母が遺した着物を少しずつほどいて小物などに仕立て直している。
すべて母の手によるきれいな縫い目に、はさみを入れるとき、いつもいつもチクッと胸が痛む。
おまけに残念ながら母に似ずいたって不器用、ちっともすっきりとは仕上がらない。
でも、まぁそのうち腕も上がるかも・・・?と楽観的。(今のところその兆候は見えないけれど・・・)
母の住まいから引き取ってきた着物類の中には、私のものも何点かあった。
虫干しなどの手入れに手を抜く私に代わって、保管してくれていたもの。
その中に反物のままのものがあった。
もみじ柄のシルク紬。
20歳の頃だろうか、とても気に入ってアルバイト貯金から自分で買ったことを覚えている。
必要なときにはいつでも2日もあれば仕立てることができる母の手元に置かれていたけれど、結局「必要なとき」は来なかった。
○十年経っても好みは変わっていないようで、今でもこの柄いきは大好き。
秋のランチョンマットにでもしてみようかな・・・と、広げて考えている内に、突然「そうだジャケットに仕立ててみよう!」と思いつく。
絹は軽く暖か、身にまとうととてもやさしい。
といっても自分にできるわけはないので、プロの手にお願いすることになる。
そういえば服のオーダーメイドは結婚してから初めてかな。
近所の仕立て屋さんに、スタイルなどの希望を伝えたあと数日後に仮縫いの運び。
当日は、「生地もスタイルも自分好み、しかもフィットサイズ」のジャケットに出会える期待にワクワク。
そしていよいよボディに着せられている仮縫い状態のジャケットにお目見え。
「わぉ~」と思わず声が出たくらい、それは期待以上。
張りのあるシルクにおだやかで細かい柄とシンプルなスタイルがとてもしっくりしている。
仕立て屋さんが「こうしてボディに着せておくと、『いいなぁ』とみんなが言うんですよ」と言って下さるのがお世辞に聞こえない。
ところが・・・、予想外のことがひとつ。
何と、ちっとも私に似合わない!
ボディが着ていると見とれるくらいに上品でステキなのに、どうやらその「上品さ」が私のもちあじと合い入れないよう。
鏡を見ながら「似合ってないなぁ~」とのつぶやきに、「そんなこと、ないですよ」と答える仕立て屋さんの声にも元気がない。
背が高くいわゆる「スラッとしている」私にそれが似合わないことに、彼女もがっくり・・・といったところか。
かくして仮縫いで微調整を経てさらなるサイズフィットは為されたが、「お気に入りの一着」にはなりそうもない。
「着ている内に、似合ってくるかもしれない・・・」と一縷の望みは残しているものの、オーダーメイドのむつかしさは再認識。
反物であった時は「大のお気に入り」であったものを、降格させちゃったようでこの紬にも何だか申し訳ないような気持ち・・・。
必ずしも「実用的」なものにしなくても、見て喜び触って楽しむ存在であってもいいのだ、ということにも気付かされた。
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