2012年7月25日 (水)

『七十歳死亡法案、可決』

好奇心にそそられ買ってしまった小説。垣谷 美雨著『七十歳死亡法案、可決』

『七十歳死亡法案、可決』内容(「BOOK」データベースより)
2020年、高齢者が国民の3割を超え、社会保障費は過去最高を更新。破綻寸前の日本政府は「七十歳死亡法」を強行採決する。2年後に施行を控え、宝田東洋子(55)は「やっと自由になれる」と喜びを感じながらも、自らの人生の残り時間に焦燥感を隠せずにいた。我侭放題の義母(84)の介護に追われた15年間、懸命に家族に尽くしてきた。なのに妻任せの能天気な夫(58)、働かない引きこもりの息子(29)、実家に寄りつかない娘(30)とみな勝手ばかり。「家族なんてろくなもんじゃない」、東洋子の心に黒いさざ波が立ち始めて…。すぐそこに迫る現実を生々しく描く。注目作家、渾身の書き下ろし小説。
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この本のことを知ったときにまず浮かんだのは愛読書、『楢山節考』深澤七郎著。
現代版『楢山節考』をいかに描いたのかを、確かめずにはおられなかった。

『楢山節考』に登場する、まもなく70歳になる「おりんばあさん」は、死を(それが村の因習による強制的なものであっても)自然の習いとして凛として受け入れる。
私にとって「よく生き、良く死ぬ」のある意味お手本ともなっている。

さて、『七十歳死亡法案、可決』。今や70歳での死亡は「若死に」の感がある。
この年齢で自分や家族の死を受け入れられる人がいるだろうか?
85歳とか90歳での設定であれば、もう少し感情移入できたかもしれない。
(もちろん法で死を強制されることは絶対認められないけれど)

それぞれ現代を象徴するようなキャラクターの言動も、どこかしっくりこない。
心深く入ってはこないが、ストーリー展開を追う楽しさはあり一気に読んだ。
しかし・・・ハッピイエンド好きの私でさえ、余りに「でき過ぎ」の話ではあった。

ネタバレは避けたいが、つまるところ現代版『楢山節考』ではなかった、ということだけは書いておこう。

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2011年5月12日 (木)

20数年目の『まだ、まにあうのなら』

年末に娘が帰ってきていたとき、書庫をのぞいて「原発関連の(古い)本がいっぱいあるなぁ」と言った。

チェルノブイリの事故で原発の恐ろしさを実感し、関連本を読み始めた。
その後ずっと継続して関心をもっていたはず・・・なのに、このたびの福島のことがあっていつの間にか自分が無頓着になっていたことを思い知らされた。

まだ、まにあうのなら 当時、想像力が乏しい私にも原発の恐怖をまざまざと伝え、原子力が絶対に人間と共存できないことを悟らせてくれたのが、地湧社の『まだ、まにあうのなら』という小冊子。
甘蔗珠恵子(かんしゃたえこ)さんという2人の子どもの母親が書いた長い手紙で構成されている。

久しぶりに読み返そうと思ったら、これが書庫にない。
人にあげたのか、貸したのか、はたまた紛失したのか・・・?
がっくりしたものの、2006年に増補版が出ていると知り、さっそく取り寄せた。
甘蔗珠恵子さんが1987年に書いた手紙の部分も、もちろんそのまま載せられている。

「何という悲しい時代を迎えたことでしょう。
今まで、自分の子どもに、家族に、ごく少量ずつでも、何年か何十年かのちには必ずその効果が現れてくるという毒を、毎日の三度、三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか・・・・・・」
この書き出しで始まる。

チェルノブイリ原発の事故が起きた当時のソ連や、汚染がひどかったヨーロッパの母親たちの悲しみに寄り添い、またその憂いから日本も逃れられない現状があること、原発はいらないこと、そのための行動が必要なことなどを、率直に具体的にあふれる熱い思いで綴られている。

「私には二人の子どもがいます。この子たちが成長し、生きてゆくこの地球上に原発のような、こんな恐ろしいものを遺してゆけるでしょうか。
考えてもください。
このままいけばおそらく事故はまた、どこかで起きるでしょうから、放射能まみれのこの地上で、放射能にまみれて生活し、やむなく放射能に汚染された食べものを食べ、地震によってでもいつ爆発するかわからない危険な死の灰を永遠にかきまぜながら、・・・・・」

このように25年近く前に甘蔗珠恵子さんが世に訴えた原発事故が何と、日本で起きた。
福島のことはまだ収束とはほど遠い状況にある上に、また次の事故が起こらないという保証はどこにもない。
一旦事故が起きれば、人間の知恵と技術では解決できないことは今回明白になっている。
人は住み慣れた家や地域を追われてしまったし、放射能まみれの大量の水は海に流されたし、水や野菜、魚、牛乳・・・、大気も土壌も汚染されているし、処理に関わる作業員は被曝を避けられない。

甘蔗さんが言われるように、こんな恐ろしいものを次世代に遺していいはずがない。

チェルノブイリのあと、「まだ、まにあう」と確信していたのに、結局は「書庫に本を並べたてた」だけだった。
それから25年、フツフツと湧き上がる「まだ、まにあうのだろうか?」を押しのけ払いのけ、自分は何をしていくだろう?

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2010年1月27日 (水)

乙骨淑子さんという児童文学者

少し前、ハイチ島のことに関連して『八月の太陽を』という優れた児童書のことを少し書いた。(コチラ
その時に少し読み返したのをきっかけに、再び乙骨淑子さんの本にはまってしまった。
20年~30年前くらいに読んだときより視力が衰え、以前には全く気にならなかった字の小ささが負担ながら、感じるおもしろさは今が上回る。
年を重ねたことで、外見はもとより、内面もずい分変わったのだろう。
私の変化は、どこにもたいした影響はないけど、もし乙骨淑子さんが今も書き続けておられるなら更にどれだけの良書を世に送り出されただろうか、と思うととても残念。
乙骨淑子さんは既に1980年、51歳で亡くなられている。

乙骨淑子さんの作風は、児童書ながら「骨太」という言葉がぴったり。それでいてやさしい。
どのような作家であったかということは、遺作『ピラミッド帽子よ、さようなら』のあとがきに収められている「告別のことば」(小宮山量平氏)からもうかがえる。

*小宮山量平氏による「告別のことば」より抜粋*
あの『ぴいちゃあしゃん』で、あなたは戦争責任そのものに、容赦なくとりくんだことは明らかです。そして『八月の太陽を』において、あなたは解放と革命の想念を、若い読者たちの精神の糧として見事に結晶させています。そして、今は絶筆となった『ピラミッド帽子よ、さようなら』では、現代的環境に囚われた若者たちの感受性そのものの変革にかんする最良の試行を決行しておられます。

このような揺るがぬ理念を貫きながらも、作品は人への慈しみ、生への賛歌にあふれている。
私はちょうど今、「告別のことば」にあげられている3作品を再読し終えたところ。
若い頃はストーリー展開のおもしろさにばかり惹かれた気がするが、今は読むほどに作者が真っ向から取り組もうとした壮大なテーマに包み込まれるような感覚があるし、作品の一編一編が、病弱だった乙骨淑子さんが血を吐くような思いで綴りあげられた結晶なのだと、ひたすら愛しい。

残念ながら、すべて絶版になっており中古本もなかなか手に入りにくい。
(所蔵している2冊の単行本、全8巻の全集は、今では私の宝物になった)
図書館でしか読めないけれど、ぜひ一読をお奨めしたい。
最初の一冊としては、ハイチ島が舞台になっている『八月の太陽を』が良いかもしれない。
実話に基づくものながら、確かな筆致で描かれる物語は起伏に富み、グイグイ引き込まれていく。

画像は単行本2冊。装丁もとてもいいでしょ?
乙骨淑子さんの本

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2009年12月10日 (木)

『46年目の光』

『46年目の光』(ロバート・カーソン著)は、3歳のときに失明し46年後に手術により視力を取り戻したアメリカ在住、マイク・メイのことを記したノンフィクション。
序盤から中盤までは、視力はなくともずば抜けた頭脳と身体能力、そして冒険心によって豊かに生きる姿が描かれる。

46年目の光 本の帯には本文から抜粋された1文が記されている。
「自転車に乗るってどういう感じなんだろうと想像しながらなにもせず一生を送るなんて、パパはいやだったんだ。そんなのは自転車で壁に激突するよりいやだ。そう思わないか?」

まさしくマイク・メイの生き方はこの通りであり、彼の母親も同じ考え。
一方、私は小心でかなり臆病。壁に激突する可能性があるなら自転車に乗ることはあきらめるし、子どもにも「あきらめなさい」と説得する。

この性質の違いや彼の能力の高さから、さして感情移入はなかったものの、物語りはおもしろく断続的に読み進めていた。
ところが中盤過ぎくらいから俄然興味が増し、本が手離せなくなった。

視力を回復させる方法があることを知ったメイは、半端ではないリスクを理解しながら手術に挑戦する。
結果、視力は回復したものの、目に映る「モノ」の把握が完全にできない。
たとえば「見た」だけでは男か女かの区別もつかないし、息子2人さえ見分けられない。
そこから明らかにされていくのは、モノを見るプロセスで脳が果たしているとても重要な役割。
科学がとっても弱い私にもわかるように、解き明かされていく。

たとえば人間の顔の見分けも、ごく幼い時期に始まる徹底した訓練と学習の積み重ねがあればこそ可能になるらしい。
違う顔をしているはずの羊たちも普通の人にはみな同じに見えるけど、羊飼いたちは「訓練と学習」のおかげで1頭1頭の羊を見分けられる、それと同じ。

何でも口で確かめようとすることから始まる赤ちゃんの「研究活動」はとても大切と、保育士をしていた若い頃から知っていたつもりだけど、「あぁ、本当に乳幼児期は大切なんだ」とこの著書のおかげで今更ながらストンと腑に落ちた。
視力が正常であっても、乳幼児期の体験が豊かでなければ「見る」ことは満たされない、ということなのだろう。

400ページを超える長編ながら読みやすく、しかも読み応えがある。
みなさま、お正月休みでもいかがでしょうか?
年末に帰ってくる0歳児子育て中の末っ子には、「ぜひに」と勧めるつもり。

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2008年10月22日 (水)

『医者、用水路を拓く』

「ペシャワール会」事務局長の福元満治さんの講演を聞いてから、中村哲著『医者、用水路を拓く』(副題:アフガンの大地から世界の虚構に挑む)を読み始め、手離すことのできない本となっている。
読まないときも、そっとそばに置いておきたい。

『医者、用水路を拓く』 タイトル通り、医師である中村哲さんがアフガンの地で用水路を開くまで(2001年9月~2007年4月)の活動が詳しく記述されている。
また副題にあるように、「世界」が対テロ、国際支援といった名目でやっていること、またやらねばならないことの実態も鋭くえぐっている。

中村哲医師は、現場でもこの本でも観念的な論理展開や著述はしない。
現地にいて、現地で困窮する人たちに必要なものを見極めて、その改善のために行動する。

用水路建設は当初から計画していたものではない。
命を守り救うはずの医療人、それが2000年夏からアフガニスタンを襲った大干ばつによる深刻な飢餓と渇水の前では余りに無力。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得る。

そのように感じた中村医師に、無力感と妥協しながら、(自分は医師であるのだから)せいいっぱい医療活動を展開する」というような選択肢はない。
(必要なのが水であるなら)「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に水源事業を始めてしまう。

(水路)工事に関しては全くの素人なのに、膨大な水量を10数キロにわたり流す用水路建設(工費は数億円)を決定する度胸。
それを完成させてしまう力量。
(その過程を知ると、これはもう奇跡としか思えない。計画を宣言されたときの中村医師の言葉そのまま「武器なき戦い」と表現されるべきもの。中村医師の精魂かけた戦いだった。)
そして感謝する農民に「水は神様からの授かりもの」と返す感性と驕りのなさ。

まえがきのしめくくりに「武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めを与えればこれに過ぎる喜びはない。」と書かれている。
この本に記述された中村医師ならびにPMS(ペシャワール会)の活動が与えてくれるものは、勇気と慰めにとどまらない。
何より、今の時代を共に生きている人に中村医師のような人がいることがうれしい。

添えられている、豊富な水をたたえた用水路、その水で潤い緑を取り戻した農地などの画像は美しく、アフガニスタンという国とその地に生きる人々に想いを馳せさせる。

さまざまな示唆に富んだこの「宝物」のような本、ぜひぜひ一読を、とお勧めしたい。

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2008年9月25日 (木)

『命あるかぎり』河野 義行

半年くらい前に、レンタルビデオで『日本の黒い夏 冤罪』熊井啓督を観た。

1994年6月に起きた“松本サリン事件”を題材にしたもの。
その映画のワンシーン。
サリンガスでけいれん状態になった妻澄子さん。
自身も意識がかすれていく中で、河野義行さんは「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」(正確な表現は忘れた)と感じている・・・。

冤罪が、警察とメディア、そして"世間"によってつくられていく過程も興味深かったけれど、何より印象に残ったのはこの部分。

妻となら死んでもいい、という夫婦のあり方
さらに、突然に妻が倒れ、自分にも襲い掛かった重大な症状、その切羽詰った状況にあって、「なぜこうなった?」「これからどうなる?」ではなく、ただ現在だけを見つめる潔さ。

命あるかぎり  その河野義行さんの新著『命あるかぎり』を読んだ。
そしてこの人なら、「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」の思いは事実だろうと確信した。

河野さんは、「もし、母さんと君たちが乗っているボートがひっくり返ったとしても、お父さんは母さんを1番最初に助けるから」と子どもたちに話していたという。
子どもたちへの愛情が薄いのではなく、親の役割は「子どもを独り立ちさせ、社会に送り出すこと」、あくまで家族の母体は夫婦、という考え方によるもの。
もちろん、澄子さんへの信頼と愛情は深い。
また、自分の性格も楽天的と評価されている。
「心配しても始まらない。すべきことに全力を傾け、結果は天に委ねてしまう。」を通してこられたという。

モノに対する考え方も潔い。
「将来のためにという思いで必死に働いて、食べるものも、着るものも我慢して建てた家、あるいは貯めた貯金。そういうものも死んだら、あの世にはもっていけない。そう考えると、家も土地もお金やさまざまなモノは、みんな所有しているのではなく、生きている間だけ使わせてもらっている。」

河野さんは"松本サリン事件"の前もあとも、いつ終わりが訪れるかわからない人生のどの瞬間も愛しみ、自分にとって大切なもの(1番は家族)を最優先に考え、物欲に囚われず今やりたいこと、しなければいけないことに徹してこられた。

このような河野さんならば、突然訪れた終わりの(と思われた)時が、「最愛の妻とならそれも良し」だったのだろう。
そしてまた著書にもあるように、
「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」
を貫くことができるのだろう。

澄子さんは14年間もの闘病後亡くなられてしまったけれど、被害に合われるまではもちろん、その後も義行さん(と子どもさんたち)と過ごされた日々は幸せではなかったろうか、と読後は感じられた。
それでも、「でもこんな事件に巻き込まれなかったらもっと幸せだったろう・・・」とチラと考えてしまうところが「河野さん」になれない所以。

今回は主に「澄子とならこのまま一緒に死んでもいい」にこだわった取り上げ方をしたけれど、もちろん冤罪やマスコミ報道などについても、とても示唆に富んだものとなっている。機会があればぜひ一読を。

「いろいろな人がいるなぁ」とまた河野さんのあっぱれな生き方にも感心した。
自分は自分の生き方を見失わずまた否定せず、少しずつでも膨らませながら命あるかぎり日々を愛しんでいきたい、と思う。

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2008年8月29日 (金)

『ベルリン終戦日記』

8月はテレビ番組や新聞の書評欄に戦争関連のものが多い。
そのこともあって、今月はテレビ視聴や読書時間が長かったように思う。
特にNHKによるドラマ(広島放送局開局80周年ドラマ『帽子』)やドキュメンタリーなど秀作揃いで、見始めるとぐいぐい引き込まれてしまっている。
書籍も、字が大きく平明な文体の読みやすいもの中心に幾冊か読み終えた。

ベルリン終戦日記 『ベルリン終戦日記』(著者は匿名)はその内の1冊。
ベルリンに住んでいた34歳の女性ジャーナリストの手による、ベルリン陥落前後の1945年4月20日から6月22日までの日記。
過去を振り返っての記録ではなく、「その時代、その場」に生きた人がリアルタイムに書き綴ったもの。秀でた文章力により情景は生々しいまでに伝わる。
爆撃、破壊、占領、略奪、陵辱・・・。

1960年にドイツで出版された際、「レイプと生き延びるための性的協力」が描かれていることなどにより、相当の物議をかもし出したらしい。
著者が亡くなったことでようやく再版になったとのこと。

衣食住、さらには安全さえ常に危機にさらされ続けている状況でよくぞここまで書き記したものだ、と感嘆するが、むしろ書くことによって精神のバランスを保っていたのかもしれない。
著者自身ももちろん性暴力から逃れることはできなかったし、「犠牲者」の視点で書かれたものではあるが、決して被害者意識にとどまったものではない。
深い教養(ロシア語もある程度理解した)と優れた観察眼、偏りなく開かれた心での分析、巧みな表現力で、戦争、ナチ、ロシア人、ドイツ人、男と男社会、レイプ・・・といったものの本質を克明に晒していく。

先へ進むのが楽しみといった内容ではなく、読み続けるのは辛いし、読み終えてもザラザラとしたものも残る。
『アンネの日記』のように遺されたものではなく、著者は90歳まで生きられた、ということを救いとして、この赤裸々な記録を読ませていただいた。
もっとも著者自身は、「生きていたことが、よかったのかどうか」の思いを終生持ち続けられたらしい。

もし自分がこの状況下にあれば、生きることを放棄しているかもしれない・・・。
強靭に生き抜き、貴重な記録を残してくれた著者に賛辞と感謝をおくりたい。

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2008年8月21日 (木)

『海に沈んだ対馬丸』

岩波ジュニア新書『海に沈んだ対馬丸』を読んだ。
平和・反戦への強い思いが感じられる早乙女勝元さんの名前や作品には数十年前からなじみがある。ブログにエントリしたこともあった。
この本はその早乙女勝元さんのお嬢さんの著書。
「へぇ~、娘さんが書かれたんだ」という興味から読んでみたのだけれど、とても読み応えのある作品だった。

海に沈んだ対馬丸 1944年8月22日夜、沖縄那覇港を発ち九州に向かった疎開船「対馬丸」はアメリカの潜水艦により撃沈され、775名の学童を含む1418名が亡くなっている。
知っていたつもりのその「対馬丸の遭難」に関して、全く知らなかったも同然だったことを思い至らされた。

著者はまえがきで語りかける。
「対馬丸は客船ではなく貨物船だったということを、まず知ってほしい。貨物船は人を乗せるのではなく、物を載せる船だということも

物資を運んで、人々に届けるはずの貨物船に、昔、大勢の子どもたちが乗りこんで、海をわたろうとして、遭難した。
彼らはどこへ行こうとしていたのだろうか。そしてなぜ沈んだのだろうか。」

続いて、対馬丸からの数少ない生還者の内の7人が語る本編へ入っていく。
当時17歳であった乗組員、19歳の引率教師、そして学童たちの具体的な体験とそれを綴る著者の視点は、「戦争とは」を深く多角的に考えさせる。

ジュニアはもちろん大人にもぜひ読んで欲しい。

アッパレな本を沖縄在住の早乙女愛さんは作り上げたと賞賛の思いがあるが、それにも増しての拍手を贈りたいのは、親から子への実にアッパレな継承。

反戦・平和への希求。
それを実体験に裏づけされた父・母世代から確実に受け継いでいかなければいけないとの自覚はあるが、さらにそれを子に伝えられたかについては自信がない。
見事、早乙女勝元さん(と奥様)は成し遂げられたよう。
すごいなぁ~。

もはや大きくなり日常的には生活空間を共にすることもなくなった私の子どもたち。
心に「平和の大切さ」は刻まれていると信じたいが・・・。

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2008年6月26日 (木)

『闇の子供たち』

前々回エントリーした『コタンの口笛』(石森延男)は、先を読むのがとても楽しみだったし、どっぷりと作品にひたりきるのが心地良かった・・・。
が、同時に読み始めたもうひとつの本『闇の子供たち』梁石日(ヤン・ソギル)は途中、たびたび吐き気に襲われ幾度も放棄しようと思いながら、やっと読み終えた。
最後までたどり着いたのは、「知りたい」という欲や「知らねば」という義務感だけではなく、やはり作品の巧みさがあってのことだろう。
この夏に公開予定の映画『闇の子供たち』阪本順治監督の原作でもある。

闇の子供たち *裏表紙による作品紹介
【貧困に喘ぐタイの山岳地帯で育ったセンラーは、もはや生きているだけの屍と化していた。実父にわずか八歳で売春宿へ売り渡され、世界中の富裕層の性的玩具となり、涙すら涸れ果てていた…。アジアの最底辺で今、何が起こっているのか。幼児売春。臓器売買。モラルや憐憫を破壊する冷徹な資本主義の現実と人間の飽くなき欲望の恐怖を描く衝撃作。】

幼い少女に性的暴力を為す事件は、日本でもしばしば起こる。世間の犯人に対する怒りは当たり前ながらすさまじいものがあるし、マスメディアでも犯人を擁護する報道などまず見られない。
幼い子相手では、「合意か否か」などの判断が必要ないのはもちろんのこと。

ではなぜ、それと同じ行為がまかり通るところが存在するのか?
国内で「凶悪非道の暴力」と認識されていることを、なぜタイにおいて少ない数ではない日本人が(他国の人もいるが)行っているのか?
相手が子どもであれば、「買春」と言えるものですらないことは明らかなのに・・・。

『闇の子供たち』は冒頭からタイにおける子どもたちの「売春」実態を、赤裸々に描写していく。
心はもちろん、身体もいまだ受け入れるまでに成熟していない子どもたちをどのように「調教」していくのか・・・。
暴力や飢えに対する恐怖から「心」は受け入れ始めても、受け入れきれない幼い「身体」はどのように傷つき、破壊されていくのか・・・。

幼い者への性的欲望などみじんも理解できない私には、「幼児売春」に関して書かれていることすべてが「なぜ?」につながり、何をどう考えればいいのかすらわからなかった。
ところが後半部分で「臓器売買」に主題が移ると、おぼろげながら見えてくるものがあった。

もし我が子が重大な腎臓病に罹り「移植しない限り数か月しか余命がない」と宣告を受けたなら・・・。
死は刻々と近づくのに我が子に適合する臓器提供者は得られない・・・。
そんな時に、お金さえ出せばタイで臓器移植が受けられると誘われたなら・・・。

「提供される臓器」には何か「事情」があると感じられても、いやはっきり我が子の命と引き換えにその見知らぬ提供者に死が訪れるということを知ってしまっても、「我が子を助けたい」という欲に負けてしまわないと、自分は断言できるだろうか?
物語に登場する日本人夫婦はそのようにしてタイに我が子を連れて行く・・・。

我が子への思いと幼い者への性的欲求(それぞれの重大な結果も)は同一視はできないけれど、「富める者」が「貧しき者」を蹂躙する構図は同じ。
公にはできないどろどろとした「欲」を自分自身も内包しているだろうし、その受け皿が存在すれば自ずと引き付けられるだろう。
そこに「業者」は介在し莫大な利益を上げる。
そして犠牲となるのが非力で小さい子ども

つまるところ直接関わっていなくても、100%の「No」を断言できない自分もまたそのような「業者」や仕組みを支えている、ということなのだろう
尚、この本にはその「仕組み」が巨大で強力、いかに暴力的かも描かれている。

どろどろとした人の欲は「闇」であり、それを支える仕組みも「闇」の中、そして子どもたちは「闇」に葬られる・・・。

読めども読めども絶望のようなものが広がる本ではあるけれど、一筋の「光」も描かれている。
それは、自身への暴力に怯えながらも、あくまで子どもたちに寄り添おうとする日本人のNGO組織に所属する女性、音羽恵子の存在。

貧困な想像力を補って余りあるようなリアルな描写による実態に衝撃を受けながら、何とか読み進んだので、「ぜひ」とは薦めにくいけれど、読まれた方の感想を頂けたら幸い。

近く公開予定の映画は、記述に匹敵するようなリアルな映像は考えられないし、どのような描き方をしているのだろう?
視点は同じであってほしい、と願っている。

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2008年6月13日 (金)

『コタンの口笛』

友人が札幌に住んでいたので、若い頃いく度か北海道を訪れている。
それなのに一度もアイヌ文化に触れる機会をもたなかった。
アイヌ民族を先住民族と認定するよう政府に求めた国会決議への動きを知る中で、今更ながらそのことを残念に感じた。
知らないことは山ほどあるけれど、「アイヌ民族」のこともそのひとつ。
アイヌの人と出合う機会もなく、また関連書籍や映画、何ひとつ読んでいないし観てもいない。
あきれてしまうほど無関心できていたということ。
コタンの口笛
遅ればせながら、手始めにアイヌを描いた『コタンの口笛』(石森延男):講談社「青い鳥文庫」を読み始めた。
そしてどっぷりはまっている。

笠原肇氏の解説によると、この本は森延男という作家の「美術論」であり「自然論」であり「教育論」であり「平和論」であり「宗教論」でもあり、そのほかにもさまざまな思想がつまっているとのこと。
児童文学なのでその解説も具体的でわかりやすい。
たとえば、「美術論」については、「絵」という芸術はどういうものでなくてはいけないか、どういう気持ちで美術作品を鑑賞すべきか、という意見が述べられていると解説されている。
また「教育論」については、教育とはどうあらねばならないか、先生は子どものなにをわかってやるべきなのか、との意見が述べられているとのこと。

物語は、アイヌの子として差別や貧しさに苦しみながらもけんめいに生きる中学3年のマサと中学1年のユタカという姉弟の心もようを中心に描かれていく。
そこにからめられていく、関わりのある人たちを通した美術、自然、教育、平和、宗教などに関する描写は共感ばかりでなく、教えられることがいっぱい。
アイヌ独特の文化や習俗に関する記述も、物語の展開のなかに巧みに組み込まれているので、決して押し付けがましくない上に表面的なものに終わっていない。

読み始めてすぐにそそられたのは、「アイヌ音楽」。

「うれしいときには、うれしいようにうたい、悲しいときは、また悲しいようにうたうことのできるふしぎな歌 」と表現されている「ヤイシャマ」。
また、口にあてて弦を引きながら音を出す竹でできた「ムックリ」という名前の楽器や、「トンコリ(五弦琴)」・・・、聴いてみたい、見てみたい!(できればその文化が育まれたアイヌの地で)

本を読むとき、特に惹きつけられた箇所に付箋を貼る習慣がある。
全4巻の3冊目に入ったところだけど、既にこれは付箋だらけ。

その一箇所を抜粋。

図画を教える谷口先生がマサに話す。
「どうして樹木は美しいんだろう、考えてみたことあるかね。」
「動物たちは、かって気ままに動きまわる、走りまわる。おちつかないからだよ。精力を使いはたすからだよ。ところが、樹木はどうだ。いったん根をおろしたが最後、自分の力では微動だもしない。その場所でのみ、せいいっぱい生きのびようとする。どんなに細かいこずえも、そこだけの空間を楽しむんだ。葉っぱという葉っぱは、一枚残らず日光を浴びようとして勢ぞろいをする。芽から葉を、花をさかせる、わずかな変化を、どれほどだいじにしているか。無言の生き方が、あのように、樹木を、いきいきと美しくさせているのだよ」

アイヌのことを知りたいという動機で読み始めた『コタンの口笛』。
アイヌやアイヌ文化、その歴史への関心が深まったのは予測されたことだけれど、自分の心にぐっと食い込む描写が惜しげもなく散りばめられていたことはうれしい驚き。

すっかり引き込まれ、少しの時間でもむさぼるように読んできたが、実は現在ちょっと中断。
マサとユタカの父イヨンが亡くなるところで涙がぼろぼろこぼれて読み進めなくなった。
もちろんその場面表現も「かわいそう」という感情だけを引き出す表層的なものではなく、人の死という意味合いが、しっかり書き込まれている。
それでも、読者に過ぎないのだけど、私はこの悲しい「事実」が受け入れられない・・・。

母についで父をもなくしたマサとユタカは、また前を向いて歩き出すのだろう。
その二人の強さに助けられ、しばらくしたら私も先へと読み進んでいこう。

『コタンの口笛』は1957年に世に出た作品とのこと。
このように優れた児童文学に子どものときに出会わなかったことはとても悔しいけれど、
今出会えたことを感謝しよう。乏しい感性をもしっかり刺激してくれるのだから。

たくさんの子どもたち(や大人)に読んで欲しい本であるのに、もはや絶版で、図書館や古本でしか入手できないことも残念。
この本のおかげで、ほんの少しは身近になった「アイヌ民族」のこと、もっともっと知りたいし感じたい。

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