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2011年7月 2日 (土)

第六感?それとも偏見?

東淀川の方で友人が居酒屋をやっている。店は、一人できりもりできるくらいの広さで早い時間から常連さんたちが立ち寄る。
特に珍しい料理もないけれど、家庭料理の味わいで食べ飽きない。

2週間ほど前に久しぶりに行ってみたら、何だか友のようすが違う。
変わりなく調理や接客をこなしているように見えて、どこかおかしい。
そのことがテキメンにわかるのが料理の味。
ほっこりとやさしい甘さのはずのかぼちゃの煮物に、まろやかさがない。
いいだこの煮物は固さが勝っているし、焼きうどんの味にもめりはりがない・・・。

本人も「欝の気があるかもしれない」ともらしたので、ずっと気になっていた。

この木曜日に少し夜に時間ができたので行ってみた。
まだ十分に明るい6時過ぎ。既にカウンターと2人掛けテーブル1台の店はほとんど満席。
カウンターの中央に30代くらいの男性客がいてその両隣だけが空いている。
右側に席を占めたものの、どうも友人の表情や店内の雰囲気が重い・・・。
おまけに座るなり、右隣の女性が私の椅子を引っ張り「もっとこっちへ、こっちへ」とささやく。

「ん?もしやこの妙な重さは、左の席にいる男性に何か原因が?」
と思う間もなく、友人が「お客さん、もう少し静かにして下さい。他のお客さんに迷惑になるから、困ります!」と、その男性に向って顔を引きつらせながらも言い渡した。

「何を。 ようそんなこと言うな。ワシが何をした言うねん。男やったらほっとかへんけど、女相手にけんかはできんわ」と少し凄みを帯びた調子で言い返されても、友は引かない。
「さすがに女一人で長年店をやっているだけに、たいした度胸やなぁ」と感心しながらも、なぜ友がそんなにその男性をけん制するのかがよくわからない。

どうやら一人でフラッと入ってきて、ビールを飲みながらやたら大声で他の客に話しかけているようで、真横に座った私にも声をかけてきた。
少しなまりのある口調で地声が大きいのだろう、あたりをはばからずに語ることは、
「今日、出てきたところや。ダイケイ(大阪刑務所)はすごくキツイところやった。3回(喧嘩が原因で)入ったけどあそこが一番キツイ」
「出てきてまず散髪に行って、ちょっとビールが飲みたくなってこの店に入った」といったような内容。

いかにもジェントルマンでも隣に座り合いたくない人もいるけど、この「今日出所したばかり」の人は、私にとっては少しも不快や警戒心を呼び起こすものを感じさせない。
むしろ誇張も悲哀も含まない口調で淡々と語られる、彼自身の物語はとても興味深い。

少し店内の雰囲気も落ち着いてきたように感じたが、その男性が「ビールをもう1本」と注文すると、友はそれを拒否。「うちの店はもうけっこうですから」とグラスまで引いてしまう。
男性は「そんなん言わんときや。あと1本飲んだら帰るんやから」と、短気にもならず繰り返す。

友の気持ちも理解したいし、男性も気の毒だし「さて、どうしたものだろう?」と思案しているところに登場したのは、友が密かに連絡したらしい大阪府警の腕章をつけた警官2名。
男性は抵抗もなく店外に連れ出された。

ずっと緊張の時を強いられていた友は「こわかった!」を連発。
「とにかく入ってきたときから目つきが普通と違う、あれはヤクチュウとか通り魔とかの目や」と。
長年客商売をしている友は、おそらく私より人を見る目があるだろうし、女一人の商売では客を選ぶことも必要だろう。
相手に「帰ってくれ」よがしに言える勇気も買いたい。

それでも・・・、私は後味が悪かった。
男性は暴力を振るったわけでもなく脅すこともしていないのに、追い出された。
店主である友の怖れや警戒はともかく、店内の客たちの反応も過剰であった(と私は感じた)
第六感が働いているのか、それとも偏見なのか。
生きにくい人はどこまでも生きにくく、「フツー」の人たちとの壁は厚いものなのか・・・。

この日のかぼちゃの煮物はいつものおいしさに戻っていた。
どうやら友は復調したらしい。
ヤワではやっていけない仕事には違いない。

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コメント

 もう随分と昔の話です。バスに乗ったところ、車内には、私と、前の方の席に30代半ばくらいの女性、後部座席には明らかに知的障害があるとお見受けする男の子とその母親らしき女性がいました。30代の女性は、もしかすると赤ん坊を連れていたかも知れませんが、その辺りの記憶は曖昧です。

 男の子は時々奇声を発したりするのですが、30代女性はその声がする度にビクッとして、明らかに怯えているようでした。

 あるバス停で男の子とその母親らしき女性は下りて行ったのですが、後部座席から前方の降車口 (神戸の市バスは後部ドアから乗って、前部ドアから降ります) へ歩いて行く途中、男の子の手が30代女性の体に故意にではなくわずかに触れてしまいました。

 その時の女性の恐怖に引きつった表情が、今でも忘れられません。男の子は時々奇声を発するとはいうものの、車内で暴れるわけではなく、保護者の方も付いているのです。『そこまで怯えることはないやろ。男の子は何も悪さしてへんがな・・・』 と思ったことを憶えています。

 『生きにくい人はどこまでも生きにくく、「フツー」 の人たちとの壁は厚いもの』 なのだと思います。

投稿: ともしび洞 | 2011年7月 2日 (土) 23時10分

ともしび洞さん、こんばんは。
生きにくい人はどこまでも生きにくく、「フツー」の人たちとの壁は厚いもの。

そうですか、切ないですね。
「フツー」に暮らしていても、例えば震災などによって「弱者」になってしまうと、どんどん生きにくくなる人がたくさんでてきます。
「フツー」の人たちは(自分も含めて)しだいに、その人たちのことを記憶の彼方へ追いやってしまいますしね。

ともしび洞さんが経験されたことと類似のことは私にもあって、やはり「そこまで怯えることはないやろ」とやるせなかったです。
私は人一倍小心で怖がりですが、そんな状況にはちっとも怯えませんので、心情が理解しにくいです。

投稿: りん | 2011年7月 3日 (日) 21時45分

ムショ帰りの客と隣り合わせというシチュエーションですか。
望んでもなかなかできない経験 ?!

服役後の彼らをどのように社会復帰させていくかは、残念ながら日本の法務制度にはほとんど無いというのが実態のようですね。
満期出所でも仮釈出所でも、わずかな金銭を与えるだけでほっぽらかし、ですから。

そんな受刑者と社会との関係は当然にもビミョウなものになりがちですので、お友達の居酒屋のような状況も宜なるかな、ですね。

お話しのようなケースですと、受刑者の一般的な傾向というより、その人と、女将の個別具体的な関係性も反映していたのかもしれません。

過剰防衛で接するだけの社会の在り様では、またまた犯罪予備軍へ追いやることにもなりかねません。

なかなか難しい問題ですが、りんさんのような距離で見守るという余裕と姿勢が社会にあれば、重犯を防ぎ、社会復帰ももう少しスムースになるのでしょうがね。
この分野では先進国でもっとも遅れているのが日本なのだそうです。

「フツー」というカギ括弧に含意される「疑い」を持つことができるのは素敵なことです。

(ところで公務執行されたのは「迷惑防止条例」とか? ← 過剰防衛かも)

投稿: Yuh | 2011年7月 3日 (日) 23時52分

Yuhさん、コメントありがとうございます。
私としては特に「見守るという余裕と姿勢」を意識したわけではなく、嫌な気がする人ではなかったので、会話していただけでした。
なぜ他の人があれほど嫌がるのか、ホントにわかりません。
自分の感覚が「フツー」ではないのだろう、という気にはなりましたが・・・。

投稿: りん | 2011年7月 5日 (火) 23時15分

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