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2012年7月25日 (水)

『七十歳死亡法案、可決』

好奇心にそそられ買ってしまった小説。垣谷 美雨著『七十歳死亡法案、可決』

『七十歳死亡法案、可決』内容(「BOOK」データベースより)
2020年、高齢者が国民の3割を超え、社会保障費は過去最高を更新。破綻寸前の日本政府は「七十歳死亡法」を強行採決する。2年後に施行を控え、宝田東洋子(55)は「やっと自由になれる」と喜びを感じながらも、自らの人生の残り時間に焦燥感を隠せずにいた。我侭放題の義母(84)の介護に追われた15年間、懸命に家族に尽くしてきた。なのに妻任せの能天気な夫(58)、働かない引きこもりの息子(29)、実家に寄りつかない娘(30)とみな勝手ばかり。「家族なんてろくなもんじゃない」、東洋子の心に黒いさざ波が立ち始めて…。すぐそこに迫る現実を生々しく描く。注目作家、渾身の書き下ろし小説。
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この本のことを知ったときにまず浮かんだのは愛読書、『楢山節考』深澤七郎著。
現代版『楢山節考』をいかに描いたのかを、確かめずにはおられなかった。

『楢山節考』に登場する、まもなく70歳になる「おりんばあさん」は、死を(それが村の因習による強制的なものであっても)自然の習いとして凛として受け入れる。
私にとって「よく生き、良く死ぬ」のある意味お手本ともなっている。

さて、『七十歳死亡法案、可決』。今や70歳での死亡は「若死に」の感がある。
この年齢で自分や家族の死を受け入れられる人がいるだろうか?
85歳とか90歳での設定であれば、もう少し感情移入できたかもしれない。
(もちろん法で死を強制されることは絶対認められないけれど)

それぞれ現代を象徴するようなキャラクターの言動も、どこかしっくりこない。
心深く入ってはこないが、ストーリー展開を追う楽しさはあり一気に読んだ。
しかし・・・ハッピイエンド好きの私でさえ、余りに「でき過ぎ」の話ではあった。

ネタバレは避けたいが、つまるところ現代版『楢山節考』ではなかった、ということだけは書いておこう。

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2012年7月18日 (水)

あとからあとから人波切れず

さようなら原発10万人集会「さようなら原発10万人集会」、行って来ました。
猛暑を覚悟の東京行き。リュックの中には凍らした500ccの水が3本。着替えのTシャツ、そしてプラカード。水は飲用と、首に巻いた冷却マフラーを浸すため。

不案内の東京ながら何とか11時頃には会場に到着し、第4案内カーから道路を隔てた木陰に座り込んだ。
前にある幅の広い道路はメイン会場への通り道になるので、私の前を途切れることなく人々が通る。
中高年の男女あり、若いカップルあり、子どもを交えたファミリーあり、ベビーカーを押すママあり・・・。
プラカード類を手にする人も結構いたものの、その人たちから受ける印象は、時たま休日に訪れる堺の大泉緑地公園で出会う人たちと同じ。

今日のお休みは、プールや他の公園、あるいは家での読書などで過ごすのはやめて「さようなら原発10万人集会」に来られたのだろうな、と感じられるごくフツーの人たち。

そのごくフツーの人たちがゾロゾロゾロゾロとメイン会場へと向かう。
12時になっても、1時になっても、1時半になってもその人並みは切れない。

第4案内カーからスピーカーを通して聞こえてくる、反原発団体や原発現地からのメッセージも興味深いのだけれど、私の視線はずっと前を通り過ぎていくこのフツーの人たちにくぎ付け。
「抗議行動!」といった非日常ではなく、「原発はいらない」という気持ちから当たり前の日常として集会の一員となっている(と感じられる)無数の人たち。
その人の群れを見ながら、ヒタヒタと胸に満ちてくるものがある。
当たり前のように、「自分は原発はいらない」と意思表示する人たちがこんなにいるって、もしかしてスゴイことでは!?

もはや日常なのだから、彼、彼女たちはまた次の意思表明の機会にも、そしてまた次の機会にも参加するだろう。
政府としてもいつまでも無視することはできないだろうから、反原発、脱原発が実を結ぶのはそんなに遠いことではないかもしれない!?

私は単身参加だったけど、集会でもデモ行進でもお隣の人たちと話がはずんだ。
福島出身で現在アメリカ在住の方は、「9月にアメリカに帰ると何も参加できないから」と言われていた。
群馬の若い女性は、デモの時「シュプレヒコールの先導」にチャレンジされ、その初々しさがとても素敵だった。
群馬の女性や、静岡、埼玉、名古屋の方たちとは解散後にお茶をご一緒し、これまた楽しい時間だった。

そんなかんやで17万人の内のひとりであったことも含めて、とてもHappyな1日だったのでした。

画像は集会での私。隣の人が頼みもしないのに?撮ってくれた。

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2012年7月11日 (水)

プラカードはこれで

「さようなら原発10万人集会」において、10万人の内のひとり、いや100,001人目となるべく、この16日は東京に行く。
動きが鈍い自分がそう思い駆けつけるのだから、もしかしたら参加者はどんどん膨らみ私は150,001人目とか200,001人目とかになるかも・・・?

自分もどこかで意思表示を!とは思いつつ、近場の「関電本社前抗議行動」は、夜まで仕事の曜日に当たるので行けない。
ふと目についたのが、「さようなら原発10万人集会」。
この日なら参加できる!と即、決めてしまった。

おかげで、またもや東京へのとんぼ帰り。
「東京暮らし」へのあこがれは淡いものだけど、じっくり観光(文化、芸術鑑賞も含めて)してみたいという気持ちは大いにある。1度は、はとバスだって乗ってみたい。
ところが、どういうわけか私の東京行きはいつも目的直行直帰。
東京に住む友にさえ、東京では会えたこともない(-_-;)

No Nukesとはいえ、似たような状況の人たちもいっぱい16日には集まるのだろう。
東京という地に縁は浅くとも、思いが同じの人たちとの縁は結びたい。

こんな帽子をかぶり、このプラカードを持っている人を見つけたら、それは私です。
声をかけてくださいね(*^。^*)

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2012年7月 8日 (日)

4時間の至福

旅芸人の記録ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の訃報が1月に伝わった時は衝撃だった。
死というものは、人を選ばず突然訪れることがある。
そのことはわかっていても、いつもいつも中々受け入れにくい。

日本で公開されたアンゲロプロス作品は、ほとんど観ている。
おかげで「ギリシャ」でイメージされるのは、霧にけむる寒色の情景、あるいは小雨にぬかるむ土道、そしてエレニ・カラインドルーの抒情的な音楽だったりする。

新作を観ることはもはや叶わないものの、必ず行われるであろう「追悼上映」を楽しみにしていた。ところが映画館でもテレビでもちっともその気配がない・・・。

そして半年。大阪での「突然の追悼上映」の案内を見つけた。
何とか時間を調整しての鑑賞は、代表作『旅芸人の記録』

『旅芸人の記録』Wikiより
旅芸人の一行が19世紀の牧歌劇「羊飼いのゴルフォ」を上演しながら、アトレウス家の古代神話を基にギリシャを旅し、1939年から1952年の歴史と政治史が旅芸人の視点から語られる。「現代ギリシャ史と風景を横断する旅」をテーマとし、ギリシア神話に依拠した、叙情詩的、叙事詩的な作品である。

夜6時半からほぼ4時間にわたる長編であり、過去に幾度か鑑賞もしているので「眠気が襲うかも?」との予想は全く当たらなかった。
正に至福の4時間。
すっぽりとアンゲロプロス監督の世界にはまり込み、現実世界のことはすべて遠のいた。
感情移入ではなく、「寄り添う」という感じ。
かつて幾度か観たときにそのような感覚はなかったので、自分が年を重ねたことも関係しているのだろう。

アンゲロプロスが作り出す人物、情景、音楽、ストーリー。
そして、歴史とそれらが織りなすハーモニー。
ここに身を置き、心を寄り添わせることの心地よさ。

76歳で逝かなければならなかったアンゲロプロスはさぞ無念であったろうが、改めて心からの感謝を捧げたい。すばらしい作品をありがとう!

余談をひとつ
このポスター、「譲ってほしい!」と映画館でお願いしたけど、「古いもので上映終了すれば返還しなければいけない」と断られた。残念。

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2012年7月 4日 (水)

原発はいらない

友達だったら距離をおく。
恋人だったら「さようなら」
夫だったら離婚。
親だったら限りなく恥ずかしい。
子どもだったら限りなく情けない。
そのどれでもないのが幸い。
それでもテレビに映る顔を見、声を聞くだけで不愉快になる。

「総理に届け!」とほとばしらせている、心からの願い、訴えの声、声、声を「音」と受け止める感性。
彼にとっては、総理官邸を取り巻く幾万もの人々は、おそらくただの「烏合の衆」で、「守るべき国民」ではないのだろう。

その「烏合の衆」は、まぎれもなく「国民」であることを気付かせる。
その「国民」たちすべてが原発のない暮らしを要求していて、その要求を受け止めるのが自分の仕事であることを理解させる。
仕事をまっとうできないのなら職を退いてもらう。

その為に何度でも何度でも繰り返し声を上げ続ける。

その思いは強いのに、定例の金曜日は夜まで仕事で、地元の大阪関電本社にさえ駆けつけることができない。

それでも、16日の「さようなら原発10万人集会」に参加できるめどはたった。

6月に参加したペシャワール会現地代表の中村哲医師の講演会で、中村哲氏は原発関連の質問を受け「(自分は古い言葉しか知らないが)原発を推進する人たちは(国を滅ぼす)国賊」と明言された。
「国賊」という表現はピンとこないけど、日々の暮らしを滅ぼし、命を滅ぼし、土地を滅ぼし、国を滅ぼすのが原発だということはよくわかる。

金曜日に動けない分、16日にはおもいっきり大きな声を上げたい。
プラカードはどんなものにしよう?

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