2009年2月22日 (日)

しばらくお休み

どうも目がいけません。
からだもいけません。
原因ははっきりしています。
パソコンのやり過ぎ。
仕事でパソコン、仕事の為の学習でパソコン、プライベートでパソコン・・・。

高年で始めた新しい仕事、同僚にも新旧交代があり気がつけば2年で、はや古株。
実力が伴わない「古株」も、さすがに新人たちに難易度の高いソフトのインストラクションを押し付けるわけにいかない。
そんなこんなで、2年経っても学習時間は増えるばかり。
といっても、膨大な時間を費やさざるを得ない原因は(加齢による?)理解度が低い為、ということは重々自覚。
自分には無理、と潔く撤退する選択もあるだろうが、やはり「石の上にも3年」はねばりたい。

毎日のパソコン操作時間が、既に限界と思われる時間を越えている現状。

仕事は離せない。
仕事の為の学習時間は短縮できない。
ならば、プライベートでのパソコン利用をあきらめるしかない・・・。

「せめて仕事関係以外のパソコン操作をしない」との線引きは遅すぎるくらいだったかも?
ブログと向かい合う時間は私の大切な日常のひとつだけど、これもしばらくは手離すことに。
といっても、目の状態や生活リズムが、多少なりとも改善されてきたならまた「書きたい虫」がうずいてくるに違いないけれど。

マイペースの気ままブログにお越しくださっている皆さま。
いつもありがとうございます。
しばらくはエントリできそうもありません。

定期的に読ませていただいているブログは、これからも時々はおじゃましますので、またお目にかかりましょう。

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2009年2月15日 (日)

河内長野シティマラソン

久しぶりに夫のお供でマラソン会場へ。
地方のローカルマラソンながら、会場の中学校には人があふれている。
初夏のような陽気もあってか、リラックスしたようすの参加者が多い。
「ファミリーの部」もあるのだろう、ゼッケンを着けた子どもたちが明るい笑顔で走り回る。
会場周辺ではウォーミングアップに余念のない人たちがいっぱい。

それにしても若者が走る姿は何て軽やかなのだろう。
くったくのない笑みを見せているその顔には、たるみひとつない。
内面からも外面からもほとばしる溌溂さがまぶしい。
年を重ねて得るものは大きいけれど、失うものも確かに大きい・・・。
(といっても年配の方たちの走りも「いぶし銀」のような魅力、あります!)

スタート時間が近づいて、みなスタート地点へと移動。
2000人ほどの参加者があったらしいが、老いも若きも、男も女も、ぞろぞろとつながる列はとても長い。視覚障害者の方もおられる。
マラソン1

マラソン2
私は走らなかったのだから、達成感も筋肉を使った気持ち良さもないけれど、マラソン大会の帰りはいつも気持ちが晴れやか。
人がいっぱい集まるショッピングセンターや娯楽場は大嫌いで、できるだけ避けているのにマラソン大会の人ごみは気にならない。
自然豊かなところで開催されることが多いからというより、おそらく「走る為」に集まる人たちの表情がいいからだろう。
ギラギラしたものを感じさせる市民ランナーはほとんどいない。

日がなパソコンに向かう1日、万歩計は3千台を示すこともあるが、今日は1万を越えている。
見学だけのマラソンは案外、身体の健康にも良かったみたい。

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2009年2月12日 (木)

『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

『だいじょうぶだよ、ゾウさん』は「死」に向き合った絵本。

年老いたゾウとおさないネズミは仲良し。助け合って暮らしています。
ますます老いたゾウは、つり橋を渡って深い谷の向こうにある「ゾウの国」に行く日が近づいています。
ところが谷にかけられたつり橋は壊れていて、ゾウは渡ることができません。
ゾウが橋を渡ると2度と戻ってこないことを恐れていたネズミでしたが、やがて橋をしっかりと直してやりました。

だいじょうぶだよ、ゾウさん *本文より少し抜粋*
ゾウは、こころをきめると、せまいつりばしをわたりはじめました。
ネズミはおおきな声でいいました。
「こわがらないで。もう、がんじょうになってるから!」
ゾウはふりむいてこたえました。
「こわくないよ。だいじょうぶ、安心してわたるさ!」
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かつて幼かった頃(精神が、ですね)「死にたい」と幾度か考えたことがあった。
また一方では、いつの日か必ず訪れる「死」が怖くて怖くてたまらなかった。
あげく、「『死にたい』と感じたそのときに死んでしまえば、恐怖から逃れられる」と究極の結論に至ったことも・・・。

死んでしまわなくて本当に良かった!
あの頃は「生きる」ということがちっともわかってなかったし、もちろん「死」もわかっていなかった。
その後はせいいっぱい生きてきていると思うけど、いつの間にか「死」というものにも向き合おうとし始めている。
この絵本は、そっとやさしくその手助けをしてくれる。

今でもやっぱり「死」はこわい。
でもその時が来たら、ゾウさんのように「こわくないよ。だいじょうぶ、安心してわたるさ!」と言える自分でありたい。
そう言える自分であるための生き方をしたい。

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2009年2月 4日 (水)

古いお寺を訪れる

近隣(といっても車で40分くらい)の山手にひっそりとしたお寺があると知人に教えられた。

高貴寺」と言う名前で、とても静かで人と会うという事もなく聞こえるのは椿の花が時々ボト!と落ちる時の音ぐらい、だとのこと。
日曜日の午後に行ってみた。
山の途中で車を降り、かなり急な道をどんどん登っていく。

「おとなしくかわいい犬がいて道案内をしてくれるよ」とも聞かされていたが、
「ん?犬が道案内?」とよくわからずにいた・・・。

坂を上りつめたところに、犬はいた。
高貴寺のわんちゃん
私の姿を見つけるなり「ワン、ワン」と声高に吠えつきながら、後ずさりするように移動していく。
たいした犬好きでもなくちょっぴり怖さもあって「どこがおとなしいねん」とぼやきつつ、距離を置きながらも何となく犬が進む方向につられていくと、そこに本堂らしい建物があった!
山深いところに位置し観光用に整備されていないお寺の本堂のありかはわかりにくい。
「そうか、これが道案内であったのか!」と納得するやら感心するやら・・・。

椿はもうすっかり落ちてしまい「ボト!」も聞こえず、歩くほどに静謐と静寂に満ちた空間に惹き込まれていく。
かつての栄華を感じさせる広い敷地は小さな森のよう。
樹齢を重ねた大木、鮮やかな濃緑の苔。
長年の風雪に削られたたくさんの石仏。
建物に彫られた細工の見事さ・・・。

高貴寺1

高貴寺2

高貴寺3

曇天の梅
ただ境内でぼんやりしているのも心地よさそうだし、一帯を幾度散策しても飽きることもないだろう。

あちらこちらで見つけた梅の大木は8分咲き。
白いもの、蝋梅らしいもの、赤いものもあったが、曇天の下ひなびた山奥に広げた枝は梅園にはない野趣があり見とれる。
春には桜が美しいとのことだし、紫陽花の群生(のあと)もあり四季折々、花木も愛でることができそう。

ほとんど人の姿を見ないことも大きな魅力だけど、もしお近くの方がおられたらぜひ一度訪れてみられることをやっぱりお奨めしておきたい。

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2009年2月 2日 (月)

「ふん、ふん」の相槌はあかん

職場の後輩は増える一方。2年ではや“古参“となっている。
もちろん、年も一番上。
年齢差は“際立つ”くらいのものがあるけれど、休憩時間も彼、彼女たちとの会話を楽しんでいる。
話題によってはまったく理解不能のこともあったりするのだが、「わかります?」と説明も加えてくれ、年輩の私を輪からはずそうとしない気遣いがうれしい。

この後輩たちから「(年やのに)とても前向き!」とよく言われるけれど、どんなに前向きでも“若さ”から発散されるキラキラしたエネルギーの前では線香花火の勢いもない。
もちろん負けん気などはみじんも起きず(自分に対しての負けん気はあるが)、輝いている若者たちと共に働くことを楽しんでいる。

が・・・、一月ほど前に入ってきた20代後半の新人とはどうも会話が続かない。勉強熱心で笑顔の多い女性なのだが、相槌は必ず「ふん、ふん」と言う。

「すみません、ちょっと教えていただきたいのですが・・・」と丁寧に切り出されることがある。
知っていることはできるだけきちんと教えたいと思っているので、実際にパソコンを操作しながら手順を説明していく。
そのときの相槌(というより返事なのだが)も「ふん、ふん」

状況にもよるが私は若者のため口は余り気にならない。
ところが、この「ふん、ふん」だけはどうも気力がそがれる。
教えを請われたときは、それでも最後まで説明するが、私的な会話でこの相槌が返ってくると、とても話を続ける気にならない。

なぜ「ふん、ふん」なのだろう・・・?
と疑問に思っていたら、昨日のラジオ番組でその解説をやっていた。
社会経験が乏しい若者たちの間で広くみられる状態であるとのこと。

なるほどと合点がいくものの、欠けているのはむしろ「社会経験」より、「ふん、ふん」という言葉を返すことが不適切と感じる「感性」だと思う。
彼女のことが嫌いというわけではないのに、その感性の前でしり込みしたまま「ふん、ふん」は止めよう、と伝えることはまだできていない。

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2009年1月26日 (月)

大人も子どもも本を読みましょう!

年末から始まったガザでの惨状、そして身近にも感じられる経済不安は、「晴れ」の日であるお正月でさえ心のどこかに暗雲がかかっていた。
何ができる?何をどう考えればいい?と心騒ぐときに、セルビアで開催された国際図書展での、池澤夏樹さんによる開会スピーチを新聞で読んだ。

【世界は恐慌です。経済的には破滅です。だから本を読みましょう。人は困ったとき、つらいとき、迷った時に本に戻るものです。お金は手の中で消えていくけど、本の中の知恵は消えません。金融資本は人間の顔を持たないが、文学には人間の顔がある。もう一度そこに戻って、静かに座って本を読みましょう】

これがすっきり腑に落ちて、「2009年はできるだけじっくり本を読もう」と考えている。
これも本好きであればこそ。
(といっても1月も終わろうとしているのに、まだ一冊も読んでいないけど・・・。)

私の子どもたちもみな本好きであるが、ごく小さい時からどんなに忙しくても絵本を読むことを欠かさなかったこともその一因になっていると思う。

娘もまた子どもに本を読むことを心がけているようで、帰ってきたとき、近くの図書館から紙芝居を借りてきていた。
紙芝居というのは日本独特の文化らしい。
ドイツで育っている幼子が初めて紙芝居を見るという、特筆すべき日の演者は幸運なことに私だった。
少し距離をおいて対面で座る、というスタイルも初めてなのだけど、めくるごとに画面が展開していく『桃太郎』に驚くくらい集中していた。
感情を込めて紙芝居を読みながら「この子も本好きに育つな」と密かに私はほくそえんだ・・・。

紙芝居舞台 ただひとつの不満は紙芝居に舞台(枠)がなかったこと。舞台も図書館で借りることができるのだが、娘は省略したよう。
紙芝居の舞台というのは、物語の世界に入り込み集中させることに大いに寄与する。できるなら舞台有りで見せたい。

というわけで1月の娘の子の誕生日には、紙芝居と超軽量舞台を送ってやることにしている。
(舞台をまだ入荷待ちしている間に誕生日は過ぎてしまったが)

さて私の方は何から読み始めようか。
さぁ、大人も子どもも静かに座って本を読みましょう!

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2009年1月19日 (月)

非日常の23日間

自分の時と空間がようやく戻ってきた。そこには幼子の愛らしい笑顔も、娘のりりしい母親姿も、もうないけれど・・・。

昨年末、ドイツから娘とその子がやってきた。
「オーマ、オーマ」となついてくれるもうすぐ3歳になる利発な子、
日本の文化と食に飢えたような娘。
時間のある限り気長く幼子と遊び、思いつく限りの日本食を食卓にあげ、遅くまで母娘の会話を楽しむ日々は、喜びと活気に満ちたものではあったけれど、ひとりの時間がもてない息苦しさもどこかにあった。
読んだり、考えたり、書いたりする時間を全く取れずにいた。

昨日予定通り、まだまだ日本での暮らしに未練を残している様子の娘と子を関空まで送っていった。
今日の未明(ドイツ時間では昨日夕方か)、無事帰宅したとのメール報告を受け取り、まずはやれやれというところ。

メインパソコンを置いたデスクの前には、広河隆一監修の写真誌『Days Japan』から送られてきたパレスチナの子どもたちの写真が貼られている。
1年ぶりでやってきた娘はそれを見るなり「これは誰?なんで、Jxx(娘の子の名前)の写真と違うの?」と聞いた。

娘とその子の安定した暮らしぶりは親にとって何よりの安心。
そして年末年始には、幾組かの親族(主に娘の従弟たち)と交流した。
娘のところ同様、どこも若き良きパパ、良きママが子を慈しんで実にあったかい家庭を築いていた。
物心共に満ち足りたそのようすは、まぶしささえ感じる。

だけど、同じようにかわいい子どもたちがガザでは今この瞬間にも無残な目にあっているのだ、ということは心の隅から離れない。

滞在中にも、Jxxの素敵な表情の写真がいっぱい(娘の強い希望があり「子ども写真館」で着物姿も撮った)になったのに、相変わらずデスク前の写真を変えようとしない私に「どうしてパレスチナの子なの?」とまたもや娘はいぶかしがった。

夫は、「そうやなぁ、Jxxの写真に変えてもいいな。でも、まだ今はあかんよ。パレスチナでは今こんな子たちがいっぱい殺されているのだから」と娘に話した。
さて、娘はこの言葉をどう受け止めたろうか?

とにもかくにも夫と暮らす私の日常が帰ってきた。
ネットもブログもそろそろと再開。
ブログをご訪問いただく皆様には、年末も年始もご挨拶できませんでしたが、遅ればせながら2009年もどうぞよろしくお願いします。

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2008年12月24日 (水)

2008年のクリスマスイブ

暗雲のように覆う社会不安からクリスマスも倹約ムードらしい。
家族そろっての外食が減り家で食事、ケーキも小ぶりのものが人気とか。
一人で夕食をいただく私も、ターキーはもちろんチキンもケーキもそしてワインもないイブに甘んじて何の不服もない。

私の職場も景気変動の影響をもろに受けており、仕事量(すなわち賃金)も減った。
それでも家計は夫が支えているし、夫は福祉関係従事者であるので倒産や解雇の不安は少ない。
世間の人たちと同じように「消費」という魔力から少し距離を置いたおかげで、むしろ地に足がついた生活になっているように思う。

自身が屋根のある暖かい住まいに落ち着いて暮らせる幸せに感謝しながらも、平穏ではいられない。
職も住まいも追われた何万人もの人たちは、どうして生きていくのだろう?

意欲もあり、まじめに働いていた人が(会社は存続しているのに)突然に職を追われるということがあっていいのだろうか?
職を追われた人が路頭に迷うしかない、ということがあっていいのだろうか?

長男はあいかわらず深夜に帰宅し早朝に出勤する日が多い。
機会あるごとに転職を勧めてきたが、今は積極的に勧めることをしていない。
結婚や子育てが困難な今の会社にいることに展望は感じられないが、退職したなら先行きは更に不安定かもしれない。
路頭で途方にくれる一人が長男であってもおかしくないと感じるほど、雇用に関する不安は身近。
安定雇用なくして、安定した生活は望めないというのに。

同世代の母親との会話でよく出てくるのは「今の子たちはかわいそう」ということ。
それでは何も解決しないことはわかっていても、やはり母としてまず「不憫」という感情が湧く。

小さいとき夜中にやってきてくれたサンタさんは、モノだけではなく「夢」というでっかいプレゼントを届けてくれた。
大人になっていても、せめて辛い状況にある人にだけでもサンタさんは「希望」を届けてくれないかな。
現実に立ち向かうことのできる力となる「希望」を。

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2008年12月17日 (水)

自転車でiPodはもう止めた

夕食準備前にジョギングに出る。
14日の市民マラソン以来、すっかり走ることの気持ちよさにはまってしまった。
暖房を入れても身体の芯までは温まらないけど、ゆっくりと30分も走ればポカポカ。
走り終えた後は鏡を見てもうれしい。瞳が輝き頬は桜色。
もちろん皮膚だけではなく身体中の器官が覚醒して、いきいきと働き始める(ような気がする)。

走るコースはいつも同じで、人通りのない川沿いの道。(だから遅い時間は避けている)
iPodで鳴らす音楽に浸りながら、負担を感じない速度で身体は単調なリズムを刻み続ける・・・はずだったのがきょうはとんだハプニング。
川に架かる橋まで来たところで、いきなり目の前によろよろと自転車が現れ次の瞬間には倒れた。
街灯に映し出されたのは、電動自転車に乗った体勢のまま、雨上がりの草むらに横たわる年配の(といってもたいして年齢は変わらないかもしれない)女性。
どうやら無灯右側走行で橋を渡っていた女性が、渡り切る直前に左側を走っていた私の姿を目にしてよけようとしたらしい。

「どうなったんやろ、よけようと思ったのに・・・ どないしたらええんやろ・・・」
元気そうな声であるのに、うろたえておられるのか、つぶやかれるだけで濡れて冷たい草むらから起き上がろうとされない。

「自転車は私が起こしますので、まずはご自分だけゆっくり起きてみて下さい」と声をかけると、
倒れた自転車から足を離し、そろそろと立ち上がられた。
「大丈夫ですか。痛いところはありませんか。」と、少し歩いていただいて無事を確認してから見送った。
女性は「ありがとう」と何度もお礼を言いながら、特に異常は感じられない運転振りで立ち去られた。

ご無事であったことに安堵しながらも、「なぜ自分はあの女性にちっとも気づかなかったのだろう? 」と考えざるを得なかった。
無灯であったとしても自転車が目の前まで迫りながらその気配さえわからなかったとは。
やはり・・・iPodのせいかもしれない。

iPodが原因で事故を起こす可能性はなくても、iPodを着用しないことで防げる事故はあるかもしれない。
加害者になる可能性がある自転車では使用を止めよう、と全く未練なく気持ちが定まった。
この1日から施行された改正道路規則で自転車走行中のiPod使用禁止が決まってからも、不満タラタラで手離せてはいなかった。
このハプニングで、規則に納得できていないが使用を止めることには納得した。

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2008年12月14日 (日)

気持ちよく走った市民マラソン

ジョギングの習慣からもすっかり遠ざかっているのに、さして心配も、もちろん意気込みもなく朝から市民マラソン会場へ向かう。
ゆっくりなら3キロは十分走りきる見通しはあった。
ただひとつ要注意は「がんばって」しまうこと。マイペースを忘れ飛ばしてしまうと取り返しがつかない疲労に陥り、完走すらむつかしくなる。

市民マラソン 市民マラソンはまずグランドを2周してからロードへと出る。
かつての経験で、このグランド周回が我慢のしどころと心得ていた。
注目と応援を受けて誰しもペースを上げる中で、ひたすらこらえてマイペースを維持。
最下位についていくつもりが、今年は何と女子40歳以上54歳以下のクラスはたった9人。しかもシューズやウエアなどから判断しても走り慣れていそうな人ばかり。
最下位についていくこともあきらめ、自らをその位置に・・・。

息も乱れないほどのペース(画像を見ても歩いているみたい・・・)に身を任せながらも、ふとこのありさまを高校のクラブ仲間が見たらさぞ驚くだろうと考えた。
勝ち気にまかせ後輩、同輩をしごき「鬼のキャップテン」と呼ばれていた。
そもそも幼稚園の頃から、かけっこは何としても人の前に出ようとした子だったもの。

川沿いに走るコースは風光明媚とは程遠いながらも、ぼんやりした空と雲、紅葉した木々、ゆっくりと流れる川が目に映るのが心地いい。

終始同じペースで走り、余力を残してゴールイン。
最初にがんばって疲れてしまった人を途中で抜いちゃったので、最下位ではなかった。

肌寒い日に、程よく筋肉を使い身体はポカポカ、うっすらとかいた汗さえ気持ちいい半日となった。

さて、おぜんざい。
これは毎年の市民マラソンの日にはかかせないおやつメニュー。
かつての市民マラソンは、主催者がおぜんざいを用意してくれていて、参加者の大きな楽しみとなっていた。
ところが3年前から予算削減のためか、おぜんざい中止。
毎年欠かさず走る夫もがっかり・・・。
それ以来、この日には毎年炊いている。(前日に仕込む)

今年は私も走ったので、おいしさもひときわ。
おぜんざいと玄米もちとの相性もばっちりです。
おぜんざい

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2008年12月12日 (金)

サンタさんに託したもの

今では残念なことにサンタクロースとは無縁になってしまった。
子どもたちがまだ小さかった頃、毎年12月が近づくと、サンタさんに代わってそっと枕元に置いてやるプレゼントをあれこれと思い巡らしていた。

翌朝、目をさました子どもたちが歓声を上げながら包装を解く。
キラキラした瞳でうれしそうにはしゃぐ様子を見守る私は、おそらく子どもたち以上に幸せだった。

貧しい暮らしながら、サンタさんからのプレゼントだけは欠かさなかった亡き父と母も同じ思いであったのだろうか。

そして、今では母となった娘が毎年サンタさんからのプレゼントを子に用意している。
ましてキリスト教圏に住んでいるから、クリスマスのお祝いはさまざまな慣習があるよう。

12月6日は「サンタさんがプレゼント(おかし)を持ってきてくれる日」であったらしい。
その前夜におかしを入れる長靴を用意したとき、中に子が愛用しているおしゃぶりたちを入れたとのこと。
順調に成長し言葉も巧みながら2歳の子は、寝るときなどまだおしゃぶりを手離そうとしないでいた。
そこでサンタクロースに一役買ってもらうことにしたらしい。
「サンタさんにことづけて、他の赤ちゃんたちに届けてもらおう」と。
果たしてそれ以来おしゃぶりを全く欲しがらなくなった、と娘はメールで知らせてくれた。

そのメールを読みながら小さい子というものの愛しさに胸がいっぱいになった。

サンタさんに託した「自分の大切なものを、赤ちゃんに届けて」という思い。
より小さい者への慈しみと「もう大きくなった」という誇り、さらにサンタさんへの信頼で娘の子の心ははちきれんばかりであったろう。

サンタクロースなんて本当はいない、という子どもや大人がいるけど、絶対そんなことはない。
私が小さかったときもいたし、今も確かにいる。
娘の子は、長靴に入っていたおかしよりも、もっと素敵なプレゼントをサンタさんからもらっている。

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2008年12月11日 (木)

加藤周一さんを偲びながら市民マラソン

今、ジョギングから帰ってきたところ。
40分間走り続けたから、3キロは充分走ったと思う。
これで何とか走りきるめどがついた。

今度の日曜日は市民マラソン。
早くに申し込みは済ませたものの、ちっとも走れておらず参加を迷っていた。
走ることを決めたのは、加藤周一さんの訃報を知ってから。

「知識人」と言われる人はたくさんいるけれど、どこか胡散臭く感じられる人も多い。
そんな中で加藤周一さんは、視点の確かさや生き方の誠実さ、人としての大きさは際立っていたように思う。
「自分には書かれていることの半分も理解できないだろうなぁ」と思いつつ、いつも著書やエッセーを読むことを楽しみにしていた。

亡くなられたことに大きな驚きと落胆があったけれど、瞬時に「九条ウエアを着て市民マラソンを走ろう」と決めた。

「ランナーズ9条の会」というのに入っているが、実質的な活動は何もしていない。
マラソンに参加したときに「9条」の文字がデザインされたウエアを着るくらいだけど、ここ数年どこのマラソンにも行かないのでウエアは引き出しに眠ったまま。

巨星と評される加藤周一さんから何を受け継げつぐことができるか、また受け継がなければいけないか・・・。
どう考えてもささやかなことしかできそうもないけれど、まずは九条ウエアを着て自分が住む地の人々が集う場を走ってみようと思う。(わずか3キロだけど)
「九条の会」呼びかけ人でもあった加藤周一さんへの自分なりの追悼かな。

そしてその日の夜はNHK教育テレビ 午後10時からの「ETV特集」の放映を楽しみにしている。
加藤さんが「どうしても語りたいことがある」と、インタビューにこたえたものだとのこと。
テーマは『1968年を語る~”言葉と戦車”ふたたび』

昨日付けの赤旗紙に番組案内があったが、合わせて掲載されていた塩田純プロデューサーの談話を少し抜粋。
【今年の3月、加藤さんにテーマのご相談をしたところ、即座に「68年」と言われました。インタビューは7月、8月の2回でした。加藤さんは現在の閉塞感と68年の閉塞感に似たものを感じておられました。68年を語ることは意味があると思いました。政治や社会のシステムが肥大化しているいま、人間らしく生きるにはどうしたらいいのか、その中で思想の果たす役割はなにか、が加藤さんの関心でした。】

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2008年12月 7日 (日)

師走にのんびりと

2008年の締めくくりと新年を迎える準備はやはりできるだけしておきたい。
と思いつつ、まだせっぱつまった感覚はなく、今日は気ままにちょっとだけお裁縫。
新しい年から使い始めたい台所小物の準備で、まずは鍋つかみ。
今のものはみな長年使い焼けや汚れが目立つ。
縫い物は母の着物のリフォームでと決めているが、あれこれ引っ張りまわしても台所の小物のイメージに合うものがない。
何とか妥協できたのが、モノトーンの普段用着物。
いかにも、粋好みだった母らしい変化に富んだ色使いのもの。
小さく切って火にかざしてみて、台所で使っても大丈夫かチェック。
一気に燃え上がることはなく端がこげただけなので無事クリアというところ。

素敵なデザインで丁寧な縫製のものでも鍋つかみなら買えない価格ではないし、あるいは100円均一の店でもさまざま売られている。
不器用な手で縫った出来上がりは満足とは程遠いけど、2008年の目標のひとつとしたのは「買う暮らしから、営む暮らしへ」
料理でも裁縫でも自分の手で何とかできるものは、下手でもなるべく何とかしたい。
で、出来上がりはこんな感じ。
鍋つかみ

来年に持ち越しても、できればお揃いのマットやエプロンも作りたいな。

一村の絵 今日の成果がもうひとつ。
カレンダーも12月分を残すだけ。奄美に知り合いがいる同僚からいただいた大判の「田中一村カレンダー」
絵だけ切り取り、額に納めた。
原画を観てしまったから、雲泥の差があるとはわかりながら、やはり「カレンダー」絵にも見とれる。

ガラス拭きや網戸洗いはもちろん、日常的におろそかにしている片づけも後回し。
師走の休日ながら、ポカポカ陽気に誘われての~んびり、でした。

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2008年12月 3日 (水)

今年もクリスマスドイツマーケットへ

2005/2006年の「ドイツ年」イベントとして梅田スカイビル敷地内で開催されたドイツクリスマスマーケット
好評だったようで、それ以後も毎年続けられている。
これを目指して行くことはなく、あくまでも目的はスカイビル内で上映される映画なのだが、それがマーケット開催時期だと気持ちはウキウキ。

きらびやかで人工的な装飾は好きではないのに、なぜかクリスマスは特別。
華やかなイルミネーション、原色のさまざまなオーナメントにスーと引き込まれる。
子どもたちのうれしそうな顔と声、寄り添う若いカップルの幸せそうな表情がさらにクリスマス気分を後押ししてくれる。

メリーゴーランド
今でも乗りたいメリーゴーランド。

グリューワイン
ポッと身体を暖めてくれるほんのり甘いグリューワイン(ホットワイン)
使い捨て紙コップではなく、カップ付き(有料)。
コップ持参でもOKなので去年のを持っていったが、今年のデザインが気に入り買ってしまった!

ワインのカップ
これで3年分のカップが勢揃い。(左はしのが今年のもの)

お菓子の家
子どもの頃にこれを見たなら、さぞ驚愕したことだろう。
「ヘンゼルとグレーテル」に登場するお菓子の家は、限りないあこがれだったもの。
今の子どもたちは「モノ」を簡単に手に入れることができることの引き換えに、あこがれや夢想という心の肥やしを失ったのかもしれない。

パンが添えられたアツアツのロングウインナーの画像はないけれど、これも毎年欠かさずいただく。シンプルなパンにジューシーなウインナーとの相性がとてもいい。
おいしいです!

イエスさま誕生
やはりクリスマスはただのお祭りというわけではない、イエスさま生誕の再現コーナーもちゃんと設けられている。

12月25日までの開催。
近隣の方は映画鑑賞のついでにでも寄ってみて下さいませ。
ちなみに私がこの日に観た映画は重松清原作の『青い鳥』。
また近いうちに感想をエントリする予定。
他にケン・ローチ監督の『この自由な世界で』なども上映中です。

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2008年12月 2日 (火)

自転車でiPodが使えない・・・

困った、困った・・・。
「こんなことで騒ぐなんて、他に悩みはないの?」と口の悪い友人には言われそうだけど・・・。

大阪府ではこの1日から道路交通規則が改正され、自転車に乗りながらの携帯操作は禁止になった。
これには黙って従うしかない・・・。

移動の多くが自転車なので、自転車に乗りながら携帯操作をする人に毎日何人も出会う。
すれ違うときでも、チラともこちらを見てくれない、予測のつかない蛇行、といった人も珍しくない。
本人も周りもとても危険。
残念ながら、乗る人の自覚にまかせておけない状況になってしまっている。

でも・・・、その規則のついで?にくっついてきたのが「イヤホンやヘッドホンを着けての自転車運転禁止」
これも罰金、反則金の対象となる。

実際にイヤホンやヘッドホンが原因の運転ミスがどれほど発生しているのだろうか?
音量にもよるだろうけど、音楽を聞いていると運転に必要な集中力が保たれないとは思えない。
常用しているが、何かの合図や呼びかけに気づかないということも全くなかった(と思う)。

自転車の安全運転に必要なのは、歩行者優先の意識、適度な速度、左側走行、夜間のライト点灯などの基本を守る(守らせる)こと。
適当な音量で聞くイヤホンやヘッドホンのことまで規制を加えないで欲しい。
それさえ「危険」と言うなら、歩行者の立場でも同じことだろうし車内で音楽を鳴らすことも「危険」につながるのでは?

視界が遮られ、さらにふらつく人もいる傘差し運転もやがては規制?
とっても迷惑で危ないペチャクチャおしゃべりしながらの並走運転も規制?

利用者のモラル低下はまちがいのないことで、自分もさらに気をつけなくてはいけないが、だからあれもこれも規則を設けて取り締まり、はとてもいやな感じ。

それにしても・・・何で、携帯操作とイヤホンやヘッドホン利用が同じ俎上に乗るのだろう・・・?

公共交通機関利用以外は、どこに行くのも徒歩と自転車の私は、いつもiPodが首からぶら下がっている。これがあるから自転車通勤も遠距離走行も苦にならず、むしろ楽しみとしている。

大人として子どもたちの範となるべき、とわかりながらも未だに未練タラタラ。
当分は自転車に乗るときには、頭からすっぽりスカーフをかぶり耳から下がる白いイヤホンを隠してしまおうという魂胆もある。
とはいえ、やはり自転車でのiPod使用に見切りをつけなければいけないのだろう。
寂しいなぁ・・・。

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2008年11月27日 (木)

「六一〇ハップ(ムトウハップ)を残してほしい

「硫化水素ガス」を発生させた自殺が急増したあおりで、材料となった「六一〇ハップ(ムトウハップ)」が製造中止になった。

在庫がなくなると、もう全く手に入らないよう。
困る人はいっぱいいると思うけれど、適切な代替品はあるのだろうか?

製造会社、武藤鉦製薬(愛知県名古屋市)とその従業員の打撃と困惑は想像するに余りあるが、利用者(消費者)にとっても、とっても困ったこと。

20数年も前になるけれど、私もこの薬品のお世話になった。
児童福祉施設職員に勤め始めていた夫は、子ども集団で発生しやすい病気にしばしば罹っていた。
そして必ず私もその病気をもらう。

身体のあちこちに痒みをともなう赤い発疹が増え始め、皮膚科を受診すると「疥癬(かいせん)」という診断。

実家の父や母が「戦後やあるまいし、何で今頃疥癬?」と驚いていた。
もちろん治療に有効な六一〇ハップのことも知っていた。
1927年生まれのこの入浴剤は衛生状態が悪かった時期は大活躍だったらしい。

やはり医師が勧めたのは「六一〇ハップ(ムトウハップ)風呂」
お風呂のないところに住んでいたので、知人から大きなバスタブを譲り受けた。
狭い和室の畳の上にビニールシートを敷き、バスタブを置く。
そこに湯沸かし器から湯を張り、六一〇ハップを注ぐ。
部屋中に硫黄の臭いが立ち込める中でしばし湯船に身体を浸す。

バケツで湯を運び、終わればまたバケツで組み上げ流し台へ流す作業も面倒なものなのだけど、それさえ笑ってしまえるくらい若い日の「おままごと」みたいな入浴は楽しかった。
おまけに効果は確実で、続ける内に皮膚もきれいになっていき副作用もまったくなかった。

疥癬は今でも発生しているようだけど、再び罹ったらどうしよう?
効果的な塗り薬があったとしても、何日も塗り続けることは副作用が心配だし・・・。

私は疥癬治療でお世話になってありがたみを実感したが、さまざまな皮膚のトラブル(あせもや肌荒れなども)に効果が有り、一度使った人は手放せないという話も聞いた。

販売中止になった経過としては、日本チェーンドラッグストア協会による加盟店への販売自粛要請から始まり、それが解除されてからも、8割の薬局が取り扱わず売上低迷ということらしい。

既に武藤鉦製薬では十数人いた工場の従業員のうち、すでに半数以上が退職したとのこと。
今頃になって愛用者から「やめないでほしい」とのメッセージがたくさん寄せられている。
かくいう私も今頃「やめないでほしい」と切に望んでいる。

自殺に使われたということで「六一〇ハップ」は一躍ワルモノになってしまいマスメディアからの情報も偏っていたように思う。
自殺の原因は「六一〇ハップ」ではないし、「楽に死ねる」というのも偽りだと聞く。
一時的な販売自粛は仕方ないとしても、そのまま製造中止に追い込まれていたなんて・・・。
(私も含めて)この入浴剤の良質さを知る者たちは、「騒ぎが収まればまた買える」と楽観視し過ぎていたよう。

「惜しい、惜しい、なくなるにはあまりに惜しい」

私も遅ればせながら武藤鉦製薬に「やめないでほしい」メッセージを送ろうと思うけど、マスメディアも、世間の流れをぐっと変え武藤鉦製薬をも再生させるような企画を考えてくれないだろうか?

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2008年11月26日 (水)

二岡選手、ガンバレ!

巨人の二岡智宏選手がトレードで日本ハムに移籍するという。その会見をテレビで少し見た。
プロ野球は、大好きだった巨人の斉藤雅樹投手が2001年に引退してからは熱が冷め、生はもちろんテレビでも観戦することはほとんどなくなった。
二岡選手入団の頃はよく知っている。
ドラフト1位指名予定が複数球団あるのに、2位指名になるはずの巨人を逆指名した。(巨人の1位指名は上原浩治投手)
巨人に固執した二岡選手だけど、もちろん球団の方も「これで巨人のショートは10年間安泰」と、評価と期待は大きかった。
そしてちょうど10年経って、二岡選手は巨人軍を去る。

会見で、新境地での抱負を落ち着いた口調で語る二岡選手の表情はりりしさを取り戻している。
長く苦悩の中にいたようだが、ふっ切ることができたのだろう。
思わず「がんばれ!」と心の中で声援を送る。

テレビも週刊誌もほとんど見ない私でも、二岡選手と女性タレントとのことは繰り返し目にし耳にした。
興味がないから右から左へ抜けるし、どこまで事実か知らない。
二人の言い訳振りは見苦しくてうんざりした。

だけどそもそも何でこんなに皆の関心が集まるの?
何でごくプライベートな出来事が、こうも「社会」の目にさらされ、こぞって非難され裁かれる?
(もっと他に、さらされ非難され裁かれるべきことはいっぱいあるでしょ?)

結果的に野球選手として一流の技量をもつ二岡選手は、完全に所属球団での活躍の場を失った。
(怪我による休場の間に若手の台頭という要素もあったのだけど)

自分がしたことの責任は取らねばならない。
二岡選手は家族に対して責任があるし、子どもたちのヒーローであったことの責任もあるかもしれない。
でも追い詰められたのは(本人ばかりでなくおそらく家族もだろう)「因果応報」ではなく、マスコミと世間の執拗で無責任な追求ゆえだと思う。

まだ32歳という若さの二岡選手、新チームでは言葉通り「ゼロからスタート」でプロ野球選手としての真骨頂を見せてほしい。
確実な守備と右中間へぐんぐん伸びる飛球は、彼のファンならずとも惹きつけられるのだから。

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2008年11月21日 (金)

「感動」は検索から?

娘からメール添付として動画が送られてきた。ポール・ポッツという人が歌うオペラを2歳になる娘の子が真似たもの。
ポール・ポッツという人は全然知らなかったし、オペラにもイタリア語にも聞こえないものの、真剣に歌うさまがとてもかわいく職場で同い年の同僚にちょっと披露。
(こんなときにiPod touchはとても便利!)
彼女はピアノの先生でもあり音楽通。でもやはりポール・ポッツは知らないと言う。

「どんな人なんやろ?」などと盛り上がっているところに、実習に来ている20歳代後半の青年が「元携帯電話のセールスマンでオペラを歌う人です」と教えてくれた。
彼がポール・ポッツを知っていることが二人とも意外で、思わず声をそろえて「何で知ってるん?」
「You Tubeで見ましたから」
その答えに、まだ同僚も私も納得しない。
「たまたま見つけたの?音楽ビデオに興味があって探したの?」
とさらに若者につっこむ。

その勢いある好奇心に彼は少したじたじになりながら、
「あのぅ、『YouTube 感動』というキーワードで探したらあったんです・・・」
「・・・・・」
思わず無言になった同僚と私の胸の内はおそらく同じ。

「感動したくなったら」その対象をネットで探す?
そして実際に彼はポール・ポッツのビデオを見て「感動」した?

道具、機械に囲まれて快適・便利がまかり通る生活ではあるけれど、「感情」までワンクリックで操るのは当たり前?
操られた感情はどこまで心の琴線に触れたものなの?

そのビデオを見て彼が「感動した」と思っているなら、言葉の理解が違っているような気がするし、感性も曇ってしまっているのでは?と感じてしまう。

短い休憩時間での会話だったけど、ほとんど会話する機会がなかった若者が緊張しながらもあれこれと話をしてくれたそのひととき、私の感情はとても活性化していた。
(あとで探したポール・ポッツのビデオを見たときよりも)
彼の感情はどんなだったろう?

ネットで探す「感動」を否定しようと思わないけど、若い彼にはリアルな場で感情を揺さぶられるようなさまざまな体験をどんどんして欲しいと思う。

その「感動ビデオ」はこちら

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2008年11月17日 (月)

田中一村展

今年が生誕100年ということで、どこかで展覧会があるに違いないとは思っていたが、何と近隣の奈良県で開催されると教えてくれた人がいた。

奄美大島で生涯を終えた孤高の画家、田中一村という画家とその絵を知ったのは高倉健のエッセイ集から。
作品集を手に入れたものの、どうしても実物が見たくて、いつかは奄美の「田中一村記念館」に行くつもりではあったが、当面行けそうもない・・・。

それが思いがけず車で1時間のところで本物を見ることができるらしい。
ぜがひでもと思いながらも日が過ぎ、会期終了が近づき焦りだしていたが、やっと昨日に行くことができた。

会場となる奈良県明日香村にある奈良県立万葉文化館を初めて訪れたが、広い敷地にゆったりと建てられていた。
庭では、紅葉を愛でる人、駆ける小さな子、カメラを向ける親などが展覧会鑑賞前後のひと時を楽しんでいる。

さて特別展である「田中一村展」は生誕100年に因んで100作品というボリューム。
神童と言われた8歳当時の作品から時代を追って数々展示されているが、圧巻なのはやはり晩年奄美に移住してからのもの。
作品集やネットでも幾度も目にした作品であってもまったく別物。
人の背丈ほどの大きさに描かれた緻密な絵は荘厳で美しく、光が内からあふれているかのように輝く。
飽きずに見つめ続けながらも、この魂を込めたような作品を数点も仕上げれば「精も根も尽き果てるのでは・・・」との思いがかすめる。

奄美で「描きたいもの」に出会った一村が、もてる才能を一気に開花させたのか。
人の評価に全くとらわれず、己の良心に納得のいく絵を描き続けたという。
69歳でひっそりと生を終えたその顔はたいそう穏やかであったらしい。

絵画展に出かけると絵葉書やポスターを買うこともあるが、今回はちっともそんな気にならなかった。
縮小された小さな印刷物からは、一村の作品の何ものも伝わってこない。
(と言いながら一村の作品がカレンダーになったものを知人にもらって喜んでいる(^_^))

次には、一村がこよなく愛した奄美の地、そこにある「田中一村記念館」で、今回展示されていない作品も含めてもう一度本物を見ることを計画したい。
奈良の紅葉

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2008年11月10日 (月)

幸多かれ、と願う

「幸多かれ」との思いがある、それは既に子を手離したという心の証しかもしれない。

8月に「結婚する」と電撃報告があって3ヶ月。
大学入学時に家探しと入居で出向いたものの、その後は一度も訪れることのなかった末っ子の暮らす地域。
それが、この3ヶ月に新幹線、あるいは高速バス、時にマイカーで何度往復したことか。

そうして昨日は、20歳の末っ子と18歳の彼女の晴れ姿を目にした。
(式は学校卒業後いずれという本人たちの希望で、衣装を着けて写真撮影だけ)
190センチにもなろうかという長身にグレーに光るタキシードが似合い、男と言えどもヘアーもメイクもプロの手がかけられ我が子ながら見とれた。
メイクさんからも「美少年」と言われたとか。
そう、親からみても他の大人から見ても末っ子はまだ少年。
その少年がこれまた幼さの残るかわいい少女と新しい生活をスタートさせた。
そして来年4月に少年と少女は親となる。

末っ子はうれしそうでどこか誇らしげ。
その末っ子を見上げる彼女は、実に幸せそうで晴れやかな笑顔。
若いカップルの行く末に不安は尽きないけれど、若さならではのこの素直な感情の発露はまぶしい。
幸い、彼女の大家族が近くで二人を見守ってくれているし、双方の友人たちにも恵まれている。
皆に助けられ、恐らくは幾度もあるだろう苦難を乗り越えていってほしい。

若い二人に幸あれと心より祈る。

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2008年11月 5日 (水)

よい年を重ねられたご夫婦

お会いするのは10数年ぶりになるだろう。
子どもたちが小学生の時に学童保育の保護者として活動を共にしたおとうさんとおかあさん。
おとうさんが退職後、自宅を改装してパソコン教室を開かれたと聞き訪ねてみた。
するとそこには、おかあさんのお姿も・・・。
何と、公立保育園の保育士をしておられたのを早期退職され、ご夫婦力を合わせての教室開催だった。

おかあさんはパソコン初心者ながら、フレンドリーな会話ときめ細かいサポートで生徒さんのリラックスに一役、またレッスン終了後には香り高いコーヒーのサービスまでしてくださり、とてもアットホームな教室となっている。

生徒さんがおられないときでも、ご夫婦は実になごやかに会話をされ、お二人で過ごす時間を大切にされていることが伝わってくる。

かといっていつもご一緒というわけではなく、それぞれボランティアや趣味の時間も多いとのこと。
おかあさんは前職を生かし小学校での放課後で子どもたちを見守る活動、あるいは障害者の方たちの畑の草抜きなどをされているらしい。

おかあさん曰く、
「今の社会を作ってきたのは自分たちの世代。(残念ながら)変えることはできないけれど、できることを何かやっていきたい。自分たちの生活はまぁ、食べていけたらそんでいいわ、と思っている・・・」

学童保育の保護者会活動では考えを異にすることも多かったと記憶しているが、久しぶりの再会では感心することしきり。

ご夫婦のあり方、そしてまた広く社会を見渡しながら地に足の着いた活動を確実にされている(同世代の)おかあさんに大いに刺激を受けた。

ゆがみの多い今の社会を変えていくことは若い力に期待したいけれど、体力、気力の続く限りできることを、自分もまた何かやっていきたい。

しばらくの間、この教室で未学習のパソコンソフトを勉強させていただくことになっている。
ご夫婦との交流がとても楽しみ。(おかあさんが点ててくださるコーヒーも楽しみ!)

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2008年10月26日 (日)

辺見庸講演会

1昨年、大阪中之島であった辺見庸さんの講演は、確か退院後初めてのものではなかったかと思うが、参加することができた。
お身体はご不自由なものの、話には力がこもり、もちろん内容も冴えわたっていた。

その後テレビや新聞でもお見かけすることもないまま(気がつかなかっただけかもしれない)、昨夜大阪の「クレオ大阪中央」で開催された講演会に参加した。
開場15分前に開場に着くと既に長蛇の列、最後尾につくがその後ろもみるみるまに連なっていく。

あらかじめ「風邪を引かれている」というアナウンスが会場にあったが、定刻になると、辺見氏は片足を引きずりながら登場。
壇上の席に着かれると「風邪をひいているのでエネルギーがもったいないから、あいさつ抜きで」と、すぐにお話を始められた。
体調の加減もあるのだろう、1昨年よりも顔は白く、ほっそりと感じられる。

写真、小説や詩など多岐にわたり引用されながら、ゆっくりとよどみなく語られること、実に3時間(途中10分間の休憩)。
実のところ、仕事を終えてかけつけた身にはかなりこたえた。
学生時代はともかく、同じ人の話を3時間聞く、という経験はめったにない。
もちろん、私以上に講演者である辺見さんの負担は相当のものであったろう。
力となっているのは、内面に燃え続ける熱い炎に違いないのだろうが、ご自身まで焼き尽くしてしまうことのないよう切に願う。

さて、エントリの中心は講演内容についてであるべきなのだろうけど、私の集中力は、残念ながら病後である辺見氏に全く及ばず、いたってたよりない。
そもそも多くの文献を引いて表現される深い思索を簡潔にまとめる、ということ自体(私には)無理なことで、表面的な言葉にとどまり真意を伝えきることができていない、と自覚しつつ断片を書き記してみる。

アメリカの金融システムに合致したものが「勝ち組」として「負け組」からすべてのものを奪っている。
茨城と秋葉原で連続して起きた「無差別殺人」の加害者たちの世界からの切断、孤絶感。
「不必要」「無価値」「ガラクタ」「部品」とみなされる人たちに対して痛みを感じる感覚をマヒさせられている。
本当に大事なことは、こうした人たちに対する視線、やさしさ、愛し方。
そのやさしさが本当の怒りを生む
「プレカリアート(アンダークラス)」は、人間なのに一時的な「部品」としかみられていない。
互いにおとしめあう社会にあって脱落する、その生体反応はむしろまともなもの、そうでないものはおのずと狂気である。
【この日の演題は「痛み、あるいは狂気について-"彼"は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」

デジタル革命が人間に与えている影響はとても大きい。
テレビは政治というものを芸能ショー化、大衆迎合的なヒューマニズム化、情報のイメージによる論理の排除、分析的思考を無力化・・・。

今"価値観"は奈落の底に落とされている。
もう「人民」「大衆」「市民」というくくりから離脱し、か細い声でも何かを言うべき。

こうした時代にあって現実に暴動は起きている。しかしそれは内向的なもので、すなわち内向的暴動というのは"自殺"。外への転化が必要。

そして、読むことを強く推されたのが『敗北を抱きしめて』(副題「第二次大戦後の日本人」)ジョン・ダワー著。
我々の"自画像"が書かれているとのこと。(本来は自分で描くくものである自画像をアメリカが描いてくれている。)

お話を聴いた私は読もうと思いながらも先延ばししていたのを「今すぐに」という気持ちにさせられたのだけど、"自画像"の意味合いと共に、このあたりの辺見さんの言葉をうまく拾って伝えることができない。
まずは読んでみて、いずれ感想などをエントリしたいと思う。
(市の図書館蔵書を自宅のパソコンで検索すると、上下巻とも貸出可能という結果。さっそく今日借りてきた。)

何とか文字列にできるのはこんなところでしょうか。
(語られた大切な部分でスポッと抜け落ちているものもあります)
John_dower

ちょっと余談ですが、辺見さんは「記号」表現を真似られ、ご自分のことを「PPG(パーフェクト ポンコツ じいさん)などと称され会場の笑いを誘っていました。

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2008年10月19日 (日)

人生の伴侶

朝6時半に雨戸のシャッターを上げた。
シャッターは熱気をはらみ気温が高いことは、上げる前から知れる。
やはり外は快晴。向かいの家の小学生の男の子が、野球ユニホーム姿で素振りをしている。
恐らく今日は試合で、それに備えているのだろう。

既に夫は走り出しているはず。
高知県の四万十で開催されているウルトラマラソン100kmに今年も参加した。
体育会系でも偉丈夫でもない夫が、なぜ走ろうとするのか知らない。
暑さと疲労で消耗した身体でひたすら前へ前へと進んでいるだろう今も、何を考えているのか知らない。

伴侶となって28年、それを知らなくても「行って来るよ」「行ってらっしゃい」の言葉に込めたものを互いに感じ取ることができる。

夫と私は関心領域に共通することが多く、価値観も似通っている。
子どものことはもちろん、政治、文学、映画、音楽・・・、どの分野でもいつも話は尽きない。
それでも互いに知らないところ、理解できていないところはいっぱいある、と思う。
あと何十年、共に暮らしてもそれは同じことだろう。
それぞれが違う人生を歩んでいるのだから。

育ちにかなり複雑な事情をかかえていた私は、夫と結婚して初めて安らげる家庭をもった。
風呂もない狭くて古い文化住宅の暮らしだけど、とても心地よかった。

寒さを感じ出した秋口、夫はピンクの花柄のふかふか毛布を抱えて帰宅した。寒がりの私へのプレゼントだった。
妊娠した夏には、超軽量で持ち運びしやすく風量豊かな扇風機を買ってきた。
どの部屋にいても涼しく、という配慮。
当時、エアコンはもちろん、各部屋に扇風機一台などは考えられない暮らしだった。

28年経った今も、そのいたわりに変わりはない。
たとえば一緒に出かけるときに、私に荷物を持たせることはない。
バッグひとつしか持っていなくてもそれが少しでも重ければ、必ず自分が持とうとする。

たくましく生命力にあふれていると見られがちな私だけれど、夫の目には、か細く繊細と映っているよう。
その夫の包容があるからこそ、私は外では強がりもできるしいっぱいまで無理もできる。

さて、夫もいっぱいまで無理をしていることだろう。
10時間以上も走り続けるのだもの。

明日には、足を引きずり疲れきった表情で「ただいま」と帰ってきて、それが仕事が終わっている時間なら、私は「お疲れさま」と迎えることができる。

そしてまた、伴侶との暮らしが続いていく。
それが得がたい幸せであることをかみしめていたいと思う。

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2008年10月14日 (火)

カトラリーカバー

洋食が食卓に上がることは少ないので引き出しに入っているナイフやフォークの出番は少ない。
さらに陽の目を見ないのが、箱入りセットのもの。
お気に入りで大切なのだけれど、お客様(しかも洋食)の時だけにしか使っていない。
1年に1度もないくらい。
WMF

今、家中のモノの見直しをしているところだけど、そのひとつとしてこのカトラリーセットをもっと気軽に使えるよう、収納の形を変えることにした。
カトラリーごとに重ねてコンパクトにし、引き出しまたは適当な箱に収納する予定。
ただ、そのまま重ねるのは少し気になるので、ひとつずつカバーをかぶせることにした。

このカバー作りがおもしろい!
素材は何種かのキッチンペーパーを試したが、結局「リード」クッキングペーパーを選んだ。
何が決め手、というほどのものではなく出来上がりを並べて比較し、見た目や手触りが一番好みに合っていたから。

端の始末は、直線とギザギザのどちらにするかでかなり迷った。

何度も試したのがミシン掛け。
綿の糸で縫うと、糸調子をかなりゆるめても、ところどころ糸飛びになってしまう。
たまたまあった絹糸で試みると、これが具合いい。
ゆっくり進めると、ふんわりしたペーパーに入る針はとてもスムーズで、手や体に伝わる振動までふんわりとやさしい。

というわけで、「6客×5種」のミシン掛けは、とても楽しかった。
スプーンカバー

カトラリーカバー
すっぽりカバーではなく短いものも作ってみた。
ミニ

皆様も、ちょっと大切なカトラリー用に、こんなカバーはいかが?

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2008年9月14日 (日)

ペシャワール会「アフガン報告』

講演を聴きに行くのは随分久しぶり。
数日前、新聞大阪版で今日の「ペシャワール会」講演会が目に止まり、運よくシフトは休日にあたっていた。
大きい声では言えないけれど、講演者が中村哲医師でないのがちょっと残念。
実は中村哲医師の大ファン。
講演のお話の中で、中村哲医師のおじいさんが映画『花と龍』にも登場する若松港石炭仲仕の親分、玉井金五郎であることを知った。
私はけっこう明治時代くらいの任侠道というものに惹かれている。
筋を通す、弱い者をほっておかない、そして度胸と行動力(さらには絵になるかっこ良さ)・・・。
もちろん知っているのはホンモノの世界ではなく、緋牡丹博徒シリーズや高倉健主演で描かれる任侠映画の中だけなのだけど。
そんなわけで、出自を聞いてみれば、「なるほど!」とひとり中村医師が漂わす型破りの魅力のルーツに合点がいってしまった・・・。

さて前置きはこのあたりにしておいて、今日の講演について。
大阪中之島の中央会館で2時から4時まで。
講演者は「ペシャワール会」事務局長の福元満治さん。
1時半からの開場から講演開始までにスクリーンに映し出されたのは、かつて放映されたNHK『知るを楽しむ』の中村哲医師。見逃したことを大いに後悔していただけに、早く出向いたことでとっても「トク」をした気分。

長い戦乱で荒れ果てた上に2000年から始まったアフガンの大干ばつ。
中村医師は、井戸掘りやカレーズと呼ばれる現地の地下用水路の整備、さらには用水路の建設に乗出す。
独学で用水路工学を学び、現地に適応した材料(豊富にある石)と方法(現地の人は皆、石工といえるほど石の加工に長けている)で用水路を拓いていく。
用水路ができるとの話が伝わり続々と村に帰ってくる難民となっていた人たち。
彼らは、やがては自分たちの生活を支えるであろう用水路建設にせいを出す。
ペシャワール会が支払う多くはない日当が彼らの生活の糧。
初めて水を流した時の中村医師や現地の人たちの笑顔。
水が流れた地域に半年ほどで蘇った緑・・・。

講演でも福元氏により用水路建設を含むペシャワール会の活動が紹介された。
先のテレビ録画と共に、現地からの直接の報告はストレートに心に響く。
このような活動に携わっている人たちに心から敬意を表したいし、またそのような人たちがいることを誇りにも思う。

現地で語る中村医師の頭上で、「アフガンの民主化」という大義名分を掲げて爆音高くアメリカ軍の反政府勢力への攻撃ヘリが飛ぶ。
どちらの行為がそこに生きる人たちの力となるか、また自分はどちらの行為に賛同すべきか、それは余りにはっきりしている。
自分はただ賞賛と憧憬を感じるだけで何もできないけれど、これを機会にペシャワール会の会員にはならせていただきたい。

心身共にお疲れだろうに福元さんは弱音を吐かれはしないものの、やはり伊藤さんのことでは随分苦しまれていることは伝わってきた。
防ぎようがなかったとしても「死なせてしまったこと」の悔い、ペシャワール会に向けられている「生命をかけた」活動への非難・・・。

治安の悪化を感じてペシャワール会でもセキュリティ対策をとっていた。
それを超えて事件は起きてしまった。
伊藤さんの殺害者は難民キャンプで育った人であるとのこと。
難民キャンプは大規模で「本当に何もないところ」であるらしい。
何もないところで支配するのはお金。
アフガンの農民たちが難民になどならず、ふるさとの地で暮らせるよう全力を傾けられていた伊藤さんが被害に合われてしまったことは本当に悲しい・・・。

ペシャワール会の活動は、投げ出さず必ず継続すると福元さんは言われた。
会員にも一人の脱会者も確認されていないとのことだから、さまざまな非難をする人たちはむしろ「人ごと」の立場でものを言っているのだろう。

疲労困憊であったろうに予定通り大阪まで出向いてくださった福元さん、お世話になった大阪ペシャワール会の方々に感謝したい。
アフガンの現地に暮らす人たちとペシャワール会の息吹が伝わる講演をありがとう!

中村哲医師 中村哲医師とペシャワール会関係の書籍はたくさんありますが、まずは岩波ブックレットはいかがでしょうか。読みやすくわかりやすいです。

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2008年9月 1日 (月)

再びやってきた暑さと共に復活

先週は、このまま秋になるのでは?と思ってしまうほどの涼やかな日々。
過ごしやすかったのに、メランコリックな気分にすっぽり落ち込んだまま上昇することができなかった。
とはいえ、もちろん深刻なものではなく、そんな自分を客観的に観察もしていた。
メランコリックな気分が続くということは、自分には珍しいことだから、「どんな状態がいつまで続き、どんなきっかけで浮上するのか?」は興味津々。

どんな状態?
しなければいけないことはするけれど、「やりたい」という意欲が湧かない。
そんなわけで仕事、家事に特にたいして支障はないが、たとえばスキルアップの為に続けていた学習には手をつけない、食事も作るが「おいしいものを!」という積極性はない。
最低必要限以上に外出しないし、電話やメールも自分から発信する気にならない・・・。

「心塞がれる」、そんな感じかな。

先のエントリでも、ここしばらくテレビ視聴や読書時間が長い、と書いたが、実はこの事情も大いに関係している。
何をする気にもならないし、外出もしないので、家にいて「何となくできること」に時間を費やすことになる。
その気になれば、映画館などはもちろん少々遠いところでもパッと出かけてしまう常の自分からは程遠い。

そもそもメランコリックに落ち込んだ原因に心当たりがないわけではないが、それは「原因」というよりあくまで「きっかけ」と言う方が適切。
たとえ悲報や難題がふりかかってきて、それが心を悲しみや苦しみで満たしたとしても、心を開いていることができれば、メランコリックには陥らない(と思う)
悲しみや苦しみなどとメランコリックは切り離して考えたい。

とはいえ、悲しみ、苦しみ、あるいは憎しみなどをもたらしたことの原因は、同時に心を閉ざさせてしまいがち。
私のこのたびのことは、きっかけとなったことも症状も共に深刻なものではなかったので、心に張られたバリケードはどうやらごく薄いもの。
そんな状態とは知らないながらも友人たちから送られてくるメールや、すっかり事情を知っている夫のさりげないいたわりで少しずつ溶けていったらしい。

で、私はもう明るい気分でこれを書いているし、「秋の味覚」メニューにも関心いっぱい。
これもしたい、あそこにも行きたい!と欲張りな自分に戻るのも、おそらくもうすぐかな。

それにしても、ルーティンは何とかこなしていても「やりたい」という意欲に支配されない日々は随分つまらなかった。

画像は、「過ぎゆく夏を惜しむように咲き乱れるむくげの花。まだつぼみもいっぱい」
槿の花

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2008年8月16日 (土)

広島を訪れる

ブログの更新もいつも以上に怠ってしまった。
身の回りに思いがけないことが起きて、しばらくの間自分を追い込んでしまっていた。
ようやく前向きの考えを取り戻し、「一人ではない」ことにも気づいた。
いつのときも家族が、友人が自分を支えてくれている。
心を閉じてしまうことさえしなければ、きっと大丈夫!

と、ブツブツと独り言の前置きをしておいて、まずはもう幾日も経ってしまったことのエントリーから。

Hirosima 先週末に広島に行った。仕事を終えてからの出立で到着はすっかり夜。
橋から見える川べりのようすは、幾度も読んだ『はだしのゲン』に描き込まれた情景を思い起こさせることにちょっと驚き。
町はすっかり高層ビルが立ち並んでいるけれど、川は当時の面影を残しているのだろう。

今回の第一目的は広島市現代美術館で開催されている 石内都写真展「ひろしま Strings of Time」
3週間ほど前?新聞の書評で写真集『ひろしま』のことを知ってからとても気になっていた。

■広島市現代美術館の公式サイトより
石内都は1970年代後半から写真を撮り始め、1979年『アパートメント』で木村伊兵衛賞を受賞、その後、写真集の刊行、国内外の美術館やギャラリーでの展覧会など、精力的な活動を続けています。また、2005年のヴェネチア・ビエンナーレでは日本代表として個展を開催するなど、現代日本を代表する写真家です。
 これまで身体に刻まれた「傷」を撮り続けてきた彼女が、人類の「傷」ともいうべき、広島の被爆の史実にカメラを向けたシリーズが「ひろしま」です。このシリーズでは、広島平和祈念資料館所蔵の被爆資料、被爆者遺品といった資料が被写体ニなっています。石内は、被爆の実相に彼女ならではの手法で向き合い、広島に生きた人々の輝ける生の様を伝えるべく、傷つきながらもなお美しさをとどめる衣類や装飾品などを被写体に選び、正面からこれを撮り収めます。石内によるこの作業は、「被爆に関する資料」という意味に留め置かれてきた物の意味を解きほぐし、現代を生きる女性表現者の視点からヒロシマを見つめ直す試みということができるでしょう。これらの作品は今春、写真集『ひろしま』として発表され、大きな話題を呼んでいます。
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ホテルで宿をとった翌朝は路面電車で広島市現代美術館へ向かう。
連日の大阪と同様、空はまっさおで陽射しは強い。
駅から美術館への上り坂500mは、木陰がほとんどなのに汗がしたたる。

館内はもちろん空調で快適、しかも自然光がかなり入ってきて明るい。
その柔らかい光を受けて展示されているのは、原形をとどめず焼けあともある衣装などを対象とした大小40点の写真。
薄物は「ライトボックス」で下から照らして撮影しているとのこと。
繊維や紋様、デザイン、そして手縫い、繕いの糸目・・・、衣装たちは目を見張るほどに美しい。
そして、その時代に生きた女性たちの確かな証を浮かび上がらせる。

原爆投下直後に残されたものすべてを、私はどうやらすべて「暗黒」のイメージで塗りつぶしていたよう。
戦争末期でも女性たちは美しいドレスを愛し、身にまとった。
その衣装たちは着る者を失っても尚63年間もひっそりと眠り続け、そして今、石内によって鮮やかに蘇り観るものに深い思いを抱かせている・・・。

写真展は既に終了してしまったけれど、写真集『ひろしま』で作品たちに出会うことができます。
もし機会がありましたら、ぜひ皆様方もご覧下さいませ。きっと惹きこまれちゃいますヨ。

さて、現代美術館を出てからは、やはり平和記念資料館へ。20年ぶりくらい。
8月10日という日程、しかも日曜日であった為か、館内は老若男女でいっぱい。
若いカップルや小さい子を連れた若い親がたくさんいることにちょっと驚き。

館内を一通り回ったあとに、「被爆証言講話会」会場へ。
14歳のときに被爆された方のお話を聴く。これは初めての体験。
非戦、平和への強い思いが伝わる
次の世代としてその思いを継承していくことに心もとなさも覚えるが、この会場にも若い世代がたくさん席を占めていることが心強い。

映画『ヒロシマ ナガサキ』を観たとき、新宿で若者に「1945年8月6日に何があったか?」をインタビューするシーンがあり、「知らない」という答えばかりであることに暗澹としたことを覚えているが、それはどうやら一面でしかなかったらしい。

人垣で20数年前のようにはじっくりと展示物を見ることはできなかったけれど、
「○○(彼の名前)のおじいちゃんて、どれくらいのところで被爆したの?」
「うん、2キロくらいのところらしい」
といった若いカップルの会話や子どもたちにあれやこれやと説明する親たちの声が、とてもうれしく感じられた。
Dome

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2008年7月29日 (火)

未だNHK受信料払わず

pianocraftさんのブログでもご紹介されていたけどNHKには見たい番組が多い。
というより見ている番組のほとんどがNHK。
だけど・・・受信料を払っていない。

2001年1月放映のETV番組「問われる戦時性暴力」番組改ざんに怒った夫がすぐさまNKHに電話を入れ、理由を詳細に説明して受信料の自動引落し(及び集金による徴収)を停止した。

バウネットジャパンが提訴した裁判も終結したし、実際にNHKを見ているわけだし(hiビジョンまで見ている)、受信料未払いということがそろそろ落ち着かなくなってきた。

私としても改ざんそのものはもちろんのこと、NHKが上告したことは不満だったし、最高裁判決が政治介入に触れなかったことも腹立たしい。
ただ、裁判で制作担当の人たちが勇気ある証言をしたことで、現場の気概も十分感じたし、その後も良質な番組が制作されているように思う。
もう受信料は払いたいなぁ、という気持ち。

ところが、穏やかな性格で日常のことなどには私に否を言い出すことはまずない夫が、この受信料の件では未だ譲らない。

「じっくり検証するから、もうちょっと待って」とのこと。
仕事がとても忙しく、新聞にさえ目を通せない日もある夫が関連記事などを集めた資料などから、果ていつどのような結論を出すのか・・・?

それはまだ先になりそうだけれど、提訴からはや7年。
NHKという公共番組への「政治介入」の実態を知ることができたし、そのことに反対する市民運動も大きく広がったよう。
バウネットジャパンの方々には「お疲れ様でした」と心からねぎらいたい。

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2008年7月21日 (月)

暑中お見舞い申し上げます

人と会えば「暑いですねぇ」と、決まり文句になってしまったが、本当にそれしか言えないような連日の、しかも朝からの猛暑。
出勤前、半日陰のベランダで洗濯物を干しながら、あの炎天下に出るにはちょっとした「勇気」が必要・・・とさえ思えてくる。
いっそズル休みを・・・、とチラリとかすめるけれど、そっちの方がもっと勇気がいりそう。
で、しかたなく、日よけの長手袋をしっかりはめ、ひさしの長いバイザーをかぶり、綿マフラーで顔を覆って(日焼け止めクリームが嫌いなのでこの重装備)、毎日職場へと自転車をこぐ・・・。

でも昨日は、その憂鬱な出勤前をちょっとなごませてくれた一件があった。
朝から郵便局の本局に問合せの電話を入れた。
海外小包EMSをしばしば利用するけれど、いつも重量で送料が決まる。
今回は大きな箱になりそうなので、サイズによる料金体系はどうなっているのか?と尋ねたかった。

総合窓口の電話に出たのは、まだ声にあどけなさが残る若い女性。
用件を伝えると「少々、お待ち下さい」と保留にした後、まもなく
「規定サイズ以下でしたら大きさは関係ありません」との返事。

「では規定サイズとは?」と問うと、再び「少々、お待ち下さい。」
今度は長らく待たせたあと、たどたどしく説明を始める。
「高さは1,5mまでで、それからウエストを足して3mを超えない範囲で・・・」
と言いながら本人も「何のこっちゃ?」とわかっていないような不安そうな対応。
「うん?ウエスト? ああ、そういうことか」と
「高さと、幅を足して3mということ?」と返すと「ああ、そうです、そうです。幅です」と一転、声が明るい。
彼女にしてみれば、参考資料に表示された「w」からイメージしたものはwidth(幅)ではなくwaist(胴のウエスト)だったのだろう。

「奥行きはどうなのかな?」と思いつつ、今回はこの返事の内容だけで十分だったので礼を言って電話を切る。

総合窓口にこのような人生経験も学習経験も浅いような子を置く郵便局もどうかとは思うけれど、この子の気立ての良さはやりとりから伝わってきた。
最後は「本当に長い間お待たせしてすみませんでした」と頭まで下げているのではないかと思うほど気持ちを込めたお詫びの言葉を口にしてくれた。

電話に出た新人が「ござりまする」などといった誤った敬語の使い方をするコマーシャルを見た覚えがあるが、それを地でいったような出来事。
コマーシャルと同じように「がんばれ、新人!」とつい応援したくなった。

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2008年7月 7日 (月)

水やり3年

梅雨の季節であるはずが連日の猛暑。
ちっとも降らないのに「予報が雨」だったことも多く←言い訳
水やりをおろそかにしていた。
気がついた時には、目立たないところに置いていた鉢植えのバラの葉がカサカサに枯れていて、触れるとパラパラとすべて落ちた・・・。
花木を育てるのがヘタとの自覚がある私も、さすがにこれは「ヘタ」以前のことであるとわかり、そのバラに申し訳ない気持ちでいっぱい。

もともと黄バラが好きで買ったのが、咲けば赤でがっかりした花だった。
そのせいでおろそかに扱っていたのかもしれない・・・。

それでも細く伸びた数本の枝の内2本は緑色を保っている。
一縷の望みをかけ「ごめんね。元気になってね」と今更ながらではあるけれど、水といっしょに思いも注ぐ日々・・・。
それから約1週間、何と新しい葉がついてきた。

小さな鉢の土と水だけで生命を支えているバラ、葉をすべて落とすことによってその生命を守っていたのだろうか。
私の「ごめんね」も通じたのだ、と信じたい。

ふと「水やり3年」という言葉を思い出した。
万年「水やり0年目」(これが花木を育てるのがヘタということなのだろう)から、ようやく1年目への入り口を見つけたかもしれない。
花に対して「きれい」といった感嘆だけではなく、「慈しむ」ということが感覚的にわかったような気がする。

それにしても、改めて含蓄のある言葉だと思う。
「水やり3年」と念じると、時はゆったり流れるし、悠久の時を人だけが生きているのではなく花木(や動物たち)も共にいるのだと感じられるもの。

目の前の結果ばかり追ってアクセクしてしまう現代人が失ったもののひとつは、「水やり3年」の感覚かな?

画像は上から
旬の黄バラ
蘇ってきたバラ(本来なら黄バラと同じく緑の葉に覆われているはず・・・)
大好きな花のひとつ、槿(むくげ)
黄バラ
赤いバラ 八重の槿

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2008年7月 1日 (火)

「BOOK OFF」に本を売る

今までも幾度か整理処分をしているのに、本が書庫に収まり切らない。
母が亡くなったあと、実家に置きっぱなしだった私の本や読書好きだった母の蔵書を引き取って、一気に増えてしまったことも一因。
今回は思い切って処分を、ということで取捨選択に入っている。

7割方済んだところで、廃棄(思い出は詰まっているが、字が小さくてもう読むことはない。色あせやしみが目立つ)約100冊。
再利用としてのリストアップが約70冊。(もう読まないだろうけど傷みや汚れがほとんどない)

廃棄分は少々心を痛めながら、ごみ箱行き。
再利用分は、今までなら図書館かステーションライブラリ(駅に設置された貸出フリーの図書館)に提供していたけれど、今回はちょっと欲が出て取り合えず47冊を初めて地域にあるBOOK OFFで売ってみることにした。

順番待ちで15分後くらいに買い取り価格の計算が済み、〆て1780円。
明細は単行本の内5冊が各100円。
その他の単行本が17冊で300円。
文庫、新書が40円。
シリーズの児童書、全10冊が400円。
婦人実用雑誌が60円・・・。

何という安さ!
大量生産大量消費で「モノ」自体の値打ちが下がったとは感じているが、本もその例外ではないことを今更ながら実感。

ちなみに計算が済むのを待つ間に、目にとまって購入した本が2冊で600円。
共に婦人実用雑誌。1冊60円で買い取られたものと同じ分類のもの。
売値の2割が買取価格?

学生時代に古本屋で売った時はちょっとした小遣いになった。
売値の2割など有り得なかったと思うが、薄利多売方式の「BOOK OFF 」では妥当な価格ということなのだろう。

「本の再生」+「欲」で持ちこんではみたけれど、内容の吟味などまったくなく「商品価値」だけで瞬時に安い値段をつけられていく(それなりに思い入れのある)本たちがちょっと哀れ。

次回は「BOOK OFF 」は止めて、やっぱりステーションライブラリかな。
「この本、おもしろそう」と本好きな人に持ち帰ってもらう方がさっぱりしそう。

でも・・・、そもそもはできるだけ買わないということが大事。
近くに図書館もあるのだものね。

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2008年6月 9日 (月)

テーブルが「まっさら」に戻った!

タイトルに「まっさら」と書いたけれど、ちょっとそれは違っているかもしれない。
傷一つなくつるつるの美しい天板になったけれど、3年間使い込んだことによるしっくりとした落ち着きは残したまま。

3年前に転居したときに、友人の木工家が作ってくれたリビングのテーブル。
材料は奈良県吉野の楢の木で、長さは2メートルを超えている。

我が家に初めて来られる方は、どなたもそのテーブルの大きさと美しさに目を止められる。
お茶や食事はもちろん、本を読んだり裁縫をしたり、あるいはいっぱい材料を広げる際の調理の場にと、毎日大活躍。
でも、生活の場の中心にある家具なので気をつけていても汚れや傷が増えてくる。
それは「家族の歴史」には違いないのだけれど、時にピカピカつるつるだった頃のテーブルが思い出される・・・・・。

そんなところに、作り主の友人木工家がテーブルのメンテナンスに来てくれることになった。「メンテナンス」に具体的なイメージを持てないまま、昨日がその当日。

メンテナンス中 工具、道具を室内に持ち込み、まずは「サンダー」という電動式サンドペーパーをテーブルの上で動かし始めた。
ふたつ用意してきて、ひとつを夫に渡している。夫には初めての道具なのだけれど、とてもスムーズに使っている(ように見える)
表面を薄く削り、以前の塗装や細かい傷を取るらしい。
この作業は細かな木ぼこりが舞う中で、何と延々2時間。
サンドペーパーを幾度もつけかえ(だんだん目も細かいものに?)ひたすら、テーブルの上を行ったり来たり。たまる細かなクズは小まめに掃除機で吸い取る。

かねてから無垢の家具の作品の美しさと存在感にあこがれていたのだけれど、このひとつの工程を実際に見て、木工というのは「地道な仕事だぁ~」と少々驚き。
2時間後の天板は、もはや小さな傷さえ一つも残らず、いつまでも触っていたいような滑らかさ。

その後は「オイルフィニッシュ仕上げ」ということで、天然成分のオイルを刷毛で塗る。
塗った後、完全に乾く前に拭き取る(木にしみこんでいない分を)ことが必要ということで、べたべたしている表面をウエスでしっかりこすり取った。
サンダーもオイル塗りも見ているだけしかなかった不器用な私も、このオイル拭きでやっと出番。
ほんのちょっとだけでも、我が家の家具の再生に手を貸してやれて良かった!

思えば約30年前に結婚してから、このテーブルは何代目になるのだろう?
それまでのものを全部使い捨ててきている。
この楢のテーブルは、新建材でできた味気ない空間を、しっくりしたものに変えてくれている。
おそらくは、私が人生を終える頃になっても、テーブルは厳然と存在しているだろう。
その時まで、わが家の中心にあって、ずっとずっと一緒に時を刻んでいけることがとてもうれしい。
目の当たりに「再生」を見たことや、ほんのちょっぴりでも手を貸したことでますます愛着が深まっている。
出来上がり

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2008年6月 5日 (木)

ななぼうさんの手仕事

とっても大切にしているとんぼ玉のネックレス。
ある作家の方の作品で、とんぼ玉も素敵だけど、玉を通している輪っかの部分がまた素敵。
落ち着いた色調の紬の布を細いループに仕立ててある。

アクセサリー類はすべて合わせても10本の指程度しかもっていない。
嫌いというわけではないけれど、お気に入りのものが少しあれば満足している。
とんぼ玉は、その数少ないお気に入りのひとつだったのに、愛用している内に止め具がついている端っこの部分がぼろぼろになってしまった。

アクセサリー屋さんにあるいろいろ種類の鎖、または大きな手芸屋さんのアクセサリー関係のパーツなど幾つ見ても、好みに合う代替品がない。
「いっそ自分で仕立てようか!」と意気込んでみても、すぐに「あんなに細いループなどできないなぁ」と現実が見えてくる・・・。

そこで、「プロの手仕事」にお願いすることにした。
ブログ友のななぼうさんは和布のリフォームのプロ。小さな仕事をお願いすることに遠慮があったが、気持よく受けて下さった。

結局、代替品となる新しいものをきれいに仕上げていただいた上に、ぼろぼろになったものは丁寧に補修(端部分は切り落として)して下さった。
新しいものは4点。
画像で送ってくださったななぼうさん所有の布から選ばせてもらったもの2点と、私が「ぜひ、これでも・・・」と郵送した布でのもの2点。
製作費はとてもリーズナブルで、しかも1点はサービス。

私が送った布のひとつは、金が入ったものなのでごつくループにするのは大変だったと思う。
どれも素敵で、眺めているだけでうれしくなる。
とんぼ玉は、その大切なものと、下の画像のもの、ふたつしか持っていない。
もう少し欲しくなっちゃったかな。

ななぼうさん、丁寧なお仕事、ありがとうございました。
また、何かの折には頼らせてくださいね。

ちょっとぼんやりした画像になってしまいました。(自分が写っているものはワザと?)
補修していただいたものと大切な方のとんぼ玉の画像はなくて、ごめんなさい。
ウール

絹

紬

とんぼ玉

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2008年5月21日 (水)

四川大地震、信じられないくらいの被害規模

中国、四川大地震は日を追うごとに被害の拡大が伝えられる。
道路復旧作業で158人の作業員が土石流により亡くなられるなど、二次災害もひどい。
余震も続いているよう。
中国山西省で緑化協力活動をしているNPO団体(会員になっている)からも、メルマガで状況等のニュースが届いた。

犠牲者は、推定5万人にもなるよう。
被災者数は、1000万人を超え、
避難生活を送る人が、5百万人にもなるそう。
被災面積は、日本の国土を超えるそう

といった信じられないくらいの被害規模であるとのこと。

改めてその数字に呆然とする。
単なる「数字」なのではなく、その数だけ悲しみや苦しみが生まれ、しかもそれは始まりに過ぎない。
自分はもちろん周りもその周りも傷つき打ちひしがれた人ばかり、という未曾有の大災害にあって、人はどうやって立ち上がっていくことができるのだろうか、想像はつかない。
ただ、人同士が支え合い、国の力を最大限生かすこと無しには為し得ないだろう。

中国という国が積極的に他国の支援を受け入れ、日本はもちろんたくさんの国のもてる力を結集してほしい。
犠牲者がこれ以上出ないよう、また被災された方たちに物資や医療、心のケアなどあらゆる面での救援の手が届くよう祈るばかり。

祈ること以外に今できることは義援金なのかもしれない。
自分が動かないことに後ろめたさを感じつつ、メルマガを送ってくれたNPOに心ばかりの義援金を託そうと思う。

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2008年5月16日 (金)

シルバー活躍、駐輪場

自転車通勤の際の駐輪は、良識なしと自覚しながらも開店前の大型スーパーにしばしばお世話になっていたのだけれど、きっぱりそれを止めた。
少し遠くなるけれど、公設駐輪場に預けている。
初日、勝手がわからないので時間にゆとりをもって行ってみたが何もかもスムーズ。
1000台以上も収容できる2階建ての大きな施設に、係員たちが要所に詰めている。おそろいのユニホームを着用したその方たちは全員「シルバー」のよう。
1階に空きがなくて、2階へ回るが、そこにもたくさん係員がおられ的確に案内してくださる。

どの方もきびきびしているのに、返事や動作に柔らかさとやさしさを感じる。
もちろんいまどきよくあるいかにもマニュアル、ではない。

おそらくは退職後の新しい分野なのだろうけれど、仕事ぶりから「やりがいと誇り」が伝わってくるような気さえする。
配置人員も必要数を満たしているようで、それぞれの方の動きに落ち着きがある。

年配の方が元気に働いておられることは、大いに励み。
(働ける職場がある、と感じることも)
「老後は悠々自適」は理想だけれど、現状からはちょっと遠い。
おそらくは、細々とでも稼ぎ続けなければならないだろう。
何をするにしろ「やりがいと誇り」を感じ、そして仲間がいて・・・、できるならそんな職場であってほしい。
(今の職場で働きたいと自分も思い続けられ、経営者側からも望まれるのが一番いいのだけれど・・・)

何はともあれ、朝早く職場へ向かう心情は必ずしも前向きとは限らないから、駐輪場で交わす「おはようございます」の挨拶や一言二言の会話が気持ちにはずみをつけてくれることはありがたい。
そのようにして送り出して下さるシルバーの方たちは、年齢も職業意識も年季入り、ということなのだろう。

画像は豆ごはん2種。えんどう豆とそら豆。
ピカピカ光る真っ白なご飯に鮮やかな緑の豆、きれいでいつまでも見飽きない。
(と言いながら、すぐにぱくついてしまう・・・)
えんどうご飯
そら豆ご飯

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2008年5月 7日 (水)

町はジャズ一色

4日間もの連休を待ちかねていたものの、終わってみると「日常」が帰ってくることのやすらかさと喜びでいっぱい。
「晴れ」の日が過ぎ去るたび感じるけれど、平和で穏やかにルーティンワークが繰り返される「日常」はとっても愛しい。

それでも、通常は日・祭日出勤を当たり前としているので、このゴールデンウィークは「人並み」、いやそれ以上の休暇を過ごしたような気がする。
まずは満喫した休暇の内のひとつをご報告。

高槻ジャズストリート 高槻市といえば、電車を乗り継いで1時間半もかからないところにあるが、「高槻ジャズストリート」のイベントのことはちっとも知らなかった。今年は既に10周年とのこと。
5月3日、4日に市内47ヶ所において、プロやアマのバンドによる演奏(1グループ1時間くらいか)が午後1時から深夜(一部の会場)まで続けられる。
場所は、市の文化会館やグランドはもちろん、商店街の特設会場、デパート屋上、高架下の広場、大小さまざまな飲食店や雑貨店内、神社の一角、中学や高校・・・、とにかく屋内、屋外問わず、いつでもどこでも生ライブが行われている。

プロでは穐吉敏子、日野皓正、アーネスティン・アンダーソン・古谷充・・・といった相当たるメンバー、アマチュアは学生からシニアまで600を超えるグループが(ソロもある)出演。すべて入場無料。

4日のお昼頃、高槻市駅で降りれば既に町はジャズ一色。
居並ぶスタッフから案内パンフをいただき、「高槻ジャズストリート」ののぼりが連なる歩道を進めば、早どこからかジャズが聞こえてくる。

実はこの日のお目当ては、「He knows jazz Orchestra」というビッグバンド。
シニア対象のオーディションで選ばれたメンバー30人が、日野皓正氏などによるレッスンを受けてきた。
友人がそのメンバーの1人。

会場である市民グランドで、焼け付くような陽射しをさんさんと浴びて演奏する舞台上の彼、彼女たちは緊張と痛快さが半々、といったところか。
シニアでありながら初々しさも感じられとてもステキ。

さらに、この舞台には大きなオマケがあった。
それは、指導者である日野皓正氏の挨拶に続いた日野皓正クインテッドによる演奏。
日野さんの真っ赤になった顔まではっきり見える位置で、生演奏が聴けるなんて!
まぁ、結果的にはプロとアマの力の違いをくっきりと見せつけられちゃったわけだけど、友も含めてシニアたちの頑張りとその成果に大拍手、日野皓正クインテッドには「ありがとう!」を送りたい。
He knows jazz Orchestraと日野皓正クインテッド  

「一日中ここで、ジャズ(ブルースやフュージョンなどもある)に浸っていたいなぁ」という気持ちになったのだけれど、この日は他にも予定を入れていて無理。
後ろ髪をひかれながらも、「その楽しみは来年に」と言い聞かせて高槻市を後にした。

それにしてもこの町を上げての大音楽イベント、実行委員を始めスタッフすべてがボランティアだとのこと。見事な地域力、いやぁ、すばらしい。

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2008年5月 3日 (土)

「良識がないなぁ・・・」と凹むとき

「良識ある生活」を送っていると思っているけど、あくまで「だいたいにおいて」であることも自覚。
たとえば、徒歩でも自転車でも信号は守るけど、「どう考えてもどこにも危険はない」と判断するときは、赤でも行っちゃう・・・。
それでも、鉄則としているのは、そこに子どもがいないという前提。
大人は子どもの範とならなければいけない、という気持ちはあるから子どもから見えるところでルールは破らない。(自慢にもならないけれど・・・)

などと書きながら、実は隔日くらいに「良識のなさ」を露呈する行為をしている。
通勤に利用する自転車を止めておくところがなく、近くの大型スーパー駐輪場のお世話になっていた。(できるだけここで買い物をするようにしている)
ところが、ある日いつものように自転車を入れに行こうとすると駐輪場のゲートは閉まったまま。
スーパーの開店時間が変更になった為らしい。
誘惑の隙間 出勤時間が迫るのに「自転車どうしよう?」と切羽詰ったところに、1人の若者が自転車から降りた。
そして、さも慣れたような動作でヒョイと自転車をかつぎ上げ、ゲートの横にある花壇をを乗り越え駐輪場内に入ってしまった。(画像にある隙間)
私はというと、躊躇している時間の余裕もなく、すかさず後に続いて・・・。

その日だけのその場しのぎであったはずの行為がその後も続いた。
有料駐輪場はお金がいる上(当たり前か)、不便なところにあるし・・・。
それでも、駐輪場あたりに子どもの姿を認めたときは行き過ぎるまで待っている。

ところが・・・、先日は朝一番の出勤時、駐輪場前で小学生の遠足らしい長~い列に遭遇してしまった。
やり過ごすまで待てば、職場に入るのが間に合いそうもない。
で、かつてした覚えがないこと、「子どもの目の前で良識のない行動」をやってしまった・・・。
体も心も「コソコソ」と。
子どもたちにはしっかり見られて、「店まだ、あいてないのになぁ」「うん、せやな」などと話題にされているようすが聞こえてくる。
こんな時の自分は消え入りたいくらいに恥ずかしい・・・。
道路をはさんで子どもたちと並行に早歩きで職場に向かう自分の顔は下を向いたまま。

今でもその場面を思い返すと凹んでしまうけど、遅ればせながら有料駐輪場を利用している。

* * * * * * * * * * * *
下の画像はそのスーパーから職場へ続く道路沿いに咲くハナミズキ。
(駐輪場からみとは別の日に撮ったもの)子どもの頃は見た覚えのない木だけど、他市でも見かける。いつ頃から街路樹の主流になったのかな?
春の日差しを受けてキラキラときれい。
ハナミズキ

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2008年4月21日 (月)

済州島四・三事件60周年“共に歩もう 平和への道”

今頃書いているけれど、19日の話。
急に誘われて仕事を終えるなり【済州島四・三事件60周年記念行事 “共に歩もう 平和への道”】の会場であるクレオ大阪に駆け付けた。開演間際で既にぎっしり満員。
席を確保してもらっていたので前から5番目中央あたりに位置取ることができた。前にも周りにも、かなりのご年配の方が目立つ。

すぐに第一部開始。お話される金石範氏と聞き手として高正子さんが登場。

厳しい表情に見えた金石範氏だけど、穏やかで温かみがありながら力強いお話しぶり。信念とお人柄、どちらもが伝わってきた。
(デビュー作『鴉の死』、代表作『火山島』(3巻までだけど)、どちらも書棚に並びながら実のところ私は読んでいない・・・。)
お話の内容は、4月17日の朝日新聞[opinion]に掲載されたもののほぼ同じ。

【新聞記事よりほんの一部抜粋】
済州島では四・三事件はタブーとして歴史の闇に葬られ、一切の記憶が抹殺されてきた。記憶のないところに人間は存在せず、歴史はない。
見てはならぬ、口を開いて話してはならぬ、耳で聞いてはならぬ。外部からの恐ろしい国家権力による記憶の他殺。権力に対する恐怖からくる島民自身による記憶の自殺。抹殺された記憶は内への深く無意識の世界に沈みこんで、やがて忘却になり、死に近い沈黙に至る。】

記事は、文学者らしい巧みな表現で綴られているが、檀上ではお話は「いきつもどりつ」もあったかな
とはいえ、生で語られる言葉を少しも聞き逃したくないし、一言一句でもたくさん聞いておきたかった。ご高齢でありながら今もお元気なことが何よりうれしい。
時間の制約があり、高正子さんがまとめを、と促されたのに対して、「いや、あんたがしゃべればいいよ。思いは同じだし、これからは若いもんがやっていかなあかんのやから」と返されたようすも自然体。

これを受けて
「私たち2世はこの四・三事件にどう向き合えばいいのか?
命からがら日本に戻ってきて、『語れないこと、忘れたこと、なかったこと』にしている人たちが少しでも語られるよう、話を聞くということをやっていき、心を解放して人間らしく共に生きていいきたい」
と、高正子さんは結ばれた。
この方は、済州島を故郷にもつ生野生まれの方。民族文化としての言語や芸能を教えておられるとのこと。

続く第二部は「民俗クッ」
パンフレットには下記のような紹介文がある。
【「クッ」とは、韓国のシャーマン(シンバン)による巫俗儀礼のこと。本作品は済州島の方言による演劇、歌、演奏、と本来は宗教的な儀礼であるクッが結びつき、芸術公演であると同時に慰霊の儀式である。このような公演形式を「民俗劇」ではなく、あえて「民俗クッ」と呼ぶことにした。この民俗クッによって、四・三でひと言も発せず死んでいったすべての死者を慰め、今を生きる私たちの胸に積もったしこりも解くことができれば幸いである。】

在日シンガーの李政美さんの歌、崔相敦さんによる詩の朗読などに続いて、死者の魂を慰霊するクッ。
実にこれは圧巻だった。
巫俗儀礼を演じるのは劇団員であり、場所は舞台上。
それでいて、歌や演奏、踊りを通して醸し出されるものが会場を包み込み「舞台」を感じさせない。
第一部では実は眠られていたお年寄りたちもおられたが、今やしっかり前方を向き、そればかりか何人もの方が席を立たれ前と進まれる。
舞台へ続く短い階段の上り下りさえご不自由なご高齢の方がほとんどなのに、次々と舞台に置かれた祭壇に祈りをささげ、お金を供えられるだ。
演じる者も、席にいる者も、心から死者の魂を慰霊する時空が続く。

儀礼の歌の字幕がスクリーンによって日本語で紹介されているので、流れがある程度理解できる。(でも、理解しぞこないの可能性もある)
死者の為に極楽の門が開かれるよう祈りの歌は続き、開かれたところで、シャーマンたちは舞台から降りて客席通路へ。
そこには幅1メートル、長さ10数メートルほどの白布が4人の持ち手によって捧げ持たれている。
何と、先頭のシャーマンが1歩を踏み出すと、布は中央から二つに裂けていく。
まるでモーゼが割れた海中を進むときのよう。

厳かで悲しみをたたえる儀礼から、やがて「神遊ばせ」の歌へ。
シャーマンたち(といっても演技者なのだけど・・・)は一転、表情に笑みをたたえ陽気に奏で歌い踊る。会場の人たちにも誘いをかけ、それに応えたたくさんの方々が舞台上に上がり共に音楽に合わせて踊る。
「生きて踊る喜び」、これもまた死者への深い弔いが込められたもの。

金石範氏のお話が聴けたことはとっても良かったけど、さらにこの巫俗儀礼にはすっかり魅せられた。

「おもしろい」と表現しては不適切かもしれないけれど、実に韓国朝鮮文化がおもしろく豊かなものに感じられた済州島四・三事件60周年祈念の集いであった。
近いうちにぜひ済州島を訪れたい!(でも、無理かなぁ・・・)

尚、当日いただいたビラの中に「4.3事件」関連テレビ番組の案内があったので書きとめておきます。

NHK ETV特集
「悲劇の島チェジュ(済州)」
~「4.3事件」60年目の真相究明~
放送 4月27日(日)22:00~23:29
出演 金石範(作家)、李鳳宇(映画プロデューサー)
語り 広瀬修子

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2008年4月 4日 (金)

魅せられました「ピナ・バウシュ」の『フルムーン』

こんな舞台は初めて!
圧倒的な迫力、水と生命の躍動。
鍛え抜かれた身体が満月の妖しげな引力に導かれ、きらめく水をまといながら命の輝きを踊る。

緞帳は始めから降りていない。
ホールに入った時から、既にピナ・バウシュの世界が始まっている。
舞台にあるのは巨大な岩ひとつ、そして川。

上部から時に一滴ずつ、そして舞台の幅いっぱい、滝のように水は落ちる。
男も女も全身に水を浴び、駆け抜け、跳ね踊り、座して水の中を進む。
あるいは水をバケツですくってはほうり投げ、舞台一面、大輪の花火の美しさにも優るきらめく水の軌跡があふれる。
漆黒の背景に光を受けて輝く、ほとばしる水と生命のエネルギーあふれる身体。

始まりは、静寂の中に立つ男性2人が、ペットボトルを強く振り下ろす空気の振動音だった。
たくましい腕から「シュッ、シュッ」と繰り返し奏でられる。
「いったい何が始まっていくのだろう・・・?」と初めてのピナ・バウシュの世界に戸惑いと期待・・・。

結果、20分の休憩はあったけれど、心も身体もくぎつけの2時間。
余韻は今でも残る。(4月2日の水曜日に鑑賞)

会場である、1848人のキャパがある滋賀県びわ湖ホールの大ホールは満員。
外国人の方もちらほらとお見かけしたけれど、日本でこれほどの人気があったとは。
私はKATEKさんのブログで関連記事を読むまでピナ・バウシュのことは全く知らなかった。
興味をもったところを、すかさずpianocraftさんから「近く、滋賀県で公演がありますよ」と教えていただいた。

で、ちゃっかり行ってしまった。
お二人に感謝、です。
あ~、本当に良かった!
いつかもう一度、観ることのできる機会はやってくるだろうか?
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団、また観たいなぁ~。

*ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団や『フルムーン』についての情報はこちら
*『フル・ムーン』のビデオもちょっとだけ見られます、こちら
このビデオの2分間だけでもドキドキしっぱなし。これが舞台の上だなんて信じられます?

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2008年4月 2日 (水)

「後期高齢者医療制度」はひどい

「どのように生きるか」と同じように「どのように死ぬか」は折につれ、頭をよぎる。

まだまだ生きることに未練いっぱい。
それでも「使い痛み」による身体や頭の衰えは実感するところ。
「あと何年くらい人生を謳歌できるか?」は未知で、自分では見極めることができない。
でもどうやら「国」としての線引きは75歳ということらしい。

「後期高齢者医療制度」、(ひどい呼称、でも「長寿医療制度」も白々しい・・・)
これは「もう十分生きたでしょ、そろそろ心の準備を」という宣告か。

75歳以上の人は健康保険や国民健康保険から追い出され、「後期高齢者医療制度」という別枠に入れられた。
昨夜のNHKニュースでは、「年金から天引き」「滞納注意」「保険料免除有り」にポイントを絞って説明していたよう。(番組の一部しか見ていない)

それらも関心あるけれど、「『後期高齢者』とそれ以下の世代で、病院・診療所に払われる診療報酬に格差がつく」ということの実態について詳しく知りたい。
これが導入されたら、病院・診療所は、経営の悪化につながる「後期高齢者」への十分な医療はしなくなるのでは?

「後期高齢者」は、介護保険料と合わせて年金から天引きされ、しかも満足な医療は受けにくくなる・・・。

乳幼児やお年寄り、身体に障害のある方などが医療にかかることが多いのは当然のこと。
乳幼児医療に関しては助成制度がある。もちろん更なる充実は願うところだけど、余りに高齢者に対する医療制度との落差が露骨。
「国」が考える、社会に必要なものといらないもの?

「死」がやってくることには抗えないけれど、その瞬間まではできるだけ、穏やかにせいいっぱい生きたい。
人々がそのように願い、それを保障できる社会に少しでも近づけていくのが「国」の役目であるはず。
「生きててもしんどいわ~」「病気になったらどうなるんやろ~」と弱い立場のお年寄りをさらに追い込むような悪法。
2006年に法令化が決まっていたなんて、ちっとも知らなかった。
冷たい国だなぁ~、とつくづく感じる。

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2008年3月28日 (金)

桃が咲いた!

春が近づくと桜の開花が気にかかるけれど、今年ばかりは待ち続けたのは「桃」。
3年前に今の家に転居、庭がないので小さな花壇で季節の花を楽しんでいる。
その花壇の玄関横の位置に迷わず植えたのが「花桃(照手)」。
「桃」にこだわり、(狭いので)大きくなり過ぎない品種を探した。

ちっぽけで割り箸のようだった苗木は、ぐんぐん背丈は伸びていったけれど2年目は全くつぼみをつけなかった。
「ほんまに咲くのかなぁ?」
と思い続けて3年目の今年、2月終わり頃、
「もしや、これはつぼみ?」と思える小さな芽生えらしきものに気がついた。
それからは、玄関を出入りするたび「きれいに咲いてね」との思いを伝えながら愛でる日々。

花桃
(画像はクリックで拡大)
そして・・・ついに花爛漫。
大きな木ではないし、目に止まるほどの迫力はないけれど、近所の方が「きれいですね」とうれしい声をかけてくださった。

この木に強い思い入れがあるのは、娘の名前に似通うから。
遠い国にいて、一緒に暮らすことのない娘の代わりに、我が家で存在感を示して欲しい。

柔らかい陽射しを浴びて、照り輝くかわいらしい花びら。
小さい子を懸命に育てている娘の今日は輝いているかな?

virgo「桃の花」が登場するかわいい歌を添えておきましょう。

『春よ来い』
作詞:相馬 御風 作曲:弘田 龍太郎

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

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2008年3月24日 (月)

サウナで「死刑」の話はやめましょう!

お彼岸とは春分・秋分を中日として、前後各3日を合わせた7日間とか。
その最終日、23日に何とか父と母、そして兄が眠るお墓に参ることができた。
帰りには、母と幾度か訪れた温泉に寄ってみた。
バブルの頃には、どこもかもピカピカで活気に満ちた施設だったけれど、今や古びた上に閑古鳥が鳴いているよう。
おかげで、ゆったりのんびり入浴。

久しぶりに併設のサウナにも入ってみた。
6つほども湯船のある広い浴場は貸しきり状態だったが、サウナ室には先客が2人。
私より少し年配?の方。お友だちどうしのようで会話がはずんでいる。
このお2人にも、いきなり割って入られたような心地悪さがあるだろうけど、こちらも狭い密室では「親密な会話」からの逃げ場はない。
ただボーと身体も頭も心も弛緩させるつもりが、耳に入ってくる話は右から左に抜けていってくれるようなものではなかった。

盛り上がっている話題は死刑に関すること。
「物騒な世の中になった」から始まり、「法は甘過ぎる、人一人殺したら、そら絶対に死刑や。遺族の気持ち考えたら当たり前や」
「そうやそうや、ほんまにそうやで!」

確かに世の中は物騒かもしれないけれど、ひたすらのんびりしたいサウナ室で「人を殺す」話をするのもたいそう物騒。
いや、物騒なのは「死刑」が「人を殺すこと」なのだという感覚がないことかもしれない。

凶悪な殺人事件を起こし全く改悛のようすが見られない人は、一般社会にいてもらえないことはまちがいない。
そんな人は、一般社会の外でも「持て余される」ことだろう。
でもだからといって完全排除するために「殺してしまう」ことは恐ろしい。

日本で死刑制度が存続し執行もされている根拠に、もし「社会感情の後押し」が含まれているのなら、私は絶対にその「社会感情」に加わりたくない。
自分の感情が「人を殺すこと」に加担するなんて、たとえ対象が極悪非道の人であってもお断り。

「人を殺す」という決して許されない行為を犯した人に対する裁きが、「人を殺すこと」である死刑、というのもおかしい。
「人を殺すこと」も理由があれば許される?
「国」であれば「人を殺すこと」も許される?

盛り上がる友人同士の会話に、見知らぬ者は口をはさめない。ましてやサウナ室内のような状況ならなお更のこと。
したたり落ちる汗といっしょに身体の老廃物は排出されたかもしれないけど、心の中にわくモヤモヤは出所がないままの10分間・・・。

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2008年3月20日 (木)

「もち太郎」でおはぎ作り

手作りといえるのかどうか・・・、「あんこ」を買って、ちゃっちゃとおはぎを作った。
米は圧力鍋で炊いたのはいつもと同じだけど、そこからいわゆる「半殺し」(何てぶっそうな言葉なのでしょう!子どもの頃から聞きなれているけれど「半つぶし」に変えるべきかも・・・)で初めて「もち太郎」の臼を使った。

もち太郎
この臼、「もち太郎」という名称(思い込んでいるだけで違うかもしれない)の手搗き餅つきセットの一部。
つき棒と共にセラミックでできており、重い!
直径20センチなのに、私には持ち上げるのがやっとこさ。
このおもちゃのようなかわいらしい臼と棒で餅を作ってみたいなぁと思いつつ、量産のできる餅つき機利用ばかりしている。

たまには陽の目を見せてあげようと、今回は「よいしょ」と奥から引っ張り出してきた。
といっても3合の炊き上がったもち米を入れて、ちょっとつぶすのに使っただけ。
すり鉢ならごはん粒が入り込んでしまうけれど、この臼はつるっと取れるので後始末が楽。

あんこに手を抜いたし、あともとても簡単。
黒ごまを炒ってすり鉢でグラニュー糖と一緒にすったもの、きな粉、あんこばかりと3種用意。
いまいち成長も色も悪い鉢植えのばらんを、5枚ばかり切ってきたものの上に並べてみた。

おはぎ
きょうはもちろん、長い間墓参りに行っていない。
「ゴメンナサイ」と謝っておいて、父と母の写真をおはぎの横に移動させた。

料理上手だった二人は、お墓参りのことは大目にみてくれても、「あんこぐらい自分で炊かなあかん」とブツブツ言っているかもしれない。

しかし、ちょっとしか作れないし・・・と敬遠していた「もち太郎」。
これだけの量が作れたら今や十分とも思える。
パクパクくらいついてくれる娘も息子もいないのだもの。

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2008年3月17日 (月)

エクサさんのこと

エクサさんから初めてコメントをいただいたのは、今のブログの時ではない2006年のときのこと。
ブログを通じてのやりとりでは、真面目でユーモラスでもあるけれど繊細さを感じさせるものが伝わってきた(私だけの受け取り方かもしれない)。
その後、私は当時のブログを閉鎖してしまったのでつながりは切れた。

何となく気になり、しばらくはエクサさんのブログをのぞいていたけれど『小さな花ひとつ』からはコメントしたことはない。

Siroihana 昨夜KATEKさんのブログに寄せられたコメントから、そのエクサさんが亡くなられたことを知った。
エクサさんのお友だちが、(エクサさんのブログに)ブックマークされていたところにコメントを通じて報告されたよう。

数ヶ月ぶりに訪れたエクサさんのブログは、名前は変わらず「この世界で生きてゆくために」。
以前は生活ぶりを明るくユーモラスに記述しようとされていた。
ところが最近のものは、まるで大きく開いてしまった傷口からドクドクと真っ赤な血が流れ出しているかのよう。
更新に間があき出した頃から、少しずつ苦渋が文面に滲み出してきている。

「やさしくまじめな好青年」と紹介されていたプロフィールが、いつの間にか「タダの馬鹿な男」に変更されている。

大好きだった車で亡くなられたとのこと。
たとえネット上であっても、かつて交叉したことがあり、ましてや何か心にひっかかるものがある人だった。
その人がどのような「事故」であったのか知る由もないけれど、苦しみのまま亡くなられた。
(「心の死、自我の崩壊。2.26事件、その3」 とタイトルされた最後のエントリは亡くなられる前夜 訂正、2月15日夜。)

エクサさんのブログをさかのぼって読んでから床に就いた昨夜は、ほとんど眠ることをしていない。
明るくあったかい朝日を感じて一瞬気が晴れたものの、直後には「もうエクサさんはこの光を感じることはないのだ」との思いが込み上げた。

人が死ぬことは悲しい。
肉体が傷ついて血が流れたまま死ぬのはこわい。
心から血が流れたまま死ぬのはこわい。

どのような形であれ、寄り添うことができるのは生きているときだけ。
冥福を祈ることだけしかできないなんて悲しい・・・。

お会いしたことはないけれど、エクサさんには白い花が似合うような気がして生けた。

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2008年3月 1日 (土)

『パパ ママ バイバイ』

朝日新聞夕刊の【惜別】、
昨夜の記事に土至田勇(どしだいさむ)さんのことが載っていた。1月に亡くなっておられたよう。訃報には気付かなかった。

1977年9月27日、神奈川県の厚木基地から飛び立った米軍機が、住宅のある地域に墜落。
『パパ ママ バイバイ』はそのときのことが描かれた絵本。

作:早乙女勝元 
画:鈴木琢磨
詩:門倉詇

文体はやさしいけれど、描かれている状況や経過、巻き込まれた家族たちのことは何度読んでもカッと熱くなる。

Papamama ・・・・・・・・・・・・
長さ十八メートル、重さ二十六トンものジェット機が、最大限のスピードで激突し、大爆発したのですから、たまったものではありません。機体は翼も胴体も、ことごとくジュラルミンのかけらとなって空中高く舞いあがり、無数の火の玉となって降りそそぎました。エンジンの一つは、なんと九十メートルも吹っとび、林さんの家には翼の一部が飛びこんできました。
しかも、火の玉は、降ってくるばかりではなかったのです。
ドラムカン六十五本にもおよぶ満タンのジェット燃料は、墜落地点から扇のようにひろがって、ガスバーナーの炎のように地をなめ、樹木をかんで走り、火炎帯となって、どっと近所の家々におそいかかったのでした。(P.10-11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「林さんの家」は、土至田勇さんの娘、和枝さん一家の住まいだった。
孫にあたる3歳のユー君は病院に運ばれ、やけどの痛みから声をあげてもがき苦しみ、やがてはかすかな「バイバイ」の声を残して亡くなる。
弟で1歳になったばかり、まだ痛みを伝えることばも知らない「ヤス君」も、「ポッポッポー」とかぼそく歌いながら、後を追うように亡くなる。

和枝さんは、全身8割近い大やけど。
「子どもたちも頑張っている」、それを支えに(子どもたちのことは、和枝さんの症状が重すぎるので知らされてはいなかった)ものすごい痛みが伴う薬浴療法や皮膚移植に耐え続けたという。
それでも1988年には31歳の若さで命尽きてしまう。

パラシュートで脱出していたジェット機のパイロットは、直後に自衛隊のヘリが救助している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ヘリは、)
「地べたにうずくまっている火ぶくれの人や、まだ燃えさかる樹木や人家にはおかまいなしに、ワッサワッサとプロペラを回転させ、またたくまに空高く舞いあがって、消えてしまいました。」(p.14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【惜別】の記事にも、土至田勇さんは「米軍、そして米兵だけを助けて去った自衛隊への怒りは生涯消えなかった。」とある。

「ジェット機の墜落」自体も恐ろしいけれど、血まみれになっている幼い子たちを放置できる「体質」はもっと恐ろしい。

土至田勇さんは無くなるまでの30年間、娘さんの無念を伝え続けたという。
沖縄での米兵による少女暴行では、また怒りと悲しみを新たにされたのだろうか。
自衛隊イージス艦「あたご」による漁船やそこに乗る人を、まるでゴミを蹴散らかすかのようにした航行とその結果を知らずに亡くなられたのは幸い。

『パパ ママ バイバイ』には、【惜別】の切抜き記事を添えておこう。
絵本と共に時おり読み返し、ほんの少しでも「無念」を私も誰かに伝えていきたい。

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2008年2月25日 (月)

お雛さま、勢ぞろい。

気にかかりながらも、一日伸ばし。
やっと出してやることができた。

ガラスケースのお雛様は亡くなった父母が、私の娘に買ってくれたもの。
「孫に」ではあるものの、そこには子である「私に」という思いが大きかったことを知っている。
父と母には、経済的な状況から当時子どもたちにしてやることのできなかったことの思い残しがあった。

Casebina
希望を聞かれて「(一緒に見に行けないから)ケース入りのを選んどいて」と答えたことには、少々後悔が残る。子育てと仕事で全く気持ちも時間も余裕がなかったし、段飾りなど考えられなかったのだけど、ならばお雛様とお内裏様だけにしておいて、好みのをじっくり選べば良かった・・・。

Kamibina
2年前にお雛さまを出したとき、ケースの中に折り紙で作ったものがあることに気がついた。
どの子が作り、いつ入れたものか全く記憶がない。
それでもこの紙雛から、小さかった子どもたちがお雛様とひなまつりを随分楽しんでいたことが鮮やかに蘇ってきた。

2歳違いの娘と息子がそれぞれ布団を着物風にまとい、両雛に扮して遊んでいたこと。
おにぎりに薄焼き卵の衣を着せ、野菜で目鼻をつけた「おにぎりお雛様」を作ってやると大喜びしたこと。
ケース内の左大臣は接着がゆるく動く為、兄姉が結託し「左大臣だけはうろうろする」と小さい弟を脅かし、お昼寝前にそっと横に左大臣をしのばせ大泣きさせたこと・・・。

今年も紙雛が入ったケースを見ていると、しばし思いが過去にひっぱられる。
父や母のこと、子どもたちが小さかったときのこと。

そして今家族が(たとえ離れてはいても)穏やかな時を刻むことのできる幸せを、改めて感じる。

行事と言うのは、忙しい日常をちょっと立ち止まらせ、連綿と続く時の流れ、そして家族を始めたくさんの人との関わりの中に身をおいている不思議と喜びを感じさせてくれるのかもしれない。

下の画像は、友人の亡くなられたお母様が大切にしておられたもの。
私もかつてあれこれお世話になった。
その方の思い、友人の思い・・・。
せめてこちらも一年に一度は箱から出してやらねば、ね。
Kimekomibina

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2008年2月22日 (金)

不燃物回収日の憂鬱

2ヶ月に1度の「燃えないゴミ」回収日が、煩わしく感じ出したのは最近のこと。
特に電化製品を出すときには少々気が重い。
家は住宅地の奥まったところに位置しているのに、出したとたん業者?の人がやってくる。
複数の人が、入れ替わり立ち代りやってくる現状なので「早い者勝ち」ということだろう。
自転車で来ていても、手に入れたいものがたくさんある時は(一人見張りを置いて)車で出直し、ということもある。
時として、不用品を屋外に置き家にはまだ入っていない状況でも「物色」が始まる。

先日は、不燃物を数点表に出してしばらくすると「ピンポン」が鳴った。
玄関を開けると、「このオーディオセットのスピーカーはもうひとつあると思うけど、それはどうなった?」といきなり尋ねてくる。
戸惑いながらも「使っていたのは随分前なので、わからない」と事実そのままを答える。
が、「それは困る。もうひとつ欲しい。どこにある?」と後にひかない。
(「困る」と言われてもこちらが困るのだけれど・・・)
納得されないまま同様のやりとりを数分間繰り返した後、いかにもしぶしぶのようにあきらめ、あらかたの「不用品」を積んで引き上げていった。(残ったのは割れガラスやプラスチックくらい)

自治体による回収に向けて出しているものを、他の人や業者が回収していくことにこだわりはないけれど、この余りに欲丸出しの露骨さにはげんなり。

古紙回収 古新聞の回収も競争が激しいよう。
いつもの業者さんの回収日に出しておくと、ポスト上にトイレットペーパー1個、中に紙で包まれた小銭(たいてい50円)、そして画像のような紙が残されている。
このアイデアと「盗難事故」という表現が何だかおかしくて、この業者さんが気に入っている。(紙に業者名や連絡先が明示されているのもいい)。
実際に、この紙をつけておかずに束ねた古新聞を外(ドアの前だから、かなり道路からはひっこんでいる位置なのに)に出しておくと誰かが持って行ってしまった・・・。

自治体であろうと民間業者であろうと、不要物を引き取ってもらえることに感謝の気持ちはあるのだけれど、最近では「ありがとう!お世話さま」の感情だけですまないこともしばしば、ということになってしまった。

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2008年2月15日 (金)

躾(しつけ)としつけ糸

この年末年始に娘の子育てぶりを間近に見て感心した。
1歳11ヶ月になる子はたっぷりとした愛情に包まれ、しつけも受けながらのびのびと育っていた。
遠い国で母を頼らず、産み育てているのにたいしたものだと思う。
おかげで私は安全に注意を払うだけで、その小さい子との過ごす時間を心から楽しむことができた。

子どもの「花」が育つとき どうやら娘には、母親や育児書の助けなど必要なさそうだけど、定期的に送ってやる荷物の中におせっかいにも1冊の本を加えた。
先日亡くなられたという「育児の神様」、内藤寿七郎さん著の『子どもの「花」が育つとき』。
もっとも、自分が子育てをしていたときのバイブルは毛利 子来(もうり たねき)さんの『赤ちゃんのいる暮らし』(これは既に娘に送っている)で内藤寿七郎さんのことは知らなかった。
亡くなられたことに関する記事で興味を惹かれ購入したもの。

やさしい語り口は、決して生やさしいものではない毎日の子育ての励ましになってくれることだろう。
拾い読み程度に目を通した中に、たいそう興味を惹かれたくだりがあった。

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【「しつけ」はゆるい「しつけ糸」のように】の章から。

「しつけ」というのは、本来は和裁の言葉で、本縫いをする前に、襟などを癖づけるために、弱い糸で縫うことです。
このとき使う糸は「しつけ糸」といって、切れやすい弱い糸を使いますが、お子さんのしつけも同じです。
着物を縫うときに使うしつけ糸と同じように、心の柔軟な幼児期に、いい習慣をつけておきましょうということです。
そして、いい習慣をつけることはとても大事なことですが、いい子にしようと思うあまり、強い糸で、子どもの個性をきちきちに縫いつけてしまう必要はないのです。
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子どもの「しつけ」という言葉が裁縫の「しつけ」から来ているとはちっとも知らなかった。
裁縫においてしつけはとても大切、これに手を抜くときれいに仕上がらない。
といっても出来上がりで残る縫い目は本縫いのもの。
しつけ糸は用済みとなり抜いてしまう。
「本縫い」が子ども自身の成長?

「う~ん、これは子育ての極意かもしれない。」と既に子育てを終えた今に会得しても手遅れか・・・。

子育て真っ最中の娘がこれをどう読むかはちょっと楽しみ。
もっとも全然ページをめくらない可能性もある。
それはそれで、育児書に頼らなくてもいい環境にあるということで喜ばしいことかもしれない。

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2008年2月 6日 (水)

えんどう豆スープのお届け

今日の休日は、えんどう豆スープを持って夫の実家へ。
「お弁当の定期便」の第2弾。
弱ってこられた義父、義母に対して積極的に関わっていきたいけれど、無理のないスタイルでと、考えついたこと。
まだせっぱ詰まった状況ではないから、休みを全部費やしてしまえば自分の不満となるので、めやすは半日行動。
素材は身近なものを使い(価格的にも)、調理が簡単にできるものにしている。
気楽に作って気楽に届け、気楽に受け取って、気楽に食べてもらいたい。
ということで、たいそうになるので今日も事前連絡はしない。

お弁当
メニューは
・大根と鯛の煮付け(針生姜添え)…大根は夫の実家のもの
・牛肉のポテト・にんじん巻き…じゃが芋は夫の実家のもの
・ほうれん草のおひたし…ごま味噌たれ別添え(炒りごまをさっと炒りなおし、すり鉢ですり味噌を加えてさらにすってから味付け)
・蕪の甘酢付け…義母が好きなので毎回入れている
・大学芋
・えんどう豆のスープ…えんどう豆は夫の実家のもの

簡単なメニューだけど、しんどい時はすぐに食べられるものが何よりのごちそう(のはず)。

往復で3時間かかる行程が、電車はすいているし車窓からの眺めは自然が多いし、でちっとも苦にならない。
とはいうものの耳にはiPod、手元には本が欠かせない。
なぜか電車では物語よりPC関係の本の方が集中できる。きょうはPC検定対策本のお勉強。

義父、義母のお元気そうな様子も見ることができたし、もちろん喜んでもらえたし、のんびりとした電車の行程を楽しみながら勉強もできたし・・・、案外自分自身のいいリフレッシュになっているのかもしれない。

下の画像は、昨日に二人で作業をされたという干し大根。
「腐らせるのがもったいないからしたけど、身体がえらいわ~」と言われていた。
食べるものを大切にされる姿勢、縄やひもでゆわえて吊るす技術、整然と並んだ美しい大根。
「いいなぁ~」と思わずパチリ。
干し大根

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2008年2月 3日 (日)

雪の金剛山に登る

関東方面は雪だったとか・・・。大阪は目を覚ましたときから、しとしとと細い雨。
「山はきっと雪」を信じて、まだ暗いうちに家を出る。目的地は、大阪府と奈良県の県境にある標高1125mと大阪で一番高い金剛山。小学校の時の耐寒訓練以来、幾度となく登っているなじみ深い山。

登リ口へと続く車道が積雪、凍結の可能性があるので、電車とバスを乗り継いでいく。
これは3年前に登ったときの教訓。
その時は、「快適、早い」と当たり前のように車で出かけた。行きは問題なかったが、山を降りる頃から雪は激しく降りだし、悪い予感・・・。
やはり車道は凍結。チェーンの装備もなく、ほんの数キロの走行は恐怖の連続。実際事故も次々発生するので(事故車を4台横目に見た)その都度渋滞。待つのは我慢できるけれど、その間にも進みそうな凍結がこわい。
一度は思わずかけた急ブレーキで(私は同乗者)大きく横滑り。その恐ろしさは今でもはっきり覚えている。
というわけで今回は迷うことなく公共交通機関を利用。

まずは近鉄南大阪線を奈良に向かっていく。小雨は続いているのに5駅を過ぎた頃には窓の外はうっすらと雪化粧。夜に降ったのだろうけど近隣でも天候が随分違う。

バス道は最初から積雪あり。バスもチェーンをまいているので車内はガリガリと大きな音と相当の振動。でもそれで安全走行になるならもちろん文句なし。
金剛山に向かう人ばかりが他に6人乗車しているが全員高年。(会話から皆金剛山への常連のよう)

金剛山
雪の金剛山登山は5年に1度くらいか。まず降雪と休日のタイミングが一致しないと行けない。
その数少ないチャンスでも今回は最高の条件揃い。
昨夜からの積雪で山道はかつてないほどの真っ白の厚み、踏みしめると「ギシギシ」と鳴る音と感触。
雪はひらひらと舞い続けているのに、気温はたいして低くない(0度くらい)上にほとんど無風。
さらに町は雨だったせいか、登山者が極端に少ない。(列状態で、人の背を見て登るようなこともしばしばあったのに)
「雨」ということで行事として予定していた子ども会なども中止にしたのかな?

子どもたち イマイチの条件はたったひとつ、自分の体力。
「あ~、しんど」と思わず立ち止まることもしばしば。今思えば、大きく深呼吸して山の空気を感じることさえ忘れていた・・・。
すれ違う数少ない登山者のほとんどが中高年者であることも、今さらながら実感されて何やらさびしい。
やはり「雪や、雪や!」と集めては放り投げたり、ソリに乗ってはしゃぐ子どもが見たい・・・。
(時間が多少早かったせいか上りでは子どもは0だったけれど、下りでは少人数ながら目にすることができた。)

数日間まちがいなく筋肉痛は残るだろうけど、それもまた心地よいかな。
雪もやにかすむ遠景、雪に抱かれてさまざまな表情を見せる木々や枝々、それらが織成す静謐で神秘的な情景もしっかりまぶたに焼き付いているし、良い休日を過ごせたことを感謝。

下の画像は帰りのバスを待つときに撮ったもの。
左は駐在所前にあった。(それで雪だるまも基本形?)
雪だるま

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2008年1月25日 (金)

定期便にしたいお弁当

年末に夫の母が自転車で家を出てすぐ、近所の方の車と接触した。
投げ出されたけれど、毎朝欠かさなかったウォーキングの効果か、高齢であるにもかかわらず救急車で運ばれた先の病院での診断は「打ち身」だった。
とはいうものの、痛みが強いこともあり念のため入院。せっかくのお正月も義母は病院で過ごした。

結局20日間くらいの入院になったけれど、私がお見舞いに訪れたのは娘とその子を伴っての1度きり。
娘たちが来ていた間は、その世話と仕事だけでめいっぱいだったし、何より「症状が軽い」ということに安心していた。
でもこれは私の事情(言い分)であり、義母や義姉(そして夫も?)にとっては「冷たい嫁」と映っているような気配がじんわりと伝わってきた(ように感じた)。

まぁ、「汚名返上」というほどではないけれど、感情的なことがこじれると限りなくやっかいなことになるしそれが大きなストレスとなるし・・・
実際、元気なようすも確認したかったので、今日のお休みは退院して自宅で養生している義母のもとに出向くことにした。

お弁当
持参したのは、お昼ご飯用にお惣菜。
ご飯は炊きたてのアツアツがおいしいので持って行かない。
メニューは、食べて飽きない「ふだんのおかず」ばかりを1回に義父と義母2人で食べきれるくらいの量にした。

 だしたっぷりのだし巻き
 ポテトサラダ
 スモークサーモンと生野菜
 鯛の塩焼き
 わけぎの酢味噌和え
 昆布巻き
 小蕪の甘酢漬け

年配の方だからといって、魚と野菜ばっかりは失敗かも・・・?
次回は忘れずお肉料理も加えよう。
できれば週に1~2度くらいの定期便にしたい(夫が休みで行く日にはことづける)。

「冷たい嫁」とまではいかなくても、決してかいがいしく世話をする「できた嫁」ではないし、これからもなれそうもない。
距離的にも離れた「次男の嫁」であることを幸いに、自分に無理のないよう、でも決して日常から抜け落としてしまうことなく老いている夫の両親に関わっていきたい。

ところで今日の顛末は思いがけないことに。
電車を乗り継ぎ1時間半くらいかけて行ったのに、何と留守。
どうやら診察日だったよう。メモとお惣菜を置いてトボトボと帰ってきた。
あらかじめ電話を入れることもなく出かけちゃった「うっかり嫁」であった・・・。

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2008年1月10日 (木)

もうすぐ大阪府知事選 その2

私はほとんどテレビを見ないので、橋下氏の主張や発言を画面で見たり聞いたりする機会はとても少ない。
存在をはっきり意識したのは「山口県光市母子殺害事件」の弁護人に関する言動から。

弁護団をさまざま批判したあげく、2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護人に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたということを報道で知った。

違和感があって情報を集めてみると、その批判や「許せない」の中身が、「弁護活動をするにあたり、被害者や世間の思いを組んでいない」ということであることにびっくり!
この事件はとても悲惨で残酷なものであり、被告人への怒りは誰しもが禁じえないと思う。
とはいえ、弁護人の職務は被告人の権利や利益の擁護。
弁護人が、被告人より被害者や世間の思いを優先した弁護活動をするなど考えられない。もし、そんなことが強制されるなら司法制度自体が崩れてしまう。
自身も弁護士である橋下氏がそのことを知らないはずはないのに、テレビメディアを通じて広くこの道理に合わない主張を繰り返したことは、軽はずみではすまされない。
実際に7000通を超える懲戒請求が寄せられる、というほどの影響力がある人なのだから。

懲戒請求というのは請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるものらしい。もちろん橋下氏はそのことを承知しているだろうに呼びかけに際して一言も付け加えていないことも無責任過ぎる。

さらには、視聴者に懲戒請求を呼びかけながら自分は手間を惜しんでか懲戒請求をしていないのだから主張に信念はないのだろう。

橋下氏もその扇動による懲戒請求もとても不快に感じたけれど、もし弁護人が必要になってもこの人に頼むことはないし、出演しているテレビ番組を見ることもないのでこの人のことは「避けて通る」ことができる、・・・・・・と思っていたのに何と私の住む地域の知事に立候補。
(しかも「2万%出ない」と明言しておいてからの表明。「何を言っても言い繕えばOK!」では余りに人を馬鹿にしている)

もし当選などしたら大阪府はこの人に率いられることになるから、ほってはおけなくなった。府民の1人として言いたいことは言っておきたいし、できることはしておきたい。
ということで、友人や職場の仲間たちにも自分が思うところの橋下氏についてできるだけ語りかけたい。

さて、調べれば調べるほど、橋下氏の失言(この表現が適当かどうか、本人は失言と思っているのかな?)は次々出てきて驚かされる。
03年10月5日放送の『行列のできる法律相談所』では、日本人団体による中国広東省珠海市集団売春騒動に関して「日本人による売春は中国へのODA(政府開発援助)みたいなもの」というのがあったとのこと。
先の「山口県光市母子殺害事件」の弁護人に関する発言と合わせ見ても、弁護士という職にありながら橋下氏の「人権感覚」には?????

徴兵制度の復活の主張や「日本の一番情けないところは、単独で戦争が出来ないこと」の発言もゾッとする。

ネット上には橋下氏に関する詳しい情報もあふれているけれど、私の友人たちは、パソコンを所有していない人も多い。
また、皆真面目にしっかり生きているけれど「政治や社会事象のムツカシイ話は意味わからん」と言う人も多い。

でも、きっとここに書いたようなことに耳を傾けてくれ、あれやこれやの話ができるような気がする。
1人に話せば、その人がまた他の人に話してくれることもちょっぴり期待しよう。

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2008年1月 8日 (火)

もうすぐ大阪府知事選 その1

選挙の投票は欠かさないものの特に強い思いがない場合がほとんど。でも、今度の大阪府知事選にはちょっと力が入っている。
といっても、どの人を当選させたいというのではなく橋下氏を知事にしたくない。
知事として不適当な資質の人だろうに、顔と名前が知られているだけに当選の可能性は高い。
横山ノック氏も不適当だったけれど、大阪の人は彼を「お笑い芸人」と理解した上で投票している。言わば他に推したい候補者がいないので「(府政にとって)毒にも薬にもならない人」として彼を選んだのだろう。
一方橋下氏は大いに「毒」をもつ(垂れ流す)ように思えるが、府民のその辺の理解はどうだろう?

広く訴える手段はもたないけれど、せめて府在住の友人たちには客観的な事実と思いを伝えておきたい。
友人たちと会えば時間を忘れておしゃべり、となるがその話題に政治が出てくることはほとんどない。
自分たちの暮らしが政治経済や社会環境と切り離せないことはわかりながら、私と同様積極的な関心をもたずにいる。
そんな私がそんな友人たちに、「橋下氏は知事として不適切だと思う」と伝える言葉を選び出すのはなかなかむつかしい。

さて、娘とその幼い子が帰省して以来、自宅ではほとんど自分の為の時間が取れずにいる。
余暇をきままに過ごしてきた身には辛い面もあるのだけれど、何せ距離的に遠く離れた娘たちには数年に1度しか会うことはできない。
帰国する19日までは、できるだけ気持ちも身体も寄り添っていよう、と覚悟を決めている。

そんなわけで、職場での休憩が貴重な自分の為の時間。
橋下氏に関する資料を集めたり読んだりも休憩室でする。(時間が短過ぎるけれど)
昨日は、そこで勢いを得た出来事があった。
休憩室に来た同年輩の同僚男性が「何をしているの?」と話しかけてきたので、
「アンチ橋下なので、それをせめて友達だけでも伝えたいと思うのだけれど、なんで橋下氏が知事として不適切かを説明する言葉を考えてるところ。」と答えた。

すると彼は「自分は流されやすいから、○○さん(私の名前)がそう言っただけで、投票せんとこか、と思う。」と落ち着いた口調で返してくれた。
これは一定、私に信頼をおいてくれていることになるだろうし、実際に誰に投票するかはわからないけど(投票には必ずいつも行くとのこと)、それでも「知名度」を基準にすることをせず選択にあたって今一度じっくり考えてくれることにつながるかもしれない。

特定の候補者への投票を友人に薦めることは今までもしたことがないし、これからもしない。
選挙前だけ連絡してくる先輩や知り合いにはうんざりしているから。
初めの頃は「元気、なつかしいねぇ」の電話やメールにうれしく反応していたのだけれど、「ところで・・・」と特定政党の候補者の名前が出てきて興ざめ。
今ではそのような連絡を寄こす人には、なつかしさどころか「知り合い」関係も解消したいくらい。
さてここでそろそろ時間切れ、本題の「(政治やニュースに詳しくない私なのだけれど)なぜ橋下氏は知事として不適切だと思っているか」は次回になってしまう。
できるだけ早く書き上げアップします。
肝心なことがあとになってゴメンナサイ。

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2007年12月30日 (日)

小さい子のいる暮らし

ドイツから娘ともうすぐ2歳になる子がやってきて3日目。まだその小さい子の体内時計は、時差によるプラス8時間という日本時間に対応しきれず睡眠時間が定まらない。
それでも未知の世界は驚きと感激に満ちているようで、実に豊かな表情を見せてくれる。

ふと立ち止まりじっと見つめるその視線の先は、私には(ありふれていて)その姿も見えずさえずりも耳にも入らない道路端の子雀たち。
あるいはどぶ川のよどんだ水の流れ・・・。
その真剣なまなざしは、声をかけずじっと見守ってやりたいと思わせるほど真剣なもの。
きれいな目をした大人の人も知っているけれど、小さい子の澄んだ瞳は怖れさえ感じるくらいの美しさであることを思い知る。

かと思えば、訪れたスーパーで「もう幾つ寝ると~♪」が流れ出すと、すぐに手をたたきからだを揺らしてリズムをとっている。
ドイツ語も日本語も既に豊富な語彙を獲得しており、当り前のように二つの言語を使う。
しゃべりながらもよく動くけれど、決して聞き流すことをしない。
必ず「ヤー(Yes)」と返事を返し、またちょっとしたことでも「ダンケ」を忘れない。
これはドイツでは小さい子であっても当たり前なのかな・・・?

幼な子は正に美しく愛しい天使。
自分の子を育てているときには、ただ夢中でそのことを感じる余裕もなかった。
今更ながら、ずっと長い間自分は天使たちと共にいたのだ・・・と理解する。

4週間もすればまた彼の地へ帰ってしまうけれど、「天からの贈り物」のちっちゃな天使と再び共に過ごせることを感謝。

Kamo
近くの池の鴨にパンをあげるのが日課となった

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2007年12月24日 (月)

メリー・クリスマス!

「クリスマス」にはとても良いイメージがある。
小さい頃から誕生日のお祝いはしてもらった記憶はないけれど、何故かクリスマスには必ずケーキやごちそうがありサンタさんもやってきた。
宗教的な意味合いは全くないものだったけど、父も母もクリスマスが好きだったのかな?

ビール このところずっと忙しく今年はツリーも飾らずじまい。
でもやっぱりこの日は「それらしく」過ごそうと、大阪市内にあるドイツ料理の人気店「ハンブルグ」に出かけることにした。(谷町線の「谷町9丁目」駅近く。飾らないドイツの家庭料理の味、と聞いて数ヶ月前に初めて訪れたが評判通りだった。)

土・日・祭日はほとんどが仕事だから、きょうに休みを取ったこと自体すでに特別気分。
夜は混むだろうという見通しからランチタイムをねらう。

店内は陽気なドイツ音楽が流れ、所狭しと関連グッズも置かれている。サービスしてくれるオーナー?もドイツ人そっくりの体型・・・。

クリスマスメニューはあったけれど、あまりに量が多そうなので画像のコースに決定。
まずは真っ昼間からビール。冬季限定のエルディンガーシュネーヴァイセ、きめ細かい泡がいっぱい。さすがにオーナーは注ぐのもプロ、泡が盛り上がる。
「きれいなラベルも楽しんでください」とからっぽになった瓶も残してくれた。
ゆっくり少しずつ飲んでいくのだけれど、時間が経ってもグラスの底から小さな小さな気泡が次々と昇ってきてとても美しい。もちろん味わいと冷え加減は文句なし。

・ソーセージの盛り合わせ
・青エンドウのスープ
・ポテトオムレツ
・ウインナー
・ヴイーナ シュニッツエル というレモンを絞っていただくポークカツ
・リンズ グーラッシュ という牛肉と玉ねぎを赤ワインでスパイシーに煮たもの。下には細いパスタが入っている。
・デザートはやはりシュトーレン(2切れ盛られていたが、始めに写真を撮るのを忘れた)

ソーセージ
スープ
ポテトオムレツ
ウィンナー
ヴィーナシュニッツェル
リンズグーラッシュ
シュトーレン
ハンブルグ
クリスマスを演出してやる小さい子もいなくなった為か、自身のクリスマスへの郷愁にかられ、「食べる」だけの為に電車で出かけるという特別の日となった。
おいしい料理をいただき、次々とカップルなどが席を埋めていくのを見るにつれ、「平和で穏やかな時空にいるのだなぁ~」と改めて思う。
頑張って働いて、時にちょっぴり贅沢な時間を過ごす。
そんなことが、誰でもどこでも「当たり前」であればいいのだけれど・・・。

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2007年12月 9日 (日)

家族、家庭

ここ数日間仕事がらみで忙しく、睡眠不足が続いていた。
昨夜はもう何をする気にもなれずに早めに床についたが、会社近くに住んでいる長男に早朝に声をかけられて目が覚めた。(長男は私のしんどさに比べるべくもない程、過酷な労働をこなしている。)

現金はもちろん、数種のカードや免許証等を入れた財布を紛失したとのこと。
意気消沈の声にまったく張りはなく、感じられるのは疲労とかすかな苛立ち。
「最悪や~」とボソッとつぶやくが、私にすれば無論「最悪」ではない。
すべて取り返しのつくものだし、過労から注意力散漫になっている長男に関して気がかりなのはもっと本当に「最悪」のこと。
あるいは、穏やかでやさしい気性だったのに、近頃は時おり荒んだ表情を見せること。

日曜ながらきょうも出勤で慌しい長男が、煮込んであるおでん(いつ帰ってきてもいいようにたいていは何か煮物を用意している)で朝食を摂っている間に、ネットからカード他紛失した関係機関それぞれの連絡先を検索しプリントアウト。
その紙に添えて、あり合せの財布に現金を入れたものを渡して送り出す。

「行ってくるわ~」というその声は落ち着いたものであったので、心の平静を取り戻したことを感じられまずは安堵。

私はと言えば、しばし緊張で神経は張ったものの、家事を始める元気は湧かず再び床の中。
一眠りした頃だろうか。所用で出かける夫が私に、「行ってくるよ、ゆっくりしときや」と声をかけ枕元に香り立つコーヒーカップを置いてくれた。
私は、床の中でゆっくりとコーヒーを味わうのが大好き(こんなことは1年に数回しかないけれど)

床の中の暖かさとカップの温かさ、それにも増して感じるのは「家族」や「家庭」というもののあたたかさ。
そこで、長男はすさみ掛けていた心に落ち着きを取り戻し、私も起き上がる気力を与えられた。

私は、もの心ついてから「家族」や「家庭」といったものに一度も深い思いをもったことはないし、自分に密接なものとして考えたことはなかった。
親に対しても、「子どもたちへの愛情が深かったのだ」と実感できたのは亡くなってからであったし、兄弟たちに対しての愛情も希薄そのもの。
ひとりの兄は2年前に突然病死してしまった。
兄の無念さや遺された家族の悲しみには心塞がれたものの、自分自身に寂しさや悲しさはまったくなく、そうした自分と育った環境というものに改めて寒々とした思いを抱かざるを得なかった。

結婚して新しい家庭をもち、夢中そして霧中で進んできた20数年。
反面教師としか感じられなかった(感じられなかっただけで実際はそうではなかった部分も大きかった、と今は思う)環境にあった自分が、今「家族」をもち「家庭」を築いていることは、まるで奇跡のようにも思う。

と・・・、今朝のささやかな出来事から「家族」や「家庭」について今更ながら考え込んだのには事情がある。
職場のパソコン教室の生徒さんで、どういうわけか私を「母」のように慕ってくださる方がいる。とても繊細な神経の方なのだけれど不安定状態の時でも教室に来て私と会い、二言三言、ことばを交わすだけでみるみる間に落ち着かれる。
それは、泣き叫んでいる幼な子がおかあさんに抱っこされるとピタリと泣き止む、その状態そのもの。
レッスン回数も増やされているのだけれど、それにとどまらずメールも届くようになり、昨夜は自宅に電話もあった。(電話番号は知らせていないにもかかわらず)

恐らく彼女を一途にさせているのは、実の母に求めて得られなかったものを、私によって埋めようとする本能的なものなのだろう。
昨夜、疲労状態で受けた電話はせいいっぱいの対応をしたものの、「あくまでパソコン教室を介在してインストラクターと生徒の関係、果たして自分にどれほどのことができるのだろうか」と逃げ腰でもあった。

この生徒さんのことが頭から去らない状態で、朝の一連のことがあり家庭や家族、ひいてはある程度、家庭状況もお聞きしている彼女のことまで思いが巡ったというわけ。
家族や家庭はかけがえのないものだし、子どもにとっては両親や家族のたっぷりの愛にくるまって育つのが当たり前だけど、実際にはそうした状況で育たない子もたくさんいる。
私が「家族」や「家庭」に対するスカスカした思いを埋めることができたのは、新しい家族の力が大きいけれど、「他人」にも随分助けられていることは実感している。

なら、自分も彼女に少しでも寄り添うことができるのなら、「インストラクターと生徒の関係」は事実としてだけ押えて、逃げ腰の「口実」にはするまい、と気持ちを定めよう。
彼女の一途さを受け止める力量が自分になさそうなことが不安だけれど、またその私の不安はきっと家族や友人たちが受け止めてくれるだろう。

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2007年11月17日 (土)

アフガニスタンたより-『ぶどう新聞』

久しぶりに、アフガニスタンからのたより『ぶどう新聞第11号』が届いた。
この新聞は、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた「海外災害援助市民センター(CODE)」によるプロジェクトのひとつ、アフガニスタン、シャモリ平原でのぶどう作り支援活動の報告等が載せられている。

CODE いつどのように「CODE」を知ったのか、もうすっかり忘れたけれど、ひょっこりと芽を出したデザインのロゴマークがまず気に入り、次にぶどうがページ罫線として描かれている『ぶどう新聞』のレイアウトの美しさに惹きつけられた。
読んでみれば、誠実な活動ぶりが伝わり、さらには未知の国アフガニスタンに吹きわたる乾いた風まで感じられるような巧みな文章・・・、ということで迷わず会員登録をしたといういきさつ。

ぶどう新聞は、ネット上でもpdfファイルとして見ることができるので、ぜひご覧ください!
(サイト全般の更新が滞っているようですので、新聞も新しいものはまだありませんが)

アフガニスタンといえば、マスメディアの報道、あるいは映画や書籍で知るばかり。
報道は断片的で情報としてしか伝わってこない。
鑑賞した最新の映画は『アフガン零年』、読んだ本は『カブールの燕たち』で、共に見応え読み応え十分の作品ではあったけれど、鑑賞後(読後)はしばらく暗澹たる思いから抜け出すことができなかった。
この国で焦点をあてられるのはやはりタリバンによる統治や紛争や爆破事件・・・といった負のテーマ。

一方『ぶどう新聞』の記事や画像から感じられるのは戦禍ではなく(状況はきちんと書かれているけれど)、土地に根ざし自然からの恵みによって普通に生きようとしている人々や家族、そしてその生活。
ぶどう畑も日本で見るものとはまったくイメージが異なり、「棚」もビニールハウスもないのが興味深い。
青い空のもと、乾いた大地に背の低い木に茂る緑の葉、同じく緑色に実ったぶどう、という収穫期の画像も美しい。

アフガニスタンは、紀元前1千年頃からぶどうがあったらしいので、ぶどう作りに適した地なのだろう。
タリバン政権時に焼かれたり切られたりしてしまったぶどう畑の再生の為に村人たちは自助努力に奮闘し、それをCODEのぶどうプロジェクトも支えている。
私は年に一度、会費を振り込むだけだけれど、新聞が届けられるとしばらくはこの国やそこに暮らす人たちに思いを馳せている。
ただそれだけで「つながり」と言えるほどのものはないのだけれど、それでもこれが自分なりのアフガニスタンという国に暮らす人たちとのつながりに思えて、「大切にしたいなぁ」と感じている。

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2007年11月13日 (火)

今年もチョコがけシュトーレン

まだ巷にクリスマスソングは聞こえてこないけれど、本場ドイツから早々とシュトーレンが届いた。
彼の地ではクリスマスの日がやってくるのを心待ちしながら、毎日一切れずつ食べるという慣わしがあるらしい。
乾燥フルーツやナッツがたっぷり入ったケーキ(お菓子)、というよりパン、かな。
なだらかな丘陵のようなかたまりが、真っ白な砂糖で覆われている。
(誕生したキリストが白い布で包まれている姿を表しているという説もあるとか・・・)
*添えた絵はそれとは違うタイプ。

『水彩』ガ画像 私はこのシュトーレンが大好き。コーヒーや紅茶はもちろん、ワインでもおいしい。
毎年、複数の店で購入する。素材も製法も違うのだろう、味の幅は広い。
お気に入りは、近隣にある洋菓子屋のパン風で甘みをおさえたものと九州から通販で取り寄せるかなり甘い洋菓子風のもの。
各種の食べ比べができたのは、以前に洋菓子屋で働いていたおかげ。
通販部に所属し企画にも関わっていたので、他社の商品の研究を必要とした。
商品自体はもちろん、受注方法や接客態度、梱包の仕方や添付書類・・・、参考にさせてもらおうということで人気の店をピックアップしては(シュトーレンによらず)購入していた。(もちろん社の経費)

真っ白なシュトーレンはいかにも美しくクリスマスには欠かせないけれど、数年前からはチョコレートですっぽり固められたタイプも大きな楽しみとなっている。
これは、ドイツ在住となった娘からの定期便。
幅13センチ、長さ28センチ、高さ7センチと特大サイズ。
チョコがけだけに、こってりと甘いし、生地やフルーツにも少しクセを感じるので私の好みではないはずなのに・・・、なぜかこの時期になると無性に食べたくなる。
さらには来客があると、日本ではまず食べられないものなので必ずお茶に添える。
シュトーレンそのものも好き嫌いはけっこう分かれるが、「好き」な人には喜ばれている。苦手な人はチョコがけといえどもやはりダメなよう。
ブログに寄っていただいた方に、お味見していただけないのはとても残念。
写真とパソコンソフト『水彩』で描いてみたイメージだけのお届けで、ゴメンナサイ。
*写真のチョコは茶色っぽいけど、実際は絵の方に近いビターな色(と味)
クリスマスの足音にはちょっと早かったかな・・・?
チョコがけシュトーレン

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2007年10月13日 (土)

彼の地でも栗ご飯

この春から大学生になった末っ子は地方で1人暮らし。めったに帰ってこないし電話やメール連絡もほとんどない。(こちらからもしないのだけれど・・・)
その子から珍しく携帯メールが届いた。開けてみると「栗ご飯!」とある。
「何のこっちゃ?」と読み解けずにいたが、添付画像があることに気が付いた。
何と画像は、家から持って行ったお茶碗に盛られた栗ご飯。
こんもりとした白いご飯に、いびつな形ではあるがきれいな色の栗が見え隠れしている。

「自分で作ったのだ~」と、しばらく見とれたあとさっそく「おいしそうや」と返事メール。(携帯メールを打つのが苦手なので文が短い)
意外にも、折り返しは電話でかかり、バイト先で栗を頂いたこと、剥いてご飯に仕立てたこと等を詳細に説明してくれる。
案の定、指も切ったとのこと。(たいしたことはなさそう、やれやれ)
がんばって作った栗ご飯は、食べたかったからというより、出来上がり画像を母に見せたかったのかもしれない・・・。

家にいたときは、この時期には連日のように食卓に上がる栗ご飯を当たり前のように食べていた子だが、「家の栗ご飯が食べたいわ~」としみじみ話す。

食欲の秋は、人恋しい季節。1人暮らしに慣れたはずの息子も「栗」で久しぶりに、家や母に心馳せたのだろう。
同じく母も、この子が家にいなくなったことをあらためて「寂しいなぁ・・」と思わずにはいられなかった・・・。

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2007年10月 8日 (月)

シオンがいっぱい

「ばっかり食」が好きで旬のものは飽きずにそればかり食べたりするけれど、お花も一つの種類がどっさりが好き。(一輪もいいけど)
そんな性格を知ってか知らずか、シオンの花を一抱え以上もいただいた。
「どっさりあるから『シコグサ』あげるわ」と言われて、何の花かわからなかったのだけれど、シオンの別名が「鬼の醜草(オニノシコグサ)」であるらしい。

シオン
薄紫色に咲き乱れるシオンは、秋を告げる花のひとつ。(特に好きというわけではないのが残念)
さて、何とか持って帰ったものの、すっぽり生ける大きな花器はない。
二つの花器に限界まで入れ、さらには「臼」の花入れにも。

う~ん、映えない・・・。
シオンもコスモスと同じように、秋の柔らかい陽射しを浴びながら風にそよいでこそ美しい?
おまけに生け方にも、花に対する思い入れが乏しいことが歴然。
「シオンさん、ごめんなさい」ということで、せめてブログに遊びに来ていただく方にせいいっぱい咲いているシオンを見ていただくことに・・・。

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2007年9月29日 (土)

臼が花台になった

親戚の家からその臼が我が家に来たのには数ヶ月前。
親戚宅では、幾世代に渡って活躍してきたもののようで家紋?の焼印も残っているとか(私には判別できない)・・・。
「売ったらあかんで」と釘をさされたくらいだから、思い入れだけではなくモノとしての価値も相当に見積もっておられたのだろう。
実のところ私には粗大ゴミにしか見えなかった・・・。
もともと望んで譲り受けたわけではなく、いろいろいきさつがあってのこと。

元の臼 何せモノは、私が持ち上げられないくらいの重量があるし、かさも高い。
もはや餅つき機愛好なので、臼として使うことは考えられない。
大きな木(後に欅であることを知った)をくり抜いたものなので、できるなら何かの形に変えて生かしてやりたいという思いはある。
でも木工のことはさっぱりわからないし、何かに加工するアイデアも浮かばない。
近くにいる木工家の友人に相談してみると、「冬の薪(その工房では薪ストーブを使っている)にするにもこんなゴッツイノ割られへんで~」と「薪」の値打ちもないような言われ方・・・。

そんな臼がちょっとかわいそうにも思えて、「ダメでもともと」と夫と2人で加工してみることにした。
(先の木工家の友人や他の人にもいろいろ尋ねながら)
といっても実質携わるのは夫だけ。
なぜか器用だと思われがちなのだけれど、私はいたって不器用。
釘もまっすぐに打てないし、のこぎりも挽くことができない・・・。
加工の為の情報を集めたり、「いい感じになってきたね」などと、励ましたりするだけの役目。(それなのに「2人で」とはあつかましいかな)

帰宅してから毎夜少しずつ、休日にはたっぷりと、大きなダンボール紙を広げたリビングの一角で作業は何日も続いた。
虫食いが激しい底部分を10センチほどカットし、全体を削ったり磨いたりこすったり、割れ部分を埋めたり、塗装したり・・・。

で、出来上がりがこんな感じ。
今や堂々とリビングの片隅に鎮座している。
私の出番もようやくきたようで、布をあしらい花も生けた。
布は母の着物のコートだったもの。金魚柄の水盤はアンティークの店で見つけた。小さい子が来たらさらに喜んでくれるよう、小さな亀も入れておいた。(本物じゃないヨ)

臼加工後
朽ち果てかけていた臼の再生、まぁいい感じかなと思っているけどどうでしょう?

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2007年9月10日 (月)

ちょっとだけ若者のいる暮らし

この春から地方に暮らす大学生の息子が数日間帰ってきた。
「元気でやっていればそれでいい」、とたいして寂しさも感じていないつもりではあったけれど、「帰る」と聞くなり、その日、その時刻を待ち焦がれている自分に自分でびっくり、というところ。
たった4日間だったけれど、母子はよくしゃべりよく笑いよく食べた。

若者がそこにいるだけで空間は活気を帯びる。
長身の私が見上げるくらいにでっかい子だけれど、買い物にもついてくる。
「な~んでも買ってあげるよ」の言葉に、とびっきりの笑顔を見せてくれたけど手にしたものはアイスひとつ。
もしかして、あれもこれもと買いこむことを見通して荷物持ちについて来た?

もちろん食事作りにも力が入る。
ズラリと並べた好物をパクパクと平らげていく小気味よさ。

YouTubeで「中島美嘉」を聴かせ、
これがあればクレジットでなくてもダウンロードできるよ、とiTunes Music Cardを見せ、
近頃は季節の移り変わりをコンビニのディスプレイで感じるわ~(コンビニバイトをしている)と話す・・・。
夫婦2人の暮らしにはまず登場してこない世界をのぞかせてくれた。

若者の元気さを感じると、うれしく心はずむ一方で静かな感情も湧いてくる。
生きていることはあまりに楽しくて、やりたいことがいっぱいあって、終わりにしてしまう覚悟などできそうもない。
それでも若い子の元気さを感じるときには、どこか老いた先にある死というものを自然の理として(ちょっぴりだろうけど)受け入れることができている。
時代を託すことに安心を感じるからだろうか、「死」を考えるときに常に伴う恐怖はなくやすらかともいえるくらいに静かな感情。

さて、息子は今日戻っていった。
今の心を占めるのはやっぱり「元気でやっているようだからそれでいい」
寂しさは感じない。
日常に戻り、生かされていることの幸せを満喫する。

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2007年9月 5日 (水)

夏の健康はエアコンから?

9月とはいえ真夏の暑さそのものだった昨日のこと。
朝一番からのシフトではなかったので、9時過ぎに職場に入る。
いつもとようすが違って、ビル3階にある入り口のガラス戸は開け放たれているし、あちこちの窓も少し開いている。イヤな予感・・・。
やはり、室内は蒸し風呂状態。
自転車通勤は乗っている時は快適だけれど、降りるなり身体がカッと熱くなり汗が吹き出る。
いつもはそのほてりをエアコンが鎮めてくれるのだけど・・・。

事情を説明してくれる女性同僚のTシャツにも汗がにじんでいる。
朝からエアコントラブルで部品交換が必要らしく本日中の復旧は望めない、とのこと。
聞いているその間にも、「ポトリ、ポトリ」と汗が落ちる・・・。
一旦汗を引かせる必要あり。
シフトまで多少時間があるのを幸いに、近くの喫茶店へ逃避。

夏が好きなのに、その暑さはとても苦手。
若い頃から夏の間はほとんど食べることができず、毎年必ず3、4キロは体重が落ちた。
涼しくなると食欲が回復し体重を取り戻す、ということの繰り返し。
ところがこの10年くらい前から夏バテが随分軽くなった。
実はこれはエアコンのおかげ。
その頃保育職から鞍替えしたデスクワーク環境は必ずエアコンがある。
また家にも設置するようになった。
もちろんエアコンが原因と思われる体調不良症状も出るのだけれど、「食べられる」ことは何より健康を支えてくれる。

さてエアコンなしの教室内は、外気に加え10数台のパソコンによる熱気でよどんでいる。
ありがたいことに生徒さんからは苦情もなく、汗を拭き拭き真剣に画面に向かっておられる。
「短時間の我慢」との達観か・・・?

自分が一日もつか?に自信がないことに加えて、さらに不安なのはこの日にレッスン予定がある障害のある生徒さんのこと。
ご本人の強い希望があり私はこの方の担当になっている。体温調節機能が働かない方なのに3時間ものレッスンに耐えられるのだろうか?

せめてと、インストラクションしながら片手にうちわをもってひたすらその生徒さんをあおぎ続けていた。
しばらくして、扇風機を手にした経営者の姿が目に入った。
どうやらその生徒さん中心に風があたるよう設置するようで角度や高さを調整されている。まもなくたっぷりとした風が送られくるようになった。
扇風機2台を急きょ近くの電気やさんで求めてこられたらしい。

このやり手の若い経営者には、被雇用者の立場として反発を感じることもあるけれど人間性には信頼を置いている。
かなり重い障害のある方も生徒として受け入れようとする姿勢、このようなトラブルの際にまっさきに「弱者」への対応を具体的にとられることもうれしい。

さて、久しぶりに経験したいくら水分を摂っても喉の渇きが取れず「固形物など何も欲しくもない」状態。
9時頃に帰宅するとすぐにエアコンスイッチON。疲れも一気にでてそのまま横になってしまった。

たった12時間ほどのエアコンなし生活でこれほどのダメージ。
理想はどうであれ、自分の夏の健康はエアコンなしでは保てないことが現実であると認めざるを得ない。

もちろん私に限らず、もはや「健康で文化的な最低限度の生活」を満たすにはエアコンが必需品の地域や環境が多いのではないだろうか。

エアコン騒動で盛り上がった?昨日の職場だったけれど20代後半の男性インストラクターの言葉が感慨深かった。
彼曰く「ホワイトカラーの仕事やのに、こんなに汗だくになるとは。」

「ホワイトカラー」にも幅広い定義はあるだろうけど、フルタイム労働とはいえ「パート」という不安定な身分の彼が、私にはどうも「ホワイトカラー」のイメージと重ならないのでした。

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2007年9月 2日 (日)

「そんなもん」は嫌い

職場の同僚の人たちとは、休憩時間などが重なればよく話をする。特に若い子との会話は楽しい。(家に「若い子」がいなくなったので)
先日、20代後半の男性と「購入したビスタパソコンの不具合」(前回エントリーの件)について話をしていた。彼は若いけれどキャリアは十分、誠実で丁寧な指導をするインストラクター。
年齢の開きはありながら、関心領域の重なりもありいわゆる「ウマが合う」人。

不具合の発生は、仕事関連の事象でもあり、「フンフン」と興味深そうに聞いてくる。
ところがサポートセンターやメーカーの対応に対する私の怒りが理解できないようす。

「メーカーやサポートセンターってそんなもん違いますか?一人一人の個人ユーザーになんて対応しきれないですよ」
「・・・・・」
この言葉は私を随分さみしい気持ちにさせた。
だいたい若者に「そんなもん」という言葉は似合わない。
この場合も決して「そんなもん」ではなくてメーカーやサポートセンターには「責任」があるし、個人ユーザーにはそれをまっとうさせる権利が当然あるはずなのだけれど・・・。

この見所ありげな若者の「そんなもん」意識はどうやって培われてきたのだろう?
そういえば彼が小学生だった頃には既に、アンケートの「将来なりたい職業」に「サラリーマン」と書いた子たちがたくさんいたのではなかったか・・・?

「社会の変革」に関する学習会で知り合った夫と連れ添って20数年、身近なことはもちろん政治、社会のこと、読んだ本や観た映画、何でも感想や疑問を話してきた。
その夫から、時に「そんなもんちゃうか」という返事が返ってくるようになったのは最近のこと。
一抹の寂しさを感じながらも、それこそ「そんなもん」、とそんな返事に反発しないようにしている。
50年も生きていれば、時代の時空に既定された「そんなもん」の存在があることは感じられるし、「そんなもん」と妥協してしまう事柄も多い。

とはいえ、やっぱりおかしなことはおかしいと感じたいし、変えていきたいし変えていけると信じたい。
ましてや子どもたちや若者は限りなく夢を追って欲しいし、自分の可能性も信じて欲しい。

そんなわけで、子どもたちや若者が「夢」をもてない(自分の可能性を信じられない)社会はおかしいし、変えていく必要があるし、変えていけるとまだ信じている。

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2007年8月23日 (木)

往く夏を惜しむ

暑さで寝苦しいのは毎夜のこと。でも、今日の明け方は、雷とすさまじいばかりの雨音で目が覚めた。
暑さが原因なら、とりあえずは枕元に置いてあるエアコンのリモコン電源を入れ直すことで再び眠りにつく。
でも、雷と豪雨に感じる恐ろしさに打つ手はない。
「雷が去って、雨もどうか早く止みますように」と祈るばかり・・・。
2時間ほども続いたか、雷が遠ざかり雨音も静かになったのに安心して窓を開けた瞬間、何とも涼やかな心地よい風がス~と部屋に入ってきた。
今年初めて感じた秋の訪れ・・・。

「今年は一度も夕立ないなぁ、どうなってるんやろか・・・?」と友と会話したのは昨日のこと。
数日分の夕立(ではないけれど)をまとめて降らせ夏の帳尻を何とか合わせたあと、秋はそっとしのび込んできたよう。

去り往こうとするモノにはそれが人であれ、季節であれどこかさみしい。
「暑い!暑い!」で過ごした夏がいっちゃうのもやっぱりさみしいけれど、また新しい季節を今年も迎えることができるのはやっぱりうれしい。

ビールと桃
さて、ひときわ暑さが際立ったこの夏、「マイ食贅沢」はビールと桃。
生協配送で企画があったのを幸いに、信州とドイツの地ビールをケースで購入。
それぞれ香りやコクに個性があってとってもおいしい!(といっても飲んでも1日に1本の量。)

桃は出始めから2日に1回は買ってしまっている。(2個ずつくらい)
福島、岡山、長野、白鳳、白桃、水蜜桃・・・と産地や種類もさまざま。
買い物不精ながらおいしい桃を求めての果物屋めぐりには手間を惜しまない。
食べるものへの強い欲がある限り、夏バテもたいしたことなしカナ。
(桃は冷蔵庫保管すると格段に味が落ちてしまう。食べる少し前に冷やすのがいい。部屋に桃を置くと、帰宅した時に桃の香りが迎えてくれる)

とまぁ、去り往く夏を惜しむ気持ちには夏の味覚への深い思いもありそう・・・。
大阪でほんのちょっぴり感じられ始めた秋の気配、皆様の地域ではいかがでしょうか。

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2007年8月16日 (木)

宮城まり子さんのこと

久しぶりにテレビで見た宮城まり子さん、もう79歳になられていた。
6月3日放送NHK新日曜美術館でのこと。
子どもだった頃、「町にゃネオンの花が咲く、おいら貧しい靴磨き、ああ夜になっても帰れない」で始まる『ガード下の靴磨き』の歌が好きだった。
あのサロペット姿のかわいらしいまりちゃんが、肢体不自由児施設「ねむの木学園」を創っちゃったことは驚きだった。
若い日に、子どもたちと指導員、保育士たちの交流をまり子さんが、製作・監督した記録映画『ねむの木の詩』も観たけれど、内容はほとんど覚えていない。
でも同じ頃読んだ、まり子さんのエッセイ集『楽屋の窓から』の一文は鮮明に残っている。

****************************************************************
コーンとなる(チーンではない)、コーンと涼しい音をたてるカットグラスが、私は好きだ。なぜだろう。自分が硬質の人間でないせいか、うすい、もろい、ガラスが好きだ。・・・・・
チェコはさむい国だ。さむいから、硬質のグラスが、似合うのだ。暖かい国なら、土でつくった土器が似合う。
****************************************************************

Mariko ここには、まり子さんが誰とも知らずに踊った相手がチェコのプレジデントだったことが書かれている。今読み返してみれば「ねむの木学園」のことはもちろん、興味深い内容がずらっと並んでいるのに、心に刻み込まれたのはこのくだり。

人は皆、何がしのこだわりがあって感性も多様。
私はまり子さんのこの感じ方とこだわりが好き。
そして自分のこだわりのまま、生きてこられたことに今もやっぱり深い共感を覚える。

「ねむの木学園」のことはよく知らないから、ここにも書かない。
でも新日曜美術館で見た子どもたちの絵は、「実物を見たい」という思いを駆り立てずにはおかないものだった。

そんなわけで猛暑の中、静岡県掛川にある「ねむの木こども美術館」に出かけて行った。
子どもたちの絵は、森の中にあるきのこの形をしたかわいらしい美術館に展示されていた。
ひとつひとつゆっくり見ていくにつれ湧いてきたのは、思いがけず「うらやましいなぁ」という感情。
子どもたちは、まり子さんの愛に抱かれながら、のびのびと自身の表現として絵を描いたんだ・・・。
「独自の美術教育」の中身はちっとも知らないけれど、まり子さんは自分の生きざまと同じように子どもたちにも「感じたことをそのまま、ね」と教えているのではないだろうか。

掛川まで出向いたゴリヤクか、まり子さんのあふれ出て尽きぬ愛のひとしずくは、私のほうにまで飛んできてくれたかもしれない。
うらやましいという感情はすぐに、「私も描いていいんだ」という、こみ上げてくるようなうれしさに取って代わった。
絵が描きたいなぁ、と思いつつ「ヘタだし・・・」としり込みしていたのに、今や描いてみようという気持ちになっている。
感じたことをそのまま、でいいんだ。

『ガード下の靴磨き』のまりちゃん、あっぱれな生き方。
こんな人を小さい時から知っていて、これからも知っていくことができるって、うれしい。

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2007年8月 3日 (金)

河井寛次郎記念館

ずっと前から行きたかった所へやっと行って来た。きっかけのひとつはおひさんさまのブログエントリー、もうひとつはちょっとした下心・・・。
何はともあれ京都五条坂にある「河井寛次郎記念館」はとても居心地の良い空間だった。

そこは、寛次郎さん自身が日本各地(主に飛騨高山)を参考にしつつ、独自の構想のもとに設計し、1937年に建築され住まわれていたおうち。
当日は陽が照りつけうだるような暑さだったけれど、館内はちっとも熱がこもっていない。
1階の広い板間は吹き抜けになっており、中庭に面した窓から風が入ってくる。

1階の陳列室や素焼窯、陶房、登り窯、2階の居間や書斎と、館内のどこにいても何やら落ち着く。
実際、見て回った時間より、書斎の椅子に腰掛け目の前の窓からぼんやり外を眺めていた時間、あるいはいろりの前で寛次郎さん作の座り心地の良い椅子で連れとおしゃべりしていた時間の方が長い。
まるで自分の家にいるかのように気持ちがゆったりしている。いや実際は今風の新築の我が家がかすんでしまうくらいに、きちんと作られた日本の家屋で過ごすやすらぎを実感してしまった・・・。

おうちも住みたくなってしまうけれど、作品もそばにおいて暮らしの中で使っていきたいものばかり。器も例えば切干大根の煮物を入れてもしっくりきそう。
(とはいえ、こんな家に住んで寛次郎さんの器を使うことなど残念ながら無縁・・・)

Kannjirouisu さて文頭に書いた「ちょっとした下心」の話。
実は我が家に古い木の臼がある。親戚から譲られた数十年もの。虫食いや割れがひどいしそもそも餅つきは餅つき機でしている。
置くところがなくなったので処分を迫られた・・・。
そんなところに「河井寛次郎記念館」に臼をくり抜いた椅子があると教えてくれた人がいる。もしや加工、再生のヒントになるかも・・・?

その椅子が画像のもの。琉球臼をくり抜いたとか。いろりの前に3客並んでいるが、腰に負担がかからずとても楽に座っていられる。(しかも下には木製のローラーがつけられているので動かすこともできる)
これは「臼」加工の参考にはとてもできそうにないけど、2階の書斎近くに「臼」らしきものがあった。テーブルとして使われている。う~ん、これはいいかも・・・。

Kanjirouusu
何はともあれ、私はこの河井寛次郎さんのおうちがすっかり気に入った。
今度(秋頃にまた来たい)は本でも持ち込んで、(寛次郎さんになったつもりで)書斎でしばらく読書でもしようかな。

※ 館内写真撮影に関しては住所名前等を書けば許可される。

Kyotogohan
そうそう、近くのおすし屋さんの1350円の「昼定食」がとてもおいしかった。
次は、ここでのお昼ごはんも楽しみにしておこう。

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2007年7月30日 (月)

若者からの選挙速報

授業にサークル活動、かけもちのアルバイト・・・と地方でひたすら忙しい大学生活を送る末っ子からはめったにメールもこない。
「大学生ってホンマ、楽しいねんなぁ」との言葉を聞いていることもあり、近況がわからずとも特に心配はしていない。

ところがその子から今朝一番(AM3:10)に長いメールが届いた。件名は「選挙速報」。
参議院選挙に関する自分の予想と結果、そしてその分析が「デスマス」のレポート調で書かれている。ふだんのメールは大阪弁丸出しのくだけたものだけに、かなり「社会人」としての自分を意識したものか・・・。
「(原爆投下は)しょうがない」という久間氏の発言に同調した先輩にくってかかったいきさつも書かれている。
先輩は自分と同じ教員志望、「明日の教師」がそのような考えであることが許せないとか・・・。

締めくくりは「以上、忙しくてなかなか若者の意見を聞く暇がないだろうから、速報してみました・・・」とある。

確かに母のことをよく知っている。
いつでもどこでも若者の意見や思いを聞くのは大好き。
若者らしいまっすぐな考えを聞いたなら、賛否はともかくそのまぶしさにあやからしてもらっている。
でも、やっぱり我が子となるとちょっと違うかな。
何だか面映いところがある・・・。

その後電話でも少し話したけれど、選挙や政治に無関心、無知な学友が多いらしく「もうすぐに選挙権を得るのにそんなんじゃあかんやろ」と大いに不満そう。
熱い論争を交わしたいのにそうもならない現状、ちょっとだけ母に思いをぶつけたのか・・・?

まぁ動機は何であれ、母はこの「速報」に喜んだ。このようなメールのやりとりができる母子の関係もうれしい。

因みに選挙結果の分析や展望に関しては必ずしも一致しておらず、「投票率が低かったなぁ」という思いだけは共通。

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2007年7月25日 (水)

人間らしい暮らし

どうやら夏風邪のよう、喉の痛みもひどくなりからだがだるい。
昨夜は早めに休み、朝はゆっくり起きる。タイミングよく今日は休日。
熱のせいでもあるのだろう、寝汗がひどくまずはシャワーを浴びる。
その後は好みに合うものを調えてゆっくり朝食。

体調不良の時に衛生的な環境でゆっくり休める。
「人間らしい暮らしやなぁ・・・」と思わずつぶやく。
最近違う場面でも同じように感じた。
余りにハードだった職場のシフトが、幾度か希望を伝えたことと複数の新人(といってもキャリアは私より上の人ばかり)が入ったことでかなり緩和された。
時間的にも精神的にも追い詰められていた状況が反転してきだし「人間らしい暮らしになってきたなぁ・・・」としみじみ感じた。

労働を厭わず仕事もある。元気なときはしっかり働き、体調不良なら休める。
労働時間や賃金は妥当なもので休日も保障されている。
幸せだと思う。

欲しいものもいろいろあるけれど、どれも皆働けば買える程度のもの。元々お金やモノに対する執着は薄いのでその手の欲に翻弄されることはほとんどない。

例えば赤木農相の事務所問題に関しても、やりがいのある仕事もあって使いきれないくらいお金があるのに、何でそれ以上にお金がほしいのか、まったく理解できない。
そんなに「カネやモノ欲」にとらわれていたなら幸せは薄かろうなぁ、とちょっと同情も・・・。(もちろん大臣としては不適任者だと思っている)

話がちょっとずれたけど、仕事があってきちんとした労働対価が保証されるなら「人間らしい暮らし」はぐっと身近かになると思う。
でもこれって、ちゃんと憲法に明記されている。

第25条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第27条
1. すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2. 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

でも、過酷な労働に縛られているわが息子も憲法のことなど頭のスミにもないだろう。
もしかして今度の参議院選挙のことにも、思いが及んでいないかもしれない。
それほど余裕のない暮らしをしている若者が自分の家族にもいる。
何とかしてやりたいし、何とかしなければ・・・。

Taraba
画像は風邪ウイルスに打ち勝つ為の夕食。
手間がかからないものを緑黄色野菜中心に作った。
風邪対策とはいえ、自分の為だけの食事にしてはちょっと豪華かも。(これが豪華と感じられるのは庶民感覚?)
鯛は長崎の天然もの、地元のかぼちゃの煮物、小松菜と茹で豚の辛し和え、ゴーヤのサラダ、デザートは長野のブルーベリーに岡山のマスカットジャム。
国産にこだわったはずが、たらばだけロシア(値上がり前の食べ収め)

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2007年7月18日 (水)

捨てたモノ、買ったモノ

倉庫代わりに使っていたところを明け渡すことになり、置いていたモノたちの取捨選択を迫られた。
取り合えず家に引き上げてきたら、6畳の間からあふれるほどの量。

何年も着ていないけれど未練のある衣料品。
買ったものの使用頻度が少ないので直しこんでいた電化製品。
かさの高い寝具。
家の書庫に納まりきれない本・雑誌。
子どもたちが描いた絵は、保育園で過ごした0歳児から小学校6年生までそれぞれ束ねられており1メートルを超える高さ。
ジャケットがなつかしい箱いっぱいのレコード。
父母のたくさんの遺品。
その他家具や食器などもろもろ・・・。

これらの大部分を処分し始めている。
さらにこの機会に今ある身辺のモノもできるだけシンプルにしよう、と(既に幾度も試みて成功していないが)またもや考えている。
父や母が亡くなった時と同じく、自分が死ねば家の中にあるほとんどのモノはごみになるのだから・・・。
ちり紙と幾つかの小石だけを残したという田中庄造の死に様はあこがれだし・・・。
(もちろん、これは生き様あってのことなのだけど。)

分別に対応したそれぞれのゴミの日に出し続けて、6畳の間の荷物は半分ほどに減ってきた。
でも「あこがれ」に反して、この間にまたもや買い込んだモノたちがある。

一番の大物はWindows Vistaデスクトップパソコン。
動機は、職場の生徒さんで「Vistaを買った」という方が増えていること。
Vistaバージョン、あるいはそれに伴うエクセルやワード2007版を体験しておきたい。
いわば熱い欲望ではなく「勉強の為」に買ったのだけれど、いざ置いてみるとこれがまた魅惑的。
Vistaに関してはあまり芳しい評判をきいていない。エアロ機能で確かに画面はきれいだけれど「それだけ」、といったものもある。総合的には「Xpで十分、買い替えはまだ、待ち」といったものになるのだろうか。
やっとセットアップしたばかりだけれど、確かに画面が美しい。
その美しさは、私にとっては「それだけ」などとは言えないくらいワクワクさせるものになっている。
メインにはまだXpを使っているので、なかなかVistaに触ってやる時間はとれないけれど、Vistaと過ごす?時間を待ちかねている。
結局またもや心(の一部)は新しく手に入れたモノに支配されている・・・。

もうひとつは炊飯器。
子どもが一人暮らしを始めてからは、自分の為だけに炊飯することが多くなった。
保温ご飯はイヤで、3食食べるときには朝、昼、晩と3回炊いている。
2合からしか炊けないので必ず残る。でも冷凍ごはんの電子レンジ解凍は好まない。かといって毎回お鍋で炊くのはたいへん。(とかなりワガママ)

ということで、使用していたものが少し不調になってきたのをいいことに買い換えた。
『通販生活』のカタログにあったもので0.5合から炊ける。
紹介文通り「ひとつぶひとつぶ」の米がふっくらしていておいしい。
おいしいごはんがあれば副菜を作る意欲もまた湧いてくる。
おかげでこのところの食生活はとても充実。

とまぁこんな風に、捨てたものは山ほど、買うものも次々。(おまけに電力が必要なものが多い)
しかもそのモノで「幸せ気分」に浸っている。
う~ん、「あこがれ」とは程遠い生活・・・。

こうしてモノ依存のウワついた生活を送っているのだけれど、このところ国内だけでも続いて発生している自然災害には、やはりどこか水を浴びせられる思いがある。
とりあえず欲にまかせたモノばかり追いかけず、「非常持ち出し用のモノ」を至急にそろえよう。
「幸せ気分」など、地球のほんの小さな営みで根底からひっくり返されちゃうものなのだということは肝に銘じておかねば。

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2007年7月11日 (水)

「下地勇」コンサート

年に一度開催されるある社会福祉法人主催のチャリティコンサート、近隣で生エンターテインメントを楽しめる数少ない機会。今年も半休を取ることができて、ヤレヤレ・・・。
(といっても8日の日曜日の話)
毎年の出演者は、実力に加えてある程度の集客が見込まれる知名度、さらに限られた予算内で快諾してくれそうな人・・・?
いずれにしろ企画の段階からの主催者の方々のご苦労は、「さぞや」のことだろう。

今年の出演者は、宮古島方言(みやくーふつ)で歌う「下地勇」さん。
かろうじて名前を知っているだけで、聴いたことがなかった。
進行は例年のように
1部として「障害のある仲間たちとボランティアのうたごえ」
舞台いっぱいに、お揃いのかわいいTシャツを着用した知的障害者たち、その後ろにボランティアの方々。
大きく口をあけての歌唱する人、リズムに合わせて身体を揺らしている人、立っている人・・・、表現の形がさまざまな人たちがひとつの舞台を作り上げている。
たいていの人たちの顔が誇らしげであることが、その「表現の場」に居合わすことができた私をも誇らしい気持ちにさせてくれる。

2部はいよいよ下地勇さん(とパーカッションとピアノの人・・・名前、忘れちゃいました)の登場。
すらっとした今風の男前。チャリティコンサートにしては珍しく開場1時間以上も前から「おっかけ」らしき人中心に列ができていたというのも納得。
顔もいいけど、さらに声がいい。
ギターを鳴らしながら、伸びやかに澄みエネルギーにあふれた声を会場に響き渡らせる。
でも・・・歌詞はちっともわからない。
(宮古島の方言で歌う)「彼の歌を聴いて100%理解できる人は、地球上に3000人程度しかいないと言われている」とプロフィール紹介にあった。
その発音は時に日本語風であり、ドイツ語風であり、セネガル語風でもある・・・。
そのまったくわからない言語でジャズ、ボサノバなどにもアレンジして聴かせる。
またあるいは、最愛の「おばぁ」が泣きくれた日(おじぃが亡くなった)をしっとりと。
あるいは、自分の子が誕生したときに感じた「命」を誇らかに。

そのどれも気取った調子がなく、ストレートに聴くものの心を弾ませ、染み入らせていく。
それは歌手としての実力に裏付けられた「下地勇」の内面性でもあり、不思議な言語を操る(とはいえ、たくさんの人にとって不思議でも下地勇には幼いときからの言語)魅力ゆえでもあるのだろう。

アーティストとしても楽しませてもらったけど、素朴でやさしくそれでいて熱い1人の若者として魅力十分。
活動の中心は沖縄のようだけど、機会があれば是非またライブに参加したい。

というわけで今年のチャリティーもどうやら大成功のようす。関係者の皆様方、お疲れ様でした。

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2007年7月 2日 (月)

おしゃべりの場で「慰安婦」のことが。

女同士の集まりで、米下院外交委員会が採択した「慰安婦」問題の話が出てきた。
「アメリカなんかに言われる前に、さっさと解決してほしいわ!」には同感。
少し気になったのは「でも、戦争中はいろいろあったし、『慰安婦』のこともしかたないのと違う?」という発言。
私も含めて皆戦後生まれだけれど、似たような言葉は親の世代からもしばしば聞いた。
実際に「地獄」を経験した人たちで「あんな悲惨なことは2度とごめんや」と言いながらも、具体的に起きたひとつひとつのことは「戦争中のことやったから・・・(しかたなかった)」と受け止めている。

マスメディアがなかなか取り上げないといっても、韓国や中国などの元「慰安婦」の人たちの訴えを見聞きしている人はたくさんいると思う。
(それにしても今日などラジオニュースを聞くたび「久間氏の発言」関連が取り上げられている。この発言は確かに許せないことだけれど、いつもながら戦争により「受けた被害」には敏感で「与えた被害」には鈍感な報道や世間の反応にちょっとげっそり)

「拉致され性的暴力を受け続ける」という心も身体も踏みにじる恐ろしい行為に対して、世間の関心は余りにも疎い。
その原因のひとつに「戦争中のことやったから」があるのだろうか。

久間氏の発言を持ち出すまでもなく「しかたない(しゃあない)」は、実際は決して「しかたなくない」場合が多い。というより「しかたない」ですましてはいけない場合がほとんど。

手元にある子どもの高校社会副教材テキストは、なかなかおもしろく時々ページをくる。
ここにある従軍慰安婦」問題項目の解説は以下の通り。
【日本軍兵士による婦女暴行が問題となり、軍は慰安所を設置するようになった。朝鮮人女性を中心に、そのほかのアジア太平洋地域から、さまざまな口実をもうけて、多くの女性を勧誘、または強制連行して「従軍慰安婦」とした。1991年、旧日本軍の資料から、「従軍慰安婦」の動員に軍が組織的に関与していたことが明らかになった。】
とあり、その資料写真も添えられている。

既に「強制性」は明白になっていたはず。
「慰安婦」にさせられたことはしかたのないことではないし、
そもそも戦争自体がしかたのないこと、ではなかった。

戦後教育を受けた自分たちも、どうやら先の戦争や歴史に対しての認識が相当甘いよう。
でも「しかたがない」と思っている人がその通り発言できることはとても大切。
(大臣じゃ、とても許されないけど・・・)
実は、ペチャクチャおしゃべりの場で、「慰安婦」の話がでてきただけでもうれしい。
思いを伝え合う一歩、だもの。

朝顔
画像は、毎朝ひっそりと咲いている小ぶりの朝顔。
5月に種を蒔くと、すぐに芽が出て葉が茂り、つるが伸びて(まるで『ジャックと豆の木』のような勢い)花が咲いた・・・。
藍絣のようなきりっとした文様がとても気に入っている。

昨年、ある人のブログの画像で初めてこの朝顔を見た。
コメントを寄せたら(他の縁もあったのだけれど)、種をとる季節になった頃、何と送ってくださった。
ご好意に応えて、無事に育たせることができるか・・・?
不安もあったけど、この通り。我が家の小さな花壇の1画を彩ってくれている。

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2007年6月13日 (水)

リビングの白い天井に虫がぞろぞろと・・・

昨夜のこと、ふと天井を見上げると、リビングの大きな照明の周りに小さな虫が無数にいる。
蚊とはあきらかに違う記憶にない3ミリくらいの黒くて丸っぽい虫。動きは鈍いし人に害を加えるようなようすも見えない。
突如として出現した半端な数ではない虫たちはいったいどこから?

すぐに対応しようとしなかったのは、殺生を避けたわけではなくて・・・こわかった。
発生源が不明なまま、とりあえず帰宅した夫が掃除機で吸い取り虫の姿はなくなった。
ところが今朝・・・今度は台所の窓付近に同じ虫たちがぞろぞろと・・・。

この時点で原因が判明。
その瞬間も、小豆を入れていた紙袋から虫たちが這い出してきていた・・・。
(「ゴメンナサイ」と言いつつ中も確認しないで(その勇気がない)、そのまま二重の袋に入れ捨ててしまった)

小豆は夫の実家から頂いたもの。
梅雨前には冷蔵庫に入れるべきだった。
高齢となり今は米作りをしていないけれど、かつては定期的にお米もいただいた。
梅雨の時期になると必ず虫が発生して、陰干ししたり(虫がぞろぞろと逃げていく)取り除いたりの作業は必須。
その米虫の形状が気持ち悪く虫嫌いの私はこの作業は恐る恐る・・・だった。
同じくいただいたじゃが芋も日にちが経つと芽が伸びだす。数ヶ月経ってしまうと、先に赤っぽい色を帯び長く伸びた白い茎は芋よりはるかに存在感を増す。
それはまるでウルトラマンストーリーに出てくる怪獣のようなブキミさと迫力・・・。
さすがに捨ててしまうわけにはいかず、ビクビクしながら芽(怪獣風の)を包丁でえぐり取る・。

若い友人の一人は買ったキャベツに青虫がいたと、八百屋に抗議の電話をかけた。(店は謝って商品の交換をした)
「それは低農薬で作っているということやから、文句いうこととちゃうで。」などと諭したものの、実は私は虫類が苦手。
青虫も一匹くらいは大丈夫だけど、何匹も取り除いていると次第に気分が悪くなり顔も色を失ってくる・・・。

今の市販の豆類や米はまず虫はわかない。
じゃが芋もめったに芽がどんどん伸びるということにはならない。
科学処理をしているのだろうか?
(芽の処理には放射能を使うとは何かで読んだ)

なるべく低農薬、有機栽培ものを素材としたい、と思いながらもそれにつきものの虫や"芽"が恐ろしい・・・。
う~ん、軟弱。

晩御飯
画像は虫とは全く関係なくて「一人の晩御飯」
黒豆おこわとゴーヤチャンプル、アスパラとえび、たこのオイスターソース炒めにじゃが芋のバター焼き。
なかなか自分の為だけに調理する気にはならないけれど、今夜は簡単なものを作った。
手抜きし続けていたら、かなり体重が落ちてしまったので要注意。
黒豆ごはんは法事用みたいだけど、ふっくら豆ともち米の組み合わせはとてもおいしい。雑穀もたくさん混ぜた。
炊くのは圧力鍋。同じくじゃが芋も圧力鍋でふっくら蒸してから焼いた。
小さいビールも一缶つけて、「一人の晩御飯」は大満足!

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2007年6月 5日 (火)

「信心」のような感覚?

ブログに向かい合う時間は楽しみのひとつ。
書くことが好きだし、何よりパソコンの向こうにつながりを感じる人たちがいるから。
とはいえその楽しみも「お預け」の日々がほとんど。
新しい仕事についてからキャリアアップに全力を傾け、詰め込み学習と体当たり的実習に多くの時間を費やしてきた。
ちょっぴりその成果が出てきたのか、近頃少しは気持ちの余裕をもって仕事に臨む事ができている。
「撤退」を考えたとき、経営者とじっくり話し合ったのも良かったのかもしれない。
でも、力量はまだまだまだまだ・・・不足。
当分は、ブログ更新も含めて「楽しみ」は学習の合間に、ということになりそう・・・。

さてその快調(というほどではないけれど・・・)を支えてくれているものの一つが前回エントリーした赤いiPod nana。
実際のところ、そのきれいな色はちっとも自分に似合っていない。
ペンダントのように胸にたらしたiPod nanaで音楽を聴きつつ、通勤の為の自転車をこぎながら「(似合わないのに)赤を選んだことにちっとも後悔がないのはなぜだろう?」と考えていた・・・。

職場につく頃、思い当たったのは「これはお守りのようなもの」ということ。
似合う、似合わないという現実的な対象ではなく、身に着けているだけで見守られているようなやすらかさがある。
そのやすらかさで、さらに包み込んでくれるのが流れてくる音楽。

信仰心がないせいか今まで「宗教」というものが実感をもって理解することができなかった。
もしや宗教とは、このやすらかさをもたらす「お守り」のような存在のことなのだろうか?
「聖典」と呼ばれるものは流れ出る音楽のようなものなのだろうか?

「赤」を身につけることになったのは、そもそも子どもがその色の時計を選んでくれたから。
赤いiPod nanaにやすらかさを感じるのは、その子の自分への思いを確かに感じているからなのだろう。
「愛される」ことは、「愛すること」と並んで人にとって何よりのやすらぎ。
でも例え家族どうしでも人の心は変化するもの。
「絶対的な愛」を抱き、抱かれる存在として人は神を必要とするのだろうか?

う~ん、何だか、今までちっともわからなかった宗教の原点のようなものが見えてきた気がする・・・。

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2007年5月28日 (月)

思った以上にきれい! 赤いiPod nano

「買い物」は嫌いだしモノへの執着は薄い方だと思うけど、時にどうしても欲しいものが現れる。
今回も買うべきか見送るべきかそれなりに葛藤はしたものの、自分に甘い本性。買ってしまった・・・。
それは真っ赤なiPod nano (PRODUCT) RED。ちょうど休日の今日に宅配で送られてきた。
購入金額の一部が直接「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」に寄付されるらしいけどそれは購入動機に全く関係なし。
色に惹かれた。

iPodnano
先月、一人暮らしで学生生活を始めようとする息子が家を出るに当たって、時計をプレゼントしてくれた。おもいがけず色は赤。
赤を身につけることはまずないのに、なぜ息子は母に赤を?
(しかも秒針の先が丸くなっていてかわいい。)
自分ではまず選択しない色とデザインながら、身に着けてみると案外しっくりくる。さらに日が経つにつれて「赤」の美しさに魅入られてきた・・・。

そんな時に見つけてしまったのが赤いiPod nano。
iPod mini(これはグリーン)を既に所有しているのだから贅沢、と自分に言い聞かせてみたものの「時計とお揃いで身に着けたい」という欲望は静まらない。

というわけで曲も収められ既にわが手にある。
合わせてnanoを装着し首からかけることのできるLanyardヘッドフォンも購入。
miniも自転車に乗るときに利用することがほとんどで、ポケットのない服の時は使いにくくコードがからむことも多かった。
真っ赤なnanoをペンダントみたいにぶら下げるのはちょっと気恥ずかしいところもあるけど、試してみると使い心地は非常に快適。
今までもminiで仕事の行き帰りに音楽が聴けることで随分気持ちがほぐれていた。
明日からは真っ赤な色のアイテム2つでさらに心軽くなりそう。
そう感じられると「贅沢ではなかったかも・・・」とちょっと思えてきた。

ぐみ
もうひとつ赤いお話し。
我が家にびっくりぐみの実がなった。
画像だけ見たら、まるで大きな庭にすっくと立った立派な木のよう・・・、でもないかな?
実際は小さな花壇、去年植えた50センチ余りの木が実りをみせて、日に日に濃い赤に色づいてきた。
「びっくりぐみ」のわりには小粒だけれどおいしさはさすが。
甘みが強く酸味と渋みがほとんどない。
といっても残念ながら日常においしいものをあふれさせているから、かつてに比べるとこの素朴な味わいの美しい実に対する愛着は薄くなっている。
見て楽しまれるだけでは、ぐみも「実のなり甲斐」が無いことだろう。

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2007年5月22日 (火)

「豆」3種

おなじみになったあちこちのブログをのぞかせて頂く楽しみもなかなか果たせないくらい、ちょっとくたびれてきちゃったかな。
ここにきて仕事に関しての負担が心身共にずっしり。
原因のひとつは唯一の同期新人が辞めちゃったこと。
「学習していくことが多過ぎるし、プレッシャーとストレスで自分を失う・・・」と理由を話して、私一人残すことを?何度も謝ってくれた・・・。
驚きと寂しさ、そして「何だか先を越されちゃったなぁ~」とちょっぴりうらやましさも。
私より一回りも若い男性だったし、そこまで追い込まれていることにちっとも気がつかなかった。何も力になれなくて私の方こそ「ゴメンナサイ」・・・
とはいえ、彼と分担していたことのほとんどが私に降りかかってきている。
このままでは自分も彼と同じ選択(前向きな決断としての)をするかもしれない。

3mame
とりあえず元気付けるには「食」。
タイミングよく好物の「豆」三種が届いている。
まずは焼き?落花生。黒く焼き色がついているから直火で焼いているのかな?
甘く香ばしく止まらないおいしさ・・・。
冷たいビールと落花生でちょっと元気を盛り返したところで、えんどう豆の皮むきに取り掛かる。
これは昨夜に採れたてをどっさりいただいた。
迷わず夕食をえんどうご飯に。あとはさっとゆでて冷凍。

食後には取り寄せたフェアトレードによるコーヒー豆をゆっくり味わう。
コーヒー豆はもう十数年も同じ店の同じ銘柄のお気に入りばかりだったものを、思い切ってフェアトレード商品(ネットで購入)に切り替えた。
といってもおいしくなければ続かない。
「満足できる味わいですように」と念じながらハイチのコーヒーをたてた。
結果は○。
(以前までの豆は◎だったことは忘れよう・・・)

さてさておいしい「豆」づくしでリフレッシュのあとは、ちょっとブログにおじゃま。

定期的に読ませていただいているブログの書き手からは、共通して生きることへの謙虚さを感じている。
もちろんそれは「遠慮がちに生きている」ということではなく、「生」を与えられていることの感謝の念とまっとうしようとする真摯さのこと。
自分の「生」も大切、同じように人の「生」も大切にしていること。

ネットでつながることのできることの不思議さとありがたさは大いにありけれど、やっぱりえんどう豆をおすそ分けしたり、おいしいコーヒーを一緒にいただけない、のはちょっと残念・・・。

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2007年5月16日 (水)

拭き清める気持ち良さ

仕事はシフト制なので終了時間は日によってまちまち。でもいつの日も終わるとすぐ手にするのは雑巾2枚。水で絞ったものと乾いたもの。分担はあるものの毎日掃除する必要はなくて、これは自分の「楽しみ」。
パソコンもインストラクションも好きだけど、やはり仕事の締めくくりはしっかり「身体」を使いたい。
特にスクール入り口ドアの大きなガラスを拭くのが好き。
背伸びをして上の方まで手を伸ばし、あるいはしゃがみこんではリズム良く力を入れて拭き清める。
正に身体が働いていること、そして自分の手によって美しくなっていくことを実感できる。この「手応え」こそ充足感。
そして不思議なことに毎日自分の手で拭き込んでいると、次第にその「ドア」に愛着が湧いてくる。
人と人とのつながりを感じるように、人と「モノ」のつながりを感じるのはこんな時。
パソコンでも同じ。画面を見つめてキーボードからいくら入力しても、特に思いは湧くことはないのに、毎日そのディスプレイを拭き清めてやると何だか愛しくなってくる。(液晶ディスプレイは拭けないのが残念)

家でも拭き掃除はよくする。掃除機は嫌いで時々しか使わない。(うるさいし、かけ終わっても充足感がない)
雑巾をバケツでゆすいではギュッと絞り、這いずり回って床を拭く。これが実に気持ちいい。
洗濯も同じ。全自動は必需品ながら好んで手洗いもする。

パソコンを始め機械や道具に囲まれ便利で快適な生活をしていても、身体や手をしっかり使う気持ち良さや充足感が退化していないことがうれしい。

もっとも忙しすぎる職場では「掃除」を楽しむ余裕など誰一人ないよう。
勤務時間を終えてから掃除にいそしむ私の姿は「奇特な人」としか映っていないような・・・。

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2007年5月 6日 (日)

のんびりと過ごした連休

朝から静かな雨音が聞こえてきて、レースのカーテン越しに見える外の風景にはグレーがかかっている。
お出かけ予定の人には悪いけど、連休の締めにありがたい空模様。
ゆったりと流れる時間をさらに落ち着かせている。

待ち焦がれた4連休にやりたいことはいっぱいあった。
結局1冊の本さえ読めずに過ぎようとしているけど、ふだんは忙しい状況で、ひととき制約のない時の流れに身をおいたことで、「自分が何を大切と感じているか」に向き合えたような気がする。(おのずと自分の中にある優先順位順に動いたから)

今朝一番、穏やかに落ちる雨の下に家中の(といっても少ししかないけれど)観葉植物をしばし置いてやった。葉っぱにうっすらついたホコリを落としてやると緑が輝いた。
ずっとしてやりたいと思いながらできずにいたことのひとつ。

地方で一人暮らしをしている大学生の子が帰ってきていた。
2日半いただけだけど、こまめに家事を手伝い朝もきちんと起きてくる。
生活リズムの良い日常がうかがえる。
実際、授業もサークルも、始めたアルバイト(塾の講師)も楽しいとのこと。

若い子がいるだけで空間は活気を帯びる。若者が若者らしくあることに深い安堵感。これは決して我が子だから、というものではない。次世代に「安心」を感じることこそ、自分の世代が安らかに去りゆく(死んでいく)要因だとは以前から考えていた。
久しぶりに「若者」を身近に感じて、さらにその思いを確かにした。
とはいえ、現状は今の若者たちや取り巻く状況に「安心」と正反対な感情が湧くときも多い。自分(の世代)の役割はまだまだ残っているとも思う。

連休中の一大イベント?は夫の両親を招いたこと。
自分の親をさっさと亡くしたこともあって、「喜んでもらえることをできる内に」という思いは強い。
たいしたおもてなしはできなかったものの、よく飲みよく食べよくしゃべりとても楽しそうに過ごされた。
「嫁」という自覚は乏しいけれど、義父や義母のうれしそうなようすを見て「いい時間をもったなぁ・・・」と満足。
手土産にいただいたのは義母が丹精込めて庭に咲かせた真っ白なカラー。(画像のもの)
カラー

それから、汚れが気になっていた床も拭き込み、常備菜も幾品か作りおくことができたかな。

どっぷりと家庭、家族の心地よさにつかり心身とも弛緩させておられるのもあと少し。
明日からはまた緊張した時間が始まる。
その「明日」から逃げ出したい気持ちがないこともないけれど、「よし、がんばるぞ」との思いがちゃんとある自分に安心。
前向きな気持ちで取り組める仕事があることは、本来喜ばしいことのはずだもの。

時にゆったりと時に緊張をもって・・・、そのような平和な日常が何より愛しい。
世界中のどこに住む人でも営んでいる日常、それがすべて平和なものであってほしい・・・。

この1日だけ町に出たのは映画鑑賞の為、十三の第七芸術劇場へ。
観たのは『約束の旅路』。盛り込まれたテーマは幾つもありひとつひとつが重い。
これは近いうちに感想などエントリーしたい。

さて、皆様の連休はどんなごようすでしたでしょうか?

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2007年5月 1日 (火)

身近にいるプレカリアートたち

ある会社の正社員である若い友人と時々会う。
彼女はアルバイトから正社員に採用されて数ヶ月しか経っていないけれど「アルバイトに戻してもらおうかな~」と本気で考え込んでいる。
曰く「正社員とアルバイトの待遇は社会保険があるかないか、だけ。有給もボーナスもない。一方、仕事内容では正社員は本来業務以外のものがあまりに多い。」

「プレカリアート」という新しい言葉の認識は追いついてはいないようだけれど、実態は既に、[収入や就労のみならず生活条件全般に不安定さを強いられている人々]と定義される若いプレカリアートがあふれているよう。
我が家の長男もその一人。
正社員として真面目に一生懸命働いているものの、過酷な長時間勤務。仕事に振り回される日々でありながら将来の展望はまるで見えない。

今の若い人たちを取り巻く状況にため息をつくばかりだけれど、昨日読んだ日刊赤旗紙の一面にあった雨宮処凛さんへのインタビュー記事はたいそう興味深いものだった。
少し抜粋させていただく。

「・・・フリーターになりたくてなったんじゃないのに、貧乏でモノ扱いされて。正社員になれたらなれたで、うつ病になるぐらい長時間労働。しかもそれを自分の責任だと思って自分を責めて自殺してしまう。社会に対して怒ることすらできない、それすら奪われてるんです。
 まさに憲法25条の生存権の問題です。・・・競争第一で、生産性のないやつは生きている価値がない、というメッセージを社会全体が発してる。・・・」

以前のエントリーで「今の若い子たちが、『こんな社会はまちがっている!』と考えない、大きな声を上げない、変えていこうとしないのはなぜなのだろう?」と書いたことがある。
それは、雨宮さんが言うように「社会に対して怒ることすらできない、それすら奪われている」からなのだろう。
それでいて「奪われている」ことさえ気がつかない・・・。

自分たちの老後にも不安がある、でもそれ以上に若い人たちが希望や展望を感じられない社会であることがさらに深刻な不安。
ただ、雨宮さんもその一人だけど、傷つきながらも必死に生きて(何度も自殺未遂はあったようだけど)、体当たりで何かをつかんでいくのも若者。
「若者の力」も信じていたい。

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2007年4月29日 (日)

元気の元

ここしばらくはかなりハードな勤務。
昨夜も仕事が終わればぐったり。
とはいえ夫が家で夕食をとる土曜日なので、遅い時間ながらあれこれと食事作り。
これまた遅い時間に帰宅した夫と二人で食べ始めるが、どうやらそこで元気は尽き果てたよう。
座っておられないくらいの疲労がどっと押し寄せてきて食事半ばで床にもぐりこんでしまった・・・。
何時間くらい眠ったのだろうか。
ふと目をさますと夫が枕元に座り見下ろしている。
「疲れてるねんなぁ~。そばにきたのも気づかずにずっと眠ってたよ」と言いながら、子どもにするように頭をそっと2、3回なぜてくれた。

年を重ねるにつれ身体の疲弊はごまかしようもないけれど、心はくたびれ果ててしまうことはない。
いつもどこかで誰かのやさしさを感じて立ち直ることができている。
特に、共に暮らすパートナーである夫の穏やかなやさしさに支えられた場面は数え切れない。

さて、とはいえ「気持ち」だけでは元気になれない、というのも確か。
ということできょうはちょっと豪華な外食。日曜日は仕事終わりが少し早いので時間も気持ちも余裕がある。
運動不足解消為のウオーキングも兼ねて、「知る人ぞ知る」とてもおいしい地元の川魚料理の店へ向かう。
1年に1度くらいしか行かないけれど、20年くらい前に初めて食べた時の満足感を裏切られたことはない。
鰻定食
鰻定食は、まったく泥臭さを感じさせない鰻の蒲焼に鯉の洗い、上品な味に仕立てられた肝吸いとご飯、香の物。素材から選んだ手抜きのないいかにもプロの味わい。
(それでいて価格は抑えてある)

すっかり胃袋を満足させて(身体の健康はまず胃袋から!)店を後にする。
今や「おじいちゃん」のご年齢になった店主(調理をされている人)は「お気をつけて」と最後まで見送ってくださる。
(自分の仕事でも戒めていることだけど、「お疲れさま」などと声をかける時は相手の目を見て、心からの言葉を伝えてこそ、だと思う)

絶品の腕をもつ「へんこな(いわゆる職人気質といわれるもの?)」調理人も嫌いではないものの、ちょっと疲れた時にはおいしい料理とやさしい笑顔は何よりごちそう。
(やさしい人が作るからやさしい味がするのかな?)

今度行くのはまた1年後くらいかもしれない。どうぞ川魚料理のおじいちゃん、お元気で末永くお店を続けてくださいますように・・・。

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2007年4月23日 (月)

今日この頃

心にとまることはいろいろあるのに、じっくり思いにふける時間がない。文字にしようと思っても言葉が出てこない・・・。
そりゃそうだ、毎夜夢にでてくるのがWORDの検定用問題を解いている場面なのだから・・・。
WORDの検定対策勉強をされた方はご存知だろうけど、通常の文書作成では使わない機能が次々と出てくる。
(受験時代を終えて大人になってからも、「受験向け勉強」をしている人がいっぱいいることを改めて知った)
この種の問題は独特の傾向があり、教える側にとっても何百という問題を一通りこなしておかないと対応できない。
というわけで、ひたすらインストラクションの間に問題を解き続けている・・・。

そんな“WORD漬け”の頭と心にも昨日の高知県東洋町の選挙結果はとてもうれしく感じた。原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致に関する是非を問うた出直し町長選。
もっとも忙しさにかまけて具体的なことをほとんど知らずに、ただ町民の判断を祈るような気持ちで待っていた。

原発に頼らないエネルギーを、と思いながらも現実は電力をふんだんに使う「便利で快適」な生活にどっぷりつかっている。関西電力では既に原発による供給は50%に近いらしい。
原発がある限り「高レベル」と言われるくらい莫大な量の放射能を含む「ゴミ」は大量に出続けるし「最終処分」する地も必要となる。
それでも、東洋町に高レベル放射性廃棄物の最終処分場になってほしくはなかった。
かけがえのないふるさとを放射能で汚してまで、「便利で快適」な生活を送る自分たちの尻拭いのようなことをしてもらうようでいたたまれない。

とはいえ私の心配などよけいだったよう、町民が下した判断はいかにも明確。
「町に核のゴミは受け入れない」というものだった。
(それでも対立せざるを得なかった小さな町で共に暮らす町民たちの苦悩は計り知れないだろうし、できてしまったしこりもすぐに氷解するとは思えない・・・)

とりあえず、やれやれとその結果に胸をなでおろしたものの、ではその「放射能のゴミ」を自分の町で受け入れる気があるのか?と言えば、それもはっきりNo!
わが町に処分場誘致の話などが起きれば何をおいてでも反対運動に参加する。
もちろん青森県六ケ所村や原発のある地で保管しておいてほしいという気持ちもない。

結局「最終処分場」に適当な場所などないのだろう。
それならまず「便利で快適」な自分の生活を見直すしかないということになる。
もちろん国には、大きな危険をはらんでいる上に先行きが見えない原発に頼らないエネルギー政策に真剣に取り組んでもらいたい。

今はちょっと忙しすぎるとはいえ、平凡に過ぎる日常は限りなく愛しい。
原発や高レベル放射性廃棄物はその日常を根底から覆す存在のように感じて、怖い。

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2007年4月17日 (火)

「肩たたき」今むかし

町に出たついでに、目的があってあるビルを目指した。

そこの地下2階に今はやりの「リラクゼーション・マッサージルーム」があり、はやっている。開いた入り口からお揃いの半そでポロシャツを着たたくさんの従業員と客が見える。
だいたい1時間あたりで6000円くらいになる料金(15分刻みくらい)。
(おそらくパート従業員である)マッサージをする人の時給はいくらくらいなのだろうか・・・?などと思いながらそこは素通り。

5年に1回くらい?特別な日に温泉入浴後、マッサージ師にほぐしてもらう。当たり前だけどプロの腕前で実に気持ちがいい。でも「手軽だし気持ちがいいだろうなぁ」とは思いつつ「リラクゼーション・マッサージルーム」には足が向かない。

子どもが小さい頃よく肩たたきをしてくれた。母の日に「肩たたき券」をもらったこともある。小さな柔らかい手ではこりは解消されなくても、その気持ちがうれしいせいか症状は改善されたように思えたものだ。
時に夫もしてくれるし、自分で道具を使って「トントン」とほぐすこともする。

私の中では、「肩こり」も「肩たたき、肩もみ」もこうした日常の風景の中にある。
その「日常の風景」にお金を支払って「見知らぬ他人」に施される「リラクゼーション・マッサージルーム」はどうも気持ちにそぐわない。

とはいうものの現在の肩こりは相当ひどい。パソコンのキーボードばかりたたいているし、このところストレッチや運動もまったくしていない。
というわけで・・・実はお目当ては「コインマッサージ」。
「マッサージチェアー」が置かれているフロアーがあり、30分もすれば実に気持ちが良いと友が薦めてくれた。
(もちろん、この「日常の風景」に入ってくるのが「機械」ならばOK、というわけでもないのだけれど・・・。)

何はともあれ30分間、ほぼ全身に機械によるマッサージを受けて、身体のこりは少しは解消されたように思う。
自分の「心」に満ち足りた感情らしきものが何もないのは、相手が機械だから当然か。

それにしても「リラクゼーション・マッサージルーム」や「マッサージチェアー」は便利だけれど、それに頼ってしまう暮らしって貧しいなぁ・・・。

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2007年4月13日 (金)

若い子たちの「自分が悪い」という考え方

朝から晩まで職場に詰めている日常だけれど、これは自分の意思。拘束時間の実質は8時間にも満たない。インストラクターとしてのキャリアも実力もないので、職場で自主的に学習しているだけ。
(もっとも飛び飛びの時間にシフトが入り、最終が遅い時間帯になることが多いので早い帰宅はなかなか望めない)

もし業務命令で長時間拘束が続いたなら私は黙って従うことはしないと思う。
体力ももたないだろうしストレスも相当なものになるからだけど、何より「長時間拘束はおかしい」という認識がある。
被雇用者として職務全うに努力する義務を感じているのと同じように、自ずと雇用者にも義務を果たすことを求めている。

ところが長男にそうした考え方は乏しい。
やっと社会人2年目に入ったばかりだけれど、早朝から深夜までの勤務が続いている。
時に不平を口にするものの基本的には「自分が仕事に対する要領が悪いから時間がかかる」と考えている。

このように、長男によらず若い子たちが「自分が悪い」という考え方をすることがとても気になる。
組織や仕組みを見ようとせず、個人や自分にものごとの原因をあてはめてしまう。
結果的に自分、あるいは他の人を追い込んでしまう。

私も若い頃から自分自身や置かれている状況に満足できず自分を責めることも多かったけれど、その原因が(自分も含めて)個人に起因することばかりではないことはよく知っていた。
だから社会の仕組みや政治にも無関心ではおられなかった。

たとえば真面目に一生懸命働いて、かろうじて生活できる賃金はあっても睡眠や食事時間が十分取れない。余暇も楽しめず仕事に関するスキルアップもできない。
それが、努力が足りないせいだとか、生きていく為にはしかたがないから頑張るしかないなどとは私にはとても思えない。

そんな状況に置かれている若い人たちが「こんな社会はまちがっている!」と考えない、大きな声を上げない、変えていこうとしないのはなぜなのだろう?

Spring_1
画像は、ほったらかしでも咲いてくれた花壇の花たち。

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2007年4月11日 (水)

高校の現国教科書を楽しむ

この春高校を卒業した子の現代国語教科書を何気なく手にとって、そのおもしろさにはまっている。
「随想」「小説」「詩歌」「評論」などの分野に分けられ作品が網羅されている。教科書に載るだけあって、さすがに作者の名前は聞き覚えのある人ばかり。ただ作品となると明確な記憶が残るものは少ない。
おぼろに残るイメージから興味を引くものから順に読んでいる。
内容のおもしろさはもちろん、子どもが引いたたくさんの下線や書き込みも合わせて楽しんでいる。
自分もそうであったように、高校生たちはまずは受験対策の対象として教科書の内容を捉えているのだろう。
下線や書き込みは、心に残った部分ではなく試験のポイント部分であることは少し残念だけど、それにしても17や18歳という多感な青年期の子たちがどのようにさまざまな名文を受け止めたのだろうか、などと思いが巡るのもまた楽しい。

さて、一番に目をつけたのが大岡昇平氏の『俘虜記』。これは前後に「あらすじ」をつけた部分記載。
読みそびれていただけにあらすじ共々じっくり読ませてもらった。
でも、ここに下線や書き込みが何もない。どうやら授業では飛ばしたようす。
「うーん、不満」、とはいえ載っているのだから読んだ子どもたちも多いことだろう。

次は丸山真男氏の『「である」ことと「する」こと』。タイミング良く出会えたと思えた文章なので、長くなるけれど抜粋して書きとどめておきたい。

「・・・日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、・・・つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。」
「・・・私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由であり得るということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって厄介なしろ物だといえましょう。」・・・

1960年代に書かれた著書のようだけれど、今まさにその「国民が主権者であることの危機、自由であることの危機」は迫りつつあるのかもしれない。

ところで、この丸山真男氏の評論も授業では飛ばされているよう。
もったいないなぁ・・・。

手にとってもずっしりと重いこの教科書、しばらくは愛読書となりそう。

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2007年4月 9日 (月)

そしてまた一人、巣立っていった。

昨日は少し年の離れた末っ子の引越し。
他県での大学生活をひとり暮らしで過ごす。
経済的な意味では自立ではないけれど、親としては「一人立ちさせた」という感覚が強い。
生活力を感じさせる子だからかもしれない。
引越しの前の晩には、忙しく調理もままならない母親の為に二つの鍋いっぱいに切干大根とひじきを炊いてくれていた。

我が子であっても、「子ども」というまか不思議で輝くような存在自体「授かりもの」という感覚が強い。
時に自分の命より愛しいものだけれど、決して自分のものではない。

子どもを巣立たせるにあたっては、どこか「無事に育ちましたのでお返しします」という心もちがある。
まずは大人として任を果たしたことの安堵。
次には、目の前から存在が消えてしまうことの寂しさ・・・。

いつかその日がやってくるのはわかっていたけれど、それはアッという間。夫と二人きりの生活になった・・・。

さてさて、かといって沈んでいるわけにはいかない。
この春、新しい生活を始める若者たちみんなに熱いエールを送ろう。

そして「子育て」という大役に一区切りつけた自分にも小さなエールを送ってやろう。

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2007年3月23日 (金)

どうして茎が短いの?

まだ寒い時期から家周りを華やかにしてくれていたお花たち、フリルパンジーやプリムラジュリアン。
パンジー
色彩にくすみが出てきて、そろそろ春のお花と主役交代。

秋に植えた球根は数十球。順調に芽を出しつぼみもふくらんできた。
ところが・・・茎が伸びないものだらけ。
チューリップやアイリス、名も知らぬ花たち・・・、そのほとんどの茎が短い。
チューリップとアイリス

???
ガーデニング初心者としては原因不明、対処方不明。
まぁ、こんな花もあってもいいか、と「個性」として愛でている。
とはいえ、花たち自身は不本意かもしれない・・・。

この春のお花たちには申し訳ないけど、(情報を集めて)来年には「スクスク」伸びる花にしてあげるからね。

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2007年2月20日 (火)

「ボクが受かったから、あいつは落ちたのかもしれない」

先日、高3の子が受験した私立大学の合格発表があった。
翌日には速達で、合格通知書と入学手続き関係書類が送付されてきた。

昨年末に最高裁が出した統一見解によれば、3月末までの入学辞退であれば授業料は返還が認められるが、入学金については大学側に返還義務はないとのこと。
送られてきた書類もそれに添った内容、
・入学金(26万円)は今月22日までに納入、返還はしない。
・授業料他諸費は3月23日までの納入、辞退申し出があれば返還する。

子どもの本命は某国立大(3月7日合格発表)であり、センター試験の結果は合格ラインを十分に超えていた。(マークミスが無い限り判定できるシステムがある)。
センター試験のみで合否を決めるその私大に合格していたということは、マークミスもなかったということ。
万が一の受け皿として、もうひとつの国立大後期受験も手続き済み。

こうした状況から親子共、入学金納入は不必要の判断に落ち着いた。

ところが一転、翌日になると子どもは「自分の貯金から半分出すから、入学金を納めてほしい」と言い出した。その表情も声も沈みきっている。
涙をこらえているのかボソボソと、つっかえながら話すところによると
「その大学に行きたくて3つの学部を受けた親友(家にも来たが二人は真剣に勉強していた)が、どれも受からなかった」とのこと。
「(そこには行かないのに)ボクが受かったから、あいつは落ちたのかもしれない」
「合格枠をひとつ取ってしまったのに、それをポイと捨ててしまうことなんか、したらあかん・・・」

それは多分に感傷的な考え。
結局は行かないのだからその私大に利益を与えるだけで、友に還元されるものは何もない。
今後の学資にかかる金額を見通しても、26万をみすみす捨て金にする余裕はない。

親(大人)としてはまっとうなこれらの意見を口にしかけたものの、子の憔悴した顔を見ると「納入日までに数日あるから、もう少し考えてみよう」と言うのがせいいっぱい。

そして今日、入学金26万円を納入した。
入学担保の意味合いではなく、息子の思いに寄り添ってやりたいから。
「勝ち組、負け組があるのは当然、競争に負けない為にがんばるんや」などと言ってはばからない大人になってほしくないから。
捨て金ではなく価値のある26万になったと思っている。

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2007年2月15日 (木)

10週待って届かなかった・・Amazon

ネットショッピングは購入する業者を分散するようにはしているけれど、品揃えや便利さからAmazon利用は多い。
各種メルマガがこまめに配信され、過去に買ったものから好みを推測して「おすすめ商品」のリストアップまでしてくれる。
個人情報を握られているこわさも有り「そこまでするか」とあきれながらも、自分の欲しい商品がちゃんと含まれていたりするのには苦笑だけど。

さて、去年の11月にAmazonでCDを注文した。自動返信メールには発送可能時期と配送予定日が明記されていた。(2週間後くらい)
配送を心待ちにしていたのだけれど、「配送予定日」期間内に届いたメールはカスタマーサービス部門からのもので、「商品確保ができておらず、発送が1~2週間ほど遅れます」というもの。

その後、2週間おきにメールが3回届き、いずれも同じ内容。
・商品がまだ確保できていない
・発送が1~2週間ほど遅れる
・キャンセルは可能
・発送の「遅れ」で迷惑をかけたことをお詫び

これの2回目が届いた時には、注文した日から既に1ヶ月半経過していた。
もはや「商品が入手できる見込みはないのでは?」との不安は起きたものの、キャンセルするつもりはなくこちらも長期戦の構えに入る。

結局、さらに2週間経ってから届いた最後通告は、「大変残念なご報告」として、商品が入手できないとの内容。

「1クリック注文」や「翌日お届け」などのサービスもあるくらい、速さも売り物のAmazon、CD1枚が入手可能かどうかがわかるのに2ヶ月半もかかるなんて、どうなってる?

おまけに、気落ちから立ち直り、同じアーティストのCDを新たに注文しようと思ったら、何と「あわせて買いたい(おすすめ商品)」のところにその入手できなかった商品が登場していた・・・。
最後通告から10日経っている。入手できない商品を表示からはずすのに、そんなに時間がかかる?
それとも今なら買える?
それを試してみたい誘惑もあるけど、Amazonからの言葉ばかり丁寧で全く誠意のないメールは当分見たくないしなぁ・・・。

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2007年2月13日 (火)

♪春の風が吹いてきたら

♪春の風が吹いてきたら めだかもちょうちょも小鳥たちも
 嬉しそうに笑うだろう 春だよ ぼくらの春が来たよ
 北風なんかあっちの方へ行っちゃえ
 素敵な春が ほんとに来たんだ ワーイワイ!

 ♪春の風が吹いてきたら キャベツもぼくらも白い雲も
 嬉しそうに歌うだろう 春だよ ぼくらの春が来たよ
 仲間じゃないか ぼくたちみんな
 待ってた春が ここにも来たんだ わーいわい!

子どもたちが小さい時によくいっしょに歌った。
北風なんかちっとも感じなかった今年もやっぱり春は待ち遠しい。

小さい花壇に植えた球根たちも、土の下でちゃんと命を育んでくれていたらしい。

チューリップ、クロッカス、ヒヤシンス、アイリス、チオドノクサ、ユニフローラ・・・
年を越した頃から芽が出るまで幾度も土の表面を眺め回し、「芽」を見つけてからは少しずつ少しずつ背が伸びていくのを飽きずに見守っている。

時満ちて、色とりどりに花開く日がとても楽しみ。
だけど・・・毎年家近辺につくしはないしタンポポもちょっぴり、小鳥やちょうちょも見かけることは少ない。
花壇の球根ばかりに「春の訪れ」を感じるのも、どこか寂しい。

今年のような暖冬は寒がりの私にはとってもありがたいけれど、「こんな年も、まぁあるのだろうな」などと、のん気に考えていてはいけない時代に入っているのだろう。

「春が来たよ」との自然のささやきがあちこちから響いてきて、思わず親子で春の歌をくちずさむ・・・かつてのそんな頃は地球も私も元気だった?

いやいやまだまだ地球も自分も元気!だと信じたい。
子どもたち、そしてそのまたその子どもたち・・・に美しい春を幾度も幾度も迎えさせてやる為にすることはいっぱいある。

球根の芽
左からチューリップ、チオドノクサ、ヒヤシンス。

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2007年2月 8日 (木)

医療制度改悪、今さらながら実感

必要があって2年ぶりにある病院を訪れた。
そこは、20数年前に初めての妊娠でかかって以来、小児科、内科、外科、歯科他で家族そろって幾度もお世話になってきている。
他市に位置した総合病院だけど、医療にもシステムにも信頼をおいているかけがえのない存在。

いつものように受付で手続きをしようとすると、「紹介状をお持ちですか?なければ特定医療費として別途2100円をご負担していただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
と問われた。

「あ~、アレはこのことだったのか・・・」と今さらながら合点がいく。
2005年末、厚生労働省は健康保険法改定を図り、機能分担を目的として「かかりつけ医」と大きな病院に区別をつけたことは確かに報道で知っていた。

普段に診てもらえるところは「かかりつけ医」で、どうしても大きな病院で診てもらいたい場合は紹介状をもらうか、あるいは別途料金を支払うかの必要があったのだ。

でも・・・・私にとっては(もちろん他のたくさんの人にとっても)ここが「かかりつけ医」。
ずっときめ細かい診療に応じてきてくれていたのだ。

この制度には、老人医療やひとり親家庭など支払い対象外になるケースも設定されている。
だけど、命や生活に直結する医療のことなのだから、「信頼できる病院で信頼できる医師に診てもらいたい」という願いは万人に共通のはず。
「改正」であるなら、そのような根本的な思いに応えたものであって欲しい。

しかも本来はダメでもお金さえ出せば認められる、というからくりにも疑問が残る。

とはいえ「知って」いながら自分にふりかからなければ実感が湧かない、という乏しい想像力は我ながら情けない・・・。

厚生労働大臣の「失言」で国会は紛糾していたし、マスコミや世間も湧いているけれど、こんな騒ぎにまぎれて、どう考えても「改正」とは思えない生活を脅かすような法案や新法案がまた提出されていくのだろう。
もちろん「失言」もほってはおけない性質のものだけれど、そこにばかり目を向けていると気が付けば「法案は成立」、となっている。

自分も随分無知だし、想像力も乏しい、せめてマスメディアがもう少し大事なことの問題提起や追及をしてくれるとありがたいのだけれど。

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2007年2月 7日 (水)

受信料集金の方には申し訳ないけど・・・

数日前のエントリーにも書いたように、現在はNHK受信料を払っていない。
口座自動引落の停止措置をとってからも、集金の人は幾度か来られている。
今日の方はいかにも温厚そうな年配の男性。

「NHKの者ですが、受信料をお願いします。」
「申し訳ないのですが、先日に判決が出た『政治家の圧力による番組改ざん』に関して抗議の意味で、しばらくは支払うつもりはないのです。」
「えっ、それって関西テレビのことじゃないのですか?」

どうやら『発掘!あるある大事典』の番組捏造の件と勘違いされているよう。

ひととおり説明し「いつまでも支払わないというわけではない。裁判も上告となったのでもう少し行方を見てからにしたい・・・」との意思を伝える。
男性は気まじめに聞いて返事も返してくれるけれど、NHKの不祥事や番組改ざんについては全く知らない。

ひたすら低姿勢で「はぁ、そうですか。でも皆様にご協力をお願いしていますので、どうかよろしくお願いします」と繰り返すばかり・・・。

NHKのような巨大組織には強気でも、実はこのようなまじめなおじさんには弱い。
「せっかく来てくれているのに払わなくてゴメンナサイ」と申し訳なくなるし、「これって本当に抗議につながるのかなぁ。」と弱気も出てくる・・・。

民放と比較にならないくらい良質の番組があるし、実際に視聴もしている。支払った方がよっぽど気が楽なのだけど・・・でも、やっぱりもう少し「不払い」。

受信料の支払いを義務化する放送法改定案が国会に提出されるよう。
不払いに対しては確かに不適切、という気持ちもあるのだけれど、なんで今の時期にこのやり方で義務化?との疑問は強い。

公共放送として自主、独立に基づいて良質な番組を提供してくれるのなら、催促は受けずとも受信料は納める。経済界の干渉を受けず、CMも入れない為にお金は必要だろうし。
でも、総務省の拉致問題の放送命令に続いて今度は放送法改定案。
これでは政府との関係はますますホットに思える。
何より政府からの独立性を貫いてほしい、という抗議なのだけれど・・・。

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2007年1月31日 (水)

「咲ききれなかった花」

「咲ききれなかった花」という絵がある。
『ハルモニからの宿題』-日本軍「慰安婦」問題を考える 石川康宏ゼミナール編という神戸女学院大学の石川康宏ゼミが作り上げた本で見た。

韓国にある「ナヌムの家」には、10人ほどのハルモニ(かつて日本軍によって「慰安婦」を強制された方への敬意を込めた呼び方)が暮らされている。

「咲ききれなかった花」は2004年に83歳で亡くなられた金順徳(キムスンドク)ハルモニが描かれたもの。本にはモノクロ写真で掲載されていた。
白と濃色の清楚なチマチョゴリを着た10代後半の少女が足を揃えて立ち、その全身につぼみや大輪の花をつけた刺繍でできた花木が重なる。
ひっつめ髪をした少女は遠くを見つめているのか、あるいは何も見てはいないのか、清らかなその面立ちにはほんのひとかけらも華やぎはない。

この画像からなかなか目を離すことができなかった。
心揺さぶられるほどに伝わってきたのは、恨(ハン)といったものではなく「女」という性であることへの憧憬と深い悲しみ・・・。

金順徳さんご自身は潰された青春、奪われた純潔への断ち切れない思いを込めて描いたと話されていたという。
少女から女へと移ろうその前に、女であることの悲しみを徹底的に身体と心に叩き込まれて生きていく、そこからこの絵も生まれた。

元「慰安婦」に対して自国の社会も必ずしも理解があるとはいえない。故郷に帰ることができなかった人、家族から除外された人もおられる。

合意のない性交渉はレイプという犯罪であるということ。
恥ずかしい者は「辱め」を受けた者ではなく、それを為した方であるということ。
それらは自明のことなのに、韓国でも日本でも社会の意識として浸透していない。
その社会に向かって自分が元「慰安婦」であったと名乗りでた人たちの思い・・・。

首相官邸にどんなに高価な絵が掛けられているか知らないけれど、許されるならば「咲ききれなかった花」を譲り受けてはどうだろうか?
でも・・・きっとその絵を見ても何にも感じないのだろう。

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2007年1月27日 (土)

電気屋のおにいちゃん

突然テレビのBSや地上デジタルが映らなくなった。電気関係は全くわからないので即電気屋さん頼み。
初めて近所の電気屋さんを訪れてみる。
若奥さん風の方が対応して下さり、夕方にはみにきてくれるとのこと。

夕方「ピンポーン」が鳴り玄関に出てみると、立っているのは電気屋の制服を着たまだ10代にも見えるおにいちゃん。一部金髪に染めた前髪を目が半分くらい隠れるくらいに垂らし少し背を曲げボソボソとしゃべる。

普段「偏見」には随分気をつけているつもりでも、心のどこかに「なんでこんな子を寄こしたのだろう・・・?大丈夫かな~?ホンマにわかるのかなぁ~?」といった感情がムクムクと・・・。

おにいちゃんは(もそもそと)リビングのテレビをあれこれ操作したり、配線を確認しているようす。その後外に出て1分もしない内に戻り「アンテナはどうもないみたいやから・・・」と言う。
道路から視認しにくい位置にある屋根のアンテナのようすを、そんなに簡単に判断できるの?・・・と不信がまた少しふくらむ。

「他にテレビはない?ブースターはどこにあります?アンテナにはブースターがあったから、これは室外と室内がセットのものやから絶対あるはずやから」と相変わらずボソボソ声でおにいちゃんから質問。
「ブースター?」今までその存在を意識したことはないけれど、とりあえずテレビが置かれている子どもの部屋2室に案内する。2つ目の部屋の片隅におにいちゃんはブースターを発見。
実は私も初めて目にした。アンテナ設置は業者にまかせきりで説明もろくに聞いていなかった・・・。そして子どもの部屋に入ることもめったにない。

その後おにいちゃんは何やらごそごそしてから1階に降りリビングのテレビをオン。ちゃんとBSや地上デジタルが映っている。
「おお~」と、期待していなかっただけにおにいちゃんの手腕?にいたく感心。「ありがとう!」と、もはや偏見はするりとすべり落ち心からの感謝が湧き上がった。

「ブースターのコンセントが抜けてたから・・・。多分携帯を充電しようと思って抜いたんですわ~」と説明してくれるおにいちゃんは何と笑顔。
この子の表情を固く、もそもそとした動きにさせていたのは「私の偏見」にも原因があったのだ・・・。

「お支払いは?」に、「コンセント入れただけやから・・・、また何かあったら・・・」と30分以上も時間をとらせたのに何も請求せずに「スリッパをちゃんとそろえて」電気屋のおにいちゃんは帰っていった・・・。

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