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2010年1月27日 (水)

乙骨淑子さんという児童文学者

少し前、ハイチ島のことに関連して『八月の太陽を』という優れた児童書のことを少し書いた。(コチラ
その時に少し読み返したのをきっかけに、再び乙骨淑子さんの本にはまってしまった。
20年~30年前くらいに読んだときより視力が衰え、以前には全く気にならなかった字の小ささが負担ながら、感じるおもしろさは今が上回る。
年を重ねたことで、外見はもとより、内面もずい分変わったのだろう。
私の変化は、どこにもたいした影響はないけど、もし乙骨淑子さんが今も書き続けておられるなら更にどれだけの良書を世に送り出されただろうか、と思うととても残念。
乙骨淑子さんは既に1980年、51歳で亡くなられている。

乙骨淑子さんの作風は、児童書ながら「骨太」という言葉がぴったり。それでいてやさしい。
どのような作家であったかということは、遺作『ピラミッド帽子よ、さようなら』のあとがきに収められている「告別のことば」(小宮山量平氏)からもうかがえる。

*小宮山量平氏による「告別のことば」より抜粋*
あの『ぴいちゃあしゃん』で、あなたは戦争責任そのものに、容赦なくとりくんだことは明らかです。そして『八月の太陽を』において、あなたは解放と革命の想念を、若い読者たちの精神の糧として見事に結晶させています。そして、今は絶筆となった『ピラミッド帽子よ、さようなら』では、現代的環境に囚われた若者たちの感受性そのものの変革にかんする最良の試行を決行しておられます。

このような揺るがぬ理念を貫きながらも、作品は人への慈しみ、生への賛歌にあふれている。
私はちょうど今、「告別のことば」にあげられている3作品を再読し終えたところ。
若い頃はストーリー展開のおもしろさにばかり惹かれた気がするが、今は読むほどに作者が真っ向から取り組もうとした壮大なテーマに包み込まれるような感覚があるし、作品の一編一編が、病弱だった乙骨淑子さんが血を吐くような思いで綴りあげられた結晶なのだと、ひたすら愛しい。

残念ながら、すべて絶版になっており中古本もなかなか手に入りにくい。
(所蔵している2冊の単行本、全8巻の全集は、今では私の宝物になった)
図書館でしか読めないけれど、ぜひ一読をお奨めしたい。
最初の一冊としては、ハイチ島が舞台になっている『八月の太陽を』が良いかもしれない。
実話に基づくものながら、確かな筆致で描かれる物語は起伏に富み、グイグイ引き込まれていく。

画像は単行本2冊。装丁もとてもいいでしょ?
乙骨淑子さんの本

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2010年1月25日 (月)

ハイチの「希望」

各種メディアでハイチ大地震の続報を目にするが、今朝の朝日新聞の画像のひとつに見とれた。
配給されたペットボトル入り水を手にした少女が、笑顔で駆けている。

走るその先に待っているのは父や母? もしくは小さい弟や妹?
この子の輝く表情は、貴重な水を手に入れ、(自分が飲めるということより)家族にあげることができるという喜びなのだろう。

ハイチの「希望」 大切な水をしっかり抱え、家族への思いが「早く、はやく」と少女を駆けさせる。
画像に名前をつけるなら、まちがいなく「希望」。
(どんなにしたって、大人にはこの表情、できないなぁ~)

その切抜きは既に私のパソコンデスクの前に張られているけれど、惜しむらくはそれがとっても小さいこと(4cm×6cm弱)。

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2010年1月20日 (水)

牡蠣パスタとロール白菜

年末に、ともしび洞さんのブログで拝見した牡蠣のパスタ。
「これはおいしいに違いない!」と確信したものの、作りそびれていた。

買い物に行った店でおいしそうな牡蠣が「本日のお買い得」になっていたので、「今日こそは」と買い求めてきた。
ともしび洞さんが書かれていた材料は、[ニンニク、タマネギ、パスタ、マイタケ、牡蠣]。
これに、家にあった白ネギ、青ネギ、鯖のヘシコのほぐし身を加えた。
牡蠣パスタ
う~ん、期待通り(*^_^*)
牡蠣のおいしいこの季節、皆さまもいかがでしょう。
レシピは、ともしび洞さんのところで。

十分これだけで一食になるのだけど、今夜は3人分の食事の付け合せにちょっとだけ作るつもりだった。
でも、家族が少なくなった今も、なかなか少量を作ることに慣れずこの通り・・・。

メイン料理はロール白菜。
白菜はいただくことが多い。食べきらない内に、また採りたてをいただいた。
白菜
残っていた内側の白いところを中に、いただいたばかりの大きな葉を外にして巻いた。
具は豚ミンチにみじん切りの玉ねぎなどをまぜたもの。
煮始めはこんな感じ。
ロール白菜1
出来上がりはこんな感じ。
ロール白菜2
切ったらこんな感じ。
ロール白菜3
「食べたらこんな感じ」が伝えられないのが残念。
シンプルなコンソメ味で、白菜はトロトロ。
ビッグサイズながら、ぺロリとおなかに収まるおいしさでした。

レシピ無しは無精かもしれない・・・。
作り方は一般的のものと変わりなくて、サイズの大きさだけが特徴かな。
白菜(特に中の白い部分)をトロトロにする為に、中葉はまず圧力鍋で蒸し茹で煮。
外葉の部分は軽く普通の鍋で蒸し茹で煮。その茹で汁をスープに使いコトコト煮た。

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2010年1月18日 (月)

再び金剛山

金剛山は子どもの頃から身近にある山。
小学生の頃、近所のご家族と一緒に登った記憶があるし、高校の耐寒登山もここ。
養護施設に就職してからは毎冬、子どもたちを連れて登った。
もちろん自分の子どもたちも連れて行った。
でも2週続けて登ったことなんか、あったっけ・・・?

雪がたっぷり、という情報を知ってその気になった。
先週の雪景色がもの足らず、今回は!と期待ワクワクではあったが、途中の車中で同行の夫とちょっと揉めた。

私の「登山の友」は、あったかいコーヒー。
途中休憩はこれで一息、頂上では満足感と共に楽しむ。
この日の山行きは午後からだったので、お弁当はいらない。
おいしいコーヒーをたっぷり点て、ポットに入れた。
車中で少し飲もうと、入れてくれたはずの夫のザックを探ると、ない・・・。
ザックの中は、ビックサイズの辞書「大辞林」がデーンと場所を占めているだけ。
鍛錬目的で重い辞書をバックに入れたのだろうと推察したが、落胆の余り「何で登山にコーヒーではなく、辞書なの!」とプチギレ!
でも、「ごめん、ごめん」と謝まっているし、荷物の確認を私も怠ったわけだし、結局、怒ったってどうなるものでもないし・・・、登り口でコーヒーを買うことに決めて気持ちを収めた。

登り口からチラチラと雪が残っているのは、先週にはなかった風景。
2合目くらいからは雪景色を楽しみながら、ほとんど休憩を必要とせず一気に頂上まで登った。
ブログ友のfumikenさんから、金剛山にいる野鳥のことを教えていただいたけど、今回は余裕があったせいか、ちゃんと野鳥のさえずりとその姿に出会えた。

金剛山
先週の金剛山より雪は多いでしょ。
この日の空は真っ青。青と雪の白とのコントラストもきれいだったけど、スッピンだった私は、雪の照り返しで頬が赤く焼けしてしまった。
「これはたいへん」と下りは、雪で頬を冷やしながら歩く。
そしてふもとの水場では、清流による水パック。幾度も顔にたっぷり水をかけたが、山の水は、飲んで良し、身体にかけて良し。
ほてっていた頬だけではなく、気持ちまでさっぱりした。

登り口まで降りた時は既に5時前なのに、今から登ってくる人がある。
山に慣れた人のように見えたので、夕暮れの金剛山が好きで、その時間を選ばれたのかもしれない。
遅い時間は初めてだったけど、暮れかかる山はとても美しかったもの。

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2010年1月16日 (土)

ハイチ島のこと

ハイチ島のことを、地図上にあるひとつの島(国)という以上に関心をもったのは『八月の太陽を』[乙骨淑子・著、滝平二郎・絵]を読んでから。
それから30年近くなるけれど、メディアを通して伝えられるハイチの話に良いものはひとつもなかった。
最近のテレビでも、暴力と荒廃、貧困、無秩序を象徴するような映像、あるいはハリケーン災害といったものばかり流れてきた。

そしてこの12日に発生した大地震。
天災は時と場所を選ばずにやってくるけれど、その被害状況は「時と場所」に大きく左右される。
大地震は、世界でも最貧国のひとつと言われるハイチを襲い、ほとんどの建物に耐震性はなく、どこもかも崩れ落ちた。

かつてはフランスの植民地だったこの国には、「世界で初めての黒人独立国(1804年)」という輝かしい歴史がある。
『八月の太陽を』では、過酷な支配に立ち上がった黒人指導者トウセンとその闘いが描かれる。
タイトル「八月の太陽を」は、優れた戦略家でもあるトウセンの作戦を表している。
軍備の十分なイギリス軍との戦いを、現地人にしか耐えられないような暑さの8月に照準を合わせたことにより勝利に導いた。

物語は1802年で終わり、独立には触れていない。
その理由として、作者の乙骨淑子さんのあとがきには、「独立国にはなったものの、それから160年以上もたった現在でも、なおハイチ島はその頃の黒人たちが願っていたほんとうの独立国になってはいないため」と書かれている。

『八月の太陽を』により、カリブ海の小さな国の輝かしい歴史に魅せらた私。
片や、その国ハイチの人々は貧困層が厚く識字率も低い。
自国の「物語」を読み、誇りや力を感じることなどどれくらいあるのだろうか・・・?
世界は不公平に満ちていると思うけれど、せめて大災害の時には、最優先で被災地とそこに暮らす人たちに手を差し伸べる世界であってほしい。
早くはやく、もっともっと救援を!

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2010年1月12日 (火)

昨日は雪の金剛山へ

今朝起きて1階に降りる階段が辛い。
それでもこの筋肉の痛みは心地いい。
年々体力が落ちているという自覚があるが、今年も何とか金剛山に登ることができた。

雪などどこにも見えない山道を登り始めてすぐ「ここは心臓破りの坂だった?」と連れに訴えるほど、脈は早く打ち息も切れる。
前後に登る人がいるので、ついつられてペースが速くなってしまうせいもあるかもしれない。
連れの言う「だんだんと身体が慣れて楽になってくるよ」も、たいして励みにならず、とぼとぼと歩を進めていると、子どもを3人連れた家族(?)が前に見えた。
しっかりと防寒ウェアを身につけた一番幼い男の子は4歳くらいか、登らされることに怒っているようで文句を言い続けながらよろよろと歩いている。

「あの小さいからだで、頂上までたどり着けるのだろうか?」と危ぶんだが、「がんばって行こうね」と声をかけ頭をなでた。
幼い子独特の柔らかい頭とふんわりした髪の手触りが伝わり、「子どもというのは髪まで愛しい存在なのだなぁ」という思いにしばし浸る。

それからにわかに、「あの子に先を越されては、いくら何でもかっこ悪過ぎる!」と気力が湧いてきた。

6合目くらいから残雪がちらちら見え始め、登山道も凍った部分が多くなり、アイゼンを付けることにする。
久しぶりのことでもあり、装着にずい分手間取っていると、「ワーン、ワーン」と大きな泣き声が聞こえてくる。やがて姿を現したのはあの男の子。
ジャケットもオーバーズボンもすっかり脱ぎ、おばあちゃん?らしい人に手を引かれて泣きながら登ってきている。
泣いているとはいえ、ここまで自分の足で登ってきたことに感嘆、そして再び出会えたうれしさ。
「しっかり歩いてえらいね。がんばろうね」とまた声をかける。

「この子の頑張り」に張り合ったおかげか、連れが言う「身体が慣れた」せいか、雪景色が足まで軽くしてくれたのか、その後すんなりと頂上へ到着。
気温0度の頂上は、新雪はないけれど、薄っすら雪化粧の木々は美しく、そり遊びをする子たちの歓声にも和まされる。
金剛山

食堂でお弁当を食べているとき、近くのテーブルにあの男の子家族がいることに気が付いた。
男の子は、怒ったこと、泣いたこと、しんどかったことなど全くうかがえさせないケロリとした表情でカップラーメンに食らいついている。
それは、「子どもは過去や未来ではなく、今そのものを生きる」と言われる姿そのままだった。

次の画像は、登る途中にあったお地蔵さんの前に置かれた木の看板。
男の一生?

女の一生

金剛登山だけでも十分堪能した1日だったけど、帰りに千早赤阪村の棚田水仙(千早赤坂楠公保存会管理)に寄った。
前日の朝日新聞に大きな紹介記事が載っていたので、予想通りずい分の人出。(私も近隣には幾度も訪れながら、この記事を読むまで知らなかった)
道路には、ずらりと違法駐車、これはイケマセン!

棚田の水仙
すぐ近くの「道の駅」に駐車して、棚田に咲き誇る水仙をしばし観賞。
水仙の花も香りも好きだし、5万本という数にも圧倒されるけどどうも私の好みではないみたい。
「辺り一面のコスモス」は大好きで、富山県にまで見に行ったこともあるくらいだけど、水仙は群れずにひっそりと、それでいて凛と咲いているのがいい。

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2010年1月10日 (日)

『カティンの森』

公開を待ち続けたアンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』が大阪でも始まった。
ワイダ監督は1950年頃からこのテーマの映画化を考えていたが、当時の冷戦下では「カティンの森事件」の真実に触れることはタブー。
その頃から約60年、事件からは70年近くかかってやっと作り上げた、これはワイダ監督執念の作品となる。

「この映画は、ぜひ封切り日に!」という願いがかない、昨夜シネ・リーブル梅田まで出向いた。
上映開始を待つ間もワクワクと気持ちが高ぶる映画なんて、久しぶり。

画面全体に漂う雲に浮かび上がるタイトルやクレジットから始まり、無言で終わっていくローリングタイトルまで122分間、身じろぎもせず見入った。

まずは80歳を超えても尚「う~ん、さすが」と観客をうならせるアンジェイ・ワイダ監督に敬意を!
どの国の人であっても、戦争の悲惨と悲しみを体験した人に刻み込まれたものは深く、強い。
この世代の人たちによる、文学や映画などを通しての表現活動に残された時間は残念ながら多くはない。
できるだけ多くの作品に接して、少しでも継承していくのが自分の世代の役目と知りつつ、現実は感嘆するだけで終わってしまうけれど・・・。
願わくば、ワイダ監督にもっともっと時間を!
さらに新しい映画作りを、などとは望まない、やすらかに最良の時間をいっぱい過ごしてほしい。
ホントにお疲れさまでした。(と言っても、この映画は2007年作でその後の作品も既にあるらしい)

さて、『カティンの森』の話に戻ろう。
作品は、ワイダ監督自身の両親に捧げられている。
ポーランド将校だった監督の父は、1940年「カティンの森事件」でソ連軍により虐殺された。
母親は、ほとんど生涯の終わりに至るまで、夫の生還を信じ待ち続けたという。

公式サイトで監督は次のように語っている。
「この映画が映し出すのは、痛いほど残酷な真実である。主人公は、殺された将校たちではない。
男たちの帰還を待つ女たちである。彼女たちは、来る日も来る日も、昼夜を問わず、耐えられようもない不安を経験しながら、待つ。
信じて揺るぎない女性たち、ドアを開けさえすれば、そこには久しく待ち受けた男性(息子、夫、父)が立っているという、確信を抱いた女性たちである。
カティンの悲劇とは今生きている者に関わるものであり、かつ、当時を生きていた者に関わるものなのだ。」

>残酷な真実
監督の語る言葉通り、「残酷な真実」はストーリー展開に伴う主に女たちの言動や表情によって観客に突きつけられ、ごまかしようもなく確かにあったその虐殺をも見せつける。
これほどの大虐殺が闇に葬られ、あるいは真相を捏造されていたことを改めて知らされる。
そして、真実が明らかになった現代でさえ、事件のことを知らずにいる人がたくさんいることを考えさせられる。
この映画をきっかけとして今後「カティンの森事件」がさまざまな媒体によって表現され、若い世代にも知られていくことを期待したい。

>カティンの悲劇とは今生きている者に関わるもの
「歴史認識」をおろそかにしがちな現代の風潮にあって、ワイダ監督の危機感は高い。
その意識が今も尚現役での精力的な活動を支えているのかもしれない。

まったく目をそらさせない展開でありながら、実はちょっと登場人物の関係がわかりにくいところがあった。(ポーランド女性がみなよく似ているように見えてしまうし・・・)
そんな方はぜひパンフレットのご購入を!
同じ思いの人も多いらしく「登場人物相関図」なるものが載っていた。
シナリオも収録されているし、記事も読み応えがあるので500円(だったかな)は高くないと思う。

皆さま、ぜひご観賞を!
カティンの森 

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2010年1月 8日 (金)

「ホームレスでも生きていける」?

年末年始は末っ子家族がやってきていた。
久しぶりに見る8ヶ月の子はすくすくと育っており表情も豊か。
その子はいつもかわいらしい服を着せてもらっていたが、親たちはと言うと・・・、どれも去年に見たものばかりのような・・・。
そういえば、以前会ったとき「この1年間、下着1つ買っていない」と言ってたっけ。
もっとも、21歳と20歳という若さあふれる2人はどんな服装であれ「貧相」に見えることはない。

まだ学生である息子は、普段は朝から夜まで授業と学校図書館での暮らしらしい。
子と(妻とも)存分に触れ合うことのできる年末年始を、実家でしっかりと楽しんでくれたよう。

正月のごちそうを小気味よいくらいにパクパク平らげながら、「今ではホームレスでも生きていけると思う」と言う。
子にできるだけのことをしてやる為にも、ずい分切りつめた生活をしているのだろう。
私としては、「ホームレス」の人がいっぱいいる現状でもあり、ちょっと反論。

「その気持ちになれるのは、家族がいて、周りもしっかり支えてくれているからだよ。
もし本当にホームレスになったら、どんどん落ち込んでいくと思うよ」

「そうやなぁ、もし今、○○(妻)と○○(子)がいなくなったら、生きていかれないだろうなぁ~」と息子も同調。

水仙 さて、この子はもう1年、学生生活を送ったあとは名実共に自立せねばならない。
今も一生懸命に生きていることは認めるけれど、まだ就活の厳しさも、働く厳しさも、経済的に家族を支える厳しさも知らない。

実際のところ、世相を考えると親の目には心配材料ばかり。
その中でポッと輝いている希望は、「ホームレスでも生きていける」と言わしめた息子自身とその環境かな。
真剣に取り組んできた学業、早くに出会った生涯のパートナー、健康で授かった新しい命、周りで支えてくれている友人たちや親族・・・。

社会や現実の厳しさにぶち当たっても、ぶち当たっても、気持ちをくじけさせず、自立して自分の人生をしっかり歩んでほしい。
卒業したその後は、危なっかしくても私は「そっと見守る」親でありたい。
**********
画像は今年初めて買った花、水仙。
玄関に生けられた花にもなかなか気がつかない家人も「あれ、何の匂い?」とキョロキョロ。
その後しばし見とれていた。

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2010年1月 6日 (水)

雷蔵に終わり、雷蔵に始まる(映画の話)

結局、2009年最終観賞作品は、市川昆監督市川雷蔵主演の『炎上』。
2010年初観賞は、同じく市川昆監督市川雷蔵主演の『破戒』。
梅田ガーデンシネマでは、雷蔵没後(37歳で癌により死去)40年企画「大雷蔵祭」と銘打って12月から1月にかけて一挙50作品を上映している。
これらの作品が作られた時代(50年代から60年代前半)は日本映画全盛期、名監督、名役者が揃っている。
市川雷蔵といえば、「眠狂四郎」のニヒルな着物姿が印象深いが、『炎上』(1958年)は初の現代劇。

「雷蔵人気は根強いとしても、年末(12/27)にこんな暗い映画、観に来る人、あるのかなぁ?」の予想ははずれ、かなりの入り(もっとも劇場は小さい)。
そしてもっと予想を超えたのが雷蔵の魅力。
屈折した感情をもつ見習い僧侶役は、「演じている」とは思えないくらい巧みでぐいぐいと引き込まれる。(原作は三島由紀『金閣寺』)

欲が出て年始にもう1本観たのが『破戒』。
「年始(1/4)からこんな暗い映画、観に来る人、あるのかなぁ?」の予想は、またもやはずれた。
中高年女性が多いが、男性、若い人もいる。
作品は、といえば映像は美しく、カメラワークも目を見張る。
役者は個性的でまさに「映画を堪能」させてくれた。
脇を固める中村鴈治郎、杉村春子、藤村志保・・・といった役者たちは、母が好きだったので小さいときからなじみがあったけれど、今更ながらその存在感に圧倒された。

島崎藤村の『破戒』の原作とは、ストーリが少し違っている。
例えばラスト部分、原作では丑松は「差別のない国へ行く」とアメリカへ旅立つ(差別から逃げる)が、映画では、差別と闘う運動家になるという含みをもたせている。
原作が世に出たのは明治39年(1906年)、そこから映画公開時の昭和37年(1962年)で時代は進み、差別に対する認識も変わってきたということかな。

今年も時間を見つけての映画館通いは続きそう。
目をつけているのは、大阪ではこの9日から公開のアンジェイ・ワイダ監督『カティンの森』。
見損なっているイ・チュンニョル監督『牛の鈴音』。
そして3月上映のフランス映画、ジャン・ピエール・メルヴィル監督『海の沈黙』
とロベール・ブレッソン監督『抵抗 死刑囚の手記より』といったところ、
でももっとどんどん増えていくだろうなぁ・・・。

七草粥
画像は七草粥。
おなかを休める目的もあるというのに、お餅なんか入れちゃだめかも・・・?

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2010年1月 2日 (土)

あけましておめでとうございます

昨夜11時頃外に出ると、漆黒の空高く白い月(満月かな)が冴え冴えと輝いていた。
冷えた空気もまたその月に似つかわしくて、しばしたたずむ。
年末年始と主婦仕事に追われているが、家族の為に忙しく働ける幸せ、穏やかな心で美しい月を見上げることができる幸せをかみしめた。

お雑煮
新しい年が皆さまにとって良い年でありますように。
今年もどうぞよろしくお願いします。

元旦のお雑煮はおすまし。
(かつおと昆布だしに、大根、人参、ゆりね、チキン、水菜、しめじ、かまぼこ、いくらなど、ゆずは必ず)
2日はあんこ餅白味噌雑煮。食べてみるまでは「あんこ餅でお雑煮!?」とおそるおそるのチャレンジだったけど食べたら、はまった!家族にも好評。
四国かどこかの郷土料理だったかな。

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