欲もあり、まじめに働いていた人が(会社は存続しているのに)突然に職を追われるということがあっていいのだろうか?
職を追われた人が路頭に迷うしかない、ということがあっていいのだろうか?

長男はあいかわらず深夜に帰宅し早朝に出勤する日が多い。
機会あるごとに転職を勧めてきたが、今は積極的に勧めることをしていない。
結婚や子育てが困難な今の会社にいることに展望は感じられないが、退職したなら先行きは更に不安定かもしれない。
路頭で途方にくれる一人が長男であってもおかしくないと感じるほど、雇用に関する不安は身近。
安定雇用なくして、安定した生活は望めないというのに。

同世代の母親との会話でよく出てくるのは「今の子たちはかわいそう」ということ。
それでは何も解決しないことはわかっていても、やはり母としてまず「不憫」という感情が湧く。

小さいとき夜中にやってきてくれたサンタさんは、モノだけではなく「夢」というでっかいプレゼントを届けてくれた。
大人になっていても、せめて辛い状況にある人にだけでもサンタさんは「希望」を届けてくれないかな。
現実に立ち向かうことのできる力となる「希望」を。

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2008年12月22日 (月)

今頃干し柿作り

午後に雨が上がってから一気に気温が下がり北風もきつい。
昨晩に、夫が実家でもいできた渋柿をむいて干した。
今日の寒さで実がしまったかもしれない。
柿も少し柔らかくなっていたし、出来上がりは期待しない方が賢明なのだけど。

渋柿
数日前、地方にいる末っ子からの電話で「メッチャおいしい干し柿をもらった!家で作ってたんとは味がちゃうで!」と言われた。

近隣2ケ所に自由に柿を取ってもいいところがあり、かつては子どもたちと一緒に棒でもぎ取り干し柿作りをした。
作り方を特に意識したことはなく剥いて吊るしただけ。

干し柿 このたびの末っ子からの電話に、「気候環境や干す場所によるからなぁ~」と答えながらも、自分に何も工夫がなかったことに今更ながら気がついた。
さっそく夫の母から聞いた「剥いた後で沸騰したお湯(少しだけ酢を入れる)に10秒くらいつけてから干す」を試みることにした。
これで今までのものよりおいしい柿に仕上がる・・・かな?

下の画像は「わけぎ」
これの酢味噌和えは大好物。
市販のわけぎは「そうじ」がすんでいるのですっきりと美しいが、採りたては画像左のような姿。
1本ずつ根元をむき枯れ部分を取る作業は、時間は取られるし指や爪が真っ黒になる。
「忙しいのに」と疎んじていた作業のはずが、いつの間にかいただく食材と対話するようなそんな時間をいとしく感じ出している。


わけぎ

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2008年12月19日 (金)

帯のリフォーム

和裁の仕立てをしていた母は今の時期であれば、朝から深夜まで針を動かし続けていた。
30日頃までに全て仕上げ、それから一心不乱に大掃除。
きれい好きで掃除上手だった。
そんなことを思い出しながら、私はと言えば空いた時間にのんびりとお裁縫。

「熱いグラタン皿を置くマットを帯地で作ろう!」と思い立つと、いつものことながら「やりたい事を最優先」
掃除もそっちのけで取りかかった。
一度ほどいて洗っておいた母の細帯を裁断し、キルティングをはさむ。
裏には白い帯芯をそのまま使いステッチでかがる。

和裁ばかりではなく、洋裁、編み物にも才があった母の素質は残念ながら受け継がなかったようで、出来上がりはこんなもの。
マット

さっそくグラタンを作ってのせてみた。う~ん、いい感じ。(と自己満足)
グラタンとマット

ついでに、幅の広い帯を作って愛用の小ぶりのそばがら枕も縫い変えた。
帯の布は目がつまっているので、そばがらがきれいにおさまる。
画像はないけれど、白い裏地でカバーも作った。
裏とはいえ絹。そばがらと絹のやさしさが心地良い眠りを誘ってくれそう。
そばがら枕

あぶなっかしい手つき、整わない針目、そして手をつけない大掃除に、「あれまぁ」とあきれかえっているだろう母が夢に出てくるかな?

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2008年12月17日 (水)

自転車でiPodはもう止めた

夕食準備前にジョギングに出る。
14日の市民マラソン以来、すっかり走ることの気持ちよさにはまってしまった。
暖房を入れても身体の芯までは温まらないけど、ゆっくりと30分も走ればポカポカ。
走り終えた後は鏡を見てもうれしい。瞳が輝き頬は桜色。
もちろん皮膚だけではなく身体中の器官が覚醒して、いきいきと働き始める(ような気がする)。

走るコースはいつも同じで、人通りのない川沿いの道。(だから遅い時間は避けている)
iPodで鳴らす音楽に浸りながら、負担を感じない速度で身体は単調なリズムを刻み続ける・・・はずだったのがきょうはとんだハプニング。
川に架かる橋まで来たところで、いきなり目の前によろよろと自転車が現れ次の瞬間には倒れた。
街灯に映し出されたのは、電動自転車に乗った体勢のまま、雨上がりの草むらに横たわる年配の(といってもたいして年齢は変わらないかもしれない)女性。
どうやら無灯右側走行で橋を渡っていた女性が、渡り切る直前に左側を走っていた私の姿を目にしてよけようとしたらしい。

「どうなったんやろ、よけようと思ったのに・・・ どないしたらええんやろ・・・」
元気そうな声であるのに、うろたえておられるのか、つぶやかれるだけで濡れて冷たい草むらから起き上がろうとされない。

「自転車は私が起こしますので、まずはご自分だけゆっくり起きてみて下さい」と声をかけると、
倒れた自転車から足を離し、そろそろと立ち上がられた。
「大丈夫ですか。痛いところはありませんか。」と、少し歩いていただいて無事を確認してから見送った。
女性は「ありがとう」と何度もお礼を言いながら、特に異常は感じられない運転振りで立ち去られた。

ご無事であったことに安堵しながらも、「なぜ自分はあの女性にちっとも気づかなかったのだろう? 」と考えざるを得なかった。
無灯であったとしても自転車が目の前まで迫りながらその気配さえわからなかったとは。
やはり・・・iPodのせいかもしれない。

iPodが原因で事故を起こす可能性はなくても、iPodを着用しないことで防げる事故はあるかもしれない。
加害者になる可能性がある自転車では使用を止めよう、と全く未練なく気持ちが定まった。
この1日から施行された改正道路規則で自転車走行中のiPod使用禁止が決まってからも、不満タラタラで手離せてはいなかった。
このハプニングで、規則に納得できていないが使用を止めることには納得した。

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2008年12月14日 (日)

気持ちよく走った市民マラソン

ジョギングの習慣からもすっかり遠ざかっているのに、さして心配も、もちろん意気込みもなく朝から市民マラソン会場へ向かう。
ゆっくりなら3キロは十分走りきる見通しはあった。
ただひとつ要注意は「がんばって」しまうこと。マイペースを忘れ飛ばしてしまうと取り返しがつかない疲労に陥り、完走すらむつかしくなる。

市民マラソン 市民マラソンはまずグランドを2周してからロードへと出る。
かつての経験で、このグランド周回が我慢のしどころと心得ていた。
注目と応援を受けて誰しもペースを上げる中で、ひたすらこらえてマイペースを維持。
最下位についていくつもりが、今年は何と女子40歳以上54歳以下のクラスはたった9人。しかもシューズやウエアなどから判断しても走り慣れていそうな人ばかり。
最下位についていくこともあきらめ、自らをその位置に・・・。

息も乱れないほどのペース(画像を見ても歩いているみたい・・・)に身を任せながらも、ふとこのありさまを高校のクラブ仲間が見たらさぞ驚くだろうと考えた。
勝ち気にまかせ後輩、同輩をしごき「鬼のキャップテン」と呼ばれていた。
そもそも幼稚園の頃から、かけっこは何としても人の前に出ようとした子だったもの。

川沿いに走るコースは風光明媚とは程遠いながらも、ぼんやりした空と雲、紅葉した木々、ゆっくりと流れる川が目に映るのが心地いい。

終始同じペースで走り、余力を残してゴールイン。
最初にがんばって疲れてしまった人を途中で抜いちゃったので、最下位ではなかった。

肌寒い日に、程よく筋肉を使い身体はポカポカ、うっすらとかいた汗さえ気持ちいい半日となった。

さて、おぜんざい。
これは毎年の市民マラソンの日にはかかせないおやつメニュー。
かつての市民マラソンは、主催者がおぜんざいを用意してくれていて、参加者の大きな楽しみとなっていた。
ところが3年前から予算削減のためか、おぜんざい中止。
毎年欠かさず走る夫もがっかり・・・。
それ以来、この日には毎年炊いている。(前日に仕込む)

今年は私も走ったので、おいしさもひときわ。
おぜんざいと玄米もちとの相性もばっちりです。
おぜんざい

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2008年12月12日 (金)

サンタさんに託したもの

今では残念なことにサンタクロースとは無縁になってしまった。
子どもたちがまだ小さかった頃、毎年12月が近づくと、サンタさんに代わってそっと枕元に置いてやるプレゼントをあれこれと思い巡らしていた。

翌朝、目をさました子どもたちが歓声を上げながら包装を解く。
キラキラした瞳でうれしそうにはしゃぐ様子を見守る私は、おそらく子どもたち以上に幸せだった。

貧しい暮らしながら、サンタさんからのプレゼントだけは欠かさなかった亡き父と母も同じ思いであったのだろうか。

そして、今では母となった娘が毎年サンタさんからのプレゼントを子に用意している。
ましてキリスト教圏に住んでいるから、クリスマスのお祝いはさまざまな慣習があるよう。

12月6日は「サンタさんがプレゼント(おかし)を持ってきてくれる日」であったらしい。
その前夜におかしを入れる長靴を用意したとき、中に子が愛用しているおしゃぶりたちを入れたとのこと。
順調に成長し言葉も巧みながら2歳の子は、寝るときなどまだおしゃぶりを手離そうとしないでいた。
そこでサンタクロースに一役買ってもらうことにしたらしい。
「サンタさんにことづけて、他の赤ちゃんたちに届けてもらおう」と。
果たしてそれ以来おしゃぶりを全く欲しがらなくなった、と娘はメールで知らせてくれた。

そのメールを読みながら小さい子というものの愛しさに胸がいっぱいになった。

サンタさんに託した「自分の大切なものを、赤ちゃんに届けて」という思い。
より小さい者への慈しみと「もう大きくなった」という誇り、さらにサンタさんへの信頼で娘の子の心ははちきれんばかりであったろう。

サンタクロースなんて本当はいない、という子どもや大人がいるけど、絶対そんなことはない。
私が小さかったときもいたし、今も確かにいる。
娘の子は、長靴に入っていたおかしよりも、もっと素敵なプレゼントをサンタさんからもらっている。

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2008年12月11日 (木)

加藤周一さんを偲びながら市民マラソン

今、ジョギングから帰ってきたところ。
40分間走り続けたから、3キロは充分走ったと思う。
これで何とか走りきるめどがついた。

今度の日曜日は市民マラソン。
早くに申し込みは済ませたものの、ちっとも走れておらず参加を迷っていた。
走ることを決めたのは、加藤周一さんの訃報を知ってから。

「知識人」と言われる人はたくさんいるけれど、どこか胡散臭く感じられる人も多い。
そんな中で加藤周一さんは、視点の確かさや生き方の誠実さ、人としての大きさは際立っていたように思う。
「自分には書かれていることの半分も理解できないだろうなぁ」と思いつつ、いつも著書やエッセーを読むことを楽しみにしていた。

亡くなられたことに大きな驚きと落胆があったけれど、瞬時に「九条ウエアを着て市民マラソンを走ろう」と決めた。

「ランナーズ9条の会」というのに入っているが、実質的な活動は何もしていない。
マラソンに参加したときに「9条」の文字がデザインされたウエアを着るくらいだけど、ここ数年どこのマラソンにも行かないのでウエアは引き出しに眠ったまま。

巨星と評される加藤周一さんから何を受け継げつぐことができるか、また受け継がなければいけないか・・・。
どう考えてもささやかなことしかできそうもないけれど、まずは九条ウエアを着て自分が住む地の人々が集う場を走ってみようと思う。(わずか3キロだけど)
「九条の会」呼びかけ人でもあった加藤周一さんへの自分なりの追悼かな。

そしてその日の夜はNHK教育テレビ 午後10時からの「ETV特集」の放映を楽しみにしている。
加藤さんが「どうしても語りたいことがある」と、インタビューにこたえたものだとのこと。
テーマは『1968年を語る~”言葉と戦車”ふたたび』

昨日付けの赤旗紙に番組案内があったが、合わせて掲載されていた塩田純プロデューサーの談話を少し抜粋。
【今年の3月、加藤さんにテーマのご相談をしたところ、即座に「68年」と言われました。インタビューは7月、8月の2回でした。加藤さんは現在の閉塞感と68年の閉塞感に似たものを感じておられました。68年を語ることは意味があると思いました。政治や社会のシステムが肥大化しているいま、人間らしく生きるにはどうしたらいいのか、その中で思想の果たす役割はなにか、が加藤さんの関心でした。】

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2008年12月 9日 (火)

12月の職場

今の時期の職場は、はがき作成ソフトなどで年賀状を作成される生徒さんが多い。
仕事1年目だった昨年は「筆まめ」「筆王」「筆ぐるめ」などのソフトの勉強がなかなか追いつかず、ハラハラドキドキのインストラクションが続いた・・・。

今年は水彩ソフトを学ばれている方のほとんどが、年賀状も水彩でされている。
参考にするイラストやはがきを見ながら、ペンタブレットで描かれる。
ペンを運ばれるのは生徒さんながら、横にずっとついていてまるで共同制作のように気持ち。
もっぱらツールの使い分けのアドバイスなどをするのだが、生徒さんは一筆一筆手に力が入り、私は見つめる眼に力が入る。
それでいて交わす会話はとてもなごやか。
描く者もインストラクションする者も共に楽しんでいる。

どの生徒さんの作品も、既製のイラストを用いた年賀状のような無難なまとまりとはひと味もふた味も異なる。
パソコン利用とはいえ、手で描いているのだもの。
作成過程のようすも、はがき作成ソフトを学ばれる生徒さんとはこれまた少し異なり、とてもいきいきとされている。
「覚える」ことから解放されているし、手本はあるというもののクリエイティブな活動である為だろう。
そして皆、仕上がった作品をとてもいとおしそうにされる。

小さなイラストひとつを4時間かけて描かれた方もおられる。
手本にしたものとは似ても似つかない?けど、やさしくあったかい印象を受ける絵となった。
お人柄と描く事を楽しまれた時間がそのまま表れたのかな。

昨年は汲々として過ごした12月の職場、今年は水彩の授業が多いおかげで気持ちはとても晴れやか。
いきいきとして過ごされる時間を共有させていただくことがうれしいし、さまざま個性的な作品が仕上がっていくこともうれしい。

***************
画像は、田中一村「農村春景」を手本にして描いてみたもの。
絵心なんてちっともないし出来上がりはこんなものながら、それでもパソコンは「描いてみよう」という気持ちにさせてくれるありがた~いマシン。
(絵の具はいらないし、準備や片付けは楽だし、何より失敗しても「取り消し」ができるから描きぞこないの紙の山をみて気がめいることがないし・・・。)
年賀状 

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2008年12月 7日 (日)

師走にのんびりと

2008年の締めくくりと新年を迎える準備はやはりできるだけしておきたい。
と思いつつ、まだせっぱつまった感覚はなく、今日は気ままにちょっとだけお裁縫。
新しい年から使い始めたい台所小物の準備で、まずは鍋つかみ。
今のものはみな長年使い焼けや汚れが目立つ。
縫い物は母の着物のリフォームでと決めているが、あれこれ引っ張りまわしても台所の小物のイメージに合うものがない。
何とか妥協できたのが、モノトーンの普段用着物。
いかにも、粋好みだった母らしい変化に富んだ色使いのもの。
小さく切って火にかざしてみて、台所で使っても大丈夫かチェック。
一気に燃え上がることはなく端がこげただけなので無事クリアというところ。

素敵なデザインで丁寧な縫製のものでも鍋つかみなら買えない価格ではないし、あるいは100円均一の店でもさまざま売られている。
不器用な手で縫った出来上がりは満足とは程遠いけど、2008年の目標のひとつとしたのは「買う暮らしから、営む暮らしへ」
料理でも裁縫でも自分の手で何とかできるものは、下手でもなるべく何とかしたい。
で、出来上がりはこんな感じ。
鍋つかみ

来年に持ち越しても、できればお揃いのマットやエプロンも作りたいな。

一村の絵 今日の成果がもうひとつ。
カレンダーも12月分を残すだけ。奄美に知り合いがいる同僚からいただいた大判の「田中一村カレンダー」
絵だけ切り取り、額に納めた。
原画を観てしまったから、雲泥の差があるとはわかりながら、やはり「カレンダー」絵にも見とれる。

ガラス拭きや網戸洗いはもちろん、日常的におろそかにしている片づけも後回し。
師走の休日ながら、ポカポカ陽気に誘われての~んびり、でした。

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2008年12月 6日 (土)

『青い鳥』

ブログでもエントリした重松清さん著書の『青い鳥』が映画になったことを聞き、さっそく鑑賞した。

監督は中西健二さんという方でこれが初作品だとのこと。
いじめによる自殺未遂があった中学校に臨時教師として赴任してきた吃音の村内先生と、生徒たちとの交流を描く。
村内先生役は阿部寛。
「かなりの吃音で髪が薄くてちょっと貧相なおじさん」を阿部寛がどう演じるのか?も楽しみのひとつだった。

青い鳥
原作では物語の展開に無理がなく、ぐんぐん惹き込まれていく。
そして村内先生は、「大切なこと」をひどくつっかえながらもしゃべる。
今の中学校という現場や「いじめ」の実際を知らない者でも、この本から感じ取れるものは「確かなもの」としての手応えがあった。

残念ながら映画は少し表現不足ではなかったろうか?
長まわしや沈黙が多い。
確かに阿部寛の静かなたたずまいと大きな眼は「何か」を語る存在感はあったけれど、それを補うものが、映像であれ言葉であれもう少し必要ではなかったか?
原作にはない、女性教師の登場や村内先生の屋上での場面などもリアリティを薄くさせている要因だったように思う。

とはいえ「先生、誰かを嫌うこともいじめになるんですか?」に始まる大切な問いには原作通り丁寧に応えているし、阿部寛も期待以上に自然体で好演。
決して好きな俳優というわけではなかったが、ちょっと好きになってしまった。
この映画ではもう少し言葉が欲しいと思ったけれど、個人的には寡黙でやさしい眼をした人に惹かれる。

『青い鳥』公式サイトはこちら

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2008年12月 5日 (金)

パンケーキ屋さん

もうだいぶ前になるが、KATEKさんのブログにパンケーキのことが書かれていた。
「クレープでもホットケーキでもなくパンケーキ」(こんな文脈だったかしらん?)
それ以来、私もパンケーキにはまっている。
といっても自分で焼くのでもなく、頻繁にいただくわけでもないのだけれど・・・。

職場の近くにできたパンケーキ屋さん。
注文を受けてから焼いてくれるのがうれしくて、お弁当を持参しなかった時や遅くまでシフトが入っている日の息抜きに時々訪れる。
たいていすいているので一人でもゆっくりできるのもいい。
(お店の人にとっては困ったことだろうけど)

まずはプレーンパンケーキ
プレーンパンケーキ
食事代わりならパンケーキサンドやエッグアンドベーコンパンケーキ
パンケーキサンド

パンケーキランチ
一番のお気に入りはキャラメルナッツパンケーキ
キャラメルナッツパンケーキ

職場にテイクアウトして同僚たちにふるまうと皆声をそろえて「おいしい!」
でも店には行かない。
「高い」から・・・。

良い素材を使い手作りしたものはそれに見合う調理時間と価格設定があって当然だと思うけれど、(ちなみにプレーンパンケーキで\550)、同僚たちがこれまた近くにある「早い、安い」マクドナルドの方に足しげく通うのもよくわかる。

ちょっと「食贅沢かなぁ?」とは思いつつ、これからも私の足が向くのはやっぱりパンケーキ屋さん。

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2008年12月 3日 (水)

今年もクリスマスドイツマーケットへ

2005/2006年の「ドイツ年」イベントとして梅田スカイビル敷地内で開催されたドイツクリスマスマーケット
好評だったようで、それ以後も毎年続けられている。
これを目指して行くことはなく、あくまでも目的はスカイビル内で上映される映画なのだが、それがマーケット開催時期だと気持ちはウキウキ。

きらびやかで人工的な装飾は好きではないのに、なぜかクリスマスは特別。
華やかなイルミネーション、原色のさまざまなオーナメントにスーと引き込まれる。
子どもたちのうれしそうな顔と声、寄り添う若いカップルの幸せそうな表情がさらにクリスマス気分を後押ししてくれる。

メリーゴーランド
今でも乗りたいメリーゴーランド。

グリューワイン
ポッと身体を暖めてくれるほんのり甘いグリューワイン(ホットワイン)
使い捨て紙コップではなく、カップ付き(有料)。
コップ持参でもOKなので去年のを持っていったが、今年のデザインが気に入り買ってしまった!

ワインのカップ
これで3年分のカップが勢揃い。(左はしのが今年のもの)

お菓子の家
子どもの頃にこれを見たなら、さぞ驚愕したことだろう。
「ヘンゼルとグレーテル」に登場するお菓子の家は、限りないあこがれだったもの。
今の子どもたちは「モノ」を簡単に手に入れることができることの引き換えに、あこがれや夢想という心の肥やしを失ったのかもしれない。

パンが添えられたアツアツのロングウインナーの画像はないけれど、これも毎年欠かさずいただく。シンプルなパンにジューシーなウインナーとの相性がとてもいい。
おいしいです!

イエスさま誕生
やはりクリスマスはただのお祭りというわけではない、イエスさま生誕の再現コーナーもちゃんと設けられている。

12月25日までの開催。
近隣の方は映画鑑賞のついでにでも寄ってみて下さいませ。
ちなみに私がこの日に観た映画は重松清原作の『青い鳥』。
また近いうちに感想をエントリする予定。
他にケン・ローチ監督の『この自由な世界で』なども上映中です。

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2008年12月 2日 (火)

自転車でiPodが使えない・・・

困った、困った・・・。
「こんなことで騒ぐなんて、他に悩みはないの?」と口の悪い友人には言われそうだけど・・・。

大阪府ではこの1日から道路交通規則が改正され、自転車に乗りながらの携帯操作は禁止になった。
これには黙って従うしかない・・・。

移動の多くが自転車なので、自転車に乗りながら携帯操作をする人に毎日何人も出会う。
すれ違うときでも、チラともこちらを見てくれない、予測のつかない蛇行、といった人も珍しくない。
本人も周りもとても危険。
残念ながら、乗る人の自覚にまかせておけない状況になってしまっている。

でも・・・、その規則のついで?にくっついてきたのが「イヤホンやヘッドホンを着けての自転車運転禁止」
これも罰金、反則金の対象となる。

実際にイヤホンやヘッドホンが原因の運転ミスがどれほど発生しているのだろうか?
音量にもよるだろうけど、音楽を聞いていると運転に必要な集中力が保たれないとは思えない。
常用しているが、何かの合図や呼びかけに気づかないということも全くなかった(と思う)。

自転車の安全運転に必要なのは、歩行者優先の意識、適度な速度、左側走行、夜間のライト点灯などの基本を守る(守らせる)こと。
適当な音量で聞くイヤホンやヘッドホンのことまで規制を加えないで欲しい。
それさえ「危険」と言うなら、歩行者の立場でも同じことだろうし車内で音楽を鳴らすことも「危険」につながるのでは?

視界が遮られ、さらにふらつく人もいる傘差し運転もやがては規制?
とっても迷惑で危ないペチャクチャおしゃべりしながらの並走運転も規制?

利用者のモラル低下はまちがいのないことで、自分もさらに気をつけなくてはいけないが、だからあれもこれも規則を設けて取り締まり、はとてもいやな感じ。

それにしても・・・何で、携帯操作とイヤホンやヘッドホン利用が同じ俎上に乗るのだろう・・・?

公共交通機関利用以外は、どこに行くのも徒歩と自転車の私は、いつもiPodが首からぶら下がっている。これがあるから自転車通勤も遠距離走行も苦にならず、むしろ楽しみとしている。

大人として子どもたちの範となるべき、とわかりながらも未だに未練タラタラ。
当分は自転車に乗るときには、頭からすっぽりスカーフをかぶり耳から下がる白いイヤホンを隠してしまおうという魂胆もある。
とはいえ、やはり自転車でのiPod使用に見切りをつけなければいけないのだろう。
寂しいなぁ・・・。

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2008年12月 1日 (月)

「さなぎの食堂 定食日記」

「食」に関係したテレビ番組は相変わらずたくさんあるよう。
さすがに「大食い」に焦点をあてたものは少なくなった・・・かな?

先日たまたま見ることのできた番組はとても秀逸で、録画しなかったことが悔やまれた。

ドキュメント にっぽんの現場 「さなぎの食堂 定食日記」
11月29日(土) 22:25~22:55  NHK総合放映

東京の山谷、大阪の西成と並び称される労働者の町、横浜市寿町に「さなぎの食堂」はある。
中心となって運営しているのは31歳の若者。専門学校で学びフランス料理レストランでのキャリアをもつシェフ。
NPOとの連携により「さなぎの食堂」にはさまざまな余剰食品が集まる。
コンビニからは賞味期限切れ数時間前の弁当、弁当工場からはおにぎりの具、その他、規格外の野菜や冷凍惣菜・・・。

「さなぎの食堂」ではそれらの食材も組み合わせながら調理し1食300円で定食として提供している。
おにぎりの具は「ご自由にどうぞ」コーナーに並べられ、ご飯にトッピングできるし、コンビニ弁当やパンは超格安で買うことができる。(但し賞味期限の関係上、持ち帰りはできない)
食事を済ませたお年寄りが「ご自由にどうぞ」コーナーからみかんをひとつ手にし、穏やかな表情で店をあとにした。

運営を担う若者は「食べる人に何か愛情を加えた料理を作りたい」と訥々と語る。(表現は違ったかと思う)
それは野菜がたっぷり取れるメニューであったり、彩りにも気を配る盛り付けであったり、あるいは歯が悪い常連さんが来るとカツでもハンバーグでもあらかじめ小さく切り分けておく、といったこととして表れる。

見るからにおいしそうなその定食を日雇い労働者や独り暮らしのお年寄りは、実においしそうに幸せそうに食べる。
「寝ていてもおなかはすくからね」と語るお年寄り。

生きていく限り食べ続けなければならない。
しかもそれは人間にとって大きな楽しみでもある。
身体にも心にも満ちる「食」はすべての人間にとってかけがえのないもの、決して一部の者だけのものであってはならない。

「食」の原点を示してくれたような「さなぎの食堂」の取り組み。
しかもその活動の中心に若者がいることのうれしさ。

「いい番組だったなぁ」との印象が今でも強いが、考えてみればこのように「食」に真摯に向き合う番組こそ各テレビ局は製作するべきなのだろう。

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