2011年7月 7日 (木)

家に1頭欲しい

4月に乗馬クラブに入会して、まだ10鞍(乗馬の回数単位は「鞍」というらしい)にも満たないというスローペース。
割安の平日会員を選択しているので、「仕事が休みで他に用事がない平日」しか通えない。
今日はその条件にあてはまるが、天候はあいにく雨。

少しばかり躊躇はあったものの、どしゃぶりでもないし・・・、と予定通り出掛けることにした。
しとしと降り続ける雨の中を自転車で30分。
上下ともカッパ着用で、蒸れによる不快指数がグングン上昇するのを感じながら、ひたすらこぐ。

乗馬を始めてわかったことのひとつが「自分でこがなくても動くのは、何て楽なのだろう!」ということ。

バイクも車も乗らず(免許がない)、どこに行くにも自転車か徒歩(か公共交通機関)。
若い頃から通勤もずっと自転車だけど、特に不便や不自由を感じたことはない。
ところが、背に乗り合図を入れるだけで移動させてくれる馬の快適を知ると、やや自転車が辛い。
それでいてバイクや車の免許取得には、ちっとも気持ちが動かない。
それどころか、家に馬を1頭置けないか?などと夢想している。
映画などで見ると、昭和初期にはまだ馬は当たり前のように移動手段として使われているし・・・。

乗馬を始めた頃の目標(というより夢か)は、「モンゴルの大草原を駆ける」だったけど、今は「道路をポクポク歩く」に変わってきたかも・・・?

馬に揺られて仕事場に向い、終えてから「あぁ、今日も疲れたなぁ」と駐輪場?に行くと、馬が待っていてくれる・・・。
そんなことがあったら、通勤の往復は楽しくてしかたないだろう・・・、とは思うものの、あの時と所をかまわないボリューム満点の排泄だけ考えても、少なくともわが町では無理だろう。

と、腕前はちっとも上らないけど、しばし別世界に遊ばせてくれる乗馬は、私にとって極上の時間には違いない。

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2011年7月 2日 (土)

第六感?それとも偏見?

東淀川の方で友人が居酒屋をやっている。店は、一人できりもりできるくらいの広さで早い時間から常連さんたちが立ち寄る。
特に珍しい料理もないけれど、家庭料理の味わいで食べ飽きない。

2週間ほど前に久しぶりに行ってみたら、何だか友のようすが違う。
変わりなく調理や接客をこなしているように見えて、どこかおかしい。
そのことがテキメンにわかるのが料理の味。
ほっこりとやさしい甘さのはずのかぼちゃの煮物に、まろやかさがない。
いいだこの煮物は固さが勝っているし、焼きうどんの味にもめりはりがない・・・。

本人も「欝の気があるかもしれない」ともらしたので、ずっと気になっていた。

この木曜日に少し夜に時間ができたので行ってみた。
まだ十分に明るい6時過ぎ。既にカウンターと2人掛けテーブル1台の店はほとんど満席。
カウンターの中央に30代くらいの男性客がいてその両隣だけが空いている。
右側に席を占めたものの、どうも友人の表情や店内の雰囲気が重い・・・。
おまけに座るなり、右隣の女性が私の椅子を引っ張り「もっとこっちへ、こっちへ」とささやく。

「ん?もしやこの妙な重さは、左の席にいる男性に何か原因が?」
と思う間もなく、友人が「お客さん、もう少し静かにして下さい。他のお客さんに迷惑になるから、困ります!」と、その男性に向って顔を引きつらせながらも言い渡した。

「何を。 ようそんなこと言うな。ワシが何をした言うねん。男やったらほっとかへんけど、女相手にけんかはできんわ」と少し凄みを帯びた調子で言い返されても、友は引かない。
「さすがに女一人で長年店をやっているだけに、たいした度胸やなぁ」と感心しながらも、なぜ友がそんなにその男性をけん制するのかがよくわからない。

どうやら一人でフラッと入ってきて、ビールを飲みながらやたら大声で他の客に話しかけているようで、真横に座った私にも声をかけてきた。
少しなまりのある口調で地声が大きいのだろう、あたりをはばからずに語ることは、
「今日、出てきたところや。ダイケイ(大阪刑務所)はすごくキツイところやった。3回(喧嘩が原因で)入ったけどあそこが一番キツイ」
「出てきてまず散髪に行って、ちょっとビールが飲みたくなってこの店に入った」といったような内容。

いかにもジェントルマンでも隣に座り合いたくない人もいるけど、この「今日出所したばかり」の人は、私にとっては少しも不快や警戒心を呼び起こすものを感じさせない。
むしろ誇張も悲哀も含まない口調で淡々と語られる、彼自身の物語はとても興味深い。

少し店内の雰囲気も落ち着いてきたように感じたが、その男性が「ビールをもう1本」と注文すると、友はそれを拒否。「うちの店はもうけっこうですから」とグラスまで引いてしまう。
男性は「そんなん言わんときや。あと1本飲んだら帰るんやから」と、短気にもならず繰り返す。

友の気持ちも理解したいし、男性も気の毒だし「さて、どうしたものだろう?」と思案しているところに登場したのは、友が密かに連絡したらしい大阪府警の腕章をつけた警官2名。
男性は抵抗もなく店外に連れ出された。

ずっと緊張の時を強いられていた友は「こわかった!」を連発。
「とにかく入ってきたときから目つきが普通と違う、あれはヤクチュウとか通り魔とかの目や」と。
長年客商売をしている友は、おそらく私より人を見る目があるだろうし、女一人の商売では客を選ぶことも必要だろう。
相手に「帰ってくれ」よがしに言える勇気も買いたい。

それでも・・・、私は後味が悪かった。
男性は暴力を振るったわけでもなく脅すこともしていないのに、追い出された。
店主である友の怖れや警戒はともかく、店内の客たちの反応も過剰であった(と私は感じた)
第六感が働いているのか、それとも偏見なのか。
生きにくい人はどこまでも生きにくく、「フツー」の人たちとの壁は厚いものなのか・・・。

この日のかぼちゃの煮物はいつものおいしさに戻っていた。
どうやら友は復調したらしい。
ヤワではやっていけない仕事には違いない。

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2011年6月29日 (水)

初めてのパンダ

パンダ
大阪にいながらUSJに行ったことがない。東京ディズニーランドも東京ディズニーシーも未経験。
理由は、"全く惹かれない"ということに尽きるけど、これまたたいして興味のないパンダを初めて見た。

東京の上野動物園のパンダに関しては、一時期そのニュースばかりやっていたので、いきさつはわかっているけれど、神戸王子動物園のパンダのことは、"そこにいる"ということしか知らない。
関西では、和歌山の白浜アドベンチャーワールドにもパンダはいるし、とりたてて話題にもならないのだろう。

今回は、岡山にいる息子の小さい子を喜ばそうという企画だった。
お正月には天王寺動物園でとても楽しそうにしていたので、ならば今度は神戸でパンダを!という単純さ。

パンダ館の前 そしてパンダは、そこに(のんびりと)いて、息子の子は「パンダ!パンダ!」と小さな指をさし、声を上げ喜んだ。
残念ながら、もはやそのおさな子のようなピュアな感性を失っている身には、初めてのパンダに胸がキュンとなることもない。
もっぱらパンダより、パンダを見てうれしそうにしているおさな子の方に目がいった。

小さな子の喜びや笑顔は何より大切だけれど、「どうして東京はあんなにパンダにこだわるのだろ~?」とまたしつこく考える。
関西にパンダがいなければ、むろん息子の子にパンダを見せることなど考えない。
笑顔がはじける、そんな体験はきっと他にもいっぱいあるはずだもの。

**********************
気が付けば、1ヶ月近く間が空いている!
連日の暑さで多少まいっているというものの、毎日活発に活動しています。
ただ夜になると(もはやこれまでと)突然、グタッ、バタンキュー。
そして翌朝は元気に起きてまたバタバタ・・・。
力の抜き方が相変わらずヘタです(^_^.)

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2011年6月 5日 (日)

放射能はどのくらい“毒”?

毎日まいにち食事を作り続けて数十年。
その内の何回かは、体調が悪かったり、忙し過ぎたりでイヤイヤだっただろうけど、ほとんどは楽しみながらやっている。
作るのが楽しみ、出来上がったものを食べてもらうのが楽しみ、自分が食べるのが楽しみ。

ごはん作りは素材の調達から始まる。
旬の野菜のいただきものなどがどっさりあると、調理意欲はいやでも増して、少々疲れてもルンルンで台所に立てる。
でもそんな時は稀だから、やはりこまめに買い物に行くことになる。

野菜はできるだけ近くの「有機栽培無農薬野菜」をうたう販売所で購入するようにしている。その他の食品は、ほとんど生協の配送と店舗購入でまかなう。
今や生協も独自ブランド以外のものもたくさん扱っているが、肉類、野菜果物などは国産にこだわり、加工品もできるだけ添加物の少ないものを選んでいる。

その理由のひとつに、“毒”の摂取量を少なくしたい、ということがある。
農薬、防カビ剤、防腐剤、品質保持剤、合成着色料、合成香料・・・、国が定める基準以下であってもやはりどれもが“毒”だという意識がある。
今では、それらの“毒”をまったく含まない食品を手に入れるのは無理だろうから、できるだけ少なそうなものを選ぶことを、もう長年の習慣としている。
ずっとそうしてきたから、買い物に行っても手が出るもの、素通りするものがほぼ決まってきていた。

ところが・・・、ここに来てまた新たに迷う状況が出てきている。
たとえば牛蒡が好きでよく買っていたが、たとえ国内産であっても「茨城産」とあると、のばしかけた手がふと止まる。
結局はかごに入れても、「これで何を作ろうかな?」というウキウキした気分からはほど遠く、どこかもの悲しい。
お茶は宇治より静岡産が好みだったけど、お茶によらず北と南に産地があるものなら南の方を選びたい、という気持ちが働く。

放射能という得体の知れない“毒”がこわいのだ。
放射能が降り注いだ(今も?)のだから、福島原発近隣での生産物に放射能が含まれていることはまちがいない。
それがごくごく微量だからといって、どうして気にせずにおられるだろうか?

“風評”にビビッているわけではなくて、 “実害”が恐ろしい。
もう長く生きてきた私などはいいとしても、娘や息子の小さい子たちに食べさせることには怯む。

大阪に住む私でもこうなのだから、福島やその近隣に住む母親たちは、毎日の食材入手にどんなに心を痛めていることだろう。
農家の人たちも、自分が丹精込めて作った野菜を「さぁ、どっさりおあがり!」と子や孫にすすめることはできないでいるのだろう、と思う。
その悔しさや悲しさは如何ばかりだろう、と察するけれど、だからといって“皆で現地の「放射能を帯びた)野菜を買う“という”支援“のあり方にはひっかかる。

ホントに、実際に放射能ってどんな風に恐ろしいものなのだろう?
そして、どこまでが恐ろしくないもの、なのだろう?

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2011年5月17日 (火)

馬は温かい

3ヶ月前には考えもしなかったことを始めている。
80歳を幾つか越えた女性の方としばしば話す機会があり、その方の趣味は何と?乗馬だった。
馬のことを話されるときの表情、声の調子が実に晴れやか。

「馬に揺られていると、心と胸のあたりがスーとする」
「もうかわいくてかわいくて、子どもよりかわいい」
「馬はあったかくて、触っていると心までポカポカしてくる」

寡黙な方が、とつとつと語られるその言葉ひとつひとつに魅入られ、生まれて初めて「馬」というものに興味をもった。

その気になったときの私の行動は早い。
さっそく体験乗馬に参加して馬との相性が「最悪」でないことを確認したのち(やっぱり少しは迷ったけれど、乗馬クラブの会員となった。

なぜ突然そんな心境になったのか、自分でもなかなか説明がつかない。

でも、馬のことを聞いたのが、筋を通した生き方をされてきた(よくは知らないがそんな印象を受ける)あの老婦人でなかったら、あるいは人生観をも大きく変えたあの東日本大震災が起きていなかったら、まるでたぐり寄せられるように「乗馬」に近づくことなどなかったことは確かだと思う。
つまるところ「縁」があったのだろう。

(もちろん、やっと子どもたち全員が自立したこと、乗馬クラブが自転車で通える位置にあったことなど、現実的な要因も大きい。)

さて、その馬だけど、4回目の騎乗でやっと「心と胸のあたりがスーとする」という感覚がちょっとだけわかりかけてきた。

今まではおとなしい馬ばかりだったから(そりゃ、乗馬クラブの方も年配者にいきなり、やんちゃな馬をあてがわないだろう)なんだか乗せてもらっている感じ。
でも前回の馬は駆けてくれたから、馬上の私も駆けた!
馬が走るその振動に身をまかせ、といってもまだ上手にバランスを取ることができないから、不器用に身体を上下させながら馬上で風を切った。
「あぁ、落っこちる、落っこちる!」と思いつつ、駆ける馬が刻む(機械的でない)動きのリズムに身体をゆだねると、一瞬心と身体が解き放たれるよう。

そう、残念ながら今の技量では、駆けるのはほんの一瞬。
長く続けるとホントに落っこちそうなので、すぐに「ハイ、たずなをゆるく引いて!」とインストラクターから指示がでる。

「かわいくてかわいくて」ほどの思いは・・・まだない
前回の馬は勢いがあったのは良かったけど、噛む癖があったから少々ビビッたし・・・。

馬の横に立つと(馬の大きさにもよるけれど)、たいてい私の顔は馬の首あたりにくる。
顔をなぜたり首をトントンたたいて、馬に挨拶やお礼は欠かさないのに加えて、つい頬を馬の首にすり寄せることをしてしまう。
老婦人が言われたように、馬は本当にあったかい。
柔らかい毛を通して伝わる温かさは、こたつやゆたんぽのものとはまた違う。
あたたかい命そのものに触れている感覚。

こうして馬と共に過ごす時間は、私の生活の一部になりつつある。(月に3時間足らずだけど・・・)
何十年も生きてきて1回もその気にならなかったことに、ふと心誘われ、はまっていく不思議。

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2010年4月13日 (火)

「自分らしく生きよ」

「夕刊は読むとこがない」と感じることも多いが、土曜日(朝日)の「惜別」欄は愛読している。取上げられている人に関心がある場合が多いし、書き手の哀悼の念を背景に、通り一遍でなく深く掘り下げた描写は、鮮やかな人物像を浮かび上がらせる。
この欄で初めて知り惹かれる人も多くあるが、もちろん既に亡くなられている。
その都度、「知るに遅し」を嘆くことになる。

その内のおひとりが、この10日の記事にあった韓国の禅僧、法頂(ポプ・チョン)さん。
端整な顔立ち、凛とした雰囲気を漂わせながらも包み込むような柔らかさがある。
その写真のキャプションには「身の回りのものは、めがねと万年筆ぐらいだったという」とある。清貧を貫かれた生涯であったのだろう。

著書の印税は、数億にもなるらしいがそのほとんどを匿名で寄付され、一貫して、執着しない生き方を訴えられたという。
「我々は必要により物を持つが、時にはその物に心を奪われる。何かを持つということは何かに縛られること。」
引用されていた短文も明快でわかりやすい。
『無所有』というベストセラーエッセーは売り切れ、ネット上では古本に110万ウオン(約9万円)という値がついたとか。
これはあきらめて、『生きとし 生けるものに幸あれ』をさっそく入手した。

短編128話からなる随筆集で、最初の1話から「これは珠玉の書」と、魅入られた。
さらに第2話「自分らしく生きよ」は、正に乾いた大地に注がれる慈雨のよう。

実のところ、数日前から大きな心配事を抱え、心がたいそう弱っていた。
どういうわけか、今年はプライベートに波乱続きで、そのとどめのようなトラブルが今、子どものひとりに発生している。

「自分らしく生きよ」に表された生きることの真理、言葉に込められたやさしさは、不安と心配に湧き立つ心をどれほどなだめ落ち着かせてくれたことか。

さっさと読み進めることが惜しまれる書にめぐり合ったのは久しぶり。
座右の書として少しずつ大切に読んでいきたい。

弱い心は、この書に勇気づけられたけど、(ブログに向えるほど)立ち直ることができたのは、もちろんそればかりではなく、家族や友人の心配りを感じることができたおかげ。
どんな真理や名言に出会っても、孤独感に満たされていたなら、出口は見えないと思う。
とはいえ、そのトラブルに関して行動する時間が多く、ブログ更新はままならない現状ではある。

最後に『生きとし 生けるものに幸あれ』から「自分らしく生きよ」を引用させていただこう。

誰かが不安と悲しみ沈んでいたら
その人はすでに過ぎ去った時間に
いまだにこだわっているのだ。

あるいは誰かが未来を恐れて眠れないなら
その人は未だ来もしない時間を
前借りして使っているのだ。
過去や未来に気を取られると

現在の生活が消えてしまう。
より直戴に言えば
過去もなく未来もありはしない。

常に現在であるだけだ。

今、ここで最善をつくし
最大限に生きることができれば
ここには生き死にへのおそれも忍びよることはできない。

おのおのが立っているその場所で自分らしく生きよ。

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2010年4月 5日 (月)

Congratulations!!

人の世で一番輝かしいことは、新しい命の誕生だと思う。
世界中で生まれる赤ちゃんは1日に38万人くらいらしい。
その一人ひとりの赤ちゃんの健やかな成長を願っているけれど、顔を見ることができたり、名前を知ることのできる赤ちゃんは、ほんのほんのちょっぴり。
ましてや抱っこしたり、成長を見守ることができるのは子や孫、あるいは身近な親戚くらいであることは寂しい・・・。

さて、昨日誕生した38万人の赤ちゃんの内のひとりの名前を私は知っているし、いつかは抱っこしてやることがあるだろうし、できる限り成長を見守ってやりたいと思っている。
実は、今朝ドイツで暮らす娘のパートナーから、第二子誕生とのメールがあった。
生まれる前からその子の名前は決まっていて、その1字は夫と私の名前の1字と同じもの。(たまたま夫と私の名前に共通の漢字がある)そしてその漢字は私の母の名前の1字でもある。
「血のつながり」という実感はないけれど、「名前つながり」は何だかうれしくて「まっさらな命に恥じないように自分もちゃんと生きなくっちゃね」などと張り切ってしまう。

娘の子、日を同じくして生まれた38万人の赤ちゃんたち、そして世界中の赤ちゃんたちに「幸多かれ」と心から願う。
ひとりでも多くの赤ちゃんが、その輝かしい命をまっとうできるような世界に少しでも近づけていくことは、大人たちすべての責任なのだと、改めて心に刻みたい。

タイトルの「Congratulations!!」は、娘のパートナーに返したメールの件名。
ドイツ語は全くわからない私に届いたメールは英語。だけど・・・英語だっておぼつかない。翻訳サイトなどに手助けしてもらいながらなんとか返信したけど、あやしい内容だった気がする(゚ー゚;

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2010年3月29日 (月)

ご無沙汰でした

前回アップした、花壇の桃の花は既に満開を過ぎ、ひときわ色鮮やかではあるが言わば「姥桜」状態。だけどこれはこれでまた美しい【←人も同じ、と言いたい(^^♪】

その間、ブログもほったらかしだったけど、「更新がないけど、元気?」とメールをいただき、恐縮と感謝。
リアルにしろネット上にしろ、人の縁は大切にしたい。
今日は散漫になるだろうけど、この間の状況などちょこっと書いておこう。

義父の症状は一段落し退院も目の前、と思い込んでいたのが諸事情で転院、入院生活が続くことになった。
退院を楽しみにしていた義父の願いが叶わなかったこととその原因は、かなり私を落ち込ませ鬱々とモノを考えさせた。雨ばかり続いていたことも関係があったかもしれない。久しぶりに明るい陽射しを見たとき、パッと心が晴れたもの。

沈んでいるときは外出もつい億劫になるけれど、「そんな時こそ外へ!」は生きてきた長さが教えてくれる。
なかなか観る機会の得られない、南京虐殺に関する映画上映があったので出向いた。
抗議による混乱の危惧から劇場公開が取りやめられたという経過のある『南京NANKING』を観た。
気弱なときでもあり、コトのむごさに途中で吐き気さえ催す始末。
日本人は「過去のこと」にできても、むごさを身に受けた立場の人がそれを時の流れに風化させることは絶対にできないだろう、と改めて思う。

新屋英子のひとり芝居『身世打鈴』が、近くで上演されたのでこれも観た。
既に初演から30有余年とのこと。過去のときのように心にピンピンと響くことがないのは、自身の感性の衰えか、はたまた時代の流れか・・・。

そして今日は、末っ子ファミリーに会うために岡山まで出かけていった。
もうすぐ1歳になる子をたいそう慈しみ、生真面目なパパ、ママぶりの若い二人が初々しい。年配者からは未熟に見えても、口出しは控えて根気良く見守ってやりたい。

このファミリーの健やかさが、自分の幸せであることを実感。
自分の幸せは、自分のことだけにあるのではない。
そしてやっぱり、岡山でも義父のことを考えた。
義父にも幸せでいて欲しい。

幼な子が少し眠くなった頃、帰るべく「バイバイ」と手を振ると、小さい手を振り「バイバイ」を返してくれた。その瞬間「パパ」と「ママ」は二人して「オー」と歓声を上げた。
初めてバイバイができたらしい。
小さな天使クン、周りに幸せを振りまいてくれてアリガト。

最初に予告したようにとっても散漫な文章ですね。まるで晴れたり降ったりと今日の気まぐれ天気のよう(*^_^*)

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2010年3月20日 (土)

春爛漫

桃
*画像はクリックで拡大
淡い桜が「春色」なら、艶っぽい桃は「春爛漫」色。
小さい頃から桃の花を意識したことがなかったのに、20歳頃になると可憐でいながら、あでやかなその花が大好きになった。
初めて授かった子が女の子だったから、迷わずその花の名前をもらった。
でも、戦前生まれの父は「その名は『桃色遊戯』を思わせる」と大反対だったことを覚えている。
私の世代でも「桃色遊戯」はピンとこない言葉だから、次世代の人たちは聞いたこともないかもしれない。

大きくなったその娘は縁あってドイツで暮らしている。
名前を紹介すると、みんな1度で覚えてくれるという。
それは「花の名前」のおかげではなく、ドイツの偉大な児童文学者ミヒャエル・エンデの作品『モモ』に通じるから。
ドイツで『モモ』を知らない人はいないらしい。
私もこの作品のファンだから、娘の名前は私の2重のお気に入り、ということになる。

4年前、今の家に越したとき、もはやいっしょに住むことのない娘を思い、小さな花壇に20cmほどの照桃の苗木を植えた。
花木を枯らしてしまうことの多い私でも、さすがにこの木を枯らすわけにはいかない。
と言っても突然「花名人」になれるわけもないが、幸い頑強な苗木であったらしく、すくすくと育ってくれた。

2年目には早2メートル近く成長し、あでやかな花をつけてくれるようになった。
咲きそろった花たちを目にすると、季節の爛漫を感じると同時に、遠くに暮らす娘の生活も華やいでいるように感じられる。
昨年は蕾が少なく気になったが、その事を伝えた娘からは「こっちのモモは満開に咲き誇っているから大丈夫だよ」とのメールが届いた。

今年の花は、数も多く色もきれい。画像と共に「そっちのモモはどう?」と、娘にメールを送ってやることにしよう。

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2010年2月25日 (木)

やっと、お雛様に屏風をプレゼント

我が家には大切なお雛様が2組ある。
ひとつは亡くなった父が私の娘の為に買ってくれたもの。
父とは血のつながりは無く、小さいときから複雑な感情があった。
今となっては、私や子どもたちに対する慈しみを心から感謝している。
しまい込んでいるお雛様を「今年も出そう」と思わせるものは、父への思慕が一番強いのかもしれない。

こちらがもう1組のお雛様。(去年まで屏風はなかった)
お雛様
友人のお母様が大切にされていたものを譲られた。
私もお世話になったそのお母様は、ずっと以前にご病気により亡くなられている。まだ60代の若さだった。
愛らしいお雛様を箱からだしてやるたび、お母様の面影やその無念さ、母親っ子だった友人の埋められることの無い寂しさ・・・など想う。

数年前、いつものように飾っているとき、突然「お雛様が屏風を欲しがっている」と感じた。
すぐにでも屏風を手に入れようと思ったけど、「センス良くこだわりも強かったお母様に気に入ってもらえそうなもの」かつ「我が家の家計に見合う価格」の条件を満たすものがなかなか見つからない。
3年前に訪れたギャラリーに「これならいい!」と思うものがあったものの、既に売約済み。
次年度の同じ時期に訪れるが、「今年は入荷なし」と言われた。
そして3年目の今日、やっと手に入れた「源氏物語絵屏風」。

飾ってみると、始めからセットのようになじんでいる。
お雛様もうれしそうに見えるし、お母様にも喜んでいただいているような気がする。
今年のひな祭りには、友人を招いてみようかな。

*******
一昨年も同じ頃お雛様の記事を書いている。
画像もあるけど、雄雛、雌雛の立ち位置が今年と逆。
去年が「現代式(関西式)」、今年が「古式(関東式)」ということのよう。

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