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2009年12月28日 (月)

ぼちぼちと迎年準備

何だかブログに向かう時間もとれないままに、いよいよ押しつまってきたみたい。
このまま2010年に突入しそうなので、ちょっと日常を記録。

きょうが仕事納め。
やたらとモノがあふれ、行きかう人がせわしない今の時期の巷をできるだけ避けたい私は、買い物の為の外出は最小限にとどめて、ぼちぼちと迎年準備。

例年は一気に仕上げる餅つきも、今年はちょっと事情があり毎日少しずつ。
どっちみちみんな冷凍するので、早めについても問題はないし。
餅つき機は、「蒸す」時間が待ち時間になるので、1日1回の繰り返しは効率がいいかもしれない。
夫婦2人の餅つきはさっさとコトは運ぶ。
でも大勢集まったワイワイがやがやの楽しさはないなぁ。

白餅

あんこ餅

豆餅

白餅、あんこ餅、豆餅までできて、今夜はえび餅。
明日のお鏡で餅つきはおしまい。
鰊の昆布巻きや、黒豆煮、酢の物などのお節作りも明日から。

と言っても、末っ子ファミリーが帰ってくる今夜からは、予定通りにいかないかもしれない。
何をほっておいても、しばし8ヶ月になる天使との時間を大事にしたいから。
1週間も滞在しないけど、子ども椅子も用意した。これは子の為というより、ゆっくり食事をしたい大人たちの為、かな。

自分の子たちが小さいときも、ハイチェアーは必需品だったけど、今は「グローアップチェアー」と言われる、成長に応じて座面の高さが変えられる椅子があることを知った。
ネットですぐに注文できる便利さも、かつてはなかったこと。
おまけに、その価格ときたら・・・、送料込みで4000円もしない。
素材はどこに国の木で、作ったのはどこの国のどんな人なのだろう・・・?
「まっとうな買い物ではないなぁ」と思いつつ、やっぱり安さに負けてしまった。
クリックから3日後商品が届く。さっそく組み立てると、どっしりとしていて安定感もある。
せめて、「倹約、再利用」が社会通念だった頃を思い出してクッションを作ってみた。
グローアップチェアー
使ったのは、あえて洗いざらしのバスタオル、アップリケは端布から。
ちっともおしゃれじゃないけど、ベイビーそして若いパパとママは気に入ってくれるかな?
(この組立てじゃ危ない!と気が付かれた方がいらっしゃるかも。
子どものサイズがはっきりしないので、まだ仮組立ての状態です)

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2009年12月22日 (火)

2009年の観納め(?)

今年もたくさんの映画を観た。さすがに師走に入ってからはこれ一本だけ、『カールじいさんの空飛ぶ家』。
ラジオでの褒め言葉につられ、買い物に出たついでに映画館に寄った。
そして・・・、見始めてすぐ『ファインディング・ニモ』の時のことが蘇ってきた。

5年前くらいだろうか、誘われて観たディズニー作品『ファインディング・ニモ』。
友は、場面ごとに声を上げて笑い、また時には涙する。
私はその横に座りながら、終始居心地の悪さを感じていた。
友も含めて座席を埋めている人々から、ウ・イ・テ・イ・ル・・・。
皆が笑う場面でちっともおかしくないし、皆がしんみりする場面でも白けっぱなし。

「おもしろかったねぇ」という友の満足そうな笑顔に、何とか相づちを打つのがせいいっぱいだったっけ。

どうやら私はディズニー作品と相性が悪いらしい。
このたびの『カールじいさんの空飛ぶ家』も、残念ながらちっとも楽しめなかった。
「1人で来て良かった!」と思わず思う。
館内で浮くのはいいけれど、いっしょに観る友とちぐはぐな感情になるのはどうも気まずい。

母を映画観賞に誘ったことがあった。
母が好むだろうと、当時の話題作品『タイタニック』を選んだ。姪も母にくっついてやって来た。一度観たけどぜひもう一度観たい!とのこと。
まだ家にいた娘も一緒に4人で観賞。
長編ながら、ずっと館内の空気は張りつめていて、あちこちからすすり泣きが聞こえる。姪もくらいつくように画面に見入っている。
ところが・・・、私は退屈してしまっている・・・。
どうもこのロングラン人気作品に気持ちが入っていかない。
「ま、母が喜べばいいか」と割り切ったが、ふと横を見ると、姪とたいして年が変わらない娘があくび・・・。
どうやら似たもの親子だったよう。

そんな私は、映画鑑賞は1人でブラッとか、好みが似通う夫と一緒のことが多い。
(50歳割引もきくしね)

やっぱり「カールじいさん」は、2009年最後の観賞作としては物足りなかったなぁ・・・。
年内にもう1つ観ることができるならイ・チュンニョル監督『牛の鈴音』かな。

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2009年12月16日 (水)

「家庭の味」の焼きそばとは?

「歯に衣を着せぬ」友人がいる。
人の見方は公平だし、いつもその話しぶりには引き込まれてしまうが、その日の苦言は、友人の知り合い主婦が作る「焼きそば」のこと。
「家で作る焼きそばやのに、麺に付いてる粉のソースを使ってるねんで!そんなん、考えられへんやろ!?」
彼女に劣らず自分の考えをはっきり言うことが多い私も、「そうやなぁ」と相づちを打ちながらも珍しくしどろもどろ・・・。

確かにどこか粉っぽい味のするソースは好みじゃないし味気ない気もするけど、捨てるのはもったいないと考える人もいるだろうし・・・。

粉ソースを使っても、肉や野菜、そばを炒めて作るんだから十分「家庭のメニュー」じゃないかなぁ・・・。

私はオイスターソースで仕上げることが多いけれど、手間的には「粉ソース」をふりかけるのとほぼおんなじやし・・・。

勢いに押されちゃって、どれも口に出して言えなかった・・・。
おまけに料理上手の彼女の焼きそば(ソース)レシピも聞きぞこなった・・・。

大阪では焼きそばは家庭のメニューの定番のひとつだろうけど、みんなどんなレシピで作っているのだろう?

焼きそば
オイスターソースの焼きそば。
キャベツの変わりに小松菜を入れている。

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2009年12月11日 (金)

ご老人は雨に打たれながら

今日は朝から冷たい雨、時に吹く風は強く、洗濯ものを干すことをためらうほど。
それでも午後に予定があり、買い物だけは午前中に行っておきたかった。
長靴にウインドブレーカー、大き目の傘で武装。住宅地から細い道に出ると、少し前を歩く老人が目に止まった。

手押し車を両手で押しながらゆっくりゆっくり進んでいるが、その腰はほぼ90度まで曲がっている。
頭からすっぽりとレインコートを着用しているものの、ご本人も手押し車に下げたバッグも雨に打たれ放題。

「何でこんな日に外へ?もしかして徘徊?」などと一瞬不謹慎な想像もかすめたが、
ともかく傘を差しかけながら、「どこまで行かれるのですか?」と聞いてみる。
意外に(失礼しました。ゴメンナサイ)しっかりしたお返事で、「老人福祉センター」とのこと。
そこは私の目的地のすぐ近くでもあり、合い合い傘?で同行することにした。

私も自転車走行ではカッパ着用なのでわかるのだけど、帽子部分をかぶると左右の視野がぐっと狭められる。おまけに彼(話してみると男性だとわかった)は腰が曲がっているのでほとんど目の下の地面しか見えていない。
そのため、進路はジグザグで何度も土手や駐車してある車にぶつかりそうになる。
それでもいつもこの状態で歩いていることは想像できたから、口出しは控えジグザグに付き合うことに。

雨の音で声がかき消されることもあったけど、「老人福祉センター」までの会話は楽しいものだった。
目的はカラオケの集い、「デュエットも歌うから自分が行かないと相手が困る」などと明るく話される。

何という前向きの姿勢とパワーだろう。
買い物さえ億劫になる天候に、不自由な歩みも何のその雨に打たれながら外出。
向かうところには、楽しみがあり仲間がいる。
差し出された好意は自然体で受け入れ、会話に愚痴も気負いもない・・・。
センターの入り口で丁寧なお礼を受けお別れしたあとには、「あっぱれやなぁ~」という思いが残った。

が、もちろん残ったのはそればかりではない。
「傘をさすことができない人が雨天に外出したいのなら濡れる覚悟で」はおかしい!
本人が納得していてもやっぱりおかしい!
いっぱい文句を言いたいけれど、事情がよくわからないから言えない・・・(でも、やっぱり何かおかしい!)

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2009年12月10日 (木)

『46年目の光』

『46年目の光』(ロバート・カーソン著)は、3歳のときに失明し46年後に手術により視力を取り戻したアメリカ在住、マイク・メイのことを記したノンフィクション。
序盤から中盤までは、視力はなくともずば抜けた頭脳と身体能力、そして冒険心によって豊かに生きる姿が描かれる。

46年目の光 本の帯には本文から抜粋された1文が記されている。
「自転車に乗るってどういう感じなんだろうと想像しながらなにもせず一生を送るなんて、パパはいやだったんだ。そんなのは自転車で壁に激突するよりいやだ。そう思わないか?」

まさしくマイク・メイの生き方はこの通りであり、彼の母親も同じ考え。
一方、私は小心でかなり臆病。壁に激突する可能性があるなら自転車に乗ることはあきらめるし、子どもにも「あきらめなさい」と説得する。

この性質の違いや彼の能力の高さから、さして感情移入はなかったものの、物語りはおもしろく断続的に読み進めていた。
ところが中盤過ぎくらいから俄然興味が増し、本が手離せなくなった。

視力を回復させる方法があることを知ったメイは、半端ではないリスクを理解しながら手術に挑戦する。
結果、視力は回復したものの、目に映る「モノ」の把握が完全にできない。
たとえば「見た」だけでは男か女かの区別もつかないし、息子2人さえ見分けられない。
そこから明らかにされていくのは、モノを見るプロセスで脳が果たしているとても重要な役割。
科学がとっても弱い私にもわかるように、解き明かされていく。

たとえば人間の顔の見分けも、ごく幼い時期に始まる徹底した訓練と学習の積み重ねがあればこそ可能になるらしい。
違う顔をしているはずの羊たちも普通の人にはみな同じに見えるけど、羊飼いたちは「訓練と学習」のおかげで1頭1頭の羊を見分けられる、それと同じ。

何でも口で確かめようとすることから始まる赤ちゃんの「研究活動」はとても大切と、保育士をしていた若い頃から知っていたつもりだけど、「あぁ、本当に乳幼児期は大切なんだ」とこの著書のおかげで今更ながらストンと腑に落ちた。
視力が正常であっても、乳幼児期の体験が豊かでなければ「見る」ことは満たされない、ということなのだろう。

400ページを超える長編ながら読みやすく、しかも読み応えがある。
みなさま、お正月休みでもいかがでしょうか?
年末に帰ってくる0歳児子育て中の末っ子には、「ぜひに」と勧めるつもり。

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2009年12月 8日 (火)

寄せ植え講習会

毎年案内を見るだけだったコープ年末恒例企画「寄せ植え講習会」。今年は時間が取れそうだったので申し込んでいた。
出来上がりの作品も楽しみだけど、花木育てにまったく不器用だから何でも教えて欲しい!という気持ち。


会費1500円、1時間予定と参加しやすい設定で、おまけに会場は歩いて5分という近さ。
10分前に着くと、既に万端準備済みでテーブルの上には材料が調えられている。
寄せ植え材料
この予算で何と豪華!
寄せ植え配置
黒板には植え込む位置が図化されている。

まずは手が汚れない内に水引きを形作る。
それから、あらかじめ中張りのビニールに穴があけられている鉢に土を少し入れ、カップから出した花を順番に置き、土を足してから飾りを加え化成肥料を置く。

講師の方のていねいな説明に従い(「画一的にではなく、何か違うようにやりたい!」
という自分の性質をグッと抑えて)進めていくと、見本通り美しく整ったものがあっという間に出来上がった。
作業はおもしろくも何ともなかった(*_*;

でも期待通り、手順説明の過程で話していただいたことは、興味深いことがいっぱい。
(だいたい、私はシクラメンが球根であることさえ知らなかった)
球根だから、花ガラ摘みの際にバイ菌が入る可能性がある。
根元を残さないようキュッとひっぱるようにすることが大事だとのこと。
来年も楽しむ為には、5月くらいに葉だけになると、水をやらずにずっとほっておく。
9月になれば球根を掘り起こして、土から頭が出るくらいの浅さに植え直し水をやり始める。
11月頃から再び葉が出だすらしい。

ジュリアンも1年草と言われているが、実は宿根草だとのこと。花も葉もみんななくなっても10月くらいになるとまた出てくるらしい。

ビオラ、ジュリアン、シクラメン、いずれも中の方にいっぱい蕾があるから、こまめな花ガラ摘みが欠かせないことも教わった。(もっともこれは知っていながら、いつもいい加減にしてきたことだけど・・・)

何だか「いかにも既製品」のような寄せ植えを玄関に置くのは、ちょっと気恥ずかしい気もするけど、講習会をお世話いただいた方々に感謝しながら飾らせていただこう。
ていねいに花ガラ摘みをして、化成肥料か液体肥料を欠かさなければ、鉢は5月頃まで美しさを保つらしいが、学んだ成果を生かすのはむしろその後。

エリカ(クリスマスパレード)、ミスカンサスは地植えに移す。
エリカは常緑樹でだんだん大きくなり、切ってやると枝分かれしていく。
ミスカンサスは、横からどんどん増えてくる。

葉牡丹は、4月頃に黄色い花が咲くと切る。枝分かれして「スプレー葉牡丹」になったものを来年も楽しめる。(夏には殺虫剤が必要らしい)
シクラメンやジュリアンも先に上げた手入れをすると来年も咲く。

このようにほとんどの花はちゃんと来年も美しい姿を見せてくれるらしい。
今までどの花も1年草みたいに使い捨て(咲かせ捨て)していて、それがとてもいやだった。
いきなりうまくはいかないだろうけど、ひとつでもふたつでも来年も咲いてくれることを願ってこの花たちとじっくり付き合っていこう。
寄せ植えクリスマス
寄せ植え正月

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2009年12月 6日 (日)

龍神温泉木の郷マラソン

「日本三美人の湯」に惹かれたわけではなく、マラソンを走る夫のお供で龍神温泉へ。
と言っても見ているだけではつまらないので、最短5キロコースに私もエントリしておいた。
トレーニングを重ねておく予定だったのに、この3ヶ月の間に5キロ近くを走ったのは3回くらい。
結局この大会も「本番がトレーニング」というていたらくで迎えることになった。

ランナーズ九の会 「ランナーズ九の会」に名前を登録しているものの、何の活動もしていない。
せめて会のウェアを着てさっそうと走ろう!という目標はあるのだけれど・・・。

走り慣れているかどうかは、体型やウェア、シューズなどでおおよその見当がつく。
ぼちぼち走るつもりでスタートラインに立っているのに、何せ長身に「ランナーズ九の会」ウェア。
「あの人は絶対に早い!」と見られているのがわかる。
皆の予想を裏切り続ける走りではあるけれど、「スローペースのおかげで九の会ウェアはけっこう目立っているかも」と自己満足。

秋晴れのさわやかなマラソン日和、息が切れないペースを保っていると目に入るものすべてが美しい。
そびえ立つ山々の濃い緑、紅葉で色づく黄や赤のグラデーション、さらさらと流れる日高川の清流。

残り500メートルくらいのところからラストスパートをかけ、2人抜いた。
最後までゆったり、を貫くことができないのは、かつて体育会系で鳴らしたなごりか・・・?

この大会には「無料入浴券」もついていて、走り終わったあとに温泉に入ることができる。
露天もある浴室にたっぷりとはられた湯は、少し濁りがありまったりとしている。
「美人になるかな?」とやっぱりちょっとだけ期待しながら、ゆっくり温泉も堪能。

「師走」にしてはのんびり過ぎる休日だけど、久しぶりに身体をちゃんと使ってやったようで気持ちいい。

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2009年12月 4日 (金)

年末の定期便に思う

今年もドイツからチョコがけシュトーレンが届いた。
若いときから、クリスマスシーズンしか売り出されないシュトーレンが大好き。
毎年必ず何本か購入している。
ドイツで暮らし始めた娘におねだりしたものは、本場のシュトーレン。
初年度はオーソドックスなものを含めて3タイプ送ってくれた。
定番のような2種は(大きい声では言えないけれど)日本の「お気に入りの店」のものの方がずっとおいしかった。
ところがあと1本は、日本では見たことがないタイプ。
チョコシュトーレン1

チョコシュトーレン2
ビックサイズ、オールチョココーティングのでんとした存在感。
味も悪くなかったけれど、珍しさと迫力に惚れ込んだ。

その後、年末にこのチョコシュトーレンが届けられることが恒例となった。
その定期便も今年で5回目?かな。
その間に娘は妻となり母になった。
私の方は「老い」という実感はまだないけれど、やはり変化はある。
今年は何と、届いたシュトーレンにすぐ手を出さなかった。
今までは封を解くなりまず一切れ味見、だったのに。
食が細くなったこともあると思うけれど、胃袋を満たすことを後回しにして、心に満ちた幸せをじっくり味わっている。
年末に届く定期便は、娘や娘の家庭が順調である証であり、自分自身もまた1年元気に過ごせたことの証でもある。
兄は私の今の年齢と3つ違うだけで急死したし、同い年の友人も今夏亡くなった。
老いは感じなくても、もはや何が起きても不思議ではない年齢であることの自覚は必要。
自分や家族が、穏やかにまた新しい年を迎えられることは何よりの幸せだとしみじみ思う。

2007年にもこのチョコがけシュトーレンのことをエントリしている。
読み返してみると、やっぱり食い気一方だった2年前より少しは成熟したかな?
もしかしたらそれが「老い」ということ?

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2009年12月 3日 (木)

『戦場でワルツを』

今年2月のアカデミー賞で、外国語映画賞を受賞した『おくりびと』と競ったと伝えられた『戦場でワルツを』(アリ・フォルマン監督)。
ドキュメンタリーをアニメーションで描くという斬新さでも注目されていた。
その時から上映を待っていたが、大阪では28日から公開、やっと観賞することができた。

戦場でワルツを1 
レバノンでのイスラエルの責任が描かれていない、という批判に対してイスラエル人である監督の答えは、「私はアラブの視点で映画を作ることはない。それを作るのはアラブ人自身であるべきだ」というものだったという。
観る側の私は無力な日本人の1人だけど、やはり身構えるようなところがあった。

戦場でワルツを2
観賞を終えた今、監督や作品に反発するような感情は何もない。
ストーリー展開、深みのあるアニメーション映像、奏でられる音楽、いずれにも惹きつけられた。
1982年のレバノン侵攻に従軍(イスラエルは国民皆兵)した監督の私的体験を、アニメーションという手法により、時に心の中まで描き出している。
戦争当時の記憶がまったくないことに気づいた監督が、当時の仲間たちに会い、過去を語ってもらうことにより少しずつ記憶を取り戻していき、やがて「サブラ・シャティーラ大虐殺」へとたどり着く・・・。
戦場でワルツを3

【戦場には、よく映画で描かれるような友愛も団結も勇気も存在しません。そこがどこなのか、なぜ送られてきたのか見当もつかない若者たちの一団が、状況を理解できずに周りから完全に孤立しているだけです。】
これはパンフレットにあるアリ・フォルマン監督の言葉。
戦争や紛争を肌で感じる経験のない者に、こうした側面を伝えてくれる作品でもある。

イスラエル国民がこの映画を絶賛した、という評判を聞いている。
08年年末から09年にかけてのガザ侵攻を圧倒的多数で支持した、その同じ国民によるこの感情の拠りどころはどこにあるのか?
そのことが知りたいと思う。

公式サイトはこちら

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