2008年12月 9日 (火)

12月の職場

今の時期の職場は、はがき作成ソフトなどで年賀状を作成される生徒さんが多い。
仕事1年目だった昨年は「筆まめ」「筆王」「筆ぐるめ」などのソフトの勉強がなかなか追いつかず、ハラハラドキドキのインストラクションが続いた・・・。

今年は水彩ソフトを学ばれている方のほとんどが、年賀状も水彩でされている。
参考にするイラストやはがきを見ながら、ペンタブレットで描かれる。
ペンを運ばれるのは生徒さんながら、横にずっとついていてまるで共同制作のように気持ち。
もっぱらツールの使い分けのアドバイスなどをするのだが、生徒さんは一筆一筆手に力が入り、私は見つめる眼に力が入る。
それでいて交わす会話はとてもなごやか。
描く者もインストラクションする者も共に楽しんでいる。

どの生徒さんの作品も、既製のイラストを用いた年賀状のような無難なまとまりとはひと味もふた味も異なる。
パソコン利用とはいえ、手で描いているのだもの。
作成過程のようすも、はがき作成ソフトを学ばれる生徒さんとはこれまた少し異なり、とてもいきいきとされている。
「覚える」ことから解放されているし、手本はあるというもののクリエイティブな活動である為だろう。
そして皆、仕上がった作品をとてもいとおしそうにされる。

小さなイラストひとつを4時間かけて描かれた方もおられる。
手本にしたものとは似ても似つかない?けど、やさしくあったかい印象を受ける絵となった。
お人柄と描く事を楽しまれた時間がそのまま表れたのかな。

昨年は汲々として過ごした12月の職場、今年は水彩の授業が多いおかげで気持ちはとても晴れやか。
いきいきとして過ごされる時間を共有させていただくことがうれしいし、さまざま個性的な作品が仕上がっていくこともうれしい。

***************
画像は、田中一村「農村春景」を手本にして描いてみたもの。
絵心なんてちっともないし出来上がりはこんなものながら、それでもパソコンは「描いてみよう」という気持ちにさせてくれるありがた~いマシン。
(絵の具はいらないし、準備や片付けは楽だし、何より失敗しても「取り消し」ができるから描きぞこないの紙の山をみて気がめいることがないし・・・。)
年賀状 

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2008年10月 3日 (金)

新しい仕事で1年半

適応力全般が低下した年齢から始めた新しい仕事も、いつの間にか1年半過ぎた。
技量はまだまだだけど、人と人との関わりになるこの仕事はどうやら自他共に認める私に向いたもののよう。

勤務先のパソコン教室はマンツーマン方式ではあるが、練習問題は生徒さんひとりで集中してのぞまれる。
ついていたインストラクターはまた違う生徒さんに対してインストラクションを始める。
これはとても合理的な方法。
生徒さんにすれば(レッスン途中でインストラクターが変わることにもなり)多少戸惑いがあるかもしれないが、メリットも高い。
特に料金に関しては、インストラクターが効率よく動く分、完全マンツーマンスタイルのスクールよりかなり低額設定になっている。

経営者は若い起業家で「やり手の切れ者」だと思うが、そもそも私のような高齢者を採用しただけでも見どころがある(?)。
年齢を聞いただけでシャットアウト、は当たり前だもの。

効率を優先しながらも、生徒さんやレッスン内容によっては柔軟な対応をとっているところもいい。
重いハンディキャップがあり車椅子で来られている方は、レッスン中ずっと私がついていることを希望された。
少しご事情もおありなので教室も了承し、もう1年以上もその方のレッスンは必ず私が担当している。
できることはインストラクションだけなのだけど、信頼して心を開いていてくださることが伝わり毎時間良い交流をさせていただいている。
仕事を通じて人や社会を知り、考えることも多い。家にいる時間も好きだけど、仕事があることはやはりとてもうれしい。

思えば就職直後、職場があるビルの3階まで階段を上る足取りの何と重かったこと・・・。
ため息をつき悲壮感いっぱいで入り口のガラス戸を開けていた。
その時期を乗り越え、おそらくは最後の職場として今この仕事ができることを幸せだと感じている。

但し、年齢上かなりきついことも確か。
パソコン画面の長時間直視は目にこたえるのに、日々の学習(キャリアがないしこれは欠かせない)も含めて1日10数時間も画面に向かうことの負担。
加えて記憶力の低下。
もうだめ、という日が遠くなくやって来るかもしれない。
職場での一日一日も大切に、(密かに)「効率」とはできるだけ距離を置いて、ていねいな仕事をしていこう。

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2008年4月 7日 (月)

無理のできない年齢だ・・・

パソコン関係の仕事をしているので、「パソコンが大好きで得意としている」と思われがちだけど、実はそうではない。

できるなら何でも手書き(描き)でやりたいし、「機械モノ」全般はそもそも苦手。
ただたとえば文書作成で言えば、字が下手でレイアウトセンスも乏しい私は、手書きで美しく文書を仕上げるにはたくさんの時間と紙を要する。
それでいて、「字がへた」は改善されないので出来上がりに満足しない。
ところがパソコンを使えば、レイアウトをさまざま試みても時間はたいしてかからない。もちろん字も整っている。
同様に、表計算ソフトを使えば複雑な計算を容易にしてくれる。
あるいは、グラフィックソフトを使えば、絵心のない私でもそれなり(本当にソレナリレベルだけど)の絵が描けてしまう。

そういった魅力から、各種ソフトの機能を覚えて長年デスクワークにも利用してきた。
パソコンそのものの理解度や操作力も充分こと足りていたのだけれど、昨年たまたまインストラクターという職についてからは、「足りない」ことばかりになってしまった。

その「足りない」ことを補う為に、時間を見つけては勉強し続けている。
さらに、WindowsがVistaに、Officeソフトのバージョンが2007に移行したことに伴い、勉強時間はかなり増えた。
無理をしているという自覚は多少あったけれど、「人に教える」という仕事の性格上、ある程度無理をせざるを得ないし、何とか身体もついていくだろう、という過信もあった。

でも、やはり無理のできない年齢であったよう・・・。
数日前、全般的な不調に加えて、左目の下部が小さくピクピク動き、止まらなくなった。
(画面を見続けるので目への負担は大きい。)
よく見なければわからないほどの小さなけいれんだけに、「動いている」という感覚がない。(鏡で見てびっくり!)
以前からごくたまに右目に起きたけれど、それは「動いている」ということが感じられていた。

症状が顔に出たことがショック!
「動いている」ことが自覚できないことがショック!

で、すぐに日課の見直しをすることに。
睡眠時間や適度な運動の確保、パソコンの制限・・・。
あるいは、目薬のこまめな点眼や、目に良いといわれるサプリメントの服用・・・。
その効果のおかげ?で今は止まっている。

ああ、でもなぁ・・・。
「いい仕事、納得のできる仕事」をする為にはそんなことしていられない!という焦りがはや出てきている。

歳を重ねてから苦手分野を仕事とするのは、やっぱり大変?
いえいえ、大変さよりこの年齢で新しいことにはまり込むことのできる喜びの方がずっと大きい。

とはいえ、「無理」を重ねたら、結局好きな仕事から「撤退」せざるを得ない結果にもなってしまいそう。
「バランス(のとれた生活)!バランス!」と、お題目のように唱えるだけではなく、実態を伴わすことが必要なことは十分わかったのだけど・・・。

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2008年3月11日 (火)

個人宅でのパソコン教室

あれこれやりたいことはいつもいっぱいあるのに、悲しいことに何と言って得意なものがない。
それはそれで仕方の無いことだけど、「何で稼ぐか?」は常に頭の隅においておかなければならない。
ひとつの仕事に従事し積み重ねを確かにしている人に対して、ちょっとうらやましい気持ちがあるものの、自分はそれを選択してこなかったのだからしかたがない。

恋愛も仕事も「出会いの運」というけれど、運が良いのか「探せども探せども仕事が見つからない」という深刻な状況に陥ったことはない。
それでもキャリアというものがない身には、年を重ねるほどに求職に関して気後れは増すばかり。

昨年の今頃は職探しをしていた。
対象年齢を軽くオーバーしているにも関わらず、メールでアピールし面接にこぎつけた。
採用はされたものの、適応力、記憶力の衰えは自身の思惑以上のものがあり、一連の仕事の流れを獲得するまでに消耗した気力、体力は限界に近かった。
「たった1年、されど1年」、もはや今では同じことはできないような気がする・・・。

「(応募はたくさんあったのに)なぜ、キャリアもなく年齢が高い私を採用したのか?」は、いまだにある疑問だけれど、もしリストラがあるなら有力候補となるかもしれないという自覚はもっていたい。
また逆に、どうしても意に沿わない経営方針が打ち出されたなら撤退への道も考えたい。

ではその後、何で稼ぐか?
もはや仕事としての新しいものに取り組む勇気はありそうもない。
この含みもあり、また現職(長く留まる為に)のスキルアップの目的もあり、このところ以前にも増してパソコン画面に向かっている時間が増えている。
職に就いたのが高齢なのだから、キャリアを積むのに悠長なことはしておられない。
「その後」の稼ぎにパソコンを生かそうというならなおさらのこと。

そんな思いのあるところに、たまたま15年以上も会っていない知人が近くでパソコン教室を開かれたことを知り、さっそくおじゃましに行った。

教室開催のため、家の一角を改築されたようす。
思いがけないことに、自治体の保育士だった奥様が早期退職し共に運営されている。
夫の60歳の新しい出発に寄り添い共に時を刻んでおられるご様子は、「夫婦のあり方」という意味でも示唆を受けた。

自分の仕事内容も明らかにした上で、さまざまお話をうかがったが、勤務先のパソコン教室とはまた違うシステムによる運営も大いに興味が湧いた。
学びたいソフトもあるので、実際に受講してみる気になっている。

初めてパソコンに触った14年前から、パソコン関係では何度も「生徒」の立場になったけれど、インストラクターをしてからは初めて。
今の仕事(やその先での仕事)に生かせると判断した「投資」でもあるけれど、果たして・・・?

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2007年12月12日 (水)

「人参ドリンク」に感謝

職場では生徒さんから時おり差し入れがある。私は胃弱から量を摂ることができないので、飲食するものはかなり取捨選択する。
何にでも手を出さない為、「食べ物にいやしくない」などと見られることもあるのだけれど事実は反対。
いやしいからこそ、「特に好きでないものを食べて、大好きなものが食べられなくなる」ことを絶対に避けたい。
無理して自分が食べるより、何でもおいしそうにパクパクと平らげる若い同僚の食べっぷりを見ている方がよほど気持ちいい、ということもある。
人参ドリンク でも、きょうの差し入れ「人参ドリンク」には積極的に手を出し1本頂いて帰った。

エクセルの最初の関門は「相対参照・絶対参照・複合参照」。
初めての方には一度ですっきり理解することはまず無理だと思うけれど、できるだけ的確なイメージをもって頂けるように説明する。
「もっと工夫してわかりやすいインストラクションにしなければ・・・」とそれぞれ反応が違う生徒さんに接するたびに認識を新たにする箇所である。

この日の私の同年輩?の女性は素直に思いを言葉や表情に出される方なので、手に取るようにイメージをつかみきれていない状態であることがわかる。他のコースでも幾度かインストラクションさせていただいたお馴染みの方でもある。
「説明がわかりにくいんやろうなぁ~、疲れてはるやろなぁ~」と密かに申し訳なく思っているのに、
「こんな出来の悪い生徒やったら、疲れはりまっしゃろなぁ~」と逆に気遣いを頂いてさらに恐縮。
時間をかけている内に「何となくわかってきた気がするわ~」の声が聞けて取りあえず安堵。
始めるなり「エクセル嫌い」になってしまわないよう、便利で簡単な機能もちょっとだけ紹介しておく。

この日のレッスンを終了されて帰られたのに、しばらくして教室に戻られ「疲れはりましたやろ、みんなで飲んでちょうだい。これ、割とおいしいですねん」という言葉を添えて渡してくださったのが文頭の「箱入り人参ドリンク」。

にじみ出る人柄と飾りのない言葉から、頂いたのが「モノ」にとどまらず「気持ち」であることが伝わってくる・・・。
インストラクションするのは機械であるパソコンの操作についてだけれど、相手は人間。この仕事の最大の魅力は、時に「気持ちが通い合う」ことを実感できること。
この時も、ポワッと心にあったかいものが灯りうれしかったのだけれど、同時に苦い戒めも心に留めざるを得なかった。
インストラクションは「気持ち」を込めたものでありたいといつも思うものの、何より生徒さんが理解できる質の高い説明力が必須。
「先生、がんばってくれはったなぁ~(自分はようわからへんかったけど・・・)」と感謝されるなど、実に恥ずかしい・・・。伝わるのが「気持ち」だけではプロとして失格、と思う。

とはいうものの、まだまだ新米の自分が十分な仕事ができるはずもなく、こんなあったかい励ましは力の源。
通常は好まないドリンク剤だけど、「人参ドリンク」飲んでまたがんばるぞ~。

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2007年11月11日 (日)

「年賀状」に追われる

「年賀状」に追われている、と書けば「えっ、早いんじゃない?」と言われそう。
その通りで、自分自身の年賀状はまだ買ってもいないし、2008年用のデザインも考えていない。
追われているのは、この時期に発生する「ハガキ作成」コースのインストラクションの為の勉強。
自分ではハガキ作成ソフトは表面の印刷くらいにしか利用してこなかったので、ほとんど未知の領域。
しかも代表的なソフトだけでも、「筆まめ」「筆ぐるめ」「筆王」と3種ある上に、それぞれにバージョンが複数存在する。
教える側にとっては、生徒さんの要望に応じたソフトとそのバージョンの徹底的な理解が必要ということになる。

パソコンのインストラクションという職業に就いて約8か月。
自分がそのソフトを「使える」ことと「教える」こととは、要求される質と量がまったく異なることを思い知らされている。
ましてやほとんど使っていなかったハガキ作成ソフトなら、そのどれについても徹底検証をしておきたい。
実は、このような考え方は経営者や他のインストラクターとは少し違っている。
職場では「ハガキ作成ソフトはそもそも簡単な操作で扱えるようにできているし、どれも似たようなもの。その場の対応で何とかなる」というのが主流。
でも、私はそれがイヤ。
どんな簡単なソフトでも一通りの理解はもちろん、できる限りの質問を想定して、常にプロらしい対応ができる備えをしていたい。
(それに・・・、年と共に反射的な対応力が衰えてきているし・・・)

入社当時は、どんどんいろいろなコースに入らせようとした経営者側と、そのコースの学習が済むまではインストラクションに入るのを拒んだ私との間に衝突、あるいは話し合いが数回あった。
今では、経営者は私のやり方やペースに理解を示してくれているけれど、ハガキ作成ソフトにおいては、「待ったなし」であることは十分承知。
生徒さんが2008年用の年賀状作成に間に合わなければ意味がない。

というわけで帰宅後も家事は最低限にして、マイパソコンに3種のハガキ作成ソフトを入れてあれこれと操作確認をやっている。(といってもそんなに時間がないので焦り・・・)

さて、皆様はどのような年賀状を送られるのでしょうか。
私は、ネット上のグリーティングカードも利用していますが、パソコン環境がない友人もたくさんいるのでやはり年賀状は欠かせません。

今年は、手描きとまではいかなくても、パソコンの水彩ソフトで絵が添えられたらなぁ~と考えています。やはり裏面にハガキ作成ソフトを使うことは無さそう。

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2007年10月24日 (水)

後輩が5人も・・・

新しい仕事に入って約7ヶ月。勤務シフト表の名前欄には、私の下に5人の名前がある。
入社順に並ぶので既に5人も後輩がいることになる。
少し前に入った2人は人生経験も仕事のキャリアも十分な人。
私も依然「新人」として甘えてきたけど、最近に続けて採用となった3人は年も若いし、学生アルバイトの人もいる。
自分の入社当時を思い起こせば、インストラクションのぎこちなさはともかくもスタッフ仕事の煩雑さにパニックの連続。
詳細の把握、平行して複数の仕事をこなす手際、かつスピーディな動き、すべてを要求されるもので、いやでも加齢による衰えをも思い知らされた。

若い子たちはすぐに適応していくだろうけど、でもやっぱり始めはたいへん。
「できるだけのカバーはしてやりたい」、などと思えるのは、少しは自分にも余裕ができたからかな。
「しっかりせな、あかんわ」との自覚は強いものの、逆にこの年齢になっても尚「しっかりしてない」自分にも少々あきれている。
いつか「しっかりする」日は来るのかなぁ・・・?

とはいえ、若者たちのいる職場は何と言っても華やかさと活気があって楽しい。
しかもそろって個性的ながら気立てがいい。たとえば1人は芸大生で「デッサン」を話題に始めから大盛り上がり・・・。
気が付けば、キャリア十分の後輩たちにはパソコンソフト等に関していろいろと「教えてね」と頼り、若い子たちにも、デッサンばかりでなくその子たちの得意分野などに関して「また教えてね」と声をかけている。(そのどれも私は興味津々・・・)
こんな情けない年の離れた先輩でも、みんなにこやかに接してくれることがうれしい。

今に至るまでには、ストレス並びに、自分の力の限界を感じて退職を申し出たこともあった。
誠意をもって引き止められなかったら、既に退いていた職場であったはず。
大きな山を何とか乗り越えたあとは、どんどん好きになっていく今の仕事。
この年齢になってやりがいのある新しい仕事を得たことは奇跡のように感じるし、感謝の気持ちもいっぱい。
年齢だけで振り落とさず採用を決めてくれた経営者、スタッフたち、しんどい時期を支えてくれた家族や友人、ブログ友たちにも励ましていただいた。
そんな周りの人たち以外にも、何か漠としたものへの感謝もある。
それは神様でも運命でもなく自分をとりまく大きな流れ、のようなもの、かな。
そして、自分にもちょっぴり、「よくがんばったね」と褒めてやろう。

しかしながら時に無鉄砲と言われる私も、できるならもう「新しい仕事」への挑戦はこれっきりにしておきたい。
趣味に関しては「劣等生」に甘んじても好きなことを臆せずやりたいけれど、「仕事」には責任という大きなものが伴う。さすがに限界、かな。

でも既にどっぷりつかった今の仕事にはまだ限界を感じない。
質の高いインストラクションを通じて、生徒さんたちとさらに良い交わりをもてるよう、(相変わらず周りのスタッフたちにも頼りながら)勉強していかなくてはね。

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2007年10月17日 (水)

失敗、失敗!

仕事がお休みの今日は朝から秋晴れ。
水曜日に休日を入れることが多いのは、映画がレディスデーで1000円になる曜日だから。
とはいうものの、なかなか近隣に映画館があるわけでもなく観る機会は少ない。
きょうこそ、と思ったけれど、まぶしいような陽射しとさわやかな風があおるのは「家事」への誘惑。
気候のいい季節に、時間に追われないでする家事はとっても気持ちがいい。
そんなわけで、ふとん干し、シーツなどの大物の洗濯、煮込み料理の下ごしらえ・・・などをのんびりと始めていたところに電話が・・・。

職場からで「どうしましたか?」
「はっ?」
「遅れて来られたことなどなかったのに、どうされました?」

何と、今日はお休みなどではなく出勤日だとのこと。
(1ヶ月前に休み希望を記入するシフト表に、自分では書き込んでいたつもりが、書かれていなかった)

既に出勤予定時間を5分ほどオーバー。
「できるだけすぐに行きます」と答えてから職場に着くまで15分。
外出予定がない休日は「スッピン」。そこへいつもの5分化粧を3分で、そして着替え。
職場の自転車置き場まで8分かかるところを飛ばして6分。あとはひたすら走る・・・。

謝罪の言葉もそこそこにすぐにインストラクションへ。
したたり落ちようとする汗だけど、さすがに快適な季節では治まるのも早い。

家事も心地いい、仕事も心地いい、秋晴れの一日は何をしても心地いい。
その季節のさわやかさは、「とんだミスをしてしまった・・・」という気落ちまで振り払ってくれたよう。
長い間いろいろな仕事をしてきたけど、うっかりミスで仕事に穴をあけたことは恐らく1回もなかったと思うけれど・・・。(たとえ30分弱であろうとも)
この仕事に就いてからも、シフト表で翌日の自分の勤務を確認忘れをしたのは昨日が初めて。
それさえしておれば、休日であるとの思い込みは既に昨日で解消されていたはず。
きょうはたまたま予定が何も入っていなかったけれど、約束があったならそちらにも大迷惑をかけてしまうところ。
あらためてシフト表に記載された休日と自分の手帳のスケジュールとを照合した。

ミスはミスでも、ある程度取り返しができる状態でよかったなぁ(外出していたらすぐには職場に入れなかった)と思いつつも、「お休み」が1回とんじゃったのは痛い・・・。

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2007年6月18日 (月)

1日、30時間ほしい~

気がつけば、職場に通じるビルの階段を昇るときに必ず湧いていた「暗~い気持ち」がなくなっている。
慣れないことやキャリア、実力不足から起きるストレスが随分緩和されてきたのだろう。
若者なら、ここからいよいよ本領発揮!さらに仕事を楽しみ力もつけていく・・・ということになる。

ところが当然ながら、これは自分にはあてはまりそうもない。
階段を昇るとき、気持ちは暗くないけれど文字通り「足が重い」。
心は随分軽くなったのに身体が疲れきっている・・・。

毎日というわけでもないけれど、時に9時間を越えるインストラクションになる。
その間、立ちっぱなし、しゃべりっぱなし、パソコンの画面も注視し続ける。(操作のまちがいを見落とさないため、常に目を凝らしている)
もちろん前後や間にスタッフ仕事もあるので、そんな日はかなり長い拘束時間となる。
ぐったり疲れるのだけど相手が「人」(次々と対象が変わるし)だから、気持ちは入り続ける・・・。

というわけで、このところ明け方にきまって足がつり目を覚ます。
どういうわけか痛みは右足首の側面あたりに走ることが多い。この位置の場合、通常の対応のように足先をそらせばさらに痛みが増す。
対処方法がわからないまま、数分間痛みをこらえ続けることになる。

光の輪のようなものが出てきて見えにくくなるという症状も発生し、眼科にも行った。

肩と腰の痛みから整骨院にも。(続けて来るように言われているのに時間が取れず一度きり)
「かなり危ない状態、ぎっくり腰になる可能性も高いので落としたものを取るときなど要注意」とのこと。

「じょうずに年ととる」というのは心もだけど、無理のきかない「身体」とうまく付き合っていくということが大事、なのかもしれない。
それは、「あれもしたい、これもしたい」という欲をそぎ落としていくこと?
疲れて帰るのに、明日はもっと質の高いインストラクションができるように学習しておきたい!という欲だけはムクムクと湧いている。
それでいて仕事以外のことにも目を向けていたい・・・。
戒められるべきなのは「墓場まで持っていけない」といわれる“物”に対する欲ばかりだけではなさそう。

などと言いながら、1日が30時間くらいあったらなどと考えてしまう毎日。
思いと身体とのこのアンバランス状態、どうなっていくのだろう・・・。

何はともあれ、きょうはうまく半休がとれ最優先したのは身体が要求した「睡眠」。
久しぶりに少しお昼寝をしたら、てきめんに身体が随分軽くなって気持ちいい。
簡単なものだけど「一人の夕食」も作った。
あとは掃除と明日の予習とブログ回りと読みかけの本と・・・、やっぱり1日30時間ほしい!
晩ご飯

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2007年5月25日 (金)

老いの超え方

きょうのタイトルは吉本隆明著『老いの超え方』から借りた。
まだ半分くらししか進んでいないけれど読みながらいつも「ああいやだ、いやだ」と思う。「いや」なのは年をとることではなく、文脈にさらけ出された「老いた身体」に向き合うこと。
それでいて投げ出すことができず、また手にとっては続きを読んでいる。
若い日にこの人の著書に読みふけったというわけではないけれど、自分なりのイメージがあった人だけにその赤裸々に描かれた「老い」の実態を受け入れにくい。
吉本隆明氏自身は「老いを超えられた」のだろう、でも私はまだ「高齢」の老いは超えることはできない。

とはいえ最近「老い」の小さな山はひとつ越えた(ような気がする)。
「老い」について考え込むようになったのはパソコンのインストラクターとしてたくさんの生徒さんと接するようになってから。
生徒さんは老若男女さまざま。
理解力とパソコン操作能力などにおいて、個人差というものではなく若者と中高年の間に歴然とした差があることを毎日見せつけられている。
それは「若さは才能」ということだし、中高年になれば衰えがあるということ。

さて、私の職場はレッスン中も全体の目配りは欠かせないし、時間ごとの受付や終了のスタッフ仕事もかなりのテキパキさと正確さを要求される内容になっている。
少し慣れて要領も飲み込んできたとはいえ、納得できるような仕事振りではない。
遅々として進まないテキスト学習のこともあり、自分の見極めとして「衰えた今の年齢ではこの仕事をこなすのは無理」という結論を出した。

その結論とそこに至るまでの経過を経営者に告げたところ、慰留の為の熱心な説得が続いた。
経営者の主な言い分は「仕事は十分できているし、生徒さんの反応もとてもいいのに辞めるのはお互いにとってもったいない」ということ。

他者からの評価を聞きながら、思い至ったのは自分が余りに「衰え」を意識していたこと。
ハードな職場にあって、常に(もう少し)若かった頃と比べて今の自分を見ていたということ。
「若かったときはこれくらいのことは完璧にこなせただろうに、小さなミスを繰り返したり覚えが悪いのは衰えたからだ・・・」といったように。

10年ほど前、ママさんバスケットボールのチームに入った。
そこでまず言われたのは「若い頃はできた、というように考えたらあかんよ。若いときとおんなじようにはできないのが当たり前やし。
昔はできたのに今はできない、と思ったら落ち込むし無理もしてしまう。今の自分が楽しむことが大事やから」

「中高年」の老いの超え方はコレに尽きるのかもしれない。
若かった頃と比べず、年齢と経験を積み重ねてきた今の自分自身をみること。
まだできること、がんばれることはいっぱいある。(もちろん楽しむことも)
小さなミスは「しゃあない、しゃあない」と気にかけず、理解力や記憶力が乏しいのも「その割にはがんばってるやん」と受け入れよう。

もとより嫌いな仕事というわけではなく自分の能力に見切りをつけての撤退だった。
今一度、「今の自分」の力を信じてやろう、と思い直している。
今の自分がせいいっぱい頑張っているのに、まずは自分自身がそれを認めてやろう。

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