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2010年2月22日 (月)

施福寺 「札所」の賑わい

昨日の日曜日、和泉市にある西国三十三所の第四番、槙尾山(まきのおさん)施福寺(せふくじ)を訪れた。
ふもとの駐車場は既に一杯。山道にもたくさんの人の姿が見える。
施福寺は、欽明天皇(539-571)に開かれ、最盛期には、1山800坊、三千余りの僧がいたという。(織田信長による焼討などを経て衰退)

谷川のせせらぎを聞き、時に巨木に目をみはりながら緑濃い山中を、ひたすら石段を踏みしめ進む。
漂う静謐さに、かつてこだましていたであろう三千もの僧、修験者たちの読経が響いてくるかのような錯覚に陥る。
ところどころに見られる屋敷跡と思われる石垣も、隆盛だった昔を偲ばせた。

登りかけてすぐ迎えてくれた観音様。
迎え観音

お不動さんの立ち姿は、数百年の時の経過を感じさせるが変わらず威厳に満ちている。
お不動様

覚悟していたほど過酷でもなく、30分ほどで登りきったかな。
頂上から望めるむ岩湧山、先日登った金剛山などの連なりは雄大で美しい。
一方、うどんや飲み物を供している店もあり、人が多いこともあってかなり世俗的な印象もある。
ふと、幾度か訪れた同じく由緒ある古寺、高貴寺の静かなたたずまいを思い起こした。

この施福寺の賑わいの要因のひとつは、まちがいなく「札所」であるということだろう。
「西国三十三所」がどのようにして決められたのかは知らないが、現代においてもその影響は大きい。
私がこの寺のことを知ったのも「西国三十三所」関係の書籍だもの。
納経所では、記帳を頼む人が次々ある。
納経
300円の料金だけど、団体だったら相当の数になるし、掛け軸仕立てだったらもっともっと高い。
などと、お寺のそろばん勘定をするつもりはないけれど、運営に大いに関係することには違いない。

「西国三十三所」選定にも「政治と金」が動いた、のかな・・・?

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