2008年10月22日 (水)

『医者、用水路を拓く』

「ペシャワール会」事務局長の福元満治さんの講演を聞いてから、中村哲著『医者、用水路を拓く』(副題:アフガンの大地から世界の虚構に挑む)を読み始め、手離すことのできない本となっている。
読まないときも、そっとそばに置いておきたい。

『医者、用水路を拓く』 タイトル通り、医師である中村哲さんがアフガンの地で用水路を開くまで(2001年9月~2007年4月)の活動が詳しく記述されている。
また副題にあるように、「世界」が対テロ、国際支援といった名目でやっていること、またやらねばならないことの実態も鋭くえぐっている。

中村哲医師は、現場でもこの本でも観念的な論理展開や著述はしない。
現地にいて、現地で困窮する人たちに必要なものを見極めて、その改善のために行動する。

用水路建設は当初から計画していたものではない。
命を守り救うはずの医療人、それが2000年夏からアフガニスタンを襲った大干ばつによる深刻な飢餓と渇水の前では余りに無力。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得る。

そのように感じた中村医師に、無力感と妥協しながら、(自分は医師であるのだから)せいいっぱい医療活動を展開する」というような選択肢はない。
(必要なのが水であるなら)「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に水源事業を始めてしまう。

(水路)工事に関しては全くの素人なのに、膨大な水量を10数キロにわたり流す用水路建設(工費は数億円)を決定する度胸。
それを完成させてしまう力量。
(その過程を知ると、これはもう奇跡としか思えない。計画を宣言されたときの中村医師の言葉そのまま「武器なき戦い」と表現されるべきもの。中村医師の精魂かけた戦いだった。)
そして感謝する農民に「水は神様からの授かりもの」と返す感性と驕りのなさ。

まえがきのしめくくりに「武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めを与えればこれに過ぎる喜びはない。」と書かれている。
この本に記述された中村医師ならびにPMS(ペシャワール会)の活動が与えてくれるものは、勇気と慰めにとどまらない。
何より、今の時代を共に生きている人に中村医師のような人がいることがうれしい。

添えられている、豊富な水をたたえた用水路、その水で潤い緑を取り戻した農地などの画像は美しく、アフガニスタンという国とその地に生きる人々に想いを馳せさせる。

さまざまな示唆に富んだこの「宝物」のような本、ぜひぜひ一読を、とお勧めしたい。

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2008年9月25日 (木)

『命あるかぎり』河野 義行

半年くらい前に、レンタルビデオで『日本の黒い夏 冤罪』熊井啓督を観た。

1994年6月に起きた“松本サリン事件”を題材にしたもの。
その映画のワンシーン。
サリンガスでけいれん状態になった妻澄子さん。
自身も意識がかすれていく中で、河野義行さんは「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」(正確な表現は忘れた)と感じている・・・。

冤罪が、警察とメディア、そして"世間"によってつくられていく過程も興味深かったけれど、何より印象に残ったのはこの部分。

妻となら死んでもいい、という夫婦のあり方
さらに、突然に妻が倒れ、自分にも襲い掛かった重大な症状、その切羽詰った状況にあって、「なぜこうなった?」「これからどうなる?」ではなく、ただ現在だけを見つめる潔さ。

命あるかぎり  その河野義行さんの新著『命あるかぎり』を読んだ。
そしてこの人なら、「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」の思いは事実だろうと確信した。

河野さんは、「もし、母さんと君たちが乗っているボートがひっくり返ったとしても、お父さんは母さんを1番最初に助けるから」と子どもたちに話していたという。
子どもたちへの愛情が薄いのではなく、親の役割は「子どもを独り立ちさせ、社会に送り出すこと」、あくまで家族の母体は夫婦、という考え方によるもの。
もちろん、澄子さんへの信頼と愛情は深い。
また、自分の性格も楽天的と評価されている。
「心配しても始まらない。すべきことに全力を傾け、結果は天に委ねてしまう。」を通してこられたという。

モノに対する考え方も潔い。
「将来のためにという思いで必死に働いて、食べるものも、着るものも我慢して建てた家、あるいは貯めた貯金。そういうものも死んだら、あの世にはもっていけない。そう考えると、家も土地もお金やさまざまなモノは、みんな所有しているのではなく、生きている間だけ使わせてもらっている。」

河野さんは"松本サリン事件"の前もあとも、いつ終わりが訪れるかわからない人生のどの瞬間も愛しみ、自分にとって大切なもの(1番は家族)を最優先に考え、物欲に囚われず今やりたいこと、しなければいけないことに徹してこられた。

このような河野さんならば、突然訪れた終わりの(と思われた)時が、「最愛の妻とならそれも良し」だったのだろう。
そしてまた著書にもあるように、
「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」
を貫くことができるのだろう。

澄子さんは14年間もの闘病後亡くなられてしまったけれど、被害に合われるまではもちろん、その後も義行さん(と子どもさんたち)と過ごされた日々は幸せではなかったろうか、と読後は感じられた。
それでも、「でもこんな事件に巻き込まれなかったらもっと幸せだったろう・・・」とチラと考えてしまうところが「河野さん」になれない所以。

今回は主に「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」にこだわった取り上げ方をしたけれど、もちろん冤罪やマスコミ報道などについても、とても示唆に富んだものとなっている。機会があればぜひ一読を。

「いろいろな人がいるなぁ」とまた河野さんのあっぱれな生き方にも感心した。
自分は自分の生き方を見失わずまた否定せず、少しずつでも膨らませながら命あるかぎり日々を愛しんでいきたい、と思う。

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2008年8月29日 (金)

『ベルリン終戦日記』

8月はテレビ番組や新聞の書評欄に戦争関連のものが多い。
そのこともあって、今月はテレビ視聴や読書時間が長かったように思う。
特にNHKによるドラマ(広島放送局開局80周年ドラマ『帽子』)やドキュメンタリーなど秀作揃いで、見始めるとぐいぐい引き込まれてしまっている。
書籍も、字が大きく平明な文体の読みやすいもの中心に幾冊か読み終えた。

ベルリン終戦日記 『ベルリン終戦日記』(著者は匿名)はその内の1冊。
ベルリンに住んでいた34歳の女性ジャーナリストの手による、ベルリン陥落前後の1945年4月20日から6月22日までの日記。
過去を振り返っての記録ではなく、「その時代、その場」に生きた人がリアルタイムに書き綴ったもの。秀でた文章力により情景は生々しいまでに伝わる。
爆撃、破壊、占領、略奪、陵辱・・・。

1960年にドイツで出版された際、「レイプと生き延びるための性的協力」が描かれていることなどにより、相当の物議をかもし出したらしい。
著者が亡くなったことでようやく再版になったとのこと。

衣食住、さらには安全さえ常に危機にさらされ続けている状況でよくぞここまで書き記したものだ、と感嘆するが、むしろ書くことによって精神のバランスを保っていたのかもしれない。
著者自身ももちろん性暴力から逃れることはできなかったし、「犠牲者」の視点で書かれたものではあるが、決して被害者意識にとどまったものではない。
深い教養(ロシア語もある程度理解した)と優れた観察眼、偏りなく開かれた心での分析、巧みな表現力で、戦争、ナチ、ロシア人、ドイツ人、男と男社会、レイプ・・・といったものの本質を克明に晒していく。

先へ進むのが楽しみといった内容ではなく、読み続けるのは辛いし、読み終えてもザラザラとしたものも残る。
『アンネの日記』のように遺されたものではなく、著者は90歳まで生きられた、ということを救いとして、この赤裸々な記録を読ませていただいた。
もっとも著者自身は、「生きていたことが、よかったのかどうか」の思いを終生持ち続けられたらしい。

もし自分がこの状況下にあれば、生きることを放棄しているかもしれない・・・。
強靭に生き抜き、貴重な記録を残してくれた著者に賛辞と感謝をおくりたい。

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2008年8月21日 (木)

『海に沈んだ対馬丸』

岩波ジュニア新書『海に沈んだ対馬丸』を読んだ。
平和・反戦への強い思いが感じられる早乙女勝元さんの名前や作品には数十年前からなじみがある。ブログにエントリしたこともあった。
この本はその早乙女勝元さんのお嬢さんの著書。
「へぇ~、娘さんが書かれたんだ」という興味から読んでみたのだけれど、とても読み応えのある作品だった。

海に沈んだ対馬丸 1944年8月22日夜、沖縄那覇港を発ち九州に向かった疎開船「対馬丸」はアメリカの潜水艦により撃沈され、775名の学童を含む1418名が亡くなっている。
知っていたつもりのその「対馬丸の遭難」に関して、全く知らなかったも同然だったことを思い至らされた。

著者はまえがきで語りかける。
「対馬丸は客船ではなく貨物船だったということを、まず知ってほしい。貨物船は人を乗せるのではなく、物を載せる船だということも

物資を運んで、人々に届けるはずの貨物船に、昔、大勢の子どもたちが乗りこんで、海をわたろうとして、遭難した。
彼らはどこへ行こうとしていたのだろうか。そしてなぜ沈んだのだろうか。」

続いて、対馬丸からの数少ない生還者の内の7人が語る本編へ入っていく。
当時17歳であった乗組員、19歳の引率教師、そして学童たちの具体的な体験とそれを綴る著者の視点は、「戦争とは」を深く多角的に考えさせる。

ジュニアはもちろん大人にもぜひ読んで欲しい。

アッパレな本を沖縄在住の早乙女愛さんは作り上げたと賞賛の思いがあるが、それにも増しての拍手を贈りたいのは、親から子への実にアッパレな継承。

反戦・平和への希求。
それを実体験に裏づけされた父・母世代から確実に受け継いでいかなければいけないとの自覚はあるが、さらにそれを子に伝えられたかについては自信がない。
見事、早乙女勝元さん(と奥様)は成し遂げられたよう。
すごいなぁ~。

もはや大きくなり日常的には生活空間を共にすることもなくなった私の子どもたち。
心に「平和の大切さ」は刻まれていると信じたいが・・・。

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2008年6月26日 (木)

『闇の子供たち』

前々回エントリーした『コタンの口笛』(石森延男)は、先を読むのがとても楽しみだったし、どっぷりと作品にひたりきるのが心地良かった・・・。
が、同時に読み始めたもうひとつの本『闇の子供たち』梁石日(ヤン・ソギル)は途中、たびたび吐き気に襲われ幾度も放棄しようと思いながら、やっと読み終えた。
最後までたどり着いたのは、「知りたい」という欲や「知らねば」という義務感だけではなく、やはり作品の巧みさがあってのことだろう。
この夏に公開予定の映画『闇の子供たち』阪本順治監督の原作でもある。

闇の子供たち *裏表紙による作品紹介
【貧困に喘ぐタイの山岳地帯で育ったセンラーは、もはや生きているだけの屍と化していた。実父にわずか八歳で売春宿へ売り渡され、世界中の富裕層の性的玩具となり、涙すら涸れ果てていた…。アジアの最底辺で今、何が起こっているのか。幼児売春。臓器売買。モラルや憐憫を破壊する冷徹な資本主義の現実と人間の飽くなき欲望の恐怖を描く衝撃作。】

幼い少女に性的暴力を為す事件は、日本でもしばしば起こる。世間の犯人に対する怒りは当たり前ながらすさまじいものがあるし、マスメディアでも犯人を擁護する報道などまず見られない。
幼い子相手では、「合意か否か」などの判断が必要ないのはもちろんのこと。

ではなぜ、それと同じ行為がまかり通るところが存在するのか?
国内で「凶悪非道の暴力」と認識されていることを、なぜタイにおいて少ない数ではない日本人が(他国の人もいるが)行っているのか?
相手が子どもであれば、「買春」と言えるものですらないことは明らかなのに・・・。

『闇の子供たち』は冒頭からタイにおける子どもたちの「売春」実態を、赤裸々に描写していく。
心はもちろん、身体もいまだ受け入れるまでに成熟していない子どもたちをどのように「調教」していくのか・・・。
暴力や飢えに対する恐怖から「心」は受け入れ始めても、受け入れきれない幼い「身体」はどのように傷つき、破壊されていくのか・・・。

幼い者への性的欲望などみじんも理解できない私には、「幼児売春」に関して書かれていることすべてが「なぜ?」につながり、何をどう考えればいいのかすらわからなかった。
ところが後半部分で「臓器売買」に主題が移ると、おぼろげながら見えてくるものがあった。

もし我が子が重大な腎臓病に罹り「移植しない限り数か月しか余命がない」と宣告を受けたなら・・・。
死は刻々と近づくのに我が子に適合する臓器提供者は得られない・・・。
そんな時に、お金さえ出せばタイで臓器移植が受けられると誘われたなら・・・。

「提供される臓器」には何か「事情」があると感じられても、いやはっきり我が子の命と引き換えにその見知らぬ提供者に死が訪れるということを知ってしまっても、「我が子を助けたい」という欲に負けてしまわないと、自分は断言できるだろうか?
物語に登場する日本人夫婦はそのようにしてタイに我が子を連れて行く・・・。

我が子への思いと幼い者への性的欲求(それぞれの重大な結果も)は同一視はできないけれど、「富める者」が「貧しき者」を蹂躙する構図は同じ。
公にはできないどろどろとした「欲」を自分自身も内包しているだろうし、その受け皿が存在すれば自ずと引き付けられるだろう。
そこに「業者」は介在し莫大な利益を上げる。
そして犠牲となるのが非力で小さい子ども

つまるところ直接関わっていなくても、100%の「No」を断言できない自分もまたそのような「業者」や仕組みを支えている、ということなのだろう
尚、この本にはその「仕組み」が巨大で強力、いかに暴力的かも描かれている。

どろどろとした人の欲は「闇」であり、それを支える仕組みも「闇」の中、そして子どもたちは「闇」に葬られる・・・。

読めども読めども絶望のようなものが広がる本ではあるけれど、一筋の「光」も描かれている。
それは、自身への暴力に怯えながらも、あくまで子どもたちに寄り添おうとする日本人のNGO組織に所属する女性、音羽恵子の存在。

貧困な想像力を補って余りあるようなリアルな描写による実態に衝撃を受けながら、何とか読み進んだので、「ぜひ」とは薦めにくいけれど、読まれた方の感想を頂けたら幸い。

近く公開予定の映画は、記述に匹敵するようなリアルな映像は考えられないし、どのような描き方をしているのだろう?
視点は同じであってほしい、と願っている。

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2008年6月13日 (金)

『コタンの口笛』

友人が札幌に住んでいたので、若い頃いく度か北海道を訪れている。
それなのに一度もアイヌ文化に触れる機会をもたなかった。
アイヌ民族を先住民族と認定するよう政府に求めた国会決議への動きを知る中で、今更ながらそのことを残念に感じた。
知らないことは山ほどあるけれど、「アイヌ民族」のこともそのひとつ。
アイヌの人と出合う機会もなく、また関連書籍や映画、何ひとつ読んでいないし観てもいない。
あきれてしまうほど無関心できていたということ。
コタンの口笛
遅ればせながら、手始めにアイヌを描いた『コタンの口笛』(石森延男):講談社「青い鳥文庫」を読み始めた。
そしてどっぷりはまっている。

笠原肇氏の解説によると、この本は森延男という作家の「美術論」であり「自然論」であり「教育論」であり「平和論」であり「宗教論」でもあり、そのほかにもさまざまな思想がつまっているとのこと。
児童文学なのでその解説も具体的でわかりやすい。
たとえば、「美術論」については、「絵」という芸術はどういうものでなくてはいけないか、どういう気持ちで美術作品を鑑賞すべきか、という意見が述べられていると解説されている。
また「教育論」については、教育とはどうあらねばならないか、先生は子どものなにをわかってやるべきなのか、との意見が述べられているとのこと。

物語は、アイヌの子として差別や貧しさに苦しみながらもけんめいに生きる中学3年のマサと中学1年のユタカという姉弟の心もようを中心に描かれていく。
そこにからめられていく、関わりのある人たちを通した美術、自然、教育、平和、宗教などに関する描写は共感ばかりでなく、教えられることがいっぱい。
アイヌ独特の文化や習俗に関する記述も、物語の展開のなかに巧みに組み込まれているので、決して押し付けがましくない上に表面的なものに終わっていない。

読み始めてすぐにそそられたのは、「アイヌ音楽」。

「うれしいときには、うれしいようにうたい、悲しいときは、また悲しいようにうたうことのできるふしぎな歌 」と表現されている「ヤイシャマ」。
また、口にあてて弦を引きながら音を出す竹でできた「ムックリ」という名前の楽器や、「トンコリ(五弦琴)」・・・、聴いてみたい、見てみたい!(できればその文化が育まれたアイヌの地で)

本を読むとき、特に惹きつけられた箇所に付箋を貼る習慣がある。
全4巻の3冊目に入ったところだけど、既にこれは付箋だらけ。

その一箇所を抜粋。

図画を教える谷口先生がマサに話す。
「どうして樹木は美しいんだろう、考えてみたことあるかね。」
「動物たちは、かって気ままに動きまわる、走りまわる。おちつかないからだよ。精力を使いはたすからだよ。ところが、樹木はどうだ。いったん根をおろしたが最後、自分の力では微動だもしない。その場所でのみ、せいいっぱい生きのびようとする。どんなに細かいこずえも、そこだけの空間を楽しむんだ。葉っぱという葉っぱは、一枚残らず日光を浴びようとして勢ぞろいをする。芽から葉を、花をさかせる、わずかな変化を、どれほどだいじにしているか。無言の生き方が、あのように、樹木を、いきいきと美しくさせているのだよ」

アイヌのことを知りたいという動機で読み始めた『コタンの口笛』。
アイヌやアイヌ文化、その歴史への関心が深まったのは予測されたことだけれど、自分の心にぐっと食い込む描写が惜しげもなく散りばめられていたことはうれしい驚き。

すっかり引き込まれ、少しの時間でもむさぼるように読んできたが、実は現在ちょっと中断。
マサとユタカの父イヨンが亡くなるところで涙がぼろぼろこぼれて読み進めなくなった。
もちろんその場面表現も「かわいそう」という感情だけを引き出す表層的なものではなく、人の死という意味合いが、しっかり書き込まれている。
それでも、読者に過ぎないのだけど、私はこの悲しい「事実」が受け入れられない・・・。

母についで父をもなくしたマサとユタカは、また前を向いて歩き出すのだろう。
その二人の強さに助けられ、しばらくしたら私も先へと読み進んでいこう。

『コタンの口笛』は1957年に世に出た作品とのこと。
このように優れた児童文学に子どものときに出会わなかったことはとても悔しいけれど、
今出会えたことを感謝しよう。乏しい感性をもしっかり刺激してくれるのだから。

たくさんの子どもたち(や大人)に読んで欲しい本であるのに、もはや絶版で、図書館や古本でしか入手できないことも残念。
この本のおかげで、ほんの少しは身近になった「アイヌ民族」のこと、もっともっと知りたいし感じたい。

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2007年12月 4日 (火)

『朽ちていった命-被爆治療83日間の記録-』

KATEKさんのブログでご紹介のあった『朽ちていった命-被爆治療83日間の記録-』を読んだ。
裏表紙には
【1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いが始まった。――。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント。】とある。
事故が起きて間もなく制作されたNHK番組のドキュメンタリー取材班が著した。

『朽ちていった命』 当時、事故報道に衝撃を受けたし、大内さんの症状に関する追報道も気にかけていた。
通常は原子炉という厚い防護壁内で起こされる臨界反応を直接受けてしまった身体に、どのような祈りも治療も届くはずはないだろうに、大内さんの症状報告は何十日間も続いた。
その日数の長さに、「生かされている」と感じ、国やJCOは「原発事故で死者」という記録を残してしまうことを何としても避けようとしているのだと考えていた。

「前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩」が十分伝わるこの本を読んだ今も、その考えは変わらない。
むしろ描かれている、ひとりの患者としての大石さんに接する医療現場の医師や看護士たちの真摯さや苦悩の描写が、国やJCOの思惑を覆い隠してしまっているようなはがゆさも覚える。

医療の中心を担った医師は「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった」と悟り「放射線や原子力と命の重さの関わりを見つめ直したい」と決意する。
それは、具体的には「人の命の尊さを原子力防災の枠組みのなかで訴え、万が一、同じようなことが起きたとき、できるだけ早く医療者として対応できるような準備をしたい」ということ。(「人知の及ばないもの」を手離していこうとするものではない・・・。)

またあとがきによると、このNHK製作番組は第42回モンテカルロ国際テレビ祭で最優秀賞をとったとのこと。その受賞の際の製作者スピーチとして、
「取材を重ねるなかで、この番組を最高のものにしたいと考えつづけました。その気持ちの源泉となったのは、極秘とされている一枚の写真でした。それは大内さんのご遺体が写っている写真でした。体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、背中側の半分は皮膚が残って真っ白で、はっきりと境界ができていました。これまでにまったく見たことのない遺体でした。
放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かしていく怖さを感じました。私は大内さんが、その怖さを多くの人に伝えてほしいと訴えているとおもいました。・・・」
とある。

確かに、画像も含めた克明な記録は放射線の恐ろしさを十分に感じさせる。
「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではない」ことをはっきりと理解させる。

それなのに、それなのに、この本のどこにもそもそもの「原子力発電」に対する疑問が一言もないのは何故?
医療現場の方たちの詳細なインタビューでも、その疑問に関する発言は全くなかったのか?
読み応えのある本であったけれど、全編を通して感じるはがゆさがここにある。
原子力政策に中立の立場から製作されたものだろうけど(まず原発ありき、が既に中立ではないような気はするけれど)、原子力そのものに対する不信や疑問を取材班があえてカットしたのなら、大内さんが身を挺して伝えたはずのものの本質を奪ったような気持ちにさえさせられてしまうのだけれど・・・。

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2007年10月25日 (木)

『青い鳥』

重松清氏の8つの作品による短編集『青い鳥』。
8編それぞれに、傷つき苦しみ孤立感に陥っている子どもがいる。
毎回登場するのは中学の非常勤教師である村内先生。
村内先生がすることは、ただ「たいせつなこと」を伝えて「ひとりぼっち」の子のそばに寄り添うことだけ。
村内先生は国語担当ながら、かなり重度の吃音、言葉がつっかえてうまくしゃべることができない。
各編の中心になる子どもたちはそのたどたどしい言葉から、というより存在そのものから、「大切なこと」、あるいは先生が心に寄り添ってくれていることを感じとっていく。
先生が伝えたいのは、「正しいことではなく大切なこと」

青い鳥 第4話の『青い鳥』では、親がコンビニ経営している男子中学生(野口君)が、店の商品をクラスの子にたかり続けられ自殺未遂のあと転校する。
学校がとった幾つもの「反省」手段にも関わらず、野口君がが笑って応じていたように見えたこともあってクラスの男の子たちに「いじめ」をしたという自覚は乏しい。
村内先生は言葉をつっかえさせながら言う。
「人を嫌うから、いじめになるんじゃない。人数がたくさんいるから、いじめになるんじゃない。人を踏みにじって、苦しめようと思ったり、苦しめていることに気づかずに
苦しくて叫んでいる声を聞こうとしないのがいじめなんだ。」

先生は、既に片付けられていた野口君の机と椅子を教室に戻させる。
それは「自分たちへの罰なのか?」と問う生徒に、
「(野口君が)一生忘れられないようなことをしだんだ、みんなは。じゃあ、みんながそれを忘れるのってひきょうだろう?不公平だろう?野口君を忘れちゃだめだ、野口君ににしたことを忘れちゃだめなんだ、一生。それが責任なんだ。罰があってもなくても、罪になってもならなくても自分のしたことには責任をとらなくてはだめなんだよ・・・」とやっぱりどもりながら言葉を返す。

他の作品にも、胸にストンと落ちてくる印象的なことばが散りばめられている。

おそらく、村内先生は言葉が普通にしゃべることができない生き辛さの中で「大切なこと」を見つけ出したのだろうし、同じように傷つき苦しみ孤立感にあえいでいる子どもたちに寄り添ってやりたいのだろう。
子どもたちもまた、自身の生き辛さの中で心から自分のことを思ってくれている人やその人が本気で伝えようとする思いを嗅ぎ分けられる感性を研ぎ澄ませていったのだろう。

重松清氏の著書を読むのは初めてだったけれど、他のものも読んでみたい。

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2007年10月 4日 (木)

信仰の力-「『集団自決』を心に刻んで」を読んで

金城重明さんを知ったのは、「歴史の事実は消せない 沖縄戦『集団自決』と教科書 9・29県民大会へ」という9月23日の赤旗紙の記事から。
元沖縄キリスト教短期大学長で、「集団自決」に日本軍の命令があったかどうかが争点となっている「沖縄戦『集団自決』裁判」にも証人として出廷されている方とのこと。
記事には、当時16歳の金城さんが「集団自決」の場で2歳上の兄と共に母親に手をかけ死なせ、さらに妹と弟の命も絶った、とある。
もちろんそこに至る過程も書かれている。

【子どものころからの「皇民化教育」で国のため、天皇のために忠誠を尽くすことを植えつけられていました。軍と住民は「共生共死」米軍につかまれば男は惨殺され、女は辱めを受けて殺されると教えられてきました。】

「鬼畜米英」に殺されるより自分の手でと、まず愛する家族の命を絶ち、自らも続くはずであった。
ところが、たまたまその場に駆け込んできた同世代の少年の「どうせ死ぬなら米軍に切り込んで死のう」から、結果的に金城さんは生き残ることになる。

これらの記事を、息をのむ思いで読んだ。
「狂気」の状況で、自分の手で母親や小さい弟、妹を手にかけ、消すことのできないその事実を抱えながら「狂気」から醒めてからもなお生きていく。
その重さはどれほどのものか想像もつかないくらいだけれど、金城さんは押しつぶされてしまわず生き抜いておられる。

広島における被爆で生き残った者が「自分が(幸せに)生きていることは許されない」と苦しむ姿は、「父と暮らせば」あるいは「夕凪の街、桜の国」でも見ている。
この二つの物語のヒロインに「生きよう」という力をもたらしたのは、「(人を)愛すること、そして愛されること」

比べることではないけれど、さらに「生き残った状況」が過酷である金城さんに生きる力をもたらしたものは何か?
「『集団自決』を心に刻んで」を買い求めたのはそのことへの強い関心から。

「集団自決」を心に刻んで 答えは、著書の中で明言されている。それは、キリストへの信仰だった。
たとえば77ページには【戦争の悲劇によって絶望に追い込まれていた当時の私は、キリストと出会うことによって希望が与えられ、キリストから期待されているとの発想によって、人生に新たな意味と目的とを与えられたのであります】とある。

「父と暮らせば」や「夕凪の街、桜の国」のヒロインのように、「人を愛すること、そして愛されること」が生きることを前向きにさせるのは理解できる。
でも信仰心のない私には、信仰に関してもきめ細かい記述をされているこの本を読んでも、実のところ「キリストを愛すること、そして愛されていること」がもたらすであろう力を実感することはできなかった。
それでも、「生きる」という選択をさせ支え続けた信仰というものの大きさは感じるし、生き抜いてこられた金城さんを心から祝福したいと思う。

さて、そんな不純な?動機から手にした本だけれど、全般を通してとても読みごたえがある本だった。
「集団自決」のこと、皇民化教育のこと、家永三郎氏の教科書裁判のこと、問われなかった戦争責任のこと・・・。

最終章から引用を少しだけ。
【平和は、戦争の対概念としてのみとらえるべきではなく、自然破壊や地球環境、エコロジーを含め、人間が生きて生活しているあらゆる領域の諸問題を視野に入れて考えねばなりません。したがって、平和とは、人間が共に生きる課題であるだけではなく、地球上の他の生命の保護にまでつなげてゆく、地球的・宇宙的課題をともなっているのです。「共に生きる」という概念が、平和構築には重要な視点となるわけです。】

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2007年9月14日 (金)

『テロル』

最近は目が弱り(加齢プラスPCのやり過ぎ)活字を追うことが多少つらい。
文章の理解力、イメージ力も確実に衰えており、情けないことに「むつかしいなぁ」と感じてしまうと読み進めることに挫折してしまうこともよくある。
その分、映画鑑賞への欲はさらに膨らんだよう。

Teroru そんな状況にあって『テロル』ヤスミナ・カドラ著は、久しぶりに一気に(といっても数日かかりだけど)読んでしまった本。
文字を追いながら、まるで映画を観ているかのように鮮やかにそのシーンが浮かぶ。登場人物の容姿や声、瓦礫が広がる灰色のパレスチナ、喧噪あふれるきらびやかなイスラエル・・・。
その圧倒的な描写力に加え、テーマやストーリーに惹きつけてやまないものがある。
「パレスチナとイスラエル」のこと、「夫婦の関係」のこと・・・。

イスラエル社会で「成功」したパレスチナ人医者アミーン。国籍も取得し、外科医としての実力と地位も揺るがない。郊外の瀟洒な屋敷に美しくやさしい妻と住む。
出自がアラブ人であるがゆえの「不便」はあるものの、懸命な努力が自身のめざした生き方を確かなものにした・・・。

その生活が妻シヘムの死により一変。
シヘムの死は、妊婦を装い腹に爆弾を巻いて子どもたちの集まるレストランでの自爆によるもの。

遺体確認後も、妻は巻き込まれた被害者だとしか考えられないアミーン。
が、数日後に目にしたシヘムからの手紙によってその事実を認めざるを得ない。

夫の深い愛に包まれた「成功者」としての豊かな暮らしに背を向け、何故シヘムは自爆したのか?
互いに完全な信頼と理解があった夫婦であったはずなのに、何故自分は何も知らずにいた?

狂気のように「何故?」を追うアミーンの旅は、アラブ人である自分自身、そして帰化した自分自身、捨て去ったはずの故郷パレスチナと対峙し直すものになった・・・・・。

少し前に観た映画『パラダイス・ナウ』は二人の若者による「自爆攻撃」を描いたもの。
イスラエル占領地ナブルスで、彼らは町の外へ出る自由さえなく貧困と屈辱にまみれた日常の中で自爆を選ぶ。
自爆の動機として少なからず日々の生活の閉塞感と絶望があったろうし、それは平和な国で暮らす私にも理解しやすい感覚。
だけどこの『テロル』におけるシヘムは、イスラエル社会で経済的にも文化的にも「豊かな」暮らしを送っていた。
そのシヘムを自爆へと追い込んだもの・・・

読後は、改めて「パレスチナ」と「イスラエル」が抱える問題の根の深さを考えさせられる。
それはおそらく自分などにはとうてい理解しえないものかもしれない。
だからといってこれら二つの国のことを考えることをやめたくはない。
少なくとも「気にかける」ことは自分にもできることだもの。

著者ヤスミナ・カドラは女性名ながらアルジェリア人男性。
アルジェリア軍の将校時代、軍の検閲を逃れるためこのペンネームで執筆していたとのこと。2001年にフランスに亡命している。
紛争地域を舞台にした3部作があり、『テロル』は2作目。
1作目はアフガニスタンが舞台の『カブールの燕たち』(すぐに購入して読みかけている)
イラクが舞台の3作目は和訳がまだないよう。

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